第8話:バルドル、剣。
【8】
その晩は寝具を借りてニョルズの隣で寝た。借りた寝具は、草を編んだ厚めのゴザの敷布団、ざらつく麻袋っぽい掛け布団、肩掛けにウサギっぽい毛皮だった。茶色いウサギの毛の柔らかさに癒されながらも、身体を包むごわごわする感触を微妙に感じていたが、疲れていたのがすぐに寝入った。深夜と思しき時間に1度目が覚めたのでニョルズの容態を見てみたら、彼はまだぐっすりと寝ていた。呼吸を確かめ、濡らした布で彼の顔を拭いただけで、俺は再び眠りについた。
2度寝した後は、眠りながらも薄く意識があり、空がすこしづつ明るくなり、明け方の冷えた空気が広間に入ってくるのが感じられた、ふと庭先に人の気配があるのに気が付き、すっと起き上がり、足音を忍ばせて庭に向かう。朝もやがかかり、青い光が満ちた早朝の前庭にバルドルが立っていた。
「おはよう」
そう俺が声をかけると、バルドルは表情を歪ませた後で「おう」と言った。
「早いね、いつもこうなのかい?」
彼の不機嫌そうな態度に気が付かないふりをして、朗らかに会話を続ける。
「昨夜は、すぐそこの小屋に詰めていたんだ」
「そっか、大変だったね」
俺とバルドルの間に沈黙が落ちる。ウサギの肩掛け以外の場所から冷気が忍び寄る。バルドルも黒い毛皮の肩掛けをしていたが、きっと寒いことだろう。だがあえて生産的な話題は振らない。とりあえず『今は』まだ俺の身は安全そうだからだ。昨夜2人がお礼を言ってくれていたし、里の者にニョルズの容態を知らせるまで、彼だっていきなり俺を追い出したり、斬りかかってきたりすることは無いだろう。そう、彼の腰には剣が穿かれていた。鞘も付けられず、かるく布で巻いているように見えるその剣は、鈍い金色をした直刀のようだった。
「金色銅剣?」
「剣を知っているのか、まあ当然か」
馬鹿みたいに仕事が忙しくなる前まで、俺は博物館などに行くのが好きだった。そこで見かけたキュレーター説明文で「銅剣は青色(緑青)と思われがちですが、作ったばかりの頃は金色ですよ!」といったことが書かれていたのを覚えていた。きれいな金色が印象的だったのだ。そしてそれはバルドルの持つ剣の色とよく似ていた。
「普通なら槍なんだがな、オレはこれを使ってる。鉄剣だって持ってはいるんだ、だけどここは一応、神域だからな、こいつを持つことにしてるのさ」
槍なら猟にも使えるが、剣は戦争にしか使えない。やっぱり彼はそういった立場の人なんだろう。そして鉄はあるんだ。まあ、この建物の床のなめらかさを見ていると、ノミかカンナがなければとても建てられないとは思ったが。
「オレはお前が気に食わない」
少し楽しそうに剣の説明をしていたバルドルが、唐突に表情を引き締めて言った。
「オレはお前の、その『何でも知っている』という感じが気に食わない。正解を、探り、答えるようにする応対も気に食わなければ、イトゥンが言った『御使い様』という部分も気に食わない、お婆にするりと取り入ったところもだ」
バルドルは建物にいる俺に対し、見上げ、鋭い視線を投げかけていた。
「早い話、オレはお前を疑っている。お前の真意が分からねぇからだ。里に厄災や混乱を持ちこまねぇかどうか心配なんで、さっさと追い出すか、殺した方がいいとすら思っている」
俺は黙って聞いていた。
「だが、お前はニョルズを救ってくれた。一晩見てたがイズナにもイトゥンにも悪さをしなかった。だから今は何も言わねぇ。ニョルズの容態がしっかり分かるまでは、な」
どう言ったら彼に分かってもらえるだろう。俺は別に里に害をなす気はない。ただ現状、ここ以外に身を寄せる場所がなく、この世界、もしくは周囲の状況を教えてくれる情報提供者が欲しいだけだ。だが、確かにバルドルの危惧は正しいだろう。俺はあきらかにここの住人達とは違う、異物だ。
体格・所持品・知識・何よりその『考え方』が違いすぎる。きっとここの人たちはもっと真っ直ぐなんだろう。全員が正しく清いとは言わないが、悪い邪な考えを持っていたとしても、もっと明確に『分かりやすい』のではないだろうか。確かに俺はスレており、小狡過ぎ、狡猾すぎるのかもしれない。駆け引きめいた思考と仕草、そういったものがいずれ人に記憶され、うつるのだとしたら、確かに俺は厄災を里に持ち込んでいるのかもしれない。
「婆様は言った、お前を若衆で使えるかと。お前の治術が素晴らしいとしても、オレがお前を認める方法は2つしかねぇぞ。お前が腹ん中を全部ぶちまけて話すか、それとも……」
バルドルは、ぎらりという音をたてるかのように歯をむいて笑った。
「俺と、剣を交えて語るかだ」
バルドルが、布にくるまれたままの銅剣の切っ先を俺に向ける。彼は庭にいて、俺は高床の上だ。そのまま切りつけられることがないのは分かっていた。だが、まっすぐに背筋を伸ばし、腕を伸ばし、闘争本能から発せられる殺意をぶつけられるのは、さすがに心穏やかとは言えなかった。その攻撃的で挑戦的な緊張感を受け止めきれず「わかった」と言おうと口を開きかけたその時、するりと小柄な姿が俺たちの間に割って入った。
「だめ」
イトゥンが両腕を、ちいさなその体躯をいっぱいに広げ、俺を庇っていた。
「またお前か…」
バルドルががっくりとした風情で肩を落とした。力抜けた声で言う。
「いいからどいてろ」
「だめ、御使いさまにひどいことをしては、だめ」
「そいつは御使い様じゃねぇだろう、ただの流れの薬師か治癒師だよ。どんな理由で流れてきたのか分かったもんじゃねぇし、そのでかい身体に何を仕込んでいるか知れたもんじゃねぇ」
「だめなの!」
必死にかぶりを振り、腕を伸ばし、言葉を探している風情のイトゥンを見ていられなかった。俺は彼女の薄い肩に手を置くと、そっと横に流すように退かした。俺は彼女の両肩に手を当てたまま、バルドルに言った。
「そのうち相手をするよ。とりあえずはニョルズの怪我の面倒をみさせてくれ。数日だけでもいい」
「確かに聞いたぜ」
「御使いさま…」
大丈夫だよ、という風に、腕の中で俺を見上げる小さな顔に笑顔を向けた。どうかこの子が怯えませんように。
「よきかなよきかな、それでこそ男よな」
かかか、といった快活な笑い声が庭先に響く。見ると庭の端からこちらに歩み寄ってくるユーミルとイズナの姿があった。
「力比べ、早駆け、遠投げ、大いに結構。男はそうでなくてはならん」
イズナは困ったような怒ったような、そんな表情をして婆さんを見ていた。俺も同感だ、この婆ぁ、何を楽しんでいやがる。剣を持ってすごむ相手に力比べも何もあったもんじゃないぞ。取り返しのつかない怪我でもしたらどうする、主に俺が。
「ともかくニョルズの容態を確認するのが先じゃ、その後は朝稽古。男どもは去れ、その後に共に朝餉でも食そうぞ」