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第46-2話【断章】ヴィーダル

 儂には何が起きたのか、さっぱりわからなかった。

 敵陣の近く、小高い丘の茂みに身を潜め、継手殿の襲撃を待っていると敵の中で妙な動きを感じた。あわただしい。ひとことで言えばそのような事態だ。はてさてどうしたものか、これは好機なのか、それとも罠なのか。


 自身が若い者たちから慕われているのは理解している。しかし、儂の能力そのものはそうたいしたものではないと、一体何人の者が気が付いているのだろうか。継手殿やバルドル、ヴァーリあたりならそれを薄々感じているかもしん。いやどうだろう。今、傷を癒すために館に縛り付けられている海社のヴァール殿なら分かってくれるかもしれん。年を取る、老いるということはそういうものだ。身体の能力は下がり、あらゆることに動じなくなるのは落ち着いているのではなく、単に鈍くなっただけだ。そして変化への対応力には乏しくなる。まったく若い者が羨ましいことこのうえない。

 儂にはこのように大きな戦場での流儀はさっぱり分からん。儂にはただ己の力量を、魂の叫びを、猛る血潮を戦神に捧げるだけの戦場しか知らぬのだ。老人にはこのような複雑な場において、どのように振る舞うべきかの判断すべき知識も能力も乏しい、そんな儂にできる指図はただ一つだ。


はやるなよ――、しばし待つのだ」


 継手殿より受けた指示による限り、慌てず先走ることは得策ではないはずだ、あくまで待つべきだ。そう思い判断を下した。しかし、人の気配はだんだんと濃くなってくるいっぽうだった。これはここで襲撃をするべきなのか? いや、すぐに見とがめられるだろう。我らの決死隊は一隊二十名ほど。あくまでも敵の意識が一点に向けられた時こそが、我らの出番だと伝えられていた。無理をして次代の里を担う戦士たちの身命をいたずらに損なうことは許されん、それこそ大罪だ。儂に出来ることはしっかりと役割をこなし、しっかりと次へと繋げること、儂が学んだことは突き詰めればそのことただ一点に過ぎぬ、今回もそれをやり遂げるのだ。

 隣で身を伏せる戦士たちからは、焦りからか荒くなってゆく呼気が聞こえる。汗がにじみだしてきている。いやいやまだだ、まだじゃぞ――そう小声で呟き続け、隣に立つ戦士たちに視線を向ける。動揺が少しだけ収まる。しかしどうしたものか、この待機状況はそう長くは続けられまい。


 地面の揺れる音がした。


 峠より激しい物音がした! 継手殿のヒトガタかやってきたか! もうしばしだ、もうしばし待て! 継手殿の姿が見えたときこそ好機になる! 混乱の渦中にこそ我らの価値が出るのだ、今しばし待て! しかしヒトガタの接近する音の前に起きていたこの動きはなんじゃろう? ウルの隊で何かあったかもしれん。いや、ヤツも一角の戦士、そう不用意なことはするまい――。


 しかし、ヒトガタが到達する前に、果国の兵士たちは我々の身を潜める丘に向かって押し寄せてきた! いかん!


「密集隊形を!」


 儂の声に、茂みから身を起し、その場にて円形の盾を構えて戦士たちが寄り固まる。

 盾と盾の間、わずかな隙間から長い槍を突き出して、我々はウニのように棘を出す。森からは次々と兵たちが表れる、何を探して、何にむかっているのだろうか。しかしとにかく敵は大軍だ、続々と押し寄せてくる。儂らは覚悟を決める間もない。訓練で培われた反射行動だけが頼りだった。がっちりと両の二の腕に当たる若者たちの熱気、それを感じると同時に激しい衝撃、きつい重みが左腕にかかる。木材と鉄板とを多重貼りした盾を支える左腕と肩が悲鳴を上げる。腕を支える背中と腰と脚が悲鳴を上げる。右腕で支える槍からは柔らかい肉体を刺し貫く感触が伝わってくる、圧し掛かる左腕への重みが増し呼気が漏れる、盾の向う側と盾のこちら側の両方で唸り声と絶叫が上がる。迫りくる恐怖を声を上げ、全身で押し返す。背骨が軋み、腰が悲鳴を上げる、膝が、膝が痛みを発する、この膝が、この膝さえ、往年とまで言わなくとも、壊れてさえいなければ! 若者はいい、誰もが胸に熱いものを抱え込んでいる。錆びつき、冷え切った老人は、そんな彼らを眩しく思う。その柔軟で瑞々しい、生命力あふれた肉体がなんとも羨ましい。儂に彼らを守り支える力を授けたまえ、里の宝たる若人たちを、彼らの足手まといにはなりたくは――。


「隊長!」


 横に詰めていた若者が自身の腰を押し付けて、儂の身体を支えようとする。若人はその純粋で無防備な心で儂を助けるべく無理な体勢を取ってきた、いかん! 盾に隙間が!


「ぐぅう!」


 若い戦士の横腹を裂く何かが見えた、儂は槍を手放し若い戦士の腰を抱く。


「しっかりせい!」


 伸ばした右手の先に、ぬめる液体を感じる、噴き出した血液、避けた皮膚、これは儂を庇ったため――。


「ううぅ……」

「踏ん張るんじゃ! ここが踏ん張りどころじゃ! これを堪えて皆の場所に戻るんじゃ!」


 左腕にかかる圧力は一向に減らず、がんがんがんという衝撃が繰り返される。盾のむこう側とこちら側で叫び声が上がる、雄叫ウォークライはどこまでも大きく木霊する。森全体が震えているようだ。大地が震えているようだ。炎と光が渦巻くのが見える。雷光が森を照らす、吐く息が白く、若者の身体から湯気が出る、盾のむこうで倒れた敵兵士の腹からも湯気が出る、火の粉が散り、この寒さの中を無数の蛍が舞っている。

 守って下され、若人たちを守って下され、父祖よ、守護神よ、どうかどうか若者たちをお守りくだされ――。

 轟音が響く。大地が鳴動する。この音は継手殿の?


 すくませていた身から、僅かばかり力を抜き、そっと見上げた視線の先に、黒い魔人が歪んだ巨躯を現していた。

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