12〜使徒
それから毎日、『お前』と竹崎が呼ぶ『声』と彼との、禅問答の様な対話が続いた。
毎日とはあくまでも声の言う、また明日、と言って去る区切りの繰り返しの事で、本当の日付かどうかは彼には分からなかった。
翌日は死生感と宗教観の話の続きで終始し、小一時間経ったと思えた頃、ではまた明日、と声は言い、消える。 するとあの強烈な眠気がやって来て竹崎は眠りに落ちる。
次の日も、また次の日も同じ終わり方で、これは声の言う通り、声の男が彼の意識を呼び覚まして束の間、脳の一部だけを活かし、終わりに元へと戻し、彼は本来の昏睡状態へと帰る、竹崎にはそう理解された。
リバースかどうかは別として、彼がなんらかの理由で昏睡状態にある事は確かなようだった。
声は相も変わらず緑の心象風景の中、呟く様に話し、毎日彼に会いに来る理由は語らない。 それが分かったのは7日目の事だった。
4日目に声は黒い影となって竹崎の前に現われたが、それは人型ではなく、移ろい行く霧の固まりの様で、離れては近付き、また離れる事を繰り返していた。
だが話す対象が現われたことで、会話は格段にしやすくなった。 その影が話す。
「君との会話は楽しかったよ。 だが、そろそろお別れの頃合いだ。 君の脳が目覚めの兆候を見せている。 リバースがまもなく完了する。 割合早い部類だね。」
「ほう。それはありがたいな。」
竹崎は皮肉を込める。 この頃はこの心象風景なるものの中も、景色こそ代り映えしないものの動き回る事が可能と知り、歩きながら話す事が多い。 この時もそうだった。
「それでどうなるのだ?」
「君が、か?」
「いいや。 お前だ。」
「どうにも。 君とはもう会うこともないし、どの道、君が覚睡してしまえば私も君と話ようがなくなってしまう。」
影がぶれて少し離れる、そして再び近付くと、
「そろそろ君に伝えなくてはならない。」
そして一息入れると、
「私は使徒連の者だ。」
「ほう。」
「もう200年余りもこうしている。」
「何をしていると?」
「閉じ込められたのだよ。」
「どこに、だ?」
「エントランスの中だ。」
竹崎は大笑いする。
「200年前と言えば、まだ徳川の世だ。 その人間がずいぶんとハイカラな言葉だな。 今の今まで、お前がそんな昔の人間だとは気付かなかったよ。」
「勉強しているからな。 見たり聞いたり出来るのだよ。」
「それはそれとして、お前は200歳という事になるのだがね?」
「そうだ、正確には214歳だと思う。 どうも最近物忘れがひどくて、2、3歳サバ読んでいるかもしれんが。」
竹崎はまだ笑い続けている。
「物忘れか! それはそうだろう、何せ200歳だからな!」
影は、茶化して笑う竹崎に対し、落ち着いて返す。
「信じる、信じないは自由だといっているからな。 だが、物語としてでもいい、私の話を聞いて貰えんか?」
「ああ、構わない。 今までと違って面白そうだしな。」
すると影は話出す。 この世でなくあの世でもない、あちらとこちらの間に挟まれてしまった、不幸な男の一生を。
*
男の名を末吉と言う。 九州は肥後で百姓の七男として生まれ、数え5歳で養子に出された。 海添いの村、半漁半農の暮しで生家よりは裕福な家に迎えられる。
この家には5人の子供が居たが、4人が女で残り一人は知恵遅れで病弱だった。 そこで彼が迎えられたのだが、同じ年令の子供に比べ、体が大きく賢かった彼は、直ぐに村の人気者となり、やがて長じて村のリーダー格となっていった。
その村には秘密があった。 三方を山に囲まれ、漁師でもあった村人は小舟を自在に操ったため、素早く移動する術があったので、その秘密を隠し通す事が出来たのだった。 先々代の領主がキリシタンだったため、この村も早くからキリシタンに改宗する者が多く、それは戦で領主が代わっても変わらなかった。
島原の乱以降、キリシタンは全て、隠れキリシタンとして細々と命脈を繋いでいたが、この村ではその時々に良いリーダーを得た事、村人の総意で、頑固に信仰を貫き殉教するか棄教するよりは実際を取ろう、と踏み絵の試練もイエスのレリーフを踏んでしまうことで逃れたり、周囲から孤立している地形の利などから信仰は廃れず、迫害も及ばずに受け継がれていたのだった。
結局、彼が村に来るまでには、隠れキリシタンの伝統は完全な村の掟として機能するまでとなっていた。
幼かった彼も隠れて洗礼を受けた。 その名をロベルトと言う。
ロベルト末吉は数え19で村のリーダーとなる。 その体格、年令の割りに老けた容貌、温厚な性格、性格に秘めた情熱と信仰、語りのうまさ、カリスマ性があり、当然天草四郎と比較され、村人全員から支持された。
末吉のもっとも重要な責務は村の秘密、隠れキリシタンの伝統を護る事だった。 三方を山に囲まれ、他方海に面する地形の利を最大限利用しようと決めたのは彼の功績である。
まず、信仰に揺るぎが無く、落ち着いた性格と体格の良い男とその家族3組を選んで、三方の山の峠に家を建てて住まわせる。 その峠から本道以外の抜け道を一本だけ残し、残りを潰して通れなくする。
残った一本は巧妙なカモフラージュを施し緊急時の連絡路として、見慣れない者が山を下れば峠の一家の者が村へ駈け下り急を知らせた。
海の備えは彼自身、海辺に突き出した岩だらけの岬の突端に小屋を建て、そこに住んだ。 そこからは浜辺が見渡せ、夜でも月あかりがあれば一里は見通しが効いた。
村の備えは、彼がこうした警戒システムを構築する前も、村一丸となってよそ者を警戒したため、万全に近かった。 彼はそれを強化したのだが、それには深い訳があった。
彼自身、最初は村の親しい仲間にも、いや、育ての親や姉たちにも打ち明けていなかった秘密があったのだ。
それは彼自身がキリシタンの中でも、もっとも幕府に目の敵にされていた、使徒連に加わっていた事実だった。
使徒連に彼がスカウトされたのは、彼が数え13の秋。 その春から一人で小舟に乗って釣りをするようになっていた彼が、雲行きが怪しいにもかかわらず海へ漕ぎだした日の事だった。
午前は波は荒かったものの、舟を操って釣りをすることが出来、釣果もまずまずだったので、午後も少しだけがんばってやろう、そう思ったのが間違いの始まりだった。