第9話:庫裏、食事。
老獪を見事に体現させたような婆さんの処置により、俺とバルドルは社前の庭から放り出され、その横にある建物にほっぽり込まれた。
そこは1階建ての建物で、社よりずっと小さくはあったが、それでも俺の身長に過不足ない天井の高さを持っていたので、たぶんまだ大きい部類の建物になるのではないだろうか。床も社ほどではないにせよ高床式で、ネズミ返しと思われる板がはめ込まれていた。構造的には神社の社務所か、寺院の庫裡と呼ばれるような雰囲気があったが、放り込まれたら中身はまさしくそのとおりで、さきほどの『がらん』とした社の中と違い、生活臭さが漂う空間だった。
土間か竃と思われる場所では姦しい女性たちが煮炊きを始めており、湯気と独特の香りが漂っていた。腕まくりして作業する女たちの、二の腕や、腿、汗する首筋など、その熱気と雰囲気に圧倒され、俺は視線のやり場に困りバルドルを見た。バルドルもこっちを見ていた。
先ほどまで「お前を殺す」的な会話をしていた二人が「どうしよっか」的な雰囲気をにじませて見つめあった。なんというか、この空間で殺伐感を出せたら、そいつはたぶんもう人間を辞めている。俺もバルドルも当然そこまで逸脱レベルは高くはなかった。
「あらあら大将、なにしてんだい。邪魔だからそっちよけてくれな」
「ほら、どいたどいた」
「ああんもう、でかい図体が邪魔だねぇもう」
俺とバルドルは隅っこで体を寄せ合った。「どうする?」と声をかけると「うっせい、知るか。…どうすんだよ?」と返された。知らんがな。そのまま固まっていると「あっちだよあっち!」という指示を受けて、あっちってどっちだ、と2人で探して歩いた。
☆☆☆☆☆
「ニョルズの具合はだいぶ良いようじゃ」
婆さんが言った。
「後ほどまたみてくれんかね?」
「喜んで」
木製の器を見たままそう答えた。器の中には茶色い粥のようなものが入っていた。湯気を立てており食欲をそそる。ぐーと腹の音が鳴った。すると隣でも同じ音がした。バルドルだった。
俺たちは、庫裡と思われる建物の奥、いちばんひろい部屋に通されていた。朝靄はすっかり晴れ、青空が早朝の森の向うに広がっていた。「行儀の悪い腹よな」と婆さんが笑うと、イズナが横を向いたのが見えた、あれは噴き出すのを堪えているのではなかろうか。「いつもならその辺の食いもんを適当に見繕って食うから、ここまで待たされたのは初めてなんだよ」とバルドルがこぼす。
部屋には20人弱。
正面奥に、婆さん、その左右にイズナ、イトゥン、正対して、バルドルと俺だ。戸口側にはずらりと並んだ女性たちが座っていた。皆の前に置かれた粥には、いろいろなものが刻んで一緒に炊きこまれたのか煮られたのか、芳醇な香りとともに湯気を立てている。野草、果実、干し肉などが入っているのか、よくは分からない。そして食事を目の前に待っているバルドルは、まるで『おあずけ』を受けている犬のような風情だった。そしてたぶん俺もそうなんだろう。
「では、食そうかの」
「よしっ!」
婆さんがそう言った瞬間、バルドルは器に口を付け、木匙で掻き込んだ。婆さんが「感謝の祈りがまだだったんだがの」と言うと、バルドルはもぐもぐと口を動かしながら「さっき、心の中ですませたよ」と言い「もう1杯あるか?」と聞いていた。健啖家だな、おい。
周りを見ると、女性陣はそろって黙祷のようなものを捧げていた。俺はよくわからないので黙って座っていた。固まったバルドルと、静謐な空気が混ざり合う。しばらくし、呼気の音と、木匙を取る音が聞こえ始め、戸口側の女性陣からのくすくすと笑い声がもれ聞こえ、食事が始まった。
ふてくされて腕を組むバルドルを横目で見ながら流し込んだ粥は、雑炊のような雑穀粥のような味がした。その後、バルドルは5杯の粥を平らげ「もうないよ、この大食らい!」と窯を叩き付けられていた。俺は居候なので3杯目を出すことはしなかった。
☆☆☆☆☆
ニョルズの容態は安定していた。彼は我慢強く、しかし質問をすると的確に体の調子を述べることのできる少年だった。軽く食事をさせ、痛みが強くなる頃に鎮痛薬をまた1錠飲ませた。
「ありがとうございます」
「礼には及ばない。巫女殿に言うといい」
「いえ、あなたに言いたいのです。昨夜に私を手当てしてくださったのはあなたですよね?」
「皆の協力を得てだ」
「夜、顔を拭いてくださいました。『きっと助かる』と語りかけてくださったのを覚えています」
純粋で真摯な目にどうにも気恥ずかしさがこみ上げる、微笑んで誤魔化すことにした。つられてか出たニョルズの笑顔は朗らかで、彼が皆から好かれる理由が分かった気がした。俗にいう『さわやか系イケメン』だ、しかも将来有望系の好少年。そういや小学生の頃にクラスに1人ぐらいはいたな、朗らかで笑顔がさわやかで勉強ができスポーツ万能なヤツ、男女ともに人気者、そんな感じだな。そのまま真っ直ぐ育つといい、好きな人にはたまらんだろう。
俺は傍らで様子を観察していた婆様に言った。
「可能ならばニョルズに肉を食べさせたい。新鮮なもので、火を通したものだ。きっと怪我の治りが早まると思う」
「不可能ではないが、ならば鳥獣を取りに行かねばな」
「この周辺では何が取れますか?」
「ウサギ、シシ、シカ、クマ、イヌにイタチにテンにリス、キジにカモにハトにフクロウ、なんでも捕れるぞ」
「魚は?」
「沢には多くの魚がおる、カワウソも蛇も亀もおるでな。そういえばイズナもおるぞ、そこに」
「それは食えません」
2重の意味で食えない、食ったらまずい。「かかか」と婆さんが笑う。俺も笑った。イズナだけが笑わなかった。視線がすごく怖い。