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第44話:別離、似て非なる。

【44】


 ヴァーリは穏やかな笑みを浮かべている、しかし身にまとう雰囲気はいつもの穏やかなものではなかった、一時収まった剣呑な雰囲気が俺たちを包む。門番役の戦士たちも身構えていた。俺も抜きはしないものの剣鉈の柄から手を離せない。ヴァーリの背後で捕虜たち、今は敵の兵士たちと呼ぶべきだろうか、彼らも槍や棍棒を手にして門を囲うように動き出した。どうする? 4対13、とてもではないがここでは防ぎきれない。俺がこの場を離れてヒトガタに乗り込むまで戦士たちは兵士を食い止めることができるだろうか。兵士たちの体調は決して良くはないように思える。いや、やはり数が数だ、とてもではないが食い止めることは不可能だろう、一斉に襲いかかられたらひとたまりもない。ヴァーリの力量はどうだったろう? 平均よりは上、上位者の下といったところだったと記憶している。戦士の力量としては抜群ではないものの決して低くない、彼は戦士長の補佐役を務めていたのだから。彼はこの状況を十分に生かしきることだろう。高まる緊張感、噴き出す冷や汗、そこに背後から唐突に声がかけられた。


「イズナはもうここにはいない」


 額からぬめる汗が垂れる、一閃触発というタイミングでの声。


「巫女たちはもう裏手から逃がしたもの」


 俺たちの殺気に対し無頓着に、平坦で淡々とした声がそう告げた。身体をずらし横目で確認すると、後ろ手で社から静かに歩み寄ってくるイトゥンの姿が見えた。足音ひとつない。俺が驚きの声を上げる前にヴァーリが返答した。


「これは姫巫女殿、わざわざどういう意味ですか?」

「意味などない。イズナもお婆も、女官たちも逃がした、もう捕まえられない。良くない気配がしたから」

「なるほど、姫巫女は心を読む、既にお気づきであったと」


 イトゥンがこくりと頷く。そして俺を見た。彼女の静かな瞳が俺を打つ、ひんやりとした感覚、俺の頭に冷静になれと言う気持ちがこみ上げてくる。イトゥンが言葉を発する。


「だから社を襲っても、もう得るものはない」

「どうでしょう? ここに火にかければ里の者たちは戦意を失うかもしれません。何より巫女なら姫巫女殿、貴女がいるではないですか?」


 ヴァーリの発言を受け、俺の中で何かが灯った気がした、抑えきれないその衝動は殺意だった。俺が唸り声を上げてヴァーリに飛びかかるその前にイトゥンはするりと返答した。


「私は果国との交渉には役に立たない、その前にすぐに使えなくなる」

「どういう意味でしょうか?」

「果国の軍勢と合流する前にわたしは死ぬ」


 物騒な予言を放った。俺もヴァーリも戦士たちも声が出せなくなった。ひんやりしたものを胸に感じた。


「……丁重にお連れするつもりでしたが?」

「わたしは死ぬ」


 ヴァーリの発言に対し、穏やかに、淡々と、イトゥンは告げていた。予言ではない、それは確信であり意志だった。俺は感情を表さないイトゥンの瞳にうすら寒いものすら感じた。先ほどとは違う、別の緊張感が俺たちを包んだ。俺はその感覚を全身で受け止め、腹にずしりと抱え込んだ後で、おおきく息を吐く出した。そして大仰な仕草でヴァーリとその背後の兵士たちに告げた。


「やめだやめだ! お前らはこの里を去りたいだけなんだろ? だったらもういい、行けばいい」

「どういう意味です?」

「どうもこうもない、俺たちは邪魔しないから、さっさと立ち去ればいいと言ったんだ」


 俺の弛緩しきった発言にヴァーリが食いついてきた。


「後ろから襲撃されたら我々はどうなります? 峠の砦に詰めている戦士たちと挟撃をされたら?」

「お前らがこれ以上何もせず、ただここを立ち去るだけなら、もう俺たちも何もしない。約束する。なんだったら峠の隊長宛てに『通行証』も作ってやる」


 俺はイトゥンに向かって言った。


「その手にした包みは俺のモノだな? ちょっと貸してくれ」


 イトゥンが後ろ手に持っていたものを俺に差し出してきた。ノートと筆記具だった。俺はノートに『通行許可』と書き記した後で、ちょっと考えて、おおきな二重丸と、山の稜線と建物を書き足した。そこを越え、人の列が通り抜ける、簡易な絵とも図案ともいえないものを書き記した。まるで子供の落書きだ。


「これで砦の戦士たちは分かってくれるだろ。お前たちは砦を抜けて偵察に行くんだ、その内容をここに記した」


 俺はノートの頁を切り裂くと、ゆっくりとヴァーリに近づき書き留めたものを差し出した。


「なんとも不思議な文様と絵図ですよね、こんなものを記せるのは貴男だけですよ」


 しばらく俺の渡した紙片を眺めた後でヴァーリは言った。苦笑したような、なんともくすぐったそうな笑顔だった。一瞬だけいつものヴァーリの表情に戻ったように見えた。


「偵察隊を出すべきだと貴男は皆の前で言っておられましたしね。そこでこんな奇妙なモノを示されたら――」

「ヴァーリが説明すれば通してくれるだろ。それに彼らは果国に戻りたいだけなんだろ? ここと砦で争って、全員が無傷で無事に帰りつけるとは限らない。俺たちは出てゆく者を襲わない、だから、お前たちも峠の戦士たちを襲うな」


 俺の発言をヴァーリは黙って聞いていた。しばらくの沈黙の後で口を開く。


「手際が良いですよね」


 ヴァーリは首を振って呟いた。


「どうにもうまく乗せられた気はします。けれど貴男の言うとおりだ」


 そして後ろを振り返ると告げた。


「行きますよ! 無事に砦を抜けられる段取りが付きましたからね!」


 兵士たちはしばらく戸惑った表情を浮かべたが、やがて安心したような表情に変わるとぞろぞろと峠へ向かって登って行った。僅かに社を襲撃することに期待する瞳を浮かべた者ものいたが、大多数はほっとした表情だった、彼らも連日の重労働をしていたうえでの行動だ、疲れることや危険なことは願い下げのはずだ。兵士の集団が峠道に一列になり歩み始めても、ヴァーリはまだ残っていた。


「継手殿にも姫巫女にも敵いませんね。本当ならここで無理をしてでもあなた達の命を奪うべきなんでしょうが……、それをしたとして、果国が手土産とした大きな功績に認めてくれそうにないので止めておきます。こんな気分にならないために、海社に残っていると踏んだ上で行動に移したんですが、計画というのはその通りにはうまく行かないものですね、本当に」


 ヴァーリはそう発言した後、少し遠くを見た。そして


「バルによろしく」


 と言うと身を返した。

 ヴァーリの、力の抜けた発言にどことなく哀愁を感じた。最後に発した言葉に、やるせない哀切を感じた。俺はそれに気が付かない振りをして言った。


「何か他に、皆に告げることなどはあるか? 聞いておこう」

「ありませんよそんなもの」

「そうか――」


 俺は深く深呼吸した。背中を向けたままゆっくりと歩むヴァーリに対し、俺は峠へ向かう道を指し示して言った。


「――ヴァーリ、お前がもうこの里にいられないというのならそれは仕方がないことだ。お前はお前の信じる道を、お前の信じる者たちと共に道を進むしかない。行くといい。お前はお前の信じる集団で生き、そこで自分の世界を見つけて――」


 ひと息で言い切り、深呼吸をしてから再度言葉を繋げた。


「砦の戦士たちを襲うことは許さない、砦を壊すこともだ。だが、里から離れたいと願うのなら、それを止める力は俺にはないんだ。お前の生き方はお前が決めるしかないんだ」


 そう告げ沈黙した俺に対し、ヴァーリが確認をしてきた。


「背後から襲いはしない、砦の戦士と挟撃もしないんですよね?」

「戦士として約束する、しない」


 俺の言葉を飲み込んだように確認するとヴァーリは再び歩き始めた。俺は小さくなる背中にもう一度声をかけたいと思いながら、もう、何も言うべき言葉がないことに動揺した。思わずついた言葉で声をかけた。


「なあ、ヴァーリ! お前はもともと砦を『すり抜ける』算段だったんだな?」

「――砦を破壊しておきたいなとは思ってましたけどね、無理なら『偵察に出る』とは言おうと思ってました」

「計画通り、という訳だな」


 笑おうとした俺の笑顔は変に歪んだ。そんな俺に対し「そうですね」と苦笑気味のようなヴァーリの声が聞こえてきた。


「約束、お願いしますね」


 最後にヴァーリはそう言うと、すこし先で待っている兵士たちに向かって「これで完全に話はつきましたよ、出発です!」と声を上げた。兵士たちは怪訝そうな顔をしながら、とりあえず争わずにすんだことで完全に安心したようだった。

 彼らの背中が小さくなる。

 彼らはこれから果国のテリトリーまで戻るのだ。粗末な飯と重労働で、決して体調が万全とは言い難いはず。これから砦も乗り越える。心理的なブレッシャーはかなりのものだろう。争いごとは少なければ少ないほど良いに違いない。たとえここが『社』だとしてもだ。俺を始め三人の戦士たちは死に物狂いで抵抗する気迫を示していた。少なくとも一人は道連れにする覚悟だった。その道連れの一人に、捕虜として弱った自分が当たらないという保証はどこにも無い、さすがのヴァーリも無理強いは出来ないと予測した上での『交渉』だったのだろう。何しろ偵察隊として従える戦士たちが傷だらけでは、峠を越える理由に辻褄が合わなくなる。


 俺はヴァーリの背中を見ながら思った。

 カリスマあるバルドル、現実面を良く抑えたヴァーリ、うまく行っている二人だと思っていた。しかし何か思うところがあったのだろうか。いや、そこに俺が割って入ったのかもしれない。常に二番手として脇を固めていたヴァーリ、彼が何を感じていたのか、それを「分かる」なんておこがましいことはとても言えない。でも、もし俺が、俺にかつて住んでいた世界で知り得た知識が無かったら、ヒトガタを操る力がなかったなら、ただ背の高い馬鹿力だけの男であったなら、もしかしたら俺はヴァーリと同じ風景を見ていたかもしれない。越えられない一番、どのように努力しても二番、そしてその二番手の立場も危いものとなり、親しい家族を失い、愛する異性を失い、頼るべき先が見つからなくなったとしたら――。


 ――分からない。


 分からないが、とても悲しかった。分からないことが悲しく、分からないままどうしていいか分からないことがもどかしく、そして痛かった。俺はヴァーリのことも好きだったのだ。彼の穏やかなしゃべり方、彼の人を魅了する笑顔が好きだった、細かいところに気を配る気遣いが嬉しかった。立ち振る舞いに優美なところがあり伸びやかだった。一緒に食事をした、一緒に訓練をした、一緒に火を囲んで語り合い、肩を叩いて笑いあった。仲間だったのに。


 俺たちは見えなくなるまで彼を見送った。



☆☆☆☆☆



 この反乱・逃亡計画により焼けた食料庫は1つだけだった、延焼は起こらなかった。他にあった発火箇所はボヤにもならないほど稚拙なものであり、そして、この火災での死者はひとりもいなかった。人々は燃えた食料を残念がったが、出来る限りの量は運び出しが出来ていたし、何より被害が少なかったことを喜んだ。そして反乱の計画に乗らず、残った捕虜たちがいたことを驚いた。一部の里人は残った捕虜を訝しんだが、捕虜の代表者が「労働で償うと誓った、それは守る」と告げたことで大多数の者はその言葉と行動を評価し、信じる気持ちを強く持ったようだった。


 そして、ヴァーリを見送った直後、山社の大広間に戻ると、婆さんをはじめ巫女と女官たちは皆すべて広間の隅に集まっていたことに驚いた。身を潜めているように寄り集まりながら、それ以上に囁き声で会話する姦しさに驚いた。隠れる気が本当にあったのか。何にせよ、山社から全員逃げ出していたというのは嘘だったのだ。


「裏道から、全員をすばやく逃がすなんて、無理」


 そうつぶやきイトゥンはにんまりと笑った。凄腕の交渉人っぷりだった。

 俺は事の顛末について緘口令を敷いた。真実を告げたのは婆さんとイズナ、そしてバルドルにだけにした。皆への動揺を最小限にするためだった。三人がどのように対応したか、俺は知らない。

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