終〜深淵
兼田はゆっくりと首を横に振る。
「はあ。 リクルート、ですか? エンジェルへの。」
「知っていたのか。」
「ええ。 見た訳でも聞いた訳でもありませんが。 貴方ならそんな事もあり得るだろう、との結論です。 上司たちには理解して頂けませんでしたが。」
竹崎は立ち止まると、
「どうしてなんだ? 私より、君の方がよほどあちらに向いていると言うのに、どうしてこちらに忠誠を誓う?」
すると兼田は、自分でも驚くような憤りを感じ、
「馬鹿にするな! 忠誠だの、向いている・いないの、そんな、お前の出来がいい頭の中だけの世界に、俺を当て嵌めるんじゃないよ!」
兼田の怒声に、竹崎は何か悲しそうな顔をするが、黙っている。 兼田は、
「竹崎。 あんたは『くに』を単なる土地や組織としか見ていない。 俺は違う。 国は国だ。 どんなにおかしなシステムで動いていようが、蔑視されようが、国は国だ。 そこに理由などあるものか。 自分が生まれ育った場所を、義務や権利だけで良いの悪いの判断出来るほど、俺は頭が良くないんだよ。 好き嫌いの問題でもない。 この国で生まれたんだ、俺は。」
そこで兼田は、指こそトリガーガードに掛けているものの、安全装置も掛けていない銃を手にしていることに気付く。 彼はゆっくりと銃を持ち上げると安全装置を掛ける。
「この国は、俺には生き辛い。 そんな事はもう、今更、な問題だ。 お前の様に器用でも天才でもドライでもないからな。 だがな、お前には絶対無いものが俺にはある。 俺はこの国が好きだ。 この空気が、この森が、民家や田舎の素朴な老人たちが好きだ。 それに背を向けることなど永久に無い。」
兼田は黙ると、竹崎を睨み付ける。 竹崎は力なく笑うと、
「そんなに熱かった、とは、な。 もっと早く気付いていればね。」
歩きながら兼田に近寄ると、立ち止まり、
「君を失うのは忍びない。 見逃してくれないか?」
「はあ。 私を失うのは、ですか?」
「ああ。 はったりではない。 真面目に言っている。」
「・・・残念ですが、私はこれでも警察官でして。 竹崎進。 殺人未遂及び公務執行妨害の現行犯で逮捕する。 手を上げて、私の前に来なさい。」
「そうか・・・残念だよ。」
その瞬間、兼田を激しい頭痛が襲う。
「あうっ!」
思わず頭を両手で覆い、拳銃を落とす。 それは到底耐えられない痛みで、兼田は悶絶して倒れ、雪が溶けては凍った泥の上のた打ち回った。
激しい頭痛は意識を遠退かせ、最早兼田には竹崎の姿は見えなかった。 それでも、のた打ちながらも木の根に指を掛け、樹に爪を立てるようにして身体を支え、霞む目で辺りを見回す。
「残念だ、では、これで。」
どこからか竹崎の声が聞こえる。 このままでは行ってしまう、何とかしなくては、とは思うが、相手も見えず、この頭痛の原因も分からず・・・すると霞む視野に何かが入ってくるのが見えた。 それは黒い影の2人の人影、かなり大きな人物と、多分女性のシルエット、1メートルほど間隔を開けてこちらに近寄ってくる。
更に痛みが増す感じで、彼は再び倒れ込み、もんどり打つ。 寒い。 冷たい地面が身体の熱を奪うかの様、爪で地面を掻き乱し、唸り声が毀れる。 涙が止まらなくなり、唸りも次第に悲鳴となって行く。 その前に2つの人影が立ち止まり、じっと彼を見下している。 その姿はフードを被った迷彩姿。 意識が薄れて行く中、その姿に既視感を感じ、忽ち蘇る、あちらの世界、あの民家、廊下に佇んだ大きな姿。
「お前、あの・・・」
女の方がフードを取り去り、何かを彼に言う。 この顔にも覚えがあった。
「ごめんなさい、中尉、竹崎氏は我々に必要な方。 お願い、見逃してやって下さい。」
掠れる様なハスキーな声、どこの地方だろうか、微かななまりがある。 それとも東洋系の他国か? その声に覚えは無いが、そうだ、顔は・・・バイクで去って行った女、エンジェル? この者たちを見逃すように竹崎が言っていたのは、この時のためだったのだろうか? 頭痛が去らず、呻きながらも兼田は女を見据えようとする。
「だめよ、抵抗してはだめ、どんどんひどくなる。 彼の事は忘れなさい。 大人しくしていれば、やがて普通に戻るから・・・」
それだけ言うと、女は立ち上がって去って行く。 大男に頷いて森の方へ。 そこに竹崎がいた。
「つくづく残念だよ。」
竹崎は言うと、森の中へ入って行く。 女が後に続く。 そして・・・ふっと消えた。
「タ、ケザキ・・・」
歯を食いしばりなんとか立ち上がろうとすると、痛みがまた増す。 倒れ込んだその手が何かに触れる。 思わず掴んだそれは、彼が取り落とした38口径だった。 彼はそれを大男に向って構え、
「止めろ。」
男がにやりと笑った。
「止めるんだ!」
しかし男はとぼけたように、フードの下から笑い声を上げる。
「撃つぞ!」
しかし、男は笑うだけだ。 そして兼田は、トリガーを引く。 男に向って、ではなく、振り返ると反対方向へ乱射した。
ドサッ。 銃を撃った方向から、何かが倒れる大きな音がした。 その瞬間、まるで嘘のように痛みが消える。
兼田はゆっくり立ち上がり、脂汗が浮く額を拭った。 振り返ると、そこにいたはずの大男は消えていた。
兼田は一本の木に寄り掛かると、大きく息を吐いて目を瞑る。 すると斜面を滑るように降りて来る人影がある。 兼田が素早く銃を向けると中天に輝く半月の下、それは少佐だった。 撃たれた左肩を押さえてながら、
「すまない、気を失ったようだ。 恩に着るぞ。 君が撃たなければやられていた。」
そして痛みに顔をしかめながら、
「竹崎は?」
「行っちゃいましたよ、あいつの相手してる間に。」
兼田は用心深く銃を振り回し、森に近付く。 案の定、大男が倒れていた。 その横腹をいきなり蹴る。 死んだ振りならこれで動かない訳はないが、男はうんともすんとも言わなかった。
― 悪いな。 竹崎が言っていた、うまいイリュージョンかサイか区別がつかないと・・・手品っていうのは、人が思いもしない方向にタネがあるもんだそうで・・・
兼田は大男の上着の中に手を入れ、暫く探っていたが、やがて札入れを取出し、懐中電灯で調べると、定期券大のカードを見つける。
― なるほど。 竹崎が放って置けと言う訳だ。
「どうした? 何か見つけたか?」
座り込む少佐に無言で近付くと、何も言わずにカードを渡す。 少佐は表情を変えずに見ていたが、吐息を吐きながらカードを懐にしまい、どこか疲れたように、
「これはことだな。」
兼田は少佐の肩を調べると、流れる血を見て、
「擦っただけです、それにほら、」
と顔を上げる。 微かにヘリの音がして、それが次第に複数になって和音の様に重なり、だんだんと音量が上がっている。
「正義の味方の登場です、アメ公なら騎兵隊のお出まし、とか言うんでしょうな、もう少しの我慢ですよ。 それにしても実にいいタイミングですね? 早過ぎず、叱責されるほどには遅過ぎず・・・」
少佐は呆れ顔で、
「さすが武警一の変人だな、たいしたもんだ。」
少佐は手招きして、彼を傍らにしゃがませる。
「ところで、私が君の働きをありのままに書けば、君は一躍時の人になれるだろう。 どうあがいても竹崎の逃亡は止められなかったしな。」
意味ありげに少佐は兼田を見上げる。
「ええ、まあ。」
「君の報告書がもっと早く私たちに上がっていたなら、こんなことにはならなかった。 そうだよな?」
再び兼田を注視した少佐は、そこで笑いだす。 兼田は表情を変えないように注意しながら思う。 つまりは、彼は竹崎をとり逃がした責任を、兼田の上申を握り潰した武装警察のせいにしようと言うのだ。 兼田がそれに協力すれば見返りに栄誉を、と言う訳だ。 無表情の兼田を見て少佐は核心に迫る。
「その肩にもう一つ桜が咲いたら、綺麗だろうな。」
すると、兼田はきっぱりと言い切った。
「いいえ、少佐殿。 そんな話に乗ったお陰で、私はこんな羽目になっとるんですよ。 少佐とそっくり同じ事を言った方が過去、おりましてね。 それ以来私は肩の桜の重みと国の重みの間で、身動きが取れなくなってしまったんです。」
それきり黙ると、兼田は少佐に背を向けたので、少佐が彼の言葉にどんな反応をしたのか分からなかった。 ヘリの音は益々大きくなってくる。 兼田は、竹崎の消えた真っ暗闇で不気味に静まり返る森を振り返り、睨み付けるだけだった。
≪終≫
お読み頂きありがとうございました。
竹崎がその後どうなったのか、は、
本編『RE;BIRTH』をお読み下さい。