第46話:夜戦、魔導光。
冷え冷えとした夜風が当たる。
俺たちは「五の関」から敵陣の篝火を見下ろしていた、果国の兵は休息を取っており、俺たちは襲撃のための仕込みで待機中だ。
俺はヒトガタのコックピットで目を閉じていた。同調は最低限に抑えている、それでも夜風の冷たさを皮膚に感じ、ヒトガタの唸り声が脳裏に響いてくる。俺のヒトガタとスルトのムスペルからの敵意、それが始終、決して止まらぬ不快感となって俺の脳と神経を揺さぶり続けている。俺は猛るヒトガタを押しとどめる、何がそんなにこいつを興奮させているのだろうか。余分な力を抜くようにと俺は自身の心で語りかけ、押しとどめる、そして俺は消耗する。まったく手間をかけさせてくれる――いかん、俺自身がイラつき始めると制御が離れる、ゆっくりと穏やかに呼吸をして、もう一度、コンディションを待機にと意識を向ける。俺の大脳と小脳、そしてヒトガタの流体神経回路、が溶けあい穏やかになるように。原初的攻撃本能を穏やかに宥めるために。
夕暮れ時のバルドルの提案は、俺の立案と組み合わさり、すぐに準備が進められた。
決死隊に参加する腕利きの戦士たちは、皆、顔に手足に身体にと、泥と炭とを混ぜたものを塗りたくり、まだら模様の迷彩を行って、にやりと不気味ともコミカルとも言える笑みを俺たちの瞳に残して、一足先に峠を降りて行った。今頃は敵の野営場所から少し離れた場所にある「隠し小屋」にて分散待機に入る頃だろう。
決死隊には隊長格の戦士がほとんど全員参加という構成になった。もし、彼らが全滅するようなことにでもなった場合には、関における防衛指揮も覚束ないことになる、が、ここで出し惜しみをしていても俺たちは確実に摩耗しすり潰されるだけだ。皆がその状況を良く理解し、今回の作戦に臨むことにした。砦に残る者たちは、ただその経緯を見守るしかない。そして明日の防御に備えるだけだ。
決死隊の構成は二隊となった。そのうちのひとつをウルが、そのうちのひとつをヴィーダルに指揮してもらうこととした。バルドルには別の仕込みを頼むことになったため、決死隊を指揮出来るほどの技量と信頼という点でそうなった。バルドルとヴァーリの不在はとても大きい。完全に主力を指揮できるほどの器量と人望ある者、そういう者はそうはいないのだ。まして、突然の立案に応えれるほどの度量も。
高齢で、膝を悪くし引退をしていたはずのヴィーダルを引っ張り出すのは心苦しかったが、起死回生の作戦では仕方がない。俺はコックピットで苦々しく唇を噛んだ。ヴィーダルは言ってくれた。
「儂の隊には頼りになる副長も若者もおる、彼らに力を貸してもらえるなら、儂でも十分に勤めを果たせるだろう」
そう言ってくれた。彼の膝関節はひどく損傷していると聞いている、歩く程度ならともかく、峠を駆け下りるのは、どれほどの作戦行動になるのか予測がしにくい状態は辛いはずだ。俺はせめてもの償いとばかりに、ありあわせの木綿布でうろ覚えのバンテージ技術を彼に行ったが、どこまで痛みを軽減してくれているだろうか。ヴィーダルは軽く膝を動かして
「継手殿はいろいろと不思議な技術を持っておられるな。それは戦場以外でも重宝する大事なものだ、若者は往々にして生き急ぐが、決して御身を軽く扱ってはならん、年配者からのせめてもの餞別と思ってくれ」
そういって穏やかな笑みを俺にくれた。日焼けした浅黒い肌、皺が良く浮かんだ口もと。ヴィーダルの老け顔が作る笑顔はなんとも穏やかだ、どうしても年かさに対する安心と親しみを持ってしまう。しかし彼と俺との年齢差は二十そこそこに過ぎないはずだ。人生の大半を強い日差しの下、風雪に晒して来た人の顔は思いのほか老けたように見える。野外経験が彼の顔に皺を刻み、彼の精神と肉体を強固なものとし、人格を頑健にしたのだろう。ただ見た目が若いだけの俺を、若者として扱う彼の包容力に対し、俺は「ありがとうございます」という何の変哲もない言葉を返すだけで精いっぱいだった。彼は笑って峠を降りていった。
彼らを見送り既に一刻(2時間)、順調にいけばそろそろバルドルの仕込みも終わる頃だろう。俺は振り返り、山頂の砦を仰ぎ見る。バルドルは無事か、無事に役目を果たせているだろうか。
あと半刻(30分)だけは待てる。夜更けの半月、あれは「上弦の月」とか「弓張り月」とか呼ぶのだったか。この世界に来てもう何度あの月を見たことだろうか。月の周期は29日か30日だったか、なら俺はここで既に6~7回はあの月を見る機会があったはずだが、もう細かいことは覚えていない。ただ幾度か、月明かり下、月を眺めながらを戦士たちと酒盛りをしたことを思い出す。話の内容は馬鹿話ばかり、たいていは食い物と女の品定めと意地の張り合いばかりだった。楽しかった。どいつもこいつも皆、陽気で気の良い奴らばかり。
一瞬、暖かな記憶が甦る。そして思い起こす。彼らのうち何人が死んで、これから何人が死ぬのだろう。あの月が山影に隠れた頃、夜が深まった頃に俺たちは襲撃をかけるのだ。俺のヒトガタは一気に「五の関」から飛出し敵の駐屯地を襲う。決死隊はそれに呼応し、混乱が誘発される敵軍の動きのスキをついて敵兵の頭を狙う。バルドルの支援があれば十全な攻めを行えるはずだ、そしてもし俺が倒れてもバルドルがいるのならば――。
そう想いを巡らせていた最中、敵の駐屯地周辺で奇妙な動きが見えた。篝火の一部が動いている。何だ? 山狩り、いや森狩りというべきなのか? まだ攻撃のタイミングではないのに決死隊の位置がばれたのか? いや決死隊は陣の側面を抜け、やや後方に位置するように指示をした、篝火は峠に向かってまっすぐと近づいてきている。進軍? いやそれにしては小規模だ、捜索なのか?
――最大同調、暗視と遠望を最大限に――。
見える、俺の視力は鷹の眼のように、遠眼鏡を通したように遠方の光景をくっきりと明確に脳理に映し出した。揺らめく篝火の明るさが俺の視神経に焼くような刺激を与える。その痛みと不快感を堪えて俺はその先を、その周囲へと視点を動かした。もっと、もっともっと先だ。兵士たちが何かを探している? 追っているのか? 誰を追っている? 決死隊ではないようだ、逃亡兵か? 今回の関攻めでは兵の損耗は少なく、厭戦気分に陥っている者はそういないと思っていたのだが、寒さが厳しくなり、ついに逃亡兵を出し始めたのかもしれない。だとしたらそれは俺たちに好機を生んでくれていると言える。しかし、なぜ逃げ出す方向が『こちら側』なんだろう? 逃げ戻るならば向う側へ行くものでは――。
追われているのは若い男のようだ、細い体躯に明るい髪色、結び髪、見慣れた戦士階級の髪型だ。
「火が」「なんだ?」「何が起こっている?」「どれ?」
五の関に詰めている戦士たちも敵陣の変化に気が付き始め、囁き声をあげて蠢き始めた。少し静かにしててくれ、音を拾う。最大同調の方向を限定化し遠方へ、篝火の周辺を中心に――唐突に脳裏に画像が炸裂した! 最大同調の逆側、俺の背後からのイメージだった。まるで太陽を打ち上げたような激しい光が俺の脳理に炸裂し、多くのイメージが奔流のように流れ込んできた。
真っ先に見えたイメージは峠の頂上、崖っぷち、初冬の冷えた風が吹き付ける見張り台で、膝立ちになって祈りを捧げる少女の姿だった。全身を覆うのは秘文様、薄い緋と白の布の祭事服、乾燥した冷気だらけの風になぶられる細い体躯はいまにも吹き飛ばされそうだ。艶やかな黒髪は風にかき乱され、細いうなじと薄い肩はむき出しになって痛々しく闇夜に白く輝いていた。いつも子猫のように変化する魅力的な黒い瞳はいまは閉じられている。一心に何かを祈っている。少女はイトゥンだった。
何を? 峠の見晴らし台でいったい何をしている? 魔導を行っているのか! 何故!
そう思うと同時に流れ込んできたのは多種多様な場所での光景と、そこにいる者たちが感じている感情とイメージの奔流だった。
カラクリ台に据えられたコックピットに乗り込んで脂汗を流しているのはバルドルだ、焦っている、理解しようと必死なのだ。そんなバルドルを補佐するため、傍に立っているイズナの真摯な祈りと感情が流れ込んできた。ニョルズはスュンとシェヴンと共に武具と簡易食料の準備と点検で大忙しのままだ、もう何日もまともに寝てはいまい。フレイは動揺著しい若年層の戦士たちに祝福の祈りを捧げている、疲労を隠し穏やかな笑みだ。社と里では婆さんとクナが、不安におびえる里人たちの肩を抱き、励ましている、から元気だった。包帯姿のヴァールが館の中央で泰然と座り、里人の陳情とも言えぬ愚痴と不安を捌いている、彼は背中に大きな裂傷を負って発熱をしているのに、その痛みも倦怠感も表情に見せてはいない。脚下の関では猛る気持ちと恐怖を押し殺す戦士たちの熱い息吹がふいごのように感じられる。眼下に見える森の中、息を殺し待機しているヴィーダルやウルたち決死隊の面々の息遣いと緊張が伝わる。そして、そして、森の中を疾駆し、逃げ回っているヴァーリ! 彼の激しい心臓の鼓動と哭き叫ぶような激情!
俺とヒトガタは唸り声を上げた。
驚きの表情を上げる戦士たち、足元から俺を見上げる戦士たち。皆の動きが、皆の心境と境遇が手に取るように一瞬のイメージで俺の脳理に叩き付けられた。イトゥン! お前が伝えているのか! 敵兵士たちの苛立ち、敵ヨトゥンの蠢き、大猿たちは不安がっている。そしてムスペルとその操者たちにある動揺と怒りが流れ込んで――スルト! その激しい怒りの理由はなんだ! お前の怒りの正体は何だ! お前とムスペルに貼り付いているその『肉芽』は何だ! その人面瘡のような『腫瘍』はなんだ! それがどれほど禍々しいものかお前は知ってるのか! それは忌まわしい禁断の肉体改造術だ、実用化に失敗し遺棄されたヒトガタと操者の強化法、ましてその肉芽は、異形の「空飛ぶ黒い蛇」のものではないのか! お前は、お前は、お前は! お前は本当に分かっているのか!
俺の記憶とヒトガタの記憶がごちゃ混ぜになって、大きな奔流となり流れゆく。あまりに膨大な記憶に俺の知覚は追いつかない。しかし、細切れの断片で見えてくるのは、かつて、初めてヒトガタに騎乗した時に感じた、ヒトガタの戦いの歴史だった。
――青いヒトガタ一族は黒いムスペル一族と永い永い歳月を争いながら過ごしていた。それは戦であり祭であった。戦であり生活そのものであった。一族の強さを示し、雄々しく生き生きと過ごすための行事にすらなっていた。父から、祖父から、曾祖父から受け継がれてきた連綿とした祭事。己の力量を示す力比べのような争い。殴り合い、投げ飛ばしあい、岩を投げあい、槍を振るい、剣を振るう。誇りと矜持の祭事。
ある時、その最中に突如として現れた「空飛ぶ黒い蛇」の群れ。炎を吐き、全てを焼きつくし、飲み込んでゆく、ただの破壊と暴力の波動。意地も意義も誇りも無い、ただ滅びをもたらす醜悪で一方的な――それは悪意だ――。
激しい怒りと不快さが俺の全身を覆った。俺は心のままの衝動の声を吐き出した。
「あそこに敵がいる!」
俺は叫んだ。
「あそこに味方がいる!」
俺は叫んでいた。
「森に、篝火の先に敵に追われた味方がいる! ヴァーリだ! 俺たちの仲間だ! もう奪いたくはないと、もう虐げたくはないと叫んでいる! 俺たちと志を同じくする仲間がこちらに向かっている!」
俺は叫び続けた。
「あそこには兄弟がいる! あそこには仲間が、同族がいるんだ!」
俺の叫びは止まらなかった。
「俺は行く! 彼らを救いだし、敵を倒す! 奴らを里に入れたりは絶対にしない!」
俺は全身を包みこむ情動に突き動かされるように夜空に叫び声を上げ、崖を飛び降りた。俺の脳理にはイトゥンとイズナとフレイとスュンとシェヴンとクナがいた、婆さんがおり、バルドルがおり、ヴァールがいた。このままではヴァーリが捕まってしまう! ヴィーダルとウルが巻き込まれる! 危険だ! 一刻の猶予も無い! 導き出される演算結果、あと、3分15秒での接敵! 敵を駆逐しなければ!
激しい落下感覚、胃を打つような衝撃、激しい吐き気と背骨が砕けるような振動、脳髄が痺れる、手足の先が急激に冷えてゆく。その後に連続する上下振動に全身をシェイクされながら駆けた、駆けた、駆けた――。視線はただ一点に集中している。あの火だ、あの火の囲みの中にヴァーリがいる! その先にはスルトが、ムスペルが、そして『ヤツ』がいる! 木々の間を抜け、下ばえを踏み分け駆け抜けながら、俺とヒトガタは駆けた。急がなければ! ヴァーリを救うんだ! ヴィーダルとウルを助けるんだ! スルトを倒さなければ! ムスペルを引き倒し、『ヤツ』ヲ滅ボシテ! 我ガ一族ノ恨ミ! 我ガ一族ヲ紅蓮ノ炎デ焼キ尽クシタ『羽根付キ』ヲ『黒キ蛇』ヲ倒ス! 全テヲ紅蓮ノ炎デ焼キ尽クス! イトゥン! もういい! 同調はもういいんだ! 俺の脳裏と胸の中に続々と流れ込むナニカがある。この戦場の全ての者たちの抱く、不安と焦燥、痛みと怒り、悲しみと熱望が流れ込む。倒シタイ、生キ残リタイ、楽ニシテクレ、ナゼ自分ハコウモ不幸ナノダ、ナゼ思ウヨウニハ生キラレヌ!
俺は声を上げていた、雄叫を上げていた。樹木を蹴り倒し突き進む、俺とヒトガタは紫電を纏っていた。視界のあちこちでスパークが奔る。そして、俺とヒトガタを包むように、この戦場を包み込むように無数の光が舞っていた。蛍のようなイトゥンの魔導光が踊っていた。