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ひらひら  作者: 鳴海
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一章 平和で平凡な僕らの関係性

『ひらひら!』


 プロローグ それは、平和で平凡な僕らの関係性


 


 少年は坂を見上げる。幾度も上りくだり、一年間通い詰めたその坂はたった一か月みなかっただけで、なんとなく懐かしさをおびているのでした。

 時は2117年、一年のうちに春がめぐり、またこの坂も桜の花びらを纏う季節になったのです。

 この螺旋状の坂を上りきると、そこには少年の通う学校があり、そこには樹齢百年を超える桜の木が立っています。

 幹なんてとても太く、大人が十人輪になってやっと抱きかかえることができるほど、だからその枝から茂る桜の花の数はものすごい量で、それは圧巻の一言です、この木一本の花びらだけで、螺旋坂は一面ピンク色に染まるのですからたいそうなものでした。

 そしてこれは毎年恒例の、この桜なりの新入生歓迎のもてなしで、この華やかな坂道を新入生は歩いて上り、体育館にて入学式を迎えるのが、習わしでした。

 そう、今日この日は、この『月見町』にある高等学校『水晶学園』の入学式のはずで、けどしかしこの坂の真ん前に立つ少年は新入生ではないのでした。

 そう、新入生の姿は全くありません、代わりに真新しい緑色の腕章に着古した制服を着こんだ少年が立っていました。

 彼の名前は音瀬ヨキ。中肉中背のさらっとした髪がカワイイ、どこにでもいる平凡な高校二年生。

 そんな彼がなぜ入学式の始まる二時間前にこの坂の前にいるかというと。

 この学校にある七不思議のためでした。

 七不思議の一つ目、入学式にいけられた花。この花の色によってその年度の運勢が占われるらしいのです。

 そして音瀬はその七不思議を自分で起こすためにわざわざ朝の四時に学校前までやってきたのです。

「今日こそ俺は、伝説を残す」

 音瀬は言いました。

「ここで伝説を残して、平凡だって言われたときに、いや俺は伝説を打ち立てているんだよって言い返せるようになりたい!」

 ちなみに音瀬はこうしゃべっていますが、ひとりごとではないので安心してください。音瀬の隣には首に赤いスカーフを巻いた猫がおり、音瀬が語りかけているのはその猫であるとすぐわかるようになっています。

 何せ猫は可愛らしいことに、音瀬の言葉にこくこくと頷いているのですから。

「なぁ。ベル」

 そう名前を呼ばれた黒猫はにーっと鳴き声を返しました。

「もう誰も、俺を平凡と言えなくなる、さぁ、栄光へのロードを突き進むぞ」

 そう音瀬は意気揚々を歩みを進め、それにベルが健気についていきます。

 時折肉球に桜の花びらが引っ付くようで、歩きずらそうに前足を振る姿がとてもかわいいです。

 坂は直線にすると百メートル程度しかないのですが、角度が急なこともあって、登るのに時間もかかるし体力もいります。音瀬は肩で息をしながらも、一気にそうして上りつめると、そこには見慣れた校舎が立っています。

 一年間で見慣れた校舎、しかし音瀬も入学したときにはこの外観には違和感しか覚えなかったのでした。

この学校は創立してから二百年程度、ただ敷地が広大だったこともあって、旧校舎は改装をするのみにとどめ、生徒増加に伴って新しい校舎を増築すること五回くらい。

まるで見た目がバラバラな校舎が五つ連なった姿になってしまったのでした。景観としては悪いなんてものではなく。子供が無作為におもちゃで作った町並みのようにガタガタです。

 たとえば音瀬の目の前には真横一文字に長い、二階建ての木造校舎が立っており、その向うに三タイプの校舎が立っています。

 一番左、山に面している方は近未来的な外観で、外壁はシルバー、校舎も下敷きを波上にゆがめてそのまま立てたような、平べったい形をしています。

 右手の海に面した側には、片面がガラス張りになり、四階建ての綺麗な校舎が立っています。そして真ん中にはコンクリートで立てられた、よく見かけるような五階建ての校舎があり。

 音瀬の教室はここにあります。そこに行くためにはこの目の前の木造の校舎を通り抜けなければならないのですが。けれど現在朝の四時、学校が開いていると思えません。

「ベル、噂では、都市伝説は都市伝説の管理人によって管理されているらしいんだ、そしてその管理人は、入学式の日学校の扉を施錠しないらしい、この意味が分かる?」

「ナー」

「つまり、扉が施錠されていないから、俺は中に入れるってことなんだ」

同じ意味の言葉で猫に説明してしまう音瀬、それにベルは困った様子で首をかしげて見せます。

「ああ、楽しみだな、ちなみに俺がもってきたのは真っ赤なバラなんだ。バラの意味はよく覚えていないけど、でもなんかメジャーだし、いいんじゃないかって」

 そううっとりと夢見心地な顔を見せて、音瀬は意気揚々と歩いていきます。それをあわてて追いかけるベル。

「ああ、愛があふれた一年になればいいな」

 そんなわけのわからないことを口ずさみながら、校舎のガタつく引き戸をあけます。すると確かに扉が開きました。

 普段見慣れているはずの玄関口、しかし人がおらず朝が早いと言うだけでまるで初めてここに来た時のような真新しさを感じて音瀬は立ち尽くします。

朝の苛烈な光が窓からさし、その陽光が空中に漂う誇りを浮かび上がらせる。その光によって何度も焼かれた下駄箱からは木のにおいが漂う、そんな朝の校舎でした。

 朝一番の学校の空気が、音瀬の肺に入り、すがすがしさを感じさせます。

 それと同時に。そのすがすがし気分と同時に。

 音瀬の視界の端に映るものがありました、まず、花瓶。

 音瀬の心臓がどきんと跳ねます、噂は本当なんだという実感、そして、これから自分が伝説をものにするという心意気。

 去年音瀬はこの花瓶に黄菖蒲がいけられていたのを強く記憶しているので、この花瓶に花をいければいいのだと直感でわかりました。自分の持っているこの真っ赤なバラをここにさせばいい。

しかし音瀬はなかなか一歩踏み出しません、おそらく花瓶と同時に視界に入ったものが気になっているんでしょう。

まぁ無理もないと思います。

だって、ジャージ姿の女生徒が、ピクリともせずに玄関口に横たわっているのですから。

「ちょ、え。ってお前」

あわてて女生徒に駆け寄る音瀬。

その女性は、女子にしては背が高く、それ以上に高校生とは思えないほど大人びた体つきをしていました。

「やっぱり、秋月、秋月じゃないか、何でこんなことに」

一年生の時に購入したジャージがもうすでに小さくなっているのか、体にぴったり張り付き、体を締め付けているので無駄に柔らかそうで、音瀬は赤面しながらその生徒をひっくり返す羽目になりました。

胸やお尻は当然のこととして、その肩や腰ですら柔らかすぎて、触っているだけで罪悪感にさいなまれるのでしょう。

あ、何でひっくり返したのかというと、その生徒が仰向けで寝ていたからです。

「秋月! あ、やっぱり秋月だ。おい、どうした、何があった」

 抱きかかえられた秋月という少女は苦しげにうめき瞼をぴくぴくさせるだけで何も答えません。ベルが心配そうに額へ肉球を押し当てました。

「秋月……。そんな」

「音瀬……」

 その時、初めて秋月と呼ばれた女性が言葉を口にしました。女性にふさわしく高いけれど固い、凛とした声でした。

「どうして、秋月、何でこんなことに」

「私、もうだめだ」

「秋月、そんな気を確かに、傷は浅い」

「いいえ、私はもう疲れてしまった少し休ませてほしい」

「いいよ、始業式は十一時からだ。僕が起こしてあげる、だから今は安らかに」

「ねぇ、音瀬」

「なにさ」

「最後に、伝えたいの」

「最後だなんていうなよ、こんなこんな……」

「うう、あ。ハッピーバースデー」

「え?」

 その瞬間、秋月はカッと目を見開いて、音瀬を突き飛ばしました、そしてジャージの胸元、たぶん胸の谷間から百合の花を取り出して。そして。

 花瓶の中に刺そうとしているではないですか。

「やめろぉぉぉぉ!」

 音瀬が叫んだ時にはもう遅く。百合の花は秋月の手から離れ自由落下の最中。風にふわりと煽られてや若い花弁が波をうち、緑色の葉っぱが空気抵抗で上へと上がる、その固い茎がガラスに触れながら、スッとスムーズに花瓶の中に入っていくのと同時に。秋月の口元が意地わるく吊り上っていくのにも、音瀬は気が付きました。

 ああ、無力、音瀬はこんなにも頑張って、この花瓶に花をいけるという目的のためだけに早起きまでしたのに、無情にも目の前の意地悪な女子にその野望は打ち砕かれました。

「僕の、個性がぁぁぁぁぁ!」

 ストン、そんな小気味いい音がして。校舎には少年の悲鳴と、悪女の高笑いがこだましたのでした。


*  *



 人類の科学力の話をしましょう。私、この話が大好きなんです。

 現在地球の人口は89億人です。相当に増えすぎた人類は昔あったSF映画のような末路は辿らずに、自然開発に力を入れて、その技術はぐんぐん進歩しました、砂漠や不毛の土地とよばれた地域でも木々が育ち作物が取れるようになり人類の生活圏は拡大、いよいよ月に移住するという計画が持ち出されたのが十数年前でした。

 人間たちは地球を大事にすることを覚えましたけど、それでも地球に住むことには限界を感じていて、地球連合本部は月への移住をついに開始したのです。

 まず先に月に移住したのは、無重力化でしか行えない実験を行うための科学者、建築のスペシャリスト。政治家などでした、まず最初に移り住み不便ながらも人類の生活の下準備を整えている段階が必要だったからです。

 人類の前途は明るい。戦争もなくなり国という境目がなくなり地球全体が連合の名のもとに集った今。人類は別のステージに進もうとしていました。

 そう連合本部のお偉いさんが語るくらい。人類は安定した生活を送っています。

 ただ、科学技術のレベルは、この百年でそこまで大きく変わってはいないです。

 車は空を飛ばないし、どこにでもつながるドアもなければ、人の心なんてわからないままです。遠くの人と話をするときには電話を使うので。あまり文明の成長を実感できたことはないかもしれません。

 ただ医療技術はかなり進歩したようです。日本ではざっと、事故や病で死ぬ人間が五十年前と比べて三分の二になりましたから。

 だからこの国では悲しいニュースがかなり減りました。

 今この世界はとても明るい空気で満ちています、その影響か音瀬の身の回りには楽しいことは尽きません。

 しっちゃかめっちゃかな友人も多いですしね。

 たとえば、玄関先で倒れていたこの少女。名前は。

『秋月 香奈夜』

 この文武両道の水晶学園において部活動はやるからには高いレベルを求められます、当然全国に出場する生徒もちらほらいて、彼女はその一角です。

 陸上部、競歩のエース。高校一年生にして全国大会でベスト16入り。今年のでき次第では十分に優勝を狙えると噂される人物。さらに学業も優秀。常に成績上位五名に食い込み。今の成績を維持すれば日本国内の大学であればどこであろうと受かる見込みがあると言われている才色兼備。

 しかし人間どこかに欠点はある者。この女はとにかく性格が悪いのです。

「で、なんでこんな朝早くから学校に」

 場面は教室に移ります。夕焼けのような赤っぽい色が教室の窓からさしていますが、そこに朝日特有の白っぽさが加わっています。つまり現在の時刻はまだ午前四時、この季節であれば太陽も上りきらない時間帯、当然教師などはいなので二人は自分の教室がわからず、海側の校舎の空き教室に一時避難をしているのでした。

「いや、音瀬だったら今日狙うかなって思って」

「何をだよ」

「決まってるじゃない、七不思議の一つになろうってこと、お見通しなんだから」

 音瀬の顔が急に青ざめます。

「なななんで」

「音瀬が自分の個性のなさにコンプレックス感じてるのは知ってるのよ、だから今日この日に早くから学校に来ることはわかっていた、ほんとあんたってわかりやすい」

 そう秋月は腰に手を当て満足そうに微笑みました。

 朝日が彼女の褐色に焼けた肌を照らし出し、肩あたりで切りそろえられた短髪が体の動きに合わせてさらりと揺れました。

「私はあんたのこと理解してる」

「それは、厄介だね」

 そう音瀬は視線を外に向けます。グラウンドはがらりとしていて、学校も静か、耳が痛くなるほどの静寂のせいで、音瀬の視線の先にある海の、聞こえないはずの波の音がよみがえるようでした。

「っていうか……お前、俺を誘導したな。散々個性がないって、しかも」

 音瀬は思い出していました。

 数日前の教室での会話を。

「あの時、たしか、そうだ」

 あの時秋月が言った言葉をまとめるとこんな感じ。

 音瀬はつまらない、つまらないくせに何も努力をしていない。努力しない人間は突き抜けることができない、そんなことでは何も本気になれない、何か結果を創るところから始めるといい。

 そういえば知ってる? この学校の七不思議の話……

「さんざん個性がないってバカにした挙句、七不思議の話を始めてた! 何が理解だよ立派な思考誘導だよ!」

 思考誘導というほど回りくどくもなく、かなりダイレクトに、最短距離を行かされたような気もしますが。音瀬がそう感じるなら良しとしましょう。

「あ、ばれた?」

「ああああ! 性格悪い! お前ほんと性格悪いよ!」

「そんなことないわ、心外。たとえばどんなところが?」

「死んだふりして、僕の目の前で花を花瓶に挿しちゃうとことか」

「ほかには?」

「ほか? えーっと」

 音瀬は必死に過去のエピソードを手繰り寄せますが、パッとは思い出せないようです。その反応を見かねてか、窓の隅で丸くなっていたベルベットが、窓際に座る音瀬の隣まで近寄ってきます。

「なんか、今日の音瀬テンション低くてつまらない」

「そりゃ三時に起きてるんだぞ、元気もなくなるよ。まぁ全部秋月に台無しにされてしまった、そうだ秋月が全部台無しにしなければ、俺は明るくハッピーは新学期を迎えられるはずだったんだぞ」

「そう? でも私は新年度早々音瀬の悔しがる顔が見れて満足、それに不機嫌の根本の理由が寝不足なら、寝ててもいいよ、起こしてあげる」

「お前はどうするんだよ」

「起こすって言ってるんだから、私は起きてるに決まってるでしょ」

「なんで」

 音瀬がいぶかしそうなめで秋月を見ます。

「いや、だって眠たくないし」

「いや、秋月が寝ないなら俺はおきてるよ」

 あ、わかりました。音瀬は警戒してるみたいです

「なに? 私が寂しがると思ってるの? やさしい!」

「違うよ! 寝こみを襲われそうだって言ってるの!」

「私そんなことしないから!」

「しただろ! 寝てる間にこの前、俺のことスカートにしただろ! そしてその時いろいろ触ったろ!」

「なんでばれたの?」

「ばれるよ、衣服が乱れてたら誰だってわかるよ」

「水場がやったかもしれないじゃん」

「え! それは確かに可能性としてあるかも、知れないけど! でもおまえしかやらないよ!」

 そんなくだらない雑談を続けているうちに時間などあっという間に過ぎて、四月特有の優しい朝日が昇り切りました。桜の木を明るく照らします。

そろそろ登校の時刻なので、秋月と音瀬は新入生がよく見える正面校舎の二階に移動しました。

「っていうか、なんで秋月は学校の鍵を持ってるの?」

「借りた」

 そう鍵束を鞄から取り出しながら秋月は言いました。ちなみにこの時点で秋月はセーラー服に着替えなおしています。紺色のスカートに同色の上着、あまり評判がよくないのですが、逆にこの野暮ったい感じが秋月にはよく似合います。

 というかこの秋月大人びた容姿のせいで、普通の学生服やセーラー服を着ると、夜にお金を稼ぐ人にしか見えないので、野暮ったいくらいがちょうどいいのです。

「む、なんか今失礼なことを言われた気がした」

「……気のせいだって、それよりその鍵どうやって手に入れたの」

「借りた、前から思ってたけど、音瀬って何度も同じことばを繰り返すよね」

「気のせいだって。っていうかそれ、そう簡単に借りれるものではないよね、だってセキュリティの問題って今社会人が一番気を使うことベストスリーに入りそうな勢いだもんね」

「……。権力に物を言わせた」

「最低だな! 今すぐ守衛さんに反してあげてください」

「ふふふ、次の職場ではもっといい仕事をしたいだろ?」

「そう言ってご迷惑をかけたのか!」

 秋月家の権力に踊らされる人間がまた一人増えたところで。

 秋月は古びたカギを差し込みひねると、やっぱり立てつけの悪い引き戸を。ガタガタと騒がしく開けて。中に入ってみると、音瀬は埃でむせました。

 どうやら、そうそう使われない物置のような空間のようで。

 人体模型やホルマリン漬け。薬物のポスターにフラスコ、ビーカー。どうやら理科準備室のかなり大きいバージョンのようでした。普通の準備室の三倍の大きさがあります。ちょっとした部活動なんかにもってこいな広さ。

「ねぇ、あれ音瀬妹じゃない?」

「あ? ああ、そうだね、それしか考えられないね」

 埃を払い窓際によると、ベルも一緒に窓際までやってきます。

「あんまり隅に行くなよ、白ネコになっちゃうぞ」

「ナー」

 そして外を見てみると、そこには真新しい制服を着こんだ学生がちらほら見え、登校してくる途中でした。なんとなくそわそわし、見知った友人の姿を見ると輝くような笑顔で走り寄る。

 音瀬はそんな光景を見て、ああ自分にもこんな時期があったななんて、すこし大人ぶった感想を浮かべているような顔を見せます。

 しかし、そんなことはどうでもいいのです、秋月が見るように言ったのはそこではありません。

 グラウンドの中央、そこには今朝はなかった立ち台ができていて。その周辺に紫のタスキをつけた生徒たちが集まっています、新入生どころか顔を知っている在校生までいて。ざっと数えて百人くらいいそうです。

 そしてその立ち台の上には、真新しい制服を着た、普通ではない美貌の少女が立っていました。

 外は風が強いらしく、その芸術品のような銀糸の髪が揺れ、桜の花びらがひっつき、それをとるしぐさもまた芸術のよう。パッと見外人なんですが、でも顔は日本人の少女らしくあどけなく整っています。

 彼女はちなみにハーフで、両親は音瀬の両親と一緒です。

 つまり妹、音瀬妹。彼女は音瀬と違って個性的なのでした。

「あー、あれと比べられると、確かに変なコンプレックス持つかもね」

「そうだろ、あいつすごいんだよ」

 そう音瀬はため息をつきます。

 ちなみに『音瀬 ヨキ』という人物は、身長164センチ、体重55キロ。学力上の下。得意科目は家庭科と国語。部活動はしておらず、バイトも特になし。母親の異国人の血を引いているとは思えない純日本人風の身なりのおかげで、個性は全く皆無。

 つまりそう言うこと、音瀬には他人と違ってすごいところ、変わっているところというものが全くないのでした。

 そして音瀬はそれに強いコンプレックスを抱いていたのでした。

「すごい人気じゃん、今年で何年目?」

「アイドル歴五年、最近では自分でマンション買っちゃって、すっかり天上の人だよ」

「なに? さみしいの?」

「さみしくはないよ」

「じゃあ、部屋が一つ空いてるわけでしょ、だったら私が一緒に住んでやろうか」

「じょ、冗談言うなよ!」

 音瀬は思わず立ち上がり、抗議の声をあげました。

「だいたい、お前はひとり暮らしが面倒くさいだけだろ!」

「ばれた? 面倒臭いしきたりよね、私、家事はからっきしだからさ、今まで家政婦に全部やってもらっていたのにね」

 秋月家は地元の名家で、総資産は国家予算に匹敵するという地元では有名なお家です、秋月 香奈夜はその家系の長女に当たり、党首争いの真っ最中なのでした。

 実際その党首争いもこのまま順当にいけば香奈夜がその座につくだろうと予想されています。

それもそのはず、香奈夜は学校成績以外でも投資や資金運用で自分の資産というべきものを持っていて、その資産を使って学校卒業後、新しく何かを始めることも、秋月のグループの重役につくことも可能と目されているからです。

「それに、週末とか休みの日は帰ってくるよ」

「妹が? ふーん」

 秋月は興味なさげに音瀬へと視線を戻します。

「初めから興味ないなら聞くなよ」

「いや、あの子も大変だよねと思って」

「なんで」

「だって、特質した何かを周囲に見いだされたってだけでそんなめんどくさい生活を強いられてるわけでしょ、自分のやりたくないことさせられて」

「いや、あいつは望んでやってるよ、本人なんかもうお高く留まってすごいんだぜ。学校では話しかけないでくださいよ、だって。ほんと悲しくなっちゃうよな」

 音瀬は埃と戯れるベルを両手ですくい上げ、妹を見据えながら言いました。

「みんな、才能や個性があっていいな。平凡な俺なんてどこに行けばいい? 何をすればいい」

「それをまだ選ぶことができる幸せもあると思うわ」

「ないよ、そんなもの。俺は今日みたいにきっと、なんの個性もなく役割もなく卒業して、そこら辺の安定した仕事について一生を終えるよ、君たちと違って」

 そう言うと音瀬は窓から体をはなし、そして教室を後にしようとする。

「どこ行くの?」

「ベルを裏庭にはなしてくる。そのあとは入学式に出る親御さんたちの控室にでもいるよ」

「私も行く」

「なんで! お前は来なくていいんだってば!」

「そんなこと言わずに」

「何のために来るんだよ、入学式に参加するために待機するって言ってるじゃん」

「それまで私が暇でしょ! いたずらさせてよ」

「絶対やだ!」

 そう言うな否や音瀬はベルを抱えたまま全力で奪取し裏庭に向いました


*  *


 音瀬が廊下を走っていると向うから、何やらものものしい集団が近づいてきます。紫のタスキをかけて、中には紫の鉢巻を巻いて。一列になって進んでくる男連中。

 それに音瀬は心当たりがありました。

あ、まずい。そう思った時にはもう走る勢いを止められず。

 音瀬は顔がキッと引き締めました、またそれを心配してベルベットが鳴き声を上げます。

「大丈夫だよベル、ちょっと嫌な気持ちになっただけ、話しかけない、話しかけないっと」

 ベルがまた小さく鳴き声をあげます、ベルは基本的に主人が心配でたまらないのです、前足を伸ばして音瀬の胸のあたりをトントンとたたきます。

 そしてその集団とすれ違ったその瞬間、その集団の中央で守られているお姫様、穏やかな顔で鞄を両手で持った、音瀬妹が見えました。

 一瞬音瀬と音瀬妹の視線がまじりあいます。それに構わず音瀬が走りきると、音瀬妹が振り返りました。

「兄さん、廊下は走ってはいけないですよ」

 そんな声もお構いなしに、いえむしろ加速して一気に走り去ろうとするのでした、その声を聴くまいと無意識のうちに目をつむりながら。

「あ、危ない!」

 そう音瀬妹が叫んだ時にはすでに遅く、音瀬は盛大に正面衝突しました、曲がり角を曲がってきた男子生徒に。

「いたた、誰だよ! ていうかベル大丈夫かか?」

 衝突した瞬間宙を舞ったベルは持ち前の運動神経で華麗に着地していたので大丈夫でしたが、正面衝突された側は派手に吹っ飛んで壁に体を叩きつけられて呻いていました。

「誰だよいったい……って。音瀬か」

「君、水場じゃないか」

 弾き飛ばされたメガネをかけなおしながら、その青年はおどろきの声をあげました。

『水場 創大』は音瀬の幼馴染で腐れ縁です、お互いの記憶がまだはっきりしないうちに仲良くなりずっと今まで交友を続けていました。

 見た目は180を少し超える程度の身長にサラサラの髪、そして黒縁のメガネで。線は細いのですがいい感じに筋肉がついているので、周囲の女子からは不思議な色気があると称されています。

「廊下は走るなって、葛谷先生もいってたろ」

 ちなみに葛谷先生とは、二人が小学三年生だった時の担任の名前です。

「そんなこと言っても、逃げてるんだから仕方ないんだよ」

「だれから」

「秋月」

「あいつから足で逃げられるわけはないんだ、歩いても一緒だろ」

「そうかな」

「体力の無駄だ」

「そうだな」

 転んだまま話をしていると、その脇から歩み寄る女の子が独り。

 音瀬妹、ああいいづらいですね。

彼女の名前は『音瀬 アリナ』

アリナが水場に手を差し出します。

「兄が失礼を、許していただけますか?」

「いや、別に気にしてないけど」

「けど?」

「君の兄貴がすごい目で僕を見るから」

「見てねぇよ」

「それより兄さん、あの子は」

「あの子?」

 水場がハテナマークを浮かべます。

「ああ、校長が連れてくる予定になってる」

「大丈夫なんですか?」

「たぶん」

「何の話?」

 水場が話についてこれず置き去りにされています。無理もありません、水場はまだ知らないのですから、最近起こった音瀬の身の回りの劇的な変化に。

「秋月のことか?」

「水場先輩、私、秋月お姉さまのことをあの人なんて、言いませんわ」

「なぁ水場、聞いてくれよこいつ家でも秋月のことお姉さまって呼ぶんだぜ、本当にへんなんだ最近、何でそんな風に呼ぶのかは知らないけど、だって秋月だよ、お姉さまって柄じゃないよな」

「確かにね、秋月はそんな上品な呼ばれかたする人じゃないよね」

「それには理由が、先取りと言いますか、将来的にそうなると言いますか」

「ん? 意味が分からない」

 その時でした。音瀬は不意に寒気を感じて身を震わせます。

「見つけた」

 そう天井から声が降ります、そこに張り付いていたのは秋月。

「お前の手には吸盤でもあるのか!」

 そして上から襲われる音瀬。

 四肢を圧倒的な力で抑えられ、体重まで乗せられれば音瀬に逃げる力はないのです、なぜなら残念なことに秋月の方が背が高いし、帰宅部の音瀬よりは確実に筋力があるからです。

「私から逃げるなんて言い了見ね」

「あ、おねぇ様」

 そう甘い声でアリナが言いました。

「おはようアリナ、相変わらず人気ね」

「みなさんが慕ってくれるのは、うれしいことですわ、皆さんの期待に応えられるようにならないと」

 そうアリナが頬を染めながら軽く会釈すると、秋月は音瀬に視線を戻し、そして。

「あだだだだだだあ、骨砕けるから」

 その光景をみて水場がため息をつきます。

「ほら、うるさくするなって、しかも新入生の教室への通路だろここ、早くどけよう」

「それは秋月に言えよ」

「逃げないって約束する?」

「するから」

「あと、あの子って何?」

「え、っとそれは、あだだだだだ」

「それは、ああもう、言ってもいいですよね、じきにばれることですし。三日前に私たちの家に女の子が送られてきたんです」

「女の子?」

「その言い方は誤解を招くから!」

 水場がメガネをくいっと持ち上げた。

「詳しくきかせてもらおうか」

「その前に、殺意に染まる秋月を何とかしてくれ」

 見れば、秋月の目が鋭く、それこそ眼光を帯びるほどに鋭くなり、髪の毛も心なしか逆立って般若の形相でした、むちゃくちゃこわいです。

「それはいま、音瀬の家に女の子が住んでいるってこと?」

「だめか?」

「だめに決まってるでしょ!」

「本当であれば、秋月にそれをダメと決める権利はないはずなんだがな」

 水場が冷静に突っ込みを入れます。

「どういうことよ! 親戚の人? それならまだ許せる」

「いえ、それが親戚ではないんですよね」

「どういうことよ!」

「だって仕方ないだろ、親父が送ってきちゃったんだから!」

「息子に女の子を送る親がどこにいるっていうのよ」

「ごめんなさい、それ、うちのお父様です」

「ロボットならまだいいよ、でも女の子はさすがに引くな。なんだ? 将来の嫁候補か何かか?」

 そんな発言をした水場を秋月がにらみます。

「違う、違うから。それに人間ですらないから」

「人間じゃなきゃ女の子なんて言わないんじゃないか?」

「人口生命体なんだ」

「は?」


「ヨキ?」


 その瞬間、声がした。五人が戯れるその背後から。

 鈴が鳴るようなはっきりした声で、しかし幼く舌っ足らずな声で。けれど甘く切ない声で。

 少女が音瀬を呼ぶ声がした。

 そして四人は緊張した面持ちで振り返ります。

 その声の主はすぐにわかりました、周囲が音瀬たちを見る視線と、彼女が音瀬を見る視線には温度差がありましたから。

その少女はまるで平安京から抜け出してきたみたいな、黒く長く美しい髪を持っていて、伏した目はさみしげで、けれど身にまとう制服が浮くことはない。高校生というには少し幼く見える、お姫様のような少女でした。

 それに対して音瀬はいいます。

「名前で呼ぶなって言ってるだろ! 雲雀」

 そう怒鳴ってしまいました、音瀬は自分の名前がすごく嫌いだから。

その瞬間。雲雀と呼ばれた少女の目にみるみる内に涙がたまっていきます。

「ヨキ、ヨキ。今なんて言いました?」

「名前で呼ぶなって言ったんだよバカ!」

「その前よ。私をあなたはなんて言いました? 人間じゃないって言わなかった?」

 その瞬間怒りに染まった頭を殴られたように、音瀬の顔から一気に血の気が引いていきました。

 しまった、やってはならないことをした。そう実感したときには、時すでに遅く。

 雲雀が瞬きをした拍子に、ばたりと涙が落ちて、それを皮切りに、雲雀は廊下の真ん中で泣き始めました。

 両手を目に当て、わんわんと泣き叫ぶ雲雀、まるで子供みたいな泣き方で、でも彼女がどれだけ傷ついていたかは、すぐにわかるような泣き方でした。

 その光景を目の当たりにし、秋月と水場は顔を見合わせ、アリナは肩をすくめて見せました。

 そして音瀬だけが立ち上がり、ゆっくりと雲雀に歩み寄ります。

「雲雀、ごめんな」

「私、私、ヨキだけが頼りだったのに、何で、何でそんないじわる言うのよ!」

 そう駆け出す雲雀を、音瀬は追いかけます。仲間たちを一度だけ振り返って、あとで話すよと意味を込めて両手を合わせて。


 

 これが、主人公音瀬とその友人達の関係性。地味な主人公と個性あふれる仲間たちの関係性。

 そしてこの関係性がいつか、世界を救うことを信じて、私はこの物語を読み進めましょう。

 さぁ次のページをめくって、この後いかにして音瀬が彼女と向き合うか教えてあげる。

 あ、でもその前に。

 彼女と彼が初めて出会った時のことを話してあげる。

 つい三日前の話なんですけどね。




























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