18〜疑惑
「ちょっと、宜しいですか?」
デスクで未決案件を捲っていた大佐が顔を上げる。
「これを。」
少佐がA4版用紙に印刷された、3枚ホチキス止めの報告書を手渡す。 大佐がざっと目を通す間、少佐は直立不動のまま壁の一点を見ている。
読み終えた大佐はすっと立ち上がると、さっさとオフィスを出て行く。 迷うことなく少佐は後を追い、大佐が廊下を挟んだ向かいの小会議室に入ると続いて入室、そのままテーブルの上に置いてあった『バルーンメーカー』のスイッチを入れた。
大佐が着席し、立ったままの少佐を問う様に見つめる。 少佐はゆっくりと着席しながら、
「どう思われますか?」
大佐は薄く笑うと、
「面白い。 九州だって?」
「はい。」
「君と同じ疑念を抱く人間が発見された訳だ。 で、君は収めた刀をまた抜く気になったと言う訳か?」
「確かに根拠は薄弱ですが、前段階の非公式予備調査でも、疑念を払拭出来る材料は出て来ませんでしたので。」
「君は結構本気で心配している、と?」
「心配と言うより、興味です。」
大佐は前に乗り出しテーブルに腕を乗せると、目の前に置いた報告書をコツコツと叩いて、
「こいつだが、今までさんざ見させられた嫉妬や逆恨みとどう違うと考える?」
「一つは通報の出所。 二つ目は内容の突飛さ。 三つ目は通報者そのものの人格、です。」
「ほう。 彼に魅せられたか?」
「あの組織では希少な人物と言えるでしょう。 このタイプ、ウチには割合多いですが。」
大佐は鼻で笑うと、
「それで、どうする?」
「タイミングが肝要です。」
「タイミング、とは?」
「ちょうど対象者の定期調査直後です。 予備調査はそれに紛れて行った訳ですが、対象者の緊張が多少は解けている今、始めるなら出来るだけ早いほうがいい、と考えます。」
「なるほど、“砲弾は同じ場所には落ちて来ない”、というアレか?」
「残念ながら私は実戦体験がありませんから、そう言う例えなら、“家捜し直後の家”、と呼んでいます。」
「ふむ、まあいい。 全て君に任す。 英雄の懐から何が出て来るか見てみよう。」
少佐が頷き立ち上がる。 しかし大佐は釘を刺すことも忘れなかった。
「但し、少し掘り下げても何も出て来なかった場合、直ちに調査は中止、跡形も無く撤収してくれ。 今回の対象は力もある。 それに身内だしな。 分かったかね?」
「了解致しました。」
数日後、少佐が呼び出した男は、経歴や賞罰を見ても相当な変人と分かるが、実物は更に上を行っていた。
軍にはたまにいるが、武装警察には珍しい頬から顎を覆う髭、短躯にがっちりした体格、以外と細い指。
軍及び警察の反乱と犯罪防止のための素行調査と諜報を主任務とし、軍人や警察官のみならず公安からも嫌われ、ゲシュタポと陰口を叩かれる事が多い、情報通信省保安調査局。 軍を相手にすることが多いこの局の人員は、軍隊の階級が与えられている。
その本丸に呼ばれ取調室に入れられたと言うのに、この30になる中尉は足を組んで笑みを浮かべていた。 少佐の経験では、こんな態度の持ち主は、図太い神経のタフな軍人か、信念だけで生きている狂信者といった所だ。
「遠い所を済まない、君の上申を読ませて頂いた。」
すると兼田中尉は呆れ顔で同年配の少佐に、
「あれを最初に出したのはもう2年も前の話ですがね。」
「でも、最近出し直したのだろう?」
「それも5回目になりますが。」
「最近君の上司が変わったな?」
「はあ、2ヶ月前に異動がありまして。」
「今度の上司はどうだ?」
「まあ、頭はいいですね。」
「頭、は?」
しかし兼田はそれには乗らず、
「捜査対象には私の上司も含まれるのでしょうか?」
少佐はにっこり笑うと、
「含まれない。 そんなセコい調査はせんよ。 ひとつ言って置くが、君の今の上司は、前任者よりよっぽど出来が宜しい。 君はどうも馬が合わんらしいがね。 君は一度、些細な事で口答えをして叱責されたらしいな。 あの男は君が思っているより出来る男だよ。 余り逆らわない事だな。」
「はあ。 いろいろとご存知な様子で・・・」
「そいつが私の商売だからな。 沖縄辺りでくしゃみをしても私の耳に入る。 そういうことだ。」
「・・・そいつはどうも。」
「さて、本題だが、君が何故、ウチの竹崎副局長を疑うのか、君の口から説明してくれ。」
兼田は九州に赴任して今日までの4年間、休暇の度に竹崎を調べて回った。 誰に命令された訳ではない。 また誰かが彼に代わって、竹崎を調べると言うのなら喜んで手を引いただろう。
ただ誰も竹崎を疑う事をしないし、ましてや調べる訳も無い。 だから彼が探るしかなかったのだった。
彼も確信が有る訳ではない。 理由はただ一つ。 何かがおかしいのだ。
多分竹崎でなければ疑われるであろう行動が多い。 エンジェルを壊滅した後、彼は防諜の世界で名を成したが、この国で彼ほど様々な国家秘密を知っている者はいないのだ。
しかし、兼田にとって最大の理由は竹崎の二面性、裏の顔を持つ事だった。 まず、浮んだのがプロテスタントという事実。 幼少の頃、カソリックの米軍人を養父に育った事でカソリックの洗礼を受ける。 これだけなら大した事ではないが、竹崎のその後の宗教遍歴は普通ではないのだ。 十代半ばにプロテスタントに宗派変えを行う。 その後、熱心に教会に通い、公務員となった後には信仰を隠している。
休暇を利用してのスピリチュアルな旅行など、熱心な信者を思わせる。 正に現代版の隠れキリシタン、エンジェルの事を考えるとプライベートとはいえ気になる符合だった。
この事を筆頭に竹崎には、どうも見掛け以上の何かを感じさせるものが多い。 対エンジェル撲滅プロジェクトの解散直後に芽生えた兼田の疑念が、竹崎を調べる所まで育ったのは、一つには誰も疑わない、という点だった。 エンジェルを相手にするには、確かに身内の支援者やスパイを探るため、白紙委任に近い状態までの権力が必要だったので、竹崎が不可思議な行動を取る事は日常茶飯事だった。 しかし、そこに公務以外の思惑があったとしたら・・・
何かがおかしい。 この感覚は寝ても覚めても彼に付き纏った。 仕草、目付き、雰囲気。 後から思い返せば不思議なものばかり。 あちらへ初めて渡った興奮に紛れて見逃した数々の疑問。 竹崎は全て分かっていて行動している、という暗黙の思い込み。 これが表面に見えていたものと違っていたとすれば?
あれだけの大掛りなマンハントに於いて、たった一人に全てが掛かっていた。 ダブルチェックが機能していなかった、とは言えないのか?
当初兼田と同じ様な思考から、疑念を発した者も少なくなかった。 しかし圧倒的な成果の前に、その声は次第に小さくなる。 嫉みから難癖つけている、と逆に非難され、竹崎が得た裏の権力に黙る者も多かった。
そんな中、兼田がこつこつと集めた竹崎の情報は、数ページにまとめられ、上申書として上司に提出された。 プロジェクト解散から一年が過ぎていた。 上司は最初の一ページをざっと見ただけで彼に放り返し、破棄しろ、とだけ言って部屋から追い出した。 彼もめげずに幾度か上司に働きかけたが心証が悪くなるだけ、返って彼の勤務評定に辛辣な記載がなされただけに終った。
それは次の異動で交替した上司も同じ、このことばかりでなく、彼の一匹狼的な態度も災いして、この上司は彼の異動まで画策した。 幸か不幸か、武装警察内では有名になっていた兼田を、積極的に引き受けようとする者が現れないのでこの計画は噸座した。
次にやって来たのが今の上司。 初日、着任の挨拶早々、彼は兼田を密室に呼び、穴が開くほど眺めた後、
「お前は問題児らしいな。」
兼田は黙って直立不動のまま壁を見ていた。
「唯のナマクラか、はたまた銘刀か。 銘刀使い難し、と言う諺は知っとるな?」
それだけ言うと、後は何も言わずに部屋を出て行った。 兼田は一変に彼が嫌いになった。 それでも日を改めて提出した上申書を、彼を待たせたまま何も言わずに最後まで読んだのもその上司だった。 そして、
「自信はあるのか?」
「ありません。」
正直に答えるしかなかった。 それ以外何を言っても嘘となるからだ。 理由は全てそこに書いてある。
上司は最初の時と同じく、かなり長い間彼の顔を見ていたが、やがて笑い出す。 上司が上申書を未決箱に乗せるのを見て、兼田は一礼し踵を返した。 内心憤りと倦怠感が仲良く半分ずつ、まただめだった、と唇を線の様にしながら。
その上申書が今、『保調』の少佐の手にある。 提出から2ヶ月、官僚機構の複雑なルートを考えれば早いと言えるだろう。
少佐は彼から掻い摘んで経緯を聞くと、椅子に深く座り直して、
「君の言い分は了解した、誰が羊飼いを見張るのか。 そういうことだね?」
「はあ。 まあ、要約し過ぎですが、だいたいそういう事です。」
少佐は含み笑いをする。
「では私が羊飼いを見張ってみよう。」
兼田は、はっとする。
「失礼ですが、それを信じるので?」
「なんだ、怖じ気付いたのか?」
「いいえ、意外でしたので。」
「確証はない、しかも相手はある種の英雄、私の上司でもある。 敵も多いから、罪をでっちあげる輩もいるので、それと混同されやすい。
だがね、兼田。 君も武装警察の一員、公安の端くれなら頷いてくれるだろうが、そういう人間こそ危険なんだな。 君の勘が正しくない事を祈るしかない。 もし当たっていたのなら、これは並大抵の事では済まない。 だからやるのさ。」
兼田はただ一礼した。
「さて、聴取はこれで終わりだが、九州へはすぐに帰らなければならないのかい?」
「いいえ。 新宿に宿を取ってます。」
「川崎には帰らなのか?」
「ええ。 もう両親とも他界しておりますから。 実家には兄がおりますが、私は余り憶えが目出たくないもので。」
「じゃあ、飯ぐらい奢ろう。 少し待っていろ。」
「・・・ありがとうございます。」
「おいおい、何だかうれしくなさそうだな。」
「はあ、奢られるのには、慣れていないので・・・それに、思い掛けない『プレゼント』にはいい思い出がないんですよ。」