話の整理
「………」
あれから俺は孫策の館へと連れていかれ、とある客室に入れられた。客室というだけあって部屋の造りはかなり豪華だ。どうやら俺の知っているはずの三国志の時代と少しばかり違うらしい。まず部屋の中は一回り見回してみると、その部屋の片隅には一般的にベッドと呼ばれる寝具が置いてある。久しぶりって訳でもないが、こっちに来てようやく生活用品らしい生活用品に会うことが出来て思わず、その上に腰掛けてみた。
座るとクッションのように柔らかな素材で出来ており、座り心地も悪くない。今度は体勢を変えて後ろに向かって寝転がってみる。硬い素材ではないため、身体が痛くなるってこともなさそうだ。それどころかずっとこうしていると、そのまま眠りに落ちてしまいそうなほど感触がよかった。
腹筋をするように起き上がると、ベッドの周りを見回してみる。ベッドの目の前には四角い机が一つ、そしてその上には小さな箱のようなものが置いてあった。立ち上がってそれが何なのかを確認するために、机の側まで寄る。
小さな箱の中を開けると中からは、独特の香りが匂ってくる。入っているものは小さく砕かれた乾燥した植物だった。匂いからしてお香っていう線は多分無い、と考えると来客用の茶葉と考えるのが妥当。つまりは皆が飲む『お茶』だということ。どんな種類のお茶かは分からないが、近くに湯飲み茶碗のようなものが置いてあるからお茶と見て間違いは無いだろう。
ほかに何かを探すが時にめぼしいものは見つからない。机といえば部屋の真ん中にも一つ丸いテーブルのようなものが置いてあるが、上に乗っかっているのは花瓶だけ。中にはちゃんとした花がいけてある。この扱いを見る限り、今は普通の客人として迎え入れてくれてるようだ。ただし自分の身が潔白だということを証明できなければ、俺はさようならということ。再びベッドまで戻り、枕元に置いてある水差しに手をかけて喉をうるおす。
渇いた喉を一気に潤すと同時に混乱気味だった脳内にも冷静さを取り戻してくれたところで話を整理しよう。
まずはここは俺の知っている世界ではないということが一つ。もちろん孫策と黄蓋と名乗る人物が居ることから聞いたことがある地名だとは思うが、ここがどこなのかまで明らかにすることは出来なかった。仮にもここを治める人間である孫策の館に向かうのだから、下手に口を開くわけにも行かずに俺は終始無言、そして館に着いたら着いたで館の人間には好奇の目で見られる始末。ここがどこですかなんてくだらない質問を投げかけるわけには行かなかった。
なら始めに聞いておけという結論に至るわけだが、そんなことを考える余裕は無い。少なくとも命の危機にあっている人間がいう言葉ではない。だから聞くことが出来なかった。
ただ大まかな推測をすることは出来る。時代は後漢の末期から三国時代の間のいずれか、場所は多分呉の国となるであろう場所だということ。なぜ俺がここにいるのかといわれると何とも言えないが、何らかが原因でタイムスリップしたと考える他ないだろう。とはいえ時間跳躍なんて言葉を出したところで信じてもらえるかどうか……
二つ目に孫策、黄蓋と名乗る人物が何故か女性だということ。史実では二人とも男性であるはずが先ほどの二人は女性。ただのコスプレで片づけられるのならそれはそれでもいいかもしれない、でもそういうわけにはいかないのが現実だ。
史実にタイムスリップしたようで実は史実にタイムスリップしたわけではない。こんな言い回しが出来るわけだが、もはや言葉の意味がどんな意味を持つのか分かったものではない。肯定を否定しているのだから、結局何なのかという話になる。
あまりこういう単語を出したくは無いが、俗にいうパラレルワールドとやらに来てしまったということになる。自分で言っていて悲しくなるが、信じろと言われると信じられるはずがない、常識的に考えてどんな理論を並べようとも時間跳躍など不可能だからだ。
だが今はこれが現実、黄巾党に襲われて孫策、黄蓋という人物が居る。二人が言う話も嘘には思えないし、何も分からない俺にはこの話を真実であると信じるほかに道は無かった。
「俺を保護した理由は占いってか……どうにも胡散臭いな」
俺が居た場所から館に向かう際中、俺は二人からその占いの全容を聞かされることとなった。
――――――…
「しかし、まさか本当に占いの通りになるとはね~」
「占い?」
「黒天を切り裂いて、天より飛来する一筋の流星。その流星は天の御遣いを乗せ、乱世を鎮静す。……管輅という占い師の占いじゃな」
「最初は胡散臭いなんて思ってたんだけど、さっきの状況を見たら与太話だとも言っていられなくなってね」
「その光の中心に居た俺を捕まえたと?」
「聞こえは悪いけど、そういうことね」
辺りは完全に真っ暗となり、木々や動物達が寝静まった中、俺達は館に向かっていた。俺を孫策と黄蓋が挟むようにして並んで歩く、普通だったら嬉しいなんて思うものだけど、今はそんなことを思う気にもなれない。館へ向かう中、俺を保護した全容を聞かせてもらっている。俺が今何よりも欲していることはより詳しい現状を把握することだった。
で、聞いた感じだと俺は天の御遣いでは無いかという説が立っていることになる。正直俺なんかそんなたいそうなものじゃないだろと思いつつも、二人の話に耳を傾けていた。
「しかし良いのか? 見ず知らずの俺なんかを館なんかに連れて行って」
一番気になること。二人にとっては大丈夫かもしれないけど、他の人間が俺のことをどう思うかなど分からない。俺が館に入ろうとした瞬間に曲者扱いされて斬られないだろうかという不安もある。
「大丈夫よ、少なくともいきなり斬りかかられることなんて無いわ」
「斬りかかられても、儂らが守ってやるから安心せい」
……女性に守られる男性の構図、何度想像しても情けなくなる。
他愛も無い話を続けているうちに少し先にぼんやりとではあるが建物のようなものが見えてくる。さっきはいくら探しても建物一つ見つからなかったのに、土地勘がある人間が居ればすぐに見つかる。世の中不思議なものだ、こちとら東西南北もままならない状況下にあった訳だし。
赤茶色の大きく聳え(そびえ)立つ建造物。建物全体がオーラというかなんと言うか、独特の王者の風格ある雰囲気が漂っていた。一般人では入ることすらためらわれるほどの、言うならば貴族……財閥の建てた城とでも言うのか、今まで数えるくらいしか見たことも無いようなものがそこにはあった。
そのあまりの大きさに圧倒され、やや引き気味の俺に気が付いたのか、孫策が微笑みを浮かべながら喋りかけてくる。
「どうしたの? 圧倒されていたとか?」
「圧倒もされるだろ……まずお目にかからないしな」
「天の世界というのは、案外質素なのか?」
「……探せばあるだろうけど、ここまでスケールの大きいものはそうそう無い」
「すけーる?」
「……規模ってこと」
迂闊に外来語も使えないのだから会話には気をつけないといけない。ましてや俺たちが一般常識だと思っていることでも、こっちでは非常識なものになる。……例えば地球が丸い形をしているだとか、地球は一時間に15度ずつ回転しているだとか。とにかく言葉を選別していかなければならない。
そんなことより、これから先どうなるか分からない相手と交わすような会話じゃないと今更ながら思ってくる。明日にはここにいない存在かもしれないというのに、それを気にする素振りなど微塵も見せない。
「で、館に着いたら俺はどうすれば良い?」
「んーしばらくゆっくりしてて構わないわよ。公謹はしばらく戻ってこないだろうから訊問も出来ないし」
「公謹って……周公謹のことか?」
「そ、よく分かったわね?」
「天の世界の入れ知恵ってやつだな」
「ふーん?」
期待を込めながらもどこか見透かすようなまなざしで見つめてくる。とっさに天の世界の入れ知恵とは言ったけど、あくまで口からのでまかせ。本当のことを話したところで相手にはほとんど伝わらないだろうから、だったら相手の話に口裏を合わせながら話したほうが良い。
で、またもや見知った名前が一人。周公謹、呉を代表する軍師でその立派な風采から美周郎とも言われていたみたいだが……これもどんな人物なのか、会うまでは分かりかねる。
孫策から出された指示は、その訊問官が来るまで待機をしていろとのこと。いつ戻ってくるのか具体的な時間も不明なため、その間の時間を利用して話す内容をまとめておけと言っているのか。少なくともその空き時間は無駄に
はならないはず、そう前向きにとらえることにした。
「祭、館に着いたらこの子を客室に案内して頂戴」
「承った」
「私は訊問の時に部屋に行くから。それまで時間があるから、何かあったら祭に言いなさい」
「……分かった」
「腹が減ったり、厠に行きたくなった時は呼び鈴を鳴らすがよかろう」
「……どうしたの? まだ何かある?」
「いや……何か孫策が黄蓋を呼ぶ時の呼び方が違うって思ってな」
最初からずっと気になっていたものの、なかなか突っ込めずにいたこと。黄蓋が孫策を呼ぶ時の呼び方は『策殿』。当然目上の主に当たる存在になるわけだから、この呼び方は別段不自然に思わなかった。問題はその逆、孫策が黄蓋の名を呼ぶ時の呼び方。名前である黄蓋でもなく、字である公覆でも無い呼び方、一体これが何を指し示すのかイマイチ理解が出来なかった。あれか、俺らで言うあだ名みたいなものなのか。
「お主、真名を知らんのか?」
「まな?」
「真なる名と書いて真名、生き様が詰まった大切な名前のことよ。それこそ許したもの以外が呼んだら首を刎ねられても文句が言えないくらいにね」
「なるほど。理解した」
「そう。もしあなたが信用に値する人間だと思った時に、私達の真名はあなたに預けるわ」
「……」
真名の説明に無言で顔を上下に動かした。やはり聞いておいてよかったと、内心思う。うっかり間違って真名で呼んで首を斬り飛ばされたら死んでも死に切れない。俺の頷きに孫策はニコリと微笑み、再び館の方へと向き直った。
この調子なら後数分もしないうちに館に着くだろう。新たな土地に行くという楽しみも何も無いまま、俺達は館へと向かった。
―――――というわけで今に至る。この館に着いてから数時間ほど経っているが、特に何かが起きるわけでもなく、ただただ時間が過ぎていた。部屋に何かをする道具があるわけでもなく、何かに熱中することもないのに時間の経過がいつもよりも早く感じた。
食事を用意するといわれたものの何かを食べる食欲も無く、枕元に置いてある水差しに数回手を伸ばしただけ。後はひたすら、ベッドに座り込んで話す内容を考えていた。
考え込めば考え込むほど、話すネタが浮かんでこないもの。今現在俺が持ち合わせているものを自分の前に並べてみる。
「ボールペンと携帯電話に財布……これで何とかするしかなさそうだな」
持ち合わせていたものがこの時代にあるはずの無いものだったというのが、不幸中の幸いだろう。幸運なことに話す内容というのは道具によっては限られてくるが、持っているものが話しやすい内容でよかった。ボールペンは言わずもがな、何か紙に書いてこういう使い用途があるということを示せば良い。むしろそれ以外に何があるのか……ペン回しなんて別に普通の筆でも出来る。
そして携帯電話。電波状態を確認したけど、案の定圏外で電波は通っていない。だから通信手段を説明するということは出来ない、ただ携帯には他にも機能はある。写メだったら説明もしやすい。出した財布の中身を確認すると中には札が数枚と小銭、後は保険証に学生証が入っている。学生証の写真と携帯の写メを照らし合わせて説明するのもありだ。
いずれにせよもうここまで来たら相手を納得させることが出来たら何でもあり、説明で納得されなければそれまでのこと、腹をくくるしかない。
「……!!」
部屋の外、若干まだ距離はあるものの、かすかにコツリと床と床とが擦れ合う音が聞こえた。それも一人ではない、数人単位の足音。始めは小さかった足音も近づいてくるにつれて大きく鮮明な音へと変わる。足音の一つ一つがまるで残された時間を削っていくカウントダウンのように聞こえてくる。緊張したことなどほとんど無いというのに、今の俺の手は冷や汗でぐっしょりと濡れている。
喉を潤したばかりだというのにも関わらず、喉は炎天下の砂漠にでも出されたんじゃないかというほどにカラカラに渇いていた。心臓の鼓動が足音が大きくなるにつれて早まってくる、平静を装おうとしてもここから逃げ出したいという気持ちばかりが大きくなる。だというのにも関わらず、頭の中だけは異常なくらいにすっきりしていた。
行ける。何故か根拠の無い自信があった。
俺のいる部屋の前で足音が止まる。コンコンと数回、部屋のドアがノックされ、俺が了承する前にそのドアは開かれた。
「―――時雨、入るぞ」
―――さぁ、俺の弁論のスタートだ。