第47話:激突、涙――。
【47】
俺は駆けた、駆け抜けた。視界の隅では森の樹木が吹き飛ぶように後ろに去ってゆく。視界中で雷光が奔り、樹木が割れ、ちいさな炎が上がるのを見た。倒す、救う、守る、殺す。渦巻く感情が俺の胸を熱く滾らせ、俺の脳髄を痺れさせる。一点に、ただ一点に、俺の意識は鋭く鋭敏になる、そうだあそこ――。
視界に小さく見えた、その「追われていた男」を知覚した瞬間、もう俺は彼を飛び越えていた。と同時に一瞬の放電が周囲を覆った。足元に転がる若い男、ヴァーリ、の周囲を覆うように、放電が円状全方位に放射された。放射された同心円状の小さな波状電撃は、ヴァーリを追っていた敵兵たちに接触することで人体溶解と発火を次々と起こさせた。紫煙が煙る。我ハ眼下ノ若キ戦士ヲ覗キ見ル、オオ、我ガ操者ノ同朋デアルナ、健在デアルナラバ剣ヲ取リ、我ニ続クガ良イ! ヴァーリ、無事だったか! 我ハ先ヘ進ム、我ガ宿敵ヲ倒サンガ為ニ! 近くにヴィーダルとウルがいる、合流するんだ! サア同朋ヲ我ニ続ケ! 怪我はないか? 剣ヲ取レ、逃げるんだ、進メ、峠には仲間が、行クゾ!
俺の思考と発言は無茶苦茶だ。暴走なのか過剰感応なのかの区別がつかない。イトゥンの魔導の影響のためだろうか? 視界の隅に、思考の合間に、常にいろいろなものが交じり合う。それともムスペルに取りつけられた肉塊、それに近づき、波動に晒され続けたことで、ついにコントロール不能になっているのか? とにかく、ヴィーダルとウルの隊が心配だ!
俺は脳髄を押しつぶすような情報の流れに乗り、時には抗い、必死に周囲の状況を分析し判断をし続けた。
敵軍の動きは大きく広く、周囲へ拡散するように広がっているように見えた。大攻勢のようにも、混乱が起きているようにも見えた。敵兵は誰もが興奮と熱狂の渦の渦中にいる。地上8mの視界により、木々の間から人の動きがよく見えた。視界の先、あの小山に集っている人影はなんだ? 戦士たちの決死隊か? 俺はそちらを向くと唸り声でヴァーリを促した、誘導できれば――。と同時に、その小山との間に姿を現した黒い巨人の姿を見た。
「我が名は戦士ビフレスト、その者、巨人の操者と見た、我がムスペルと――」
「邪魔だ!」
思考波、少年の青臭い自意識が癇に障った。俺は苛ついた感情そのままに、思考波を、その意識を払うように右手を払った。滑らかに、自然に、振り抜けられた腕、するり、そんな力の抜けた感覚で掌から離れた槍には紫電が絡んでおり、一筋の光となって飛んでいった。槍はムスペルの喉元に突き刺さり、激しく白光を上げた。炸裂音。轟音。落雷を打たれたような光と音を伴って、もんどりを打って黒いムスペルが倒れた。
「ビフレスト!」
白煙を上げて倒れたムスペルの背後から、もう一機のムスペルが姿を現した。先ほどの若く浮ついたムスペルとは違う動き、重きのある動作と思考波が俺に向けられる! 一瞬のイメージで知覚する、こいつが軍団長!
「おのれ、よくもビフレストを!」
飛び込んでくるムスペル。俺は閃光の余韻を残す視界と思考の狭間で短槍を弾く、弾いた左掌から小指と薬指を持って行かれた! 熱のような感覚を知覚しながら、相手の槍をいなして懐に入り込み右爪を胸部へ――受け止められた! 重量のあるムスペルは俺の攻撃を左掌でがっちりと受け止めると、突進の勢いをそのまま俺をヒトガタにぶつけてきた、ヒトガタに衝撃が走り、両の足が大地から離れ、視界が上方回転し、ヒトガタは背中から地面に倒れ込んだ、衝撃、上からムスペルに押し付けられ、ぎりりと機体が軋む、俺は右掌から電撃を放った。全身の発電板を稼働させた!
俺を地面に押し倒したムスペルの全身が一瞬光った。次の瞬間、全身の関節部から煙を上げて動きを停止する。至近距離からの電撃に全身の人工培養筋肉が焼かれたに違いない。同時にヒトガタも逆流のフィードバックで俺の脳髄を激しく痺れさせた、視界が青白くなり、全身がおこりのように震え固まった。だが、俺はそれを押しのけた。完全に弛緩し、重たく倒れ込むムスペルを押しのけて、俺はフラフラになりながらも立ち上がった。
まだだ、まだ俺の役目は終わってない――ヴィーダルとウルの隊を助け出し――、ヨトゥンを駆逐し――そして、そして、あのスルトのムスペルを、あの「空飛ぶ黒い蛇」ヲ受肉シタ我ガ同朋ノ敵ヲ――。
ヤツがいた。
決死隊が集っていた丘の上、そこにいつの間にかヤツが姿を現していた。歪んだ巨体を前方に折り曲げて、紅い瞳を光らせて、背中に生えた皮膜を広げてこちらを睥睨していた、睨め付けていた。スルトのムスペル! 空飛ぶ黒き蛇の筋肉を移植された機体! 忌まわしき敵!
ヤツの足元で蠢く戦士の槍と盾。
ヤツがその足を、少しすり合わせるだけで幾人もの人が死ぬ! 俺は恐怖した、仲間が死ぬことに恐怖した、俺は恐怖した、奴から俺に向けられる敵意と殺意に恐怖した! 俺は声を上げるべきか、声を上げずに逃げ出すべきか――否! 断じて! 逃げるな! 立ち向かえ!
俺は冷える胃の腑を押さえつけるようにして声を上げた。咆哮を上げた。こちらを向け! こっちにこい! 俺を見ろ! 俺はここにいるぞ! お前の相手はここにいるぞ! オ前ノ相手ハ我デアルゾ! 我ヲ倒セルカ! コノ汚レタ黒キ龍ノ走狗メガ!
咆哮が森を揺さぶる。
咆哮が返る。
ヤツは、肉厚な皮膜付きのムスペルは、ひと声吼えると背中の皮膜をひとつふたつ羽ばたかせ、周囲に暴風を振りまくと、ふわり、と宙に浮かんだ。そしてそこから、一気に弾丸のようにこちらに飛び込んできた!
ヤツはヒトガタにひと蹴りくれると急上昇した。大きな衝撃と共に俺はもんどりうって転倒した。胸部装甲に大きな裂傷! アラートが響く! ヤツは上方で大きな宙返りをすると地面に、俺に向かって急降下をしてきた。
ヤツの両肩からふた筋の火焔が伸びる! その炎はぬめる樹液のようなものを伴って、ヒトガタと周囲の森にべちゃりとまとわりつかせると爆発的に炎を広げ、一瞬で視界の全てを灼熱の炎に変えた! 熱い! 痛い! 腕を振り回し横転し、身体にまとわりついた炎を消そうとするが粘液のように燃える炎は簡単に消えてくれない。人工培養筋肉が焼かれる、その部位の流体神経回路が悲鳴を上げ、俺の思考の一部を黒く塗りつぶしショート、停止する! 身体が動かない! サポートを! 別の流体神経回路により欠損箇所を補填! 反応処理率7パーセントダウン! 知るか!
俺は木々をなぎ倒し、森の腐葉土に身体をうずめて炎を消した。一気に満身創痍だ。そしてヤツは悠々と大空を周回した。
「ブザマナ姿ヨナ、ムメイセンシ――!」
上空の、スルトからの思考波が飛んでくる。
「我が怒リヲ、我ガ恥辱ヲ、我ガチカラヲ思イ知ッタカ、ムメイセンシ!」
濁った、ノイズ交じりの思考波が飛んでくる。これがスルトか?
「我ハ変ワッタ、大イナルチカラヲ手ニ入レタ――、我ハ負ケヌ、我コソガ最強ノムスペルノ戦士――!」
高まる興奮がぶつけられる、圧倒的な敵意。
糞ったれが! そのようなものが最強であってたまるか! 奴が炎を操るのならば俺とヒトガタは雷光を操れる! しかし人工培養筋肉の疲労度は既に高く、過熱していた、発電板の充電度も低い、自身の電撃と奴の火炎によってかなり死滅している箇所が出始めており、何よりヤツは空を悠々と滑空している! すれ違いざまに火焔を吐いて飛び去ってゆく! 粘りつく火焔が再度俺とヒトガタを襲う! またか! またなのか! 奴を地面に引きずり降しさえできれば! マタ我ハ同朋ヲ守リキレヌママ眠リニツクノカ!
俺は両の掌を上げる、届かない! 槍を探す、見つからない! 森は既に大きく焼かれはじめており、そこから立ち上る煙が月明かりを遮って、俺はその煙さに涙を流す。見えない! 見えないぞ! ヒトガタよ、最大同調だ! 全身を焼かれる熱さが数段増す、俺は叫び声を上げる、負けるものか、負けるものか、探せ、探せ、探せ、槍だ、それさえ手にできれば俺はヤツに一撃を加えてやる! 槍だ――、ほんの数歩先に、ビフレストの機体に刺さった長槍を知覚した。俺は手を伸ばす。
奴が俺の目の前を通り過ぎた、俺は再度もんどりを打って倒れた。そして何かが折れる音――俺の長槍がへし折れる音を聞いた。
一陣の風が吹いた。一瞬、もうもうと煙ぶっていた視界が晴れた。その瞬間、俺は、俺の手を伸ばした先にあった長槍が折れているのを見た。ヤツが、スルトが先ほどの急降下で槍を蹴り折ったのだ。
俺は震える手を伸ばす。折れて、泥に汚れた槍を手にした。折れている、ばっきりと二つに折れている。俺は空を仰ぎ見た。ヤツは悠々と空を駆けている。ヤツの哄笑を聞いた、無様にのた打ち回り、折れた武器に縋る姿をあざ笑う声を聞いた。もう、この槍に電撃の増幅は期待できない。
俺は槍を構えた、折れた槍を構えた。ヤツの哄笑がまた響く。俺は槍を構えた。折れた穂先でもまだ突き立てることは出来る! そうだ、できる! 俺は、俺はあきらめはしない!
ヤツは空中停止をした。俺をあざ笑うように睨めつける。
俺の槍は届かない。
ヤツの哭き声。空気が震える。
俺の槍は届かない。
ヤツが力を溜める。
俺の槍は届かない。
ヤツが一直線に飛び込んでくる。
俺の槍は届かない!
その瞬間、煌めく燐光が奔った、糸のように紡がれた光がムスペルを捕えた、飛び込んでくるヤツを捕えていた。
光だ。俺は気が付いていた。これはイトゥンの魔導の光だ。イトゥンがあの峠から、この距離をものともせずに魔導を送っている、俺とヒトガタの同調の手助けを行い、味方との相互感応を請け負い、敵兵士やヨトゥンへの妨害を行い、いま、あの、凶悪なムスペルへ心神喪失や幻惑や混乱を招くべく魔導を飛ばしている――。
今しかない。
俺はそれを知覚した。
今しかない。
俺はそれを知覚していた。
だがこれはイトゥンの心だ、イトゥンの精神だ、イトゥンはいま敵ムスペルと繋がって、激しく繋がっている。この瞬間に槍を繰り出せば、その痛みはイトゥンへ届いてしまう。俺はそれを知っていた。
今しかない。
知っていた、間違いなく知りながら俺は槍を繰り出した。今しかない! 今しかない! 今しかない! 俺の槍はムスペルに向かって槍を突き立てた。胸部を貫いた。
「うおおおおぉぉぉおおおーーーっ!!!」
滅べばいい、滅んでしまえばいい、彼女にこのような光景を見せる者たち、彼女にこのような痛みを与える何もかも全て、汚れた巨人の全てが滅べばいい。ヨトゥンもムスペルもヒトガタも俺も、汚れた者どもはすべからく戦って戦って戦い抜いて血達磨になって滅んでしまえばいいのだ。
いったいなぜ、彼女がこのような痛みに身を差し出す必要がある。なぜ胸を突かれ、腹をえぐられ、腕を弾き飛ばされ、高電流で身を焼かれるような、この痛みを! 何度も何度も死を迎える地獄ような激痛と怒りに身を晒さねばならないのだ! なぜ、なぜ、なぜ! なにゆえ晒され続けねばならないのだ! あんなにも幼く、あんなにも健気に、あれほどまでに大人であろうと背伸びをくり返す彼女に、一体どれほど、これ以上の何を差し出せと言うのだ!
俺は全身を刺し貫く痛みを共感しながら叫んでいた、痛みと閃光と紅蓮の炎に焼かれながら、同様に身を苛まれる、祈りの姿勢を崩さぬイトゥンのイメージを追った。この手が届くのなら、手が届きさえすれば彼女をこの炎から遠ざけてみせるのに! この身がもっと大きく逞しいものであるならば! 彼女を包んで熱と痛みを遮る壁にもなるのに! 届かない! 届かない! 届かないんだ!
俺は叫んだ。痛みを与えているのは間違いなく俺自身であった。
滅んでしまえばいい、彼女を傷つける全てのものが滅んで消えて無くなってしまえばいい。俺は哭き叫ぶような声を上げながら視界いっぱいに広がったムスペルに電撃槍を突き立てていた。両の眼からこぼれ出したものは、急激に温度を上げるコックピットの中、一瞬で消えた。