20〜追跡
「起きろ、ジョーカー。」
肩を揺さ振られた兼田は、はっと飛び起きる。 覗き込む少佐の顔がそこにあった。
まだベッドに入って間が無いはずだ。 兼田が現状を把握する前に、少佐が早口で、
「さっさと着替えろ、今は質問をするな、君が着替える間にブリーフティングをしてやる。 いいか?耳だけ貸せ。
現在地は保調7階仮眠室、現在3月19日0241、キングに動きがある。 キングは軟禁中の自宅を出た。 30分前の事だ。 自宅を警備していた5名が心神喪失状態、その合間に脱出した。 キングの身体には取り外し不可能な発信機を取り付けていたので、10分前に逃走車両が発見され、現在複数車両が追尾中。
逮捕命令が出ているが、まずは行き先を知りたいとの上層部の考えだ。 これから私も追跡に参加する。 君も来い。 以上。」
「質問宜しいですか?」
シャツのボタンを手早く止めながら兼田が聞く。
「なんだ。」
「彼は今何処です?」
「3分前は所沢の北、北上している。」
「一人で?」
「いいや、車両にキング以外の運転手と、もうひとり、計3名が確認されている。 誰かはデータ照合中だが、判らない可能性が高いな。」
「用意出来ました。」
「宜しい、行くぞ。」
屋上の緊急用ポートにヘリが待っていた。 追跡・連絡用の軽快な6名乗りの中型ヘリで少佐、兼田と護衛役だろう若い少尉が2人乗り込むと、ヘリは夜半に昇った下弦の月を背に、西へ向った。
20分後には同じく追跡するヘリを視認、ヘッドセットに追跡チームの戦術無線が入り始める。 傍らの少佐が兼田を突いて下を示す。 高度を下げたヘリの進行方向に2車線の道、そこにひた走る一台の車のヘッドライト。 兼田が頷くと、少佐が回線を切り替え、
「奴が何処に向うのか、分かるか?」
「いいえ。 しかしこんなに派手に追い掛けても宜しいので? 尾鰭付きでは目的地へ真っすぐ向わないのでは?」
「最初から追われているのは奴も承知さ、どこかで対決しなくてはならない。 あちらが一個小隊くらい用意してもいいようにはしてある。 緊急配備は止めたがね。」
「何故ですか?」
「奴が何を狙っているか分からん今、君の組織や警察を巻き込みたくない。」
「足手纏い、ですか?」
「やっと目が醒めたな、え? 道化師君。」
兼田は、別に思う所があったが、黙った。
奇妙な車列は秩父山系に入り、山道をジグザグに登る所まで続いた。 山に入り、針葉樹が覆う山肌を縫う道は、見通す事が難しい。 樹高も高いのでヘリは止む無く高度を上げる。 地上班の通信で様子を掴むしか術が無い。 軍にはリアルタイムの映像を送受信するシステムが導入されつつあるが、彼らには高根の花だった。
その時、突然火の手が前方に上がる。 遅れてドン、という爆発音が。
「回り込んで前方から見てみろ!」
即座に少佐がパイロットに命令した。 少尉の一人が懐を開き、ミニサブマシンガンの銃把を覗かせたが、これには少佐は首を左右に振る。
ヘリが高度を落とし右旋回すると、森に隠れていた山道が視界に入る。 車が一台炎上し、その向うに二台、竹崎を追跡していた味方の車が見えた。
「一体どうした? キングは何処だ!」
先程から戦術無線に少佐がどなっていたが、ようやく下から、
「やられました、いきなり先行車が爆発、道を塞がれました。 キングの車はこの先、横道に入りました、発信機は機能しておりません、爆発と同時に壊されたかと。」
「早く追え! 数名徒歩で先行、後は先行車の救援と残骸をどかして、速やかに車両で追うんだ。」
少佐は少尉の片割れに、
「埼玉、山梨、群馬の各県警と、大宮の警視庁に緊急配備の要請だ、現在地から半径100キロを封鎖、一時間で頼む、とな。 ああ、今日のパスワードは、ガソリン、セージ、グレイ、だ。」
先程慌てて銃を覗かせた少尉が、マイクでまずは警視庁を呼び出す。 兼田は震える少尉がパスワードを度忘れしたのを助け、なんとか要請し終えると、そこへ、徒歩で追跡していたチームから連絡が入る。
「車が乗り捨てられてます、容疑者は3名とも見当たりません。 車を降りたのは道が登山道となっているからだと思われます。 このまま進みます。」
兼田はパイロットの横に座る、少佐の方に身を乗り出す。
「少佐ドノ?」
「なんだ?」
「私には、彼が何処に向っているか分かる気がします。」
兼田はひとり落ち着いていた。 少佐は一瞬考え、目を見開くと、
「まさか。」
「そのまさかだと思いますよ。 関東には5ヶ所、その1つは5キロほど先にあります。」
「しかしあそこは、他の山地同様、周囲の山を切り崩したので、エントランスは宙に浮いてしまい、地上からは入れない筈だ。」
「では、我々の知らないエントランスが他にもあったら?」
「こんなに近くにか?」
「確かに10キロ以内に複数のエントランスが存在した例はありません。 でもそれが本当に当たっていますか? 例外があったとしたら・・・。」
「君の言う通りだ。 で、君ならどうする?」
「あとどの位飛べます?」
尋ねられたパイロットが、
「近くの飛行場に降りるなら30分」
と答える。
「平坦な場所に降りるのであれば?」
「不時着覚悟なら一時間。」
「どうでしょう? せいぜい騒ぎ立ててこの辺り一帯を飛び回るんです。 奴らは時間がないはずです。 エントランスは時間で開閉しますから、そんな時に頭上で飛び回られたら、どうです?」
「確かに嫌だな。」
「隠れなきゃならない。 だから焦って姿を晒すかもしれない。 あちらを飛んでいる仲間にもお願い出来ましたら。」
「よし、2機で縦横無尽に飛び回れ。 燃料切れでその辺りに不時着しても構わん。」
15分後、発見したのは比較的落ち着いている方の少尉だった。
「前方2時。 明かりが見えます、懐中電灯と思われます。」
確かに闇の中、ちらちらと光るものが見える。 残念ながらヘリには赤外線探知システムや、最新装備の生体探知レーダー等は装備されていなかった。 視野が限られ、掛けると世界が緑色のゴーストタウンになってしまう暗視ゴーグルしかない。 2個あるそれはパイロットと明かりを発見した少尉が使っている。 装備が淋しい理由は映像システムと同じで、彼らの組織の優先順位が低いのと『嫌われ者』だからである。
「近付きますか?」
横目で燃料計を睨んでいるパイロットが聞く。
「待て。」
と、少佐は暫く考え、
「照明弾はあるよな?」
「ええ、その横、赤いボックスがありますでしょう? その中に信号発射ピストルがあります。 白色が照明弾、およそ3分間持ちます。」
兼田が箱を開け、中から信号ピストルを出し、照明弾を箱ごと取り出す。 装填すると、少佐の顔を見る。 少佐が頷くと、兼田はシートベルトを外し、照明弾を装填した信号ピストルを構える。 機内通信で暗視ゴーグルを外す様警告すると、側面の窓から身を乗り出して、ゆっくりと旋回するヘリから上空へ向け発射した。
ポン、とシャンパンの栓の音に似ていなくもない音の後、上空に眩い光が炸裂する。 その方向に少佐が、
「おい、どうして、」
と言い掛けた時、ヘリは突然銃撃を受ける。 先程の懐中電灯の光が見えた方向から発砲炎。 機体にパシパシッ、と穴が開き、窓にヒビが入る。 少尉2人は素早くミニサブを抜くと、1人がシートベルトを外しながら、
「中尉、早くあちらにも照明弾を!」
と言ったが、兼田はそれを無視して、
「あそこです。」
銃撃を避けるため、急上昇したヘリの窓から、危うく振り落とされそうになった彼が指し示したのは銃撃の反対側、パラシュートでゆっくり落ちて来る照明弾の流される方向。
「了解した、私も先程視認している。 パイ、あの先、森が切れている辺りだ、アカサカ、現在地を関係各位に通報、可能な限り急行せよ、だ!」
少尉の返事は、兼田が再び照明弾を発射した音に紛れた。 そして、その照明弾が炸裂し、更に明るくなった時、危機が訪れた。
ヘリがグラリと揺れ、突然その場でぐるぐる回り出す。 あっ、と叫ぶ声と共にマイクを手にしていた少尉が、ロックされていなかったために、遠心力のせいで開いたドアから放り出され消えた。
パイロットが俯せに倒れ、少佐ともう一人の少尉は座席にしがみつくので精一杯。 一瞬の判断が生死を分ける事態だったが、兼田が後席から、右手で身体を支えつつ、左手一本でパイロットの身体を揺れに併せて自分の方へ引き寄せる。 すると、パイロットの隣に座っていた少佐が、コントロール・スティックとピッチレバーに飛び付き、右足を伸ばしてラダーを踏み、斜面に並ぶ針葉樹の樹頂に機底を叩かれながらもなんとか機体を安定させた。
しかし連続の激しい機動で、何かが壊れたのかエンジンが咳き込む様に不安定な動作となり、少佐は迷わず目前の小さな空き地に機を滑らせ、着地を試みた。
「降りるぞ!」
少佐はそう言うのが精一杯で直後、機はまだエンジン出力の高いまま叩きつけられる様に着地した。