二人の女性
「誰だ……?」
かけられた声に対して反射的に俺は答える。振り向いた先には二人組の女性が立っていた。三人組の追いはぎを追い返したと思いきや、今度は二人組の女性。雰囲気や立ち振る舞いからして只者ではなさそうなことは分かるが、その意図は一体。
警戒心を強める俺に対し、一人の女性が俺の元へと歩み寄ってくる。濃い水色とでも言うのか、凛とした瞳は全てを見抜く洞察力を誇っているようにも見える。お前の考えていることなど、全て見通しているとでも言わんばかりに。そして風に靡く撫子色の長髪は、まるでガラス細工のよう。何をどうしたらここまで綺麗な長髪になるのか、道行く女性および男性の誰しもが振り向くようなレベル。自身のスタイルのよさを強調するかのようなラフな服装は、思わず胸元に目が行くほど。そんな煩悩を追い払うかのように俺は目線をやや上のほうへと向けてそらす。
ただ依然としてこの二人の正体が分かったわけではない。警戒心を強めたまま、近寄ってくる女性に対してジッと見つめ返す。その視線に全く動じずに、むしろ笑みを向けながらこちらへと一歩一歩近づいてくる。
そして俺の前に立つとその口を開いた。
「へぇーあなたやるわね! 相手が相手とはいえ三人を相手に追い払うなんて」
「どうも……」
随分とフレンドリーな喋り方だ。それが見知った仲ならまだしも、見ず知らずの男性に物怖じせずに話しかけてくるとは。俺の警戒心などどこ吹く風、そんなものは最初から無かったなんていわんばかりの対応のされ方だ。とはいえ、何を考えているか分からない以上。警戒は引き続き行う、少なくとも相手の正体や目的が分かるまでは。
俺のそっけない返しが不服だったのか、ムッとした表情で話を続けてくる。
「随分堅い喋り方ね、元々そういう性格なのかしら?」
「……少なくとも、見ず知らずの人間に心を開くような人間でないことは確かだな」
「言うじゃない。面白いわね」
はじめて会う人間に心を開くほど、俺は人として出来ているわけでもない。思ったとおりのことを返すと、ニヤリと薄笑いを浮かべる女性。それと同時に彼女の身体から溢れてくるオーラ、俺を敵だと認識したものではないにせよ、一般人ならその場一歩後退するほどの雰囲気があった。
しばしこう着状態は続く。誰もこの周りには近寄らせない、互いの気がぶつかり合っているとでもいうのか。周りの声、音というものが一切消え去り、俺の中に入ってくるのは視線の先にいる女性ただ一人。それ以外何も見えないし、何も聞こえない。ただここで自分が退いたら負け、そんな気がしてたまらなかった。ジッと見つめあいながら数分が経とうとした時、ふともう一人の女性から声をかけられた。
「全く、それくらいにしておけ二人とも」
声と共に目の前にいる女性の威圧感が消えた、一歩下がりながら互いの表情が素の表情に戻る。かなり冷や汗ものではあったが、何事も無く終わったのだからそれに感謝はしたい。もう一人の女性は少し年のいった女性、しかし喋り方こそ古風な感じがするものの、それ以外はとても年相応には見えなかった。
二人の共通点は褐色の肌、そして非常に綺麗な素肌をしているということ。二人揃って抜群のプロポーションを誇っており、胸が無い女性からすれば羨望される。というかここまでスタイルがいい女性は今まで会ってきて始めてな気がする。人間離れしたスタイルって言うのはこういうことを言うのかもしれない。
事態が収拾し、胸を撫で下ろしながら一息つく俺に対して、今度は二人が互いに会話を始める。
今、もはやこの二人に俺の姿など見えていない。
「大丈夫よ祭。別にいきなりここで戦おうなんて気は無かったし、まともにやりあったら私もただじゃ済まなさそうだしね」
「……見たところ危害を加える気もないか。話くらいしてもいいかもしれん」
「ね。あの話が本当だったとしたらいい拾い物になるかもしれないわ」
「とにかくこの場では判断できんな……どうする? 策殿」
「……つれて帰りましょう」
彼女達の本心は結局なんなのか分からずじまいだ。少なくとも分かることといえば今は敵対する意思は無いといったことくらいか。ただいずれにせよ、俺の行動一つでその意思はすぐにでも覆されることもあるのかもしれない。今はおとなしく、彼女達の話を素直に聞いたほうがよさそうだ。
聞こえた単語の中で気になった単語がいくつか。『策殿』と『あの話』という単語の二つ。現段階では後者の方を想像することは出来ない、あまりにも漠然としすぎていて結論に至ることが出来ないため。
今何となく想像出来る単語は『策殿』という単語。策殿っていうくらいだから名前の中に策という単語が入るんだろう。日本名前に策という文字が入るのはかなり珍しい事例。策が入る名前を挙げるといってもすぐには浮かんでこない。中国人の名前だったら歴史上の『孫策』なんかは有名な例だけど、そんな名前の人間はそういるものではない。
とにかく分かったことは名前の一部に策という単語が入るということぐらいか、他の事に関しては何ともいえない。
互いの話に結論がついたようで、再び俺の方へと向き直ってくる。
「結論から聞こう。お主は今の光から現れたのか?」
「光?」
「そ、私たちはその光を見てここに来たってわけ。理解できた?」
「何となくはな」
何がどうであれ、今の状況が良いか悪いかと聞かれればどちらかというと悪い。二人の女性を見てみると片方は弓、もう片方は剣を持っている。歯向かうのは火に油を注ぐようなもの、決してやってはならないタブー。先ほどの三人組は正直武器を持っていても飾りくらいにしか思わなかった。数的には向こうのほうが遥かに優勢であったにも関わらず、戦ったら特に苦も無くあっけなく終わった。
それに引き換え、この二人の力量はその非ではないほどに高い。あの三人組を人に噛み付いて害を与える存在のスッポンとするのなら、二人は天高き場所に存在し、大地を幻想的に照らす月。天と地ほどの差がある、いくら努力しても超えられないほどに。
まともにやりあったとしたら、ただでは済まない。腕の一本や二本差し出すつもりで戦う覚悟が無ければ、戦ってはならない。何か俺に狙って威圧をしているわけでもなければ、武器を向けているわけでもない。二人の雰囲気がそう語っていた。
「………?」
ふと何かが脳内に引っかかる。その引っかかったものがなんなのか、気が付くことにそう時間がかかることは無かった。
……何故剣と矢を持っている?
何故持っていて何も起きない?
どうして誰もそれに対して何も言わない?
何で連れて行こうとしない?
何かがおかしい、ようやく気が付いた。そもそも刃物を身につけている時点で気が付くべきことだった。普通だったら銃刀法違反で拘束されていてもおかしくない、でもこうして実際に何も起きていない。むしろ所持しているのが当たり前だといわんばかりに、急激に目の前で起きている現実を直視させられる。
―――――ここは俺が知っている場所ではないってことに。
「……どうしたの? 急に青ざめた顔して」
「い、いや……特に何も……」
「そう。でね、これからあなたには館に来てもらって色々話を聞かせてもらうわ。どうしてあんな場所にいたのか、あなたは何者なのか。それでこれからの処遇を決めさせてもらうってこと」
「つまりは……?」
どうも、いつものように頭は回ってくれないらしい。彼女らしく分かりやすく説明してくれているんだろうが、俺の頭の中にはほとんど内容が入ってこなかった。情けなくも今一度、聞きなおす。
「つまり話であなたの素性が分からなければ妖の者として処断されるということ」
「……」
つまり今のままでは俺に逃げ道は無い、そういうことを彼女は言いたいんだろう。ということは二人に俺が無害な人間であるということを証明しなければならないことになる。サラッと処断という言葉を使われるあたり、背筋が凍りついたように寒くなるのが分かる。上着で隠れてはいるものの、身体の至る場所で鳥肌が立っていた。
右左も分からないような場所で命の危機にさらされる、一体どこの誰がこんな不幸に会う
ことがあろうか、むしろ不幸がこうも続くのか。正直いやになる。
――――絶望、そんな一言が今は似合う。
仮にここでこの二人に勝ったとしても行くあてもない。逆にここで負けたら俺はそこまでの人生だったってことになる。あまりにも理不尽であっけなさ過ぎる結末、いやむしろ今までやってきたことを考えてみれば必然的な終わり方かもしれない。
人生17年生きてきた中で、最もありえない究極な選択。今一度彼女達の表情を見ようにも、その表情が揺らぐことは無い。ここで抗って生き延びていく道を選ぶのか、少なくとも素直に忠告に従って生きる可能性を探るか。
「どうする? 少年?」
澄んだ声で忠告されても、今の俺には死刑宣告にしか聞こえなかった。二人に勝って俺が自由になったとしても、その生活が保障されることはない。それどころか全く見ず知らずの世界で一人、孤独に生きていくことになる。
誰も助けてくれない生活、それにももう慣れた。今更とやかく言うことも無い。一人になっても今までと全く変わらない、別に普段どおり、少し生き方はきつくなるかもしれないが生きることくらいなら出来るかもしれない。知らず知らずのうちに俺の右手は既に刀の柄を握ろうとしていた。あくまで平静を装い、向こうが近づいてきたところで抜刀すれば何とかなるかもしれないと。
予想通り、策殿と呼ばれた女性が俺の下に近づいてくる。一歩一歩ゆっくりではあるが確実に俺との距離を近づけてきている。……残り数メートル、一足一刀の間合いにもう少しで入る。後は力を爆発させるように一気に引き抜くだけ、居合い抜きなら初見で防ぐことは出来ないはず。そんな自己暗示をかけながら彼女の目を見る。
「私達とくる? それとも……」
「………」
「ここで処断されたほうがいいかしら?」
「―――――っ!?」
準備万端で後は実行に移すだけだった行動が唐突に制止される。頭で考えたわけではなく無意識に、身体に唐突にブレーキがかかった。彼女の言葉と共に儚げな笑顔があまりにも悲しそうで、そして申し訳なくて……ここで彼女を裏切って良いのかと。
―――――一瞬、時が止まる。
実際に時が止まったわけではない、この場にいる三人の行動が静止していた。涼しげな風が二人の周りを包み込む、靡く前髪を俺は手で押さえながら今一度視線を外す。彼女が俺に対して何を思っていたのかは知らない、ただ彼女自身では俺をここで処断したくないという思いがある気がして、どうしようもなくなってしまった。
もう抗おうとする気も失せた。柄を握ろうとしていた右手を身体の側面に戻し、俺自身に戦闘意思は全く無いということを指し示す。やはり俺の行動は全て見透かされていたのか、俺が右手を戻した時には彼女の儚げな笑顔はもう既に消えていた。
表情が戻ったことを確認すると、質問に答えるべく口を開く。
「分かった……お前達の言うことに従う。好きにしてくれ」
「物わかりがいいの。安心せい。取って食おうとは思わん」
どうやら後ろで見守っていたこの人も、俺の考えていたことが何となく分かっていたみたいだ。言葉を俺に投げかけると同時に、右手に握っていた矢を矢立にしまう。俺が何か行動を起こしたら弓を射るつもりだったんだろう、身体に隠れて気が付かなかったが左手にも弓が握られていた。
結局俺の考えなどお見通しだったってこと、ある意味思いとどまれてよかったなどと考えてもみなかったことを思ってしまう。少し心の枷というものが取れたのか、少しずつ会話を続けていく。
「そうしてくれると助かる。生憎、俺自身も結構混乱していてね、今は状況把握に必死なんだ」
「ま、訊問官が今はいないから、少し待ってもらうことになるとは思うわ。……ただ下手なことを言ったら……どうなるかは分かるわよね?」
「想像したくないな」
「でしょうね。私もあなたをこの手で処断したいなんて思わないから」
……とにかくここで処断されることは無くなったものの、自分の正体が明かされなければ結局さようならってことになる。あくまで寿命が少しだけ延びたというだけに過ぎない。ふと左手に腰にさした刀が触れる、これを持っているだけで信じてもらえないのではないかと疑心暗鬼にかられてしまう。少なくとも俺は捕捉される身になるわけで、これは邪魔にしかならない。
ベルトから刀を本体ごと外すと、それを彼女の前に差し出した。もちろん柄のほうを相手に向けて、もう抵抗する気は無いというように。
そんな俺の行動が意外だったのか、目を二度三度と瞬きさせると少し頬を緩ませながら先ほどよりも穏やかに声をかけてくる。
「いいのかしら? 私達がこれを預かっても」
「今俺が持っていても要らない誤解を招くだけだからな、むしろそっちが預かってくれたほうが、俺も気が楽だ」
「ふふっ♪ 返すかどうかはまだ何とも言えないわね?」
「それで良い。俺が生き延びれた時に返してくれれば」
先ほどからすれば有り得ないくらい穏やかな雰囲気が三人の間を包む。二人の女性の当たり方も柔らかくなったっていうか、俺自身に少しながらも興味を持ってくれたというか。先ほどのギスギスとした雰囲気に比べたらまだマシにはなっている。しかしここまで来ると、この二人の正体が何者なのか気になる。会った時の立ち振る舞いといい雰囲気といい只者には思えない。少なくともかなり武芸が立つものという認識は出来るが、それ以上のことは分からない。せめて名前くらいは知りたいものだ。
……などという希望は、次の瞬間には叶ってしまうものだったりする。
「さて、紹介が遅れたわね。私は孫策、字は伯符よ」
「儂の名は黄蓋、字は公覆という。覚えておけ」
「………」
名前は確かに明らかになった、確かに明らかにはなったが……。一体どういうことなのか、説明を求めたい。少なくとも確認を取ることくらいは許されるはずだ。
「孫策ってもしかして子々孫々の孫に策略の策って書いて、孫策って言うのか?」
「ええ、そうよ」
「で、黄蓋って言うのは黄色の黄に天蓋の蓋って書いて黄蓋?」
「そうじゃ、よく分かったの」
「さっき俺を襲ったあの集団のことは知っているか?」
「黄色い頭巾を被っているから、黄巾党と呼ばれておる」
二人の話し方を聞いていても嘘をついているようには見えない。いくら俺が「嘘だ」といっても多分通じないだろう、おそらく彼女達の言っていることは紛れも無い事実だろうから。むしろ聞き返したら聞き返したで俺が失礼に当たる、それこそ切り捨てられても文句は言えない。本来、孫策も黄蓋も差中国の三国時代を彩った男性で、孫策は三国時代を築き上げる大国、呉の礎を創った人物として有名な武将。弟に孫権がいる。この孫権が呉の初代王として君臨することになる。
そして黄巾党、これも三国志で非常に有名な集団。大陸の集落を己の欲望のためだけにあらした賊だといわれる。
これらの話を統括するとここは三国時代によくにた場所で、何をどうしてか一般人である自分がここにいるってこと。にわかには信じがたいが、今推測できる範囲ではこのくらいか。今完全に断定することは出来ない、俺が夢を見ているっていう可能性もあるし。何よりも今は情報が少なすぎる、確かに俺の知らない世界に俺が居るってことは間違いなさそうだが、結局はっきりしているのはそれだけで、根本的なことは何一つ分かっちゃいない。
何はともあれ、俺が孫策に失礼を働いたことには間違いない。いくら知らない人物とはいえ、はじめからそんな態度をとるべきではなかった。名乗り出た二人に返答するように、俺はその場で頭を下げる。
「俺の名前は時雨飛鳥。孫策殿とは知らず、先ほどの度重なる失言、誠に申し訳ない」
「別に無理してその畏まる必要はないわ。今までの感じでも私は気にしないわよ?」
「ふむ、姓が時雨で名が飛鳥か。字は?」
「すまない。俺に字というものはない」
「ふむ? ……まぁいい、これから館まで案内する。ついてこい、詳しい話はそこで聞こう」
「あぁ―――」
俺は孫策と黄蓋に連れられるがまま、孫策の館へと足を歩みいれることになった。