一時
「やれやれだな」
本陣に戻ってくると皆は体を休める為に、天幕の中へと戻ってしまった。
休養後、改めて館に戻るわけだが……
皆が疲れて休む中、俺自身は何故か疲れを感じることが出来ず、本陣近くにある緑生い茂る場所へと来ていた。
本陣から全く離れていないため、戻る際の安全はさほど気にしなくてもいい。
柄にもなく、酒瓶を持って一人で飲む。
勝者の美酒とでも言うのか。
未成年だからどうというわけではない。普通に飲んでいるはずの酒だが、いつもよりもおいしく感じた。
ある程度飲むと、俺はその場にごろりと横になる。
風が心地いい、火照った体が冷やされていく。
「眠れないな……」
眠気が来てもいいと思うのだが、それは一向に来ない。
完全に目が覚めてしまっているのか、どうなのかはよく分からない。
ただ一つ言えること、それは今あるこの時間が妙に心地いいということだけだった。
「こんなところにいたのね」
ふと後ろから声がかけられる。
最近聞いた覚えのある声。
声を頼りに、俺は頭に思い浮かんできた名の中からその人物を詮索していく。
「孫権か」
「また眠れないの?」
「眠れないのと……後は作戦が上手くいってホッとしてるところさ。孫権こそ、眠れないのか?」
「それもあるんだけど……あの、あなたに言わなければならないことがあって……」
「俺に?」
孫権が俺に言いたいこと?
何だろうか、俺が孫策に手を出していないかとかそういうことを聞かれるのだろうか。
……いや、それはないな。
そんな感じの表情じゃないし……
何だろう。何か申し訳ない事をした時に浮かべるような表情をしているんだが……
「あ、あなたの戦いぶりは見せてもらったわ。……どこかに隠れるわけでもなく、その……戦い抜いていた」
「……俺が作戦を立てたわけだしな。俺が逃げ出すわけにはいかないよ」
「あなたの事、少し見直したわ。それで、その言いたいことっていうのは、失礼な事をいった事に対して謝罪しようと思って……」
「……孫権が、俺に?……何かあったか?」
「覚えていないのか?」
「俺が胡散臭いっていう話なら、疑ってかかっても仕方ないだろう。孫権の反応は正常であったわけで、別に俺が何かを受けたわけでもないしな」
「それでも……けじめをつけなければいけないわ。私の気が済まないもの」
それだけ言うと、孫権は俺の隣に腰かけてくる。
彼女が何を考えているのか、俺にはすべては分からない。
でも、俺に出来ることもある。
「孫権、お前の目指したい国はなんだ?」
―――そう、問いかける。
その質問に、孫権は目を丸くして俺の顔を見つめる。いきなり何を言い出すのかと。
俺はそれでも続ける。
「さっき俺は無理するなって言ったよな? ……俺の目には孫権が無理をしてるようにしか見えないからだ。孫策のようになろうと無理をしてる感じがな」
「む、無理ではない! 私は次代孫呉の王として、当り前の事を……!」
―――語気が弱い、何か思うところがあるのか。
いや思うところがあるからこんな反応になるのだろう。
だからこそ、教えなければならない。
追うことこそが、すべてではないと。
「孫権……お前の夢は何だ?」
「そ、それは! 姉様のように天下統一「違うな」……!!」
「それは孫策の夢だ。俺が聞きたいのは、孫権。お前が本心で抱いている夢の事だ」
「わ、私の……夢……」
「あぁ」
「わ、私は……」
俺に言われ続け、目を潤ませる孫権。
俺がいくら嫌われようとも、彼女を支えて行かなければならない。
孫策との約束は果たさなければならない。
……いや支えるのは孫策や孫権だけではない、呉の民全員か。
甘い考え方、無茶な理想は破滅を呼ぶ。
孫権はその顔を見られたくないのか、俺からやや目を逸らす。
そんな孫権に対して、俺は彼女の目から自分の目をそらさない。
「……皆が笑いあって、平穏に暮らせれば、それでよかった……」
「……言えるじゃないか」
「え?」
「それがお前の夢、王としてのお前が目指すところだろ。……孫策は孫策、孫権は孫権だ。いくら孫権が努力しても孫策の代わりにはなれない」
「……でも、私は!」
「孫家の一族だから……か? 確かにそうだけど、逆を考えてみろ。孫策はいくら頑張っても、孫権にはなれない」
「………」
「お前にしか無い良さ。それがあるからこそ甘寧や周泰がついてきたんだろう? お前の王としての器は他からもお墨付きさ……」
「………」
「孫権が目指す国、それでいいじゃないか。背伸びする必要は無い。お前にしか出来ない国を作っていけばそれでいい」
彼女が無理に孫策の代わりになる必要はない。
孫権は孫権であり、孫策は孫策だ。
王としての器は武力だけではない、武力だけで国を治めようとすれば国は崩壊への道をたどることになるだろう。
それは、子が親のようになろうとするのと同じだ。
孫権も孫策も唯一無二の存在なのだから。
各々、違う方法で国を治めればいい。
いずれ孫策も孫権に地位を譲り、隠居するときは来るだろう。
彼女も自身になれとは思っていないはずだ。
途中で道を外れそうになったら、俺達が修正してあげればいい。
「ほんとに、あなたって不思議ね」
「え?」
不意に孫権が口を開く。
その顔は別に泣き顔とかではなく、晴れやかそのものだった。
「今は姉様がいるけど、いざ私の代になったらと思うと……不安でたまらなかった」
「………」
「………確かに、あなたの言うとおりだわ。ありがとう……そしてごめんなさい」
「謝罪はいらないって言ったんだけどな。……ま、甘えたい時は素直に甘えるのが良いだろう。今から気を張っていても仕方ないしな」
「ふふ♪ そうね」
――――ふと、左腕に重みがかかる。
孫権が目を瞑りながら、俺に寄り掛かってきていた。
今までつっかえていたものが取れたのか、心地よさそうだ。
……俺が甘えてもいいって言ったわけだしな。これくらいの責任は持とう。
何よりこれが本来の孫権なのだから、今まで無理をしていた分、多少の事くらいは目を瞑ろう。
「私の真名は蓮華という。……この名、お前に預けたいと思う」
「あぁ。……でも」
「分かってる。真名を呼ぶのはあなたが判断した時でいいわ。よろしく、飛鳥」
「あぁ、よろしくな」
――――夜は更けていく。
天幕に戻ることもせず、俺達はそのままの状態で、今という時間を過ごしていった。




