二話
一話 雲雀姫との関係性
音瀬は現在独り暮らしです。と言っても四人家族が住まうのに十分な二階建ての家を守っているのだから、世間一般に言う独り暮らしとは感覚が異なるかもしれません。
けれど、唯一地球にいる家族の妹は半年前にマンションの一室を借りて出て行ってしまいましたし、宇宙にいる父は一年に一度帰れるかどうか。そして最愛の母は天国にいまして。
結果的に音瀬はこんな広い家に一人で暮らしていたのでした。
あ、でもベルベットが一緒に住んでいますね、今は寝ているようですけど。
「さみしぃ」
音瀬はその日残り少ない春休みをかみしめるかのように丁寧に家の掃除をしていました。エプロンに三角巾、掃除機とくるくるワイパーを片手に、客室、自室、二回のトイレ、広間、両親の寝室の掃除をしていました。
妹の寝室はスルーしました。入るとすごい怒られるからです。
「一人だと掃除するのも大変で、使ってないと埃も積もるし」
一人暮らしを始めると独り言が増えると言います。テレビに話しかけたり、壁に話しかけたり、そんな寂しがり屋な音瀬の元に一つの小包、いえ、大包みが届くところから一連の事件は始まったのです。
――ピンポーン
音瀬の人生を決定的に変える荷物が届きました。
「はーい、ごくろうさぁぁ、なんだこれ……?」
音瀬が二階から降りてくると、そこには大きな箱を小さな玄関の中に何とか押し込もうとしている宅配便のお兄さんがいました
その荷物は幅百センチ四方の段ボールで大の大人が二人がかりでへいこらしているので、音瀬はとてもあわてました。あわあわしました。
「ちょ、なんですかこれ、こんなもの頼んだ覚えは……」
音瀬は玄関口においてある伝票を見ました宛名は父。
また何かの発明家と勘繰りますが、えてして発明とは小形な物で、人一人が入りそうなくらい大きい段ボールの発明なんて想像もつきません。
何でしょうね、こんな大きな発明となると音瀬はともかく、大体の人が胸を躍らせると思います、各言う私もです、何なんでしょうね。
「ここにサインをお願いします」
唖然とする音瀬、その音瀬をそのままに、宅配便のお兄さんたちは作業を終えていました。
音瀬は相変わらず唖然としたまま、呆けた表情で包みを開けていきます。
思考停止状態です。
「まさか、まさかね」
そう独り言を繰り返しながらバリバリと梱包を解いていくと、なんとジェラルミン製の正六面体の容器が出てきたではありませんか。
「そしてその容器には紙が張り付けられていましたとさ」
そう、まるでナレーターになってしまったかのような口調で音瀬がつぶやき。紙をざっと見ると、大きな文字で説明書きが書かれていました。
「えーなになに、新人類、光合成可。夜更かし可。えー。飲食可。性行可……ん? んんん?」
音瀬の顔がどんどん傾き、ほとんど横向きになってしまいました。
「長くは生きられません、女の子です、大切にしてあげてください。名前は雲雀で、歳は三カ月。君たちの年のころと同程度の知識量と思考回路を持たせてあります、大事にしてね、パパより。え? 雲雀?」
その瞬間でした。箱が唐突に煙を吐きました。
「え!」
音瀬は思わず飛びずさりましたが、段差に踵をとられて転んでしまいます。そのまま後ろに体をずるずる引きずり距離をとりました。
「なんだよこれ」
箱はさらに変形を続けます。八つの頂点から煙を吹き、十二個の辺から爪のようなものが伸び。そしてカションカションと小気味のいい音を立てて観音開きのように箱が両脇に開いていきます。
「えええええ! ちょ、ええええええ!」
そして紫や緑色の光が発せられ視界がくらみ、煙によってあたりが真っ白になったりました。
そして、やっと視界が戻ってきたとき。音瀬はそこにある者を見て目を奪われたのです。
その箱の中心で、自分の黒髪を体に巻きつけて眠る少女の姿。
「これが、父さんの研究結果?」
少女はまるで人形のようでした、年のころは中学生くらいに音瀬には見えました。
「…………」
音瀬は唖然としました、本日何度目の唖然でしょうか。それはそうです、だって箱から女の子が出てきたんですから、唖然友するでしょう。
その唖然とした音瀬が視線だけをスーッと横にずらしていきます、どうやら何かに気が付いたようで、頬がどんどんあかくなっていきます。
「……裸じゃないか!」
そうあわてふためいた音瀬はとりあえず自分の来ていたエプロンをかけます。
けれど、よく考えてみてください。全裸の自身の髪しか纏わない少女にエプロンを渡す、これはさらなるエロい恰好を強要しているようにも見えませんか?
音瀬も実際その考えに至ったのでしょう、あわてて自分の部屋へ飛び込んでそして。
乱れた呼吸を整え始めました。
(なんなんだ、なんなんだあの女の子)
ここからは私、ナレーターが音瀬の考えていることを勝手に予測してつらつら並べます。
(だいたい何で送られてきたんだ、うちに、え? おやじ、何でおやじが女の子を? けっこう幼かったよ、下手したら妹より年下、そんな女の子をどこから連れてきたんだよ、攫った? 何やってんだよ月の警察は、だから変態を野放しにするなって)
音瀬は行動を開始します、冷や汗を流しながらとりあえず、自分の短パンとシャツを箪笥から引き抜いて、もう一思案にふけります。
(っていうか、生後三カ月ってなんだ? 光合成? 意味が分からない。パパってことは絶対おやじだし。でも親父は研究成果を送ってきたことはたくさんあったけど、でも、女の子なんて……ん?)
そこで音瀬は気が付きました。
女の子はあくまで荷物として運ばれてきたことに。
「生きてるの?」
そう言えばピクリとも動いていないように見えました。それどころか、もし、もしですよ。
宇宙空間を渡っている時ですら荷物の扱いをされていたなら……。
「くそ、親父!」
そう音瀬は階段を駆け下ります。そして女の子に駆け寄って、肩を揺らします。
「起きて、君!」
そこで音瀬は自分が投げ捨てた手紙に視線を奪われます、そこには雲雀の文字。たぶんこの子の名前。
「雲雀? 雲雀か、おい雲雀!」
そう半身を抱き起すと、体に食い込むくらいに巻き付いていた黒髪が緩み、その薄い胸がふわっと少しだけ大きさを取り戻しました。
「このままじゃまずい!」
しかし下ろすも上げるも髪の毛は緩むばかり、どうしようもなくなっているその時でした。
雲雀が口を少し開け、息を吐いたのです。
「雲雀……。生きてる?」
その瞬間雲雀のまつ毛がふるふると動いてそして。
雲雀が目をゆっくりとあけました。
開き切った動向が徐々に収縮していくのを音瀬は見守り、その焦点が定まった瞬間。
雲雀の両目が悲しみに歪むのを見ました。
「え、しらない。男の人?」
「え?」
「なんで、なんで……」
「雲雀、もうお嫁に行けないよぉ!」
そう身をよじった瞬間、完全に髪の毛が緩みきり、少女の体を覆うものが何も、何もなくなったのでした。
「うわああああああ!」
「あっち行ってください! もう!」
音瀬はキッチンに追いやられます。
音瀬はなぜか動くまいと身をすくめ、玄関口の音に耳を澄ませるのでした。
「なーう」
その声にびくりと体を震わせた音瀬は、ソファーの上から心配そうにこちらの姿を見つめるベルの姿を見ました。
「あははは、なんでもない」
静寂に包まれるこの部屋に、ベルがフローリングを歩く、チャッチャッっという音が響きます、それ以外に聞こえるのは時計の針の音だけ、やがて布ずれの音が聞こえてそして声が聞こえました。
「もういいですよ」
音瀬が扉を開けると、そこには雲雀が音瀬の用意したTシャツと短パンに着替えて立っているのでした。
「それ…」
「ずり落ちそうです」
音瀬は決して大柄な方ではないのですが、目の前の少女は確実に身長を150下回るので、まずシャツがずり落ちそう。さらに短パンも緩いようで雲雀はずり落ちないようにそれも手で止めなくてはいけません。
ここで初めて音瀬は雲雀を観察しましたが、陶器のように白い肌と、夜の闇を溶かしたような黒髪が幼児体型を不思議なくらい色っぽく見せています、少しやせた太ももが逆に眩しいくらいです。しかも雲雀はその恰好の恥ずかしさに気が付いているのか、顔が紅潮しており、それに伴って白い肌が全体的にピンク色。そしてプラスして上目遣いの少しにらむような涙目。
これには音瀬も思わず赤面してしまいました。
「あの、この服恥ずかしいです」
「あ、ああサイズあってないもんな。でも俺の家女の子の服がなくて」
「アリナが置いて行った服があるはずですよね?」
「え、あるけどあいつの部屋漁ると鬼のように怒られるし、ってなんでアリナのこと知ってるんだ?」
「私、大体は訊いています。音瀬、ヨキさんですよね。私が届けられるお家に間違えがなければ」
「……ああ、そうだけど」
「あの、女の子をこのまま放置しておく方がおこられると思います」
「それもそうか」
そう音瀬は重い腰を上げて二階にある音瀬アリナの部屋に向かいます。
「あの、ヨキ」
「ヨキっていうな!」
反射的に怒鳴ってしまったその声に、ベルと雲雀が身をすくめました。
「……なに?」
「あと、下着もほしいよ」
「下着は、さすがにまずいんじゃないか、なぁ」
そもそも他人の下着なんて洗濯していても使うのは不愉快なものだと思うのですけど、皆さんどうでしょう。
それに兄が妹の下着を漁るという絵面は、どんな理由があっても、うーん、危ない。
「だって、短パンにTシャツだと痛いんだよ」
そうもじもじと体をくねらせる雲雀に、思春期男子音瀬は妄想力を掻き立てられることでしょう。
「なにが?」
「言わせないでよバカ!」
そう怒られてしぶしぶ音瀬は妹の部屋の箪笥を漁るのでした。
そこからとりあえず柄の逢ったものを一式持ってくるのですけれど、パンツはともかくブラは全くサイズが合いませんでした。
年の割にアリナの胸は成長しているようです、よかったよかった。
まぁ、当の本人の雲雀としてはショックダッタヨウデしたが。
これが音瀬と雲雀の初めての出会い、その後になぜか音瀬の通う水晶学園への転入所が送られてきたり。父親から雲雀のことがアリナに伝わっててんやわんやだったりといろいろ面白い話はあるのですがそれはまたの機会にしましょう。
今は話を、入学式に戻します。
そう音瀬がちょっとした不注意で、雲雀を泣かせてしまった、その瞬間まで。
* *
「私、私、ヨキだけが頼りだったのに、何、何でそんないじわる言うのよ!」
そんな叫び声が廊下にこだまします、今までざわめいていた校舎の喧騒が一瞬遠のき、廊下で戯れていた少年少女は皆一人の少女へと目を向けます。
腰まで伸びた流れる黒髪を振り乱して、あふれる涙を止めよとしない少女がそこにいるためです。
「雲雀、これは、ごめん、違うんだ」
「何が違うの! 私をそんな風に思っていたってことなんですよね。人間じゃないって、じゃあ私はなんですか、ペットですか?」
「違う、そんな風に思ってない」
「家族になれたと思ったのに、やっと家族ができたと思ったのに、ヨキなんて知らないです!」
そう駆け出す雲雀を、茫然と見つめる音瀬。
「追いかけて!」
鋭く叫んだのはアリナでした。
「今追いかけなくてどうするのよ、お兄ちゃんのバカ」
幸いなことに雲雀の足は異常に遅くまだ背中が見えます。
「ああ、わかってるって」
音瀬は駆け出します、しかしすぐに体を反転させ、音瀬は自分の妹へと向き直ります。
「あ、そうだアリナ、僕きちんと入学式の挨拶みに行くから、だから気合入れろよな」
「わかりました、楽しみにしています」
そうぽかんと口をあけた水場に、忌々しそうな顔で震える秋月を置き去りに音瀬はまたかけます。
音瀬が追ってきたことを背中で感じた雲雀は、階段を上り屋上を目指すようです。
音瀬は踊り場の回数表記を見ます、二階、三階。
「雲雀ぃいいい、止まれ」
たいして音瀬も体育は得意な方ではありません。四階までおのぼりつめても結局追いつけないまま、音瀬は耳で屋上のドアが開かれたことを知りました。
「なんで、こんなところに」
遅れて音瀬は最上階にたどり着きます、もたれかかるように全身で重たい屋上の扉を押し開け、そして。
音瀬はあたりを見渡します、輝かしい陽光が何にもさえぎらず降り注ぎ、鮮やかな桃色の木がまず目に入りました。それをバックに一人の少女が立っているのが見えました。
それは、雲雀でした。
雲雀は肩を震わせながら、金網を掴んで声を押し殺していました、小さな体がさらに小さく見え、春の軽い風でも飛んで行ってしまいそうな、そんな儚さを見せました。
「ひどいっ、ひどいよ、ヨキ。私、ヨキのこと」
嗚咽をかみ殺しながら、小声で音瀬に対する悪口をいいます。
「そんな風に思ってたんだ、私のこと好きじゃなかったんだ。そうだよね、まだであって三日だもんね、受け入れてくれるはずないよね」
それは徐々に、音瀬への不平不満から、悲しみの訴えへと変わります。
「私、だってどうすればいいか分かんないもん、人とどう話していいか分からないし、どう生きたらいいか分からないのに、ヨキ、ヨキ、怖いよ、私、怖いんだよ」
「ヨキっていうな!」
その言葉に反応して雲雀は肩をびくりと震わせました、恐る恐る後ろを振り返ります。
「雲雀、俺ごめん、雲雀がきいてるなんて思わなくて」
「だから、だから聞いてないと思ってたからこその、本心なんでしょ?」
「でも、仕方ないだろ! いきなり現れて、生まれてから三カ月だって言われて、俺だって混乱してるんだ、友達になんて説明していいか分からない」
「私だってわからないんだよ!」
音瀬は黙り込みました、そして話す代わりにゆっくり歩みを勧めます。
「私、心細かった、見るもの全部が初めてで、知識はあってもどう接していいか感覚がわからないのに、私、音瀬に最初に出会えてよかったって思えたんだよ」
雲雀は、音瀬が徐々に近づいていることに気が付かないようです、目に涙を一杯に貯めて、あふれるのに任せている、そんな状態だから音瀬のことが見えていないんでしょう。
「優しい音瀬に出会えてよかったと思ったのに」
「ごめん、雲雀」
その瞬間、音瀬は雲雀を抱きしめました
しかしそれに雲雀は身をよじって抵抗します。
「嫌いだ、ヨキなんて」
「でも、確かに俺はお前のこと人工生命体って言っちゃったけど、それでも家族だと思ってる」
「嘘だよ」
「嘘じゃない。大切な二人目の妹だ。俺が責任を持つ! 今日のことは謝っても謝りきれないと思うけど、だからこそ俺がずっといる」
「ずっと?」
「この三年間で、俺は雲雀に最高の経験を積ませてやる、もう外に出るのが怖いって言わないように、自分に自信が持てるように、さみしいって泣かないように、俺がしてやる。だからその時は今日の俺のこと、許してくれ」
「ヨキ……」
「音瀬だ」
「家族は名前呼びが普通だってきました」
「だめだ」
「でも私だって、音瀬なんですよ」
そう雲雀はゆったりした動きで、音瀬から離れる。胸を押すように遠ざけて、後ろに一歩踏み出した、体がぐらついて、後ろに倒れそうになるけれど、一回転して体制を立て直し。
音瀬に微笑みかける。
「入学おめでとう、雲雀。この三年間よろしくな」
「よろしくね、ヨキ」
PS