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そして青年は戦場を駆ける



呉の猛攻は続く。


戦の中盤ラインを突破すると、雪崩のように押し寄せる軍隊を止める術はなかった。


損害は最小限に撤退せよ、無論追撃など以ての外。引き気味に、かつ自陣営の損害を少なくするべく戦っていた兵はみるみる内に減らされ、いつの間にか本陣に孫策が入り込むまで追いつめられていた。


疲労困憊なのはどちらも同じだが、それ以上に臣下を傷付けられた事実が、普段以上に力を増大させる。限界など既に迎えている、それでも身体を突き動かすのは意地やプライドといった生半可なものではなかった。




───居るべきはずの人間がここには居ない。


部隊長とは、その軍団にとって最も欠かすことの出来ない存在であり、また欠くことで大きな戦力ダウンへと繋がるほどの絶対的な存在感を誇っていた。隊長が軍団を率い、そして戦を勝利へと導く一つのピースとなる。


時雨隊隊長は今居ない。


指揮系統を失った部隊であるにもかかわらず、戦う兵たちの瞳は弱り切ってはいなかった。少なくともこの戦が終わるまでは倒れてはなるまいと、気力だけで立っているのだろう。


孫策を守るべく、周囲から近付く敵勢力を排除。誰一人、近づけることは無かった。






どれほどの時間が経ったのか。


南海覇王を振るう孫策の瞳にある人物の存在が目に入り、仁王立ちしたまま場に佇む。



「顔を合わせるのはいつぶりかしらね」


「そうね……反董卓連合以来かしら? 孫策」




今、孫策にとって最も会いたいかつ、最も復讐したい人物、曹操の姿がそこにはあった。


カチャリと音をたてる南海覇王からは何人もの人間を切り捨ててきたであろう血が滴り落ち、その刃の美しい色合いは全く見えない。


対する曹操の鎌、絶も血に濡れていて、総大将自らが戦わねばならない状況に追い込まれていることを証明していた。数と兵力でで圧倒的な優勢を誇った自軍勢力が、いつの間にか劣勢に立たされる状況になろうとは思いもよらなかったはず。



「そう、それ以来にもなるのね。先代孫堅より続く悲願の為にも、貴女に渡す訳にはいかないわ」


「大陸を一つに統べ、民に本当の平穏を与えるため……あなた達の国、討ち滅ぼさせてもらうわ」



そっけなく孫策が述べるのは事実ではあるが、真実ではない。内心、煮えくり返るほどの怒りを抑え、あくまでも何事もなかったかのように平静を装う。本来であれば自らの領土を賭けた英雄同士の戦となるはずだった。


北で大きな動きがあったことは情報として入っており、いずれかは動きを見せるだろうと容易な想像が出来た。突然の戦の勃発に対して何か文句があるわけではない。


あくまでも最後まで冷静を貫こうと努めてきた孫策ではあったが、曹操の口からこぼれる一言一言が彼女の理性の紐を、一つ一つ解きほぐして行く。決して怒り任せに戦うつもりなど無かったにも関わらず、心奥底からら猛烈な恨みがせり上がってきた。



「民に平穏を与える? ははっ、何とも貴女に相応しい言葉ね。神聖な決戦の前に、刺客を送って暗殺を企むような卑劣な輩にはねッ!!」




孫策をまとう雰囲気は一変する。


先ほどまでは表には出すまいと冷静に努めてきたその姿はもうない。


殺したくて、憎くて仕方ない。自分の誇りなど関係なく、どんな手を使ってでもコイツは生かしてはおけない。怒りのあまり南海覇王を握る手が震えた。力を込めていなければ自分が自分の殺意に取り込まれそうで、壊れそうになる自分を必死に抑え込む。


それは一個人としての立場ではなく、王としての立場もあるからだ。チラリと孫策の手を見いやると、やがて小さく息を吐いて曹操は言葉を続ける。



「……それについては謝罪しましょう。でも分かって頂戴、私はあんなことは───いえ、これは言い訳ね。配下の者が暗殺を働いたとしても、全ての責任は私にある」



淡々と、あくまでも冷静に話を続ける曹操に、孫策はニコリと笑みを浮かべる。不釣りあいなまでの笑みの裏側にあるのは、明確な殺意。





全ての責任があるからどうした?


責任を取ったところで、こちらに何かがプラスになるとでも思っているのか?


責任を取って、あの時間が戻ってくるのか、戻してくれるのか?


飛鳥が怪我をした事実を無くすことが出来るのか?


大切な人を傷付けられた、まさかその悲しみを謝罪如きで揉み消せるとでも思ってるのか?



「あら、立派じゃない。さすが北の英雄曹操ね」



表面上取り繕う孫策だが、次の瞬間彼女の瞳は異常なまでに冷酷で無機質なものへと移り変わった。
















「───とでも言って欲しいのかしら?」



普段は明るく、誰とでも分け隔てなく接する彼女が、冷たく、明確な拒絶の意志を見せる。



「いえ。でも可能なら貴女のところにいる御使いの状況をお聞きしたいのだけれど」


「教えることなど無い!」




どれだけ言ったところで、今の孫策は曹操と会話を交わそうとはせず、返ってくるのは取りつく島も無い回答だけだった。



「アンタはやっちゃいけない事をやった! 暗殺を未然に防ぐことも出来ず、大切な臣下は怪我を負わせたっ!! これを謝罪一つで済ませと!? ふざけた事を抜かすなっ!! そんな情など不要! アンタの首を取るまでこの戦いは終わらない!!」


「……ならば我が兵士、我が誇りの全てを賭けて、この地を奪ってみせるまでよ!」



互いに武器を構え、王達がぶつかり合った。






















「た、助けてくれっ! お、俺は言われたことに従っただけ……あがっ!?」



とあるビルの一室。


夜遅くに一室だけ明かりが灯る窓ガラスに黒い陰がさす。窓の一部分が黒く染まったかと思えば、だらりと下に向かって垂れ落ちていく。室内の至る所におびただしい数の血液が付着しており、元の白い床は幾多もの人の血で赤く染まっていた。



ある者は首を跳ね飛ばされ。


ある者は胴体を真っ二つにされ。 



たった一人残った人間は必死になって助けを乞うも、相手の首元を容赦なく突き刺し、無機質な瞳のまま一人の青年は言葉を発する。



「助けてくれ? ははっ、今まで同じこと言ってきた人間に対して、お前らは何をしてきた?」



小刻みにビクンビクンと痙攣する相手の体を見下しながら、刀を相手の首から引き抜く。


同時にすさまじい量の血液が、噴水のように溢れ出てきた。かろうじて命をつなぎ止めているらしく、相手も出血部分を押さえようとするも、手の合間から零れ落ちる鮮血は止まる様子を見せない。


喉をつぶされていることで喋ることも出来ず、放っておいても出血多量で事切れるのは間違い無かった。必死に生きようと抵抗を見せる姿を、まるで生ゴミを見るかのような目つきで見下ろすと、下ろしたはずの刀を再び両手で握り締め、それを上段に構える。



そうまでして生きたいのかと。



幾多もの人を手に掛け、人の命など何とも思わなかったコイツらが当たり前のように明日を迎え、何食わぬ顔で生活をしている。そしてまた同じように人間に手を掛け、同じことを繰り返す。


生きていれば間違いなく重宝したである尊い命は失われ、生きていたところで何の役にも立たない命が生きている。




───ナゼ、オマエミタイナヤツガイキテイルンダ。



「……死ね」



上段から振り下ろすと同時に、鈍い音を上げて今度こそ動かなくなる。


何故生きたいと思うのなら、他人に対して情けをかけることをしなかったのか。


どうしてもっと自分以外の人間を平気で手を掛けるような行為を繰り返したのか。


物言わぬ屍となった今では、その答えも聞くことは出来ない。



人を手に掛けることが無ければ、少なくとも殺し屋に命を狙われることにはならなかったはず。そのくせ自分が死にそうになった瞬間、責任を全て他人に押し付けて助かろうとする。


人を殺めた時点で、既に人として真っ当に生きる道は無くなったも同然。そんな覚悟も出来ずに人を手に掛けたのであれば、尚更反吐が出る。


死体となった姿を見て、いずれ自分自身に訪れる未来を想像して一言呟いた。



「死ぬ覚悟なんか、とうの昔に出来てる」



この仕事をしている以上、何処かで命を落とすことになるだろう。その覚悟は常に持っている。


命を落とす時は天寿を全うした時ではなく、誰かに殺される時であると。


この世は強い者が生き残る。弱肉強食の食物連鎖は決して止まることはない。



勝てば官軍であり、負ける時は自身の死を意味する。


生き残ったところで、己の宿命に抗うことは出来ない。


そう思っていた。

















『あーすーかっ! こんなところでなーにしてるの?』


『ねーねー聞いてよ飛鳥。冥林ったら酷いのよー』


『ぶー、つまんないなぁ。少しくらい休んでもバチは当たりませんよーだっ!』



そう、孫策に出会うまでは。


一時は生きていくことすら諦めかけていた飛鳥だったが、彼女に出会うことで世の中の新たな一面を見ることが出来るようになった。


物資が豊かになったわけでもなく、むしろ一般常識として身に付けていたことが何一つ通用しない、本来であれば住みづらい世の中であるにも関わらず、前居た世界よりも生きる意味を見出すことが出来る。


悲願を叶えるためには泥水を啜らなければならない時があれども、苦に思うことは少なかった。最も、人を殺さなければならない部分に関しては多少の抵抗感は生まれたものの、生まれた家が殺し屋一族だからと言う理由で暗殺術を半ば強制的に覚えさせられ、一族の存続のために望まない殺しまでをも行っていた過去に比べればまだましだった。


本来は法で裁けない部分の罪を犯している罪人を処分することが目的だったにも関わらず、中には何の罪もない人間に手を掛けざるを得ない仕事もあった。


この世界に来てかも何度罪悪感に苛まれたことか、その精神的苦痛は飛鳥にしか分からない。だがいくら生まれた家柄どうしようも無かったとはいえ、罪の無い人を殺して良い理由にはならない。逃げようと思えば、飛鳥にも逃げることは出来たはずだ。


つまり逃げなかったということは、事実を知りながらも人殺しを行っていたという何よりの証拠になる。



そんな自分が生きていて良いのだろうかと、何度苦悩しただろう。それでも受け入れてくれたのさ孫策を初め、呉の家臣たち、民だった。



「……」



死ぬのは簡単だ。


ただ、彼からすれば何としてもやらなければならないことがあった。既に満身創痍の彼に出来ることなど限られている。しかし周瑜の制止を振り切り、戦場に降り立つ彼の瞳には確固たる覚悟を見て取れた。


動く右手に使い慣れた刀を持ち、怒声に包まれる戦場に向かって歩き出す。


一歩、また一歩と。


少しずつ戦いの中に向けて歩き出した。



彼に残された使命は、この戦いを止めること。このまま戦いが続けば、魏と呉の双方にとってマイナスにしかならない。何より前線で戦う孫策の身が危ない。気力だけで立っている兵たちにも如実に疲労が見て取れる、これ以上策もなく戦い続けるのは兵を減らす行為に他なら無い。


折角念願の独立を果たしたというのに、兵力を削いでしまえば他国からは格好の的になる。


衰弱した国ほど攻めやすい場所はない。


今後の孫呉の発展のために出来ること、飛鳥に残された力でやれること。



「この戦いを止める……!」



飛鳥の接近に気がついた敵の何人かが武器を片手に飛鳥へと接近してくる。全て魏の兵士たちであり、少しでも呉の兵力を削ぐことが出来ればと躍起になって突っ込んできた。


複数人を相手にしても飛鳥がたじろぐ様子は無い。双方の距離はみるみるうちに近付いていく。刀を右側に振り下ろしたまま、相手の懐に飛び込んだ瞬間、相手の太刀筋を見極めつつかわし、目にも止まらぬ速さで刀を振るう。


あまりにも無駄の無い動きに、一切の反応が出来なかった魏の兵士たちは何が起こったかも分からずに、体の至る所から溢れ出る鮮血を見ながら絶命していく。








































「そこを退け。退かねば全員、潰すまでだ」



────そして、青年は戦場を駆ける。

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