3〜不信
― 中佐だって?
カネダは改めて女を見やる。 年は30代、彼には35、6に見える。 皆、スーツや制服姿の官公庁内にあって、ラフな格好で落ち着いて居られるのは、何かの現場でプロとして重用されている証拠と言える。 ベテラン技官にこの手の者が多い事をカネダは知っていた。
しかし、彼女が発するこの雰囲気は何だ? 特に目が気になった。 冷たい、と一言で言い切ってしまうには無理がある、余りにも複雑なその色。 凄味と言えばそれに近いのか?
その時、彼はつい最近その気配に極めて近いものを見たことに気が付き、肌が粟立った。
それは、昨年度のピリッツアー賞を受けた日本人戦場カメラマンが撮ったスチール写真に写っている、南米某国の特殊部隊士官の目だった。
題名は『トロフィー〜戦利品』。 どこかの村の広場、いかにもインディオが住みそうな部落は燃えている。 その煙渦巻く小屋を背景に、その士官が右手に下げていたのは17、8歳の目を閉じて、眠ったかのように穏やかな表情をした女の生首。
そんな事を漠然と思っていたので、彼は先へ進んだ竹崎の話を良くは聞いていなかった。 竹崎は『渡る』のは明日、とか何とか言っている。
「これによれば、」
と手紙を打振って、
「連絡は、この建物の側面にあるスローガン表示用の垂れ幕掲示スペースに、先月の月間スローガンを下げればいいらしい。」
竹崎は、一息入れると、
「あくまで近くに居ても捕まらない、と自慢したいらしいな。」
そこで警視は如才無く、
「申し訳ありません。」
「あなたが謝る必要はないよ、警視。 何百年も捕まらないから、金と手間掛けて我々がやっているのだから。 それに、奴らの提案に乗ろう、と言う訳だから、捕まえてはまずい。 万が一スローガンを眺めている者が居ても、検挙はいかんよ。 尾行したければしてもいいが、どうせ無関係だから徒労に終るだろう。」
そして竹崎は立ち上がると、
「さて、優秀な諸君をぐだぐだと引き止めては申し訳ない。 これでお開きとしよう。 警視。」
「はい。」
「済まないけれどスローガンの件、手配を。 ちなみに警視庁捜査一課切っての敏腕に雑用ばかりでは申し訳ない。 次からはこのカネダ君が、こういう事を率先してやってくれそうだから、警視、最後に一つ頼みます。」
「お安い御用ですから、これからもいいですよ。」
「いや、これも私が手配しましょう。」
カネダが慌てて申し出ると、竹崎は、
「出来る部下たちを持ってうれしいよ。 だが、ここは警視にやってもらおう、では、ここまで。 皆、今日はもう上がり給え。 私が許す。」
皆、立ち上がり、ドアに向かう。 すると、
「おっといかん、カネダ君、やっぱり野暮用を一つ、引き受けてくれんかな。」
「はい。」
カネダは引き返し、座った竹崎の前に立つ。
「何ですか?」
「ああ、少し複雑なんだが、東京に行って貰おうかと・・・」
「東京、今からですか?」
「いや、先に説明しよう ――」
ドアがカチャリと閉まる音。 竹崎は突然黙る。
「何です?」
すると竹崎は、指を立てカネダを黙らせる。
他の者は全員出て行き、廊下から靴音も消えた時、突然ドアが音もなく開き、あの女中佐が入って来た。
女はそのままドアに残り、竹崎はテーブルの後ろ、カーテンの引かれた窓際にあった段ボール箱から何かを取り出す。
それは黒い金属の箱で、表面に何かスイッチの類がいくつかと、デジタル表示が見て取れた。 一仕切り竹崎がその機器を弄ると、それをテーブルの中央に置き直し、話始める。
「この器具は『バルーンメーカー』と呼ばれる。 一種の盗聴防止システムだ。 3メートル半径が有効範囲で、会話は外から聞けないし、有効半径内に仕掛けられた盗聴器や録音機は雑音しか聞けなくなる。 正真正銘の秘密兵器で、まだ一般には知られていない。 憶えておきたまえ。」
「はあ。 私は何か東京に用事があるような気がするんですが。」
竹崎は鼻で笑って、
「その歳で惚けたかね。」
「まあ、いいでしょう。 そしたらこの後、一介の少尉が、お偉いさんのゲームテーブルに招待された訳をお聞かせ願えるのでしょうね?」
「ほう、我々と一緒にゲームが出来るのかい? 随分と自信があるんだな。」
「いいえ。 ロクでもない話はさっさと聞いときたいだけですよ。」
「分かった。 では話そう。」
竹崎は身振りで座るように促し、彼が座るのを待つと、切り出した。
「『エンジェル』を知っているかい?」
「上辺だけは。 反政府テロ組織。 リバーサーを攫って洗脳するとか。 江戸時代から延々と代替わりしながら活動を続け、最近は暗殺なども行なう凶悪集団に変質しているとか。 ここへ引っ張られた時に受けた、ブリーフティングからの受け売りですがね。」
「なるほどな。 では、奴らが何故我々に、大掛かりな捕縛作戦を展開させる理由は知らん訳だな?」
「何にも知らないですよ。 自慢じゃないですが、私は武警一と罵られた出来損ないですよ?」
「なるほど。」
「それがエリートの皆さんに交じって仕事をするだけでもびっくりなのに、トリプルAがあっという間のファイブAですからね。」
竹崎は首を振りながら、
「君が頑張れば武装警察に帰る時には、肩に『桜』がもう一つ咲いているかも知れんよ。」
武装警察は軍組織と同じ階級制度で、階級を示す肩章の『星』は5弁の桜花。 少尉のカネダには銀の地に一つだけ付いている。
「今度は昇級ですか。 一体ボスの権限はどこまで広いんですか?」
しかし竹崎はその問いには答えず、
「カネダ少尉。 君はまだ沼地に足を踏み入れたばかり。 爪先ぐらいしか汚れていまい。 私は違う。 肩までどっぷりだ。 この沼は汚いし臭いぞ。 覚悟しろ。」
「はあ。」
「先程の3人の中にエンジェルの廻し者が居る。」
「え?」
「そう。 そういうことだ。 そいつが誰かなど、私は興味がない。 どちらかというと、国家の保安を司る君の仕事さ。 だが、くどい様だが、私にはどうでもいいことなんだ。 調べなくても良い。」
「・・・」
「エンジェルは伊達に300年も生き残っている訳ではない。 その都度支援者がいて、それは時の政府部内にも居た筈なんだ。 だから情報は筒抜け、捕まる訳がないのさ。 どうやって支援者を得ているか、金か、女か、地位向上か。 そういうものではないんだ。 私はそれに気付いた。 奴らの支援者は自然に発生するんだ。 それは良心が原因だからさ。」
「リョウシン?」
「よきこころ、さ。」
「ああ。」
「性善説だな。 単に政府に対抗する、反発する、そういうことでもない。 生まれや運命から逃れられない者たちへの憐憫、同情、というか義侠心というか。 とにかくそういうものさ。」
「・・・良く分かりませんが。」
「今はいい。 追々君にも分かるさ。 まあ、今、分かって居たら、私は君をここに呼びはしなかっただろうがね。」
「はあ。」
竹崎は笑い出す。
「おいおい、始まったばかりで情けない顔をするな。 この先、この作戦が終了するまで君は私と一緒に行動する。 護衛は、あの中佐にお願いしているから、君の隠れた才能の射撃術を披露する必要は無い。 君がすることは、私の手足だ。 言われた事をやって欲しい。」
「パシリなら慣れてますから、承知しました。」
「ん。 済まんな。 私はもう、身内すら信用出来なくなってしまったのさ。」