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第39話:痕。

【39】


「一騎打ちには相応しからぬ状況になったな」


 それがスルトが俺に残した第一声だった。そしてひとこと周囲に告げた「撤退する!」そうスルトが兵士たちに発すると、兵士たちはは我先にと小舟にへと駆け出し、押し出し、乗り込み始めた。ムスペルはそれを見届けることもなく軽やかな足運びで海岸沿いを走り抜けてゆく、海岸の果てにそびえる崖へ、あっという間の疾走だった。俺のヒトガタはそれを追おうと一歩だけ前へと踏み出し、その歩みを止めた。追う必要はない、いや何より追うことは出来ない。ヒトガタの加熱と振るえは激しく、もう一歩だって進めそうになかった。俺はそれを隠すように、槍を振り上げた仁王立ちの姿勢から槍を下した。

 ムスペルは急角度と思われる崖を軽やかに駆け上がってゆき、すぐに姿が見えなくなった。姿が消える直前に思考波が俺のヒトガタに届く。


「次に会うときこそ一騎打ちだ――」


 ふざけるなこの野郎、何がが一騎打ちだ、今回のどこに――。俺はそう思考波を飛ばしたがそれがスルトに届いたかどうか定かではない。奴の気配は急速に遠ざかって行った。

 一方、兵士たちの撤収も鮮やかだった。遠浅の海岸からまるで孵化した子蟹が海へ向かうかのようだった。しかし船を押し出すとなるとなかなか大変だ、兵士たちのうち一割二割が戦士と村人に追い立てられ海岸に打ち倒されていた。また舟を漕ぎ出したとしても、沖にはまだ海社の船が数艘浮かんでもいた。特に一般的に見て大型船と言えるヴァールの戦船は、かなりの損傷を負ってはいたが健在であり、浜から逃走してゆく舟の幾艘かを追い立て、兵士たちを海に叩き落していた。やがて果国の舟の全てが沖合に姿を消すとどこからともなく「やったぞ!」「ざまを見ろ!」「二度と来るな!」「うわああーーー!」という声があちこちで上がり、やがては、大きな掛け声になって行った「やーっ、やーっ、やーっ!」「やーっ、やーっ、やーっ!」凱旋歌のような掛け声となって皆で唱和し始めた。

 沖合にいるヴァールの戦船や舟でも、舳先に立ち上がって、銛を手に、拳を突き上げている戦士たちの姿が見える。一段と大きな体のあれはヴァールだろう、額から血を流していたがその笑顔は晴れやかだ。その姿が徐々に近づいて来る。

 そして、長槍を手にしたまま固まったヒトガタの脚元にはバルドルがいた。


「――間に合ったか?」


 笑顔だった。バルドルは汗まみれの泥まみれで、全身から湯気が出るほどに熱気を放っていた、やり遂げた男の顔だった。俺は軋むヒトガタに細心の注意を払い駐機体勢を取らせると、正面扉を開けて彼の声の続きを聴いた。


「なんとか――、間に合ったか――。山社の里に戻ったら何でもねぇときた。クタクタだったが、イトゥンが早く海社へ行けと、せっつきやがるしよ。水の一杯だけ喉に流し込んで、あわててこっちに走ってきたら、海社が襲われてるときた。登山口に迫っていた、敵を何人か、切り飛ばしながら突っ走ってきたんだぜ、浜にはずいぶんと敵がいたもんだ――」


 呼吸を整えながらの台詞は若人らしい熱を持ち、太陽のような笑顔だった。俺は深呼吸をひとつして答えた。


「間に合ったよ」


「そうか」とバルドルは言うと、どかりと砂浜に座り込んだ。そして「もう、走れねぇぞ、もう動けねぇ」そして大の字になって寝ころんだ。引き締まった四肢に浜の砂が貼り付く、本当に全身に水をかぶったような汗だった。俺はバルドルの姿を見た後、周囲をもう一度見渡した。


 浜辺には多くの兵士が倒れており、また武器を放り投げて捕虜にもなっていた。兵士たちを戦士を始めとして、里の皆が取り囲んでいた。放棄されている舟も少なくはない、これは鹵獲船となるのだろうか、海社の里にとってひと財産と言えるかもしれない。少なくとも果国の兵団は船舶を半数以上失っているはずだ、ヨトゥンも四体が全滅、きっと大損害だ。ひと息入れる程度の時間はある。 


「ずいぶんと戦士を引き連れてきたな、砦の状況は――」

「敵なんざもういねぇよ、オマエが去るとオレらは鬨の声を上げて突撃した、すぐにヤツら、関を切ったように下って行ったさ。もちろん戦士は残してきた。死体を片付けて、壊れた柵を作り直して、見張りも立てれる程度には残ってる。オマエが峠道を蹴り崩しているしな、迎撃はやりやすそうだ。少なくともそうすぐには攻めてこねぇよ――」


 そうか、兄弟かれらは無事か。そう認識したと同時に、ヒトガタの聴覚が激しく振動を繰りかえすバルドルの心臓の鼓動を捕えていた。ものすごい心音だ、どれほど急いで駆け付けてくれたのだろう、ぎりぎりだった。あのタイミングでなければ、もしかしたら俺は――。


「ありがとう」

「やめろ、礼なんざ言うな」


 ひらひらと横に寝そべったままバルドルが掌を振る。「そうだな」と俺はちいさく答え、そして言った。


「ひとまず浜での戦闘も終わったようだ。残りの対処をお願いしていいか?」

「任せとけ、ってオマエは?」

「砦に戻る、約束しているから、顔だけでも出さんとな」


 そう言って俺は再度シートを固定するよう意識を集中した。ぎゅっと身体が締め付けられる。


「――なあオマエ、大丈夫なのか?」


 何がだ、とは答えられなかった。俺は意識を失った。



☆☆☆☆☆



 次に目を覚ますとそこは布で区切られた空間だった。仰向けに寝ていた俺の視界、布と天井の隙間から月が見える。ここは板張り家屋の一角であり、この家屋は屋根が破れているようだ。それでもきれいに掃き清められた床に、何枚もの布が敷かれ俺は寝かされていた。月は三日月で、確か下弦を越えての三日月だったか、おそらくそう長い時間は倒れてはいまい、せいぜい半刻(一時間)か一刻(二時間)かその程度だろうと感じた。そんなことを考えながら身体を起した。


「また倒れたのか……」


 ひとりごちる。今回の戦闘も過負荷は高く、連戦だった。とはいえこう倒れてばかりでは防衛が心もとない、皆へ心配をかけてしまう。もっと最後まで気張らなければ。そんなことを思いながら上半身を起こす、思ったほどに身体は辛くはない、握力もあり、意識もはっきりしている。大丈夫そうだ。

 俺は立ち上がった。うん、脚もしっかりしている、ダメージなどない。大丈夫だ俺はまだやれる。俺は仕切り布をずらして区切られた区画から――。


 イズナがいた。


 月明かりの下、色素の無い銀髪を輝かせて座っていた。じっとこちらを見ている。穏やかに微笑んでいる。音も無く、ただそこに座って俺を気遣っていたのか。いや待て、イズナが俺を治療したのか? 俺の身体の負担の無さはイズナの祈祷のおかげなのか?


「すまない、手間を――」


 俺はそう言った。イズナは瞳を閉じて「謝ることなどドコにもありませんよ」と言ってちいさく首を振った。その声音に慈しみの韻を感じた。心地よい声だった。だが、俺はそこに彼女が無理をしていることを感じ取った。良く耳を澄ませば、人の声、ざわまき声が聞こえてくる、そしていくつかのうめき声も。

 そうだ、ここはヴァールの館跡ではないのか。外にはきっと大勢の怪我人がいる、スレイやスュンやシェヴンはきっと忙しく傷の手当などをしているに違いない。疲れ果てた戦士たちへの世話もある、きっと忙しい。

 倒れた俺のため海社の代表者、スレイかヴァールか、いやバルドルかもしれないはわざわざイズナを海社まで呼ぶ手間をかけたのだろうか。彼女の祈祷を俺が独占したのだろうか。もっと厳しい怪我をした者もいるだろうに、もっと優先すべき物事は多くあっただろうに、俺が倒れてしまったから。


 力及ばなかったのだ。


 俺にもっと体力があり、もっと根性があり、もっと先を見通す力があったなら。もっともっときちんと時間をかけて、もっともっときちんと丁寧に指導を行い、様々な対策を練られてさえいれば、海社の登山路で、浜辺で、大勢の戦士が死ぬことは無かったろう。怪我人も多く出すことは無かったはずだろう。

 説明をするべきだったのだ。ヨトゥンのような巨人と相対する際の心構え、弱点、迎撃用の罠の使用方法について、海社の戦士たちにもっときちんと説明すべきだったのだ。巨大な人形が迫る時の心理的動揺や戦士の矜持や地形的な様々な要因を含めて、もっと予測し、もっと丁寧に! もっと上手に!


 次に頑張ればいい? 誰だそんな腑抜けたことを言う奴は、次など欺瞞だ、次など無い、死んでいった者に次などは無い!

 俺がもっともっとうまく事を運べてさえいれば! 俺にもっともっと力があれば! なぜ足りない! なぜ俺の知恵や身体や体力はこうも足りない! 


「貴女が慰めてくださることは感謝する、だが、問題から目を背けては――」


 いけないのだと、そう伝えようと、俯き気味に声を出した時、唐突に両の肩を掴まれた。ぎりりと力強く、細い指が俺の肩に食い込む。突然の痛みに俺は顔を上げた、目の前には怒りに燃える紅い瞳があった。激しい炎を見た。


「継手殿は頑張ったのです、里の皆を救ってくださったのです、それで良いではないですか! 笑顔を向けるのです、救われた命を祝福するのです、それでなければ生き延びた人々は救われません!」


 両の肩が痛い。


「それとも、継手殿は力を惜しんだのですか? 怠惰にすごされていたのですか? 違うでしょう! 誰よりも誰よりも頑張ったのでしょう! 峠を守り、浜を守ったのでしょう! 胸を張りなさいっ、誇りなさいっ、あなたは里を守ったのです。どなたにも出来ないことを成し遂げたのです!」


 両の肩と胸が痛い。俺の口からこぼれる。


「次は、成し得ないかもしれ――」

「次などどうでもいいのです!!」


 怒鳴られた。先のことなどどうでもいい? そんなことがあってたまるか! 俺は、俺たち指導者たちは常に――


「今は、今だけは喜ぶべきなのです! 救われた方々と、その喜びを分かち合うべきなのです! 明日を見るのはそれからです!」


 がつんと何かに叩かれた気がした。そうだ、周りを見ろ、俺の気持ちはどうでもいい、まずは周りを見ろ! 悲しんでいる者を悲しませたまま放置するのか、できるのか、して良いのか。落ち込んでいて何が変わる? いま俺のすべきこと、それは何だ!

 俺は深い深い深呼吸をひとつした、そしてイズナに対し、心を込めて告げた。


「ありがとう、俺を癒してくれて。ありがとう、俺の役割を思い出させてくれて」


 笑顔だった。



☆☆☆☆☆




 すぐに俺はイズナと別れて皆を見回った。俺の仕事だ、里の指導者の一員として、戦を指揮する者の一人として、やるべきことだ。

 怪我をした戦士たちひとりひとりと向き合う。肩を叩き、傷の状態を確認する。彼らから声が返る。「面目ねぇ――」「助かりました――」「今度はうまくやってみせる――」「大したことはないでずぜ――」戦士たちの、男の、見栄と気概が返ってくる。幾人か深刻そうな表情で黙り込む者もいた、当たり前だ。きっと大事な者を亡くしたりしたのだろう。その時、俺がかけることのできる言葉は一つか二つだけだ。


「良くやってくれた、しっかり怪我を治してくれ」

「怪我が治ったら、また頼む、頼りにしている」


 それ以外の何が言えるというのか。彼らの傷の深さを推測すらできない。それでも、伝えるべきだと思った。「いまお前は生きており、俺も生きている」それを俺がきちんと伝えなくてはいけない。そうだ、俺たちは生きている。今も、これからもだ!


 戦士たちへの労をねぎらう周回を終えたら、次は住人達へと向かい合う。

 より笑顔に気を使う、強く、優しく、頼れるような笑顔をするのだ。俺は声をかける「苦労を掛ける――」「身体を大事にしてくれ――」「何か困ったことは無いか――」そう言いながら俺にできることは何もない。ただ訪ねて聞くだけだ、機会があれば巫女見習いたちに伝えるだけ、俺が出来るのはそれだけだ。だが、聞かなくてならない、彼らの不安と恐怖と焦燥を受け止めるのが俺の役割だ。吐きだぜ、その動揺と不安と哀しみと怒り、ぜんぶ受け止めよう、ぜんぶ被ろう、それが俺の仕事だ。泣きながら感謝を述べる老婆、泣きながら復讐を誓う母親、表情を消し全身をおこりのように震わせる子ども、その心の底で、その全身で叫んでいる、なぜだなぜだなぜだ――誰もが叫んでいる、なぜ大事な人が死ぬのか、なぜ自分が生き残ったのか、なぜだなぜだなぜだ――。


 全ての周回を終えた後、俺は水場で頭から水を何度も被り脳みそと身体を冷やした。あらゆる感情が自分に放射され、俺の脳髄から全身から熱を発しているように感じられた。ため息すら熱い。それを冷水で冷やす、もう夏だ。充分に身体を冷やしたのち、俺は先ほどの布で区切られた一角に戻った。もちろんもうイズナはいない。彼女もどこか別の場所で休んでいるのだろう。そろそろ夜明けの気配すらある、空がうすく蒼みを帯びる頃あいだ。少しでも身体を休めておかなくては、明日もやらねばならぬことは多くある。そう思いながら布を捲りあげた。


 イトゥン。


 小さな体躯はまるで子ウサギが、子ギツネ、イタチのようだ。先ほどの俺の寝汗が染みついた上掛け布から、するりとした細い上半身を出して、目をぱちくりと開けてこちらを見ていた、黒くきらめく瞳がまっすぐにこちらをみていた。割れた天井から、壁の隙間から、蒼い朝焼け前の光と空気が手を伸ばしている。その中、彼女の肌は白く浮き上がり、きれいな瑠璃ガラスのような瞳と、なめらかな大理石像のような頬と肩口がくっきりと浮かんで見えている、俺は放心したように立ちすくんだ。

 イトゥンは動かない。本当にイトゥンか? 石像のようだ。だが、室内にこもった少女の香りが俺の鼻孔を動かした、いる、彼女は生きてここにいる。


「来てくれていたのか――」


 そういって俺は部屋の片隅にどかりと座り込んだ。身体が重い。ため息をひとつついてからイトゥンの顔を見て口を開く。


「狼煙と、指示をありがとな。おかげで海社に間に合った、里の人たちも少しは救えたと思う」


 背中に壁板を感じながら俺は呟き続けた。


「わざわざ来てくれたのか、そうか、怪我人のためだね、うん、助かるよ――」


 疲労が肩と背中に重くのしかかる。


「でも、ここは駄目だぞ、ここは俺の休憩所でな――」


 彼女の顔が横になる、俺の身体が横に流れていた。疲れた、もう本当に疲れたんだよイトゥン、頭も身体も動かないんだ――、俺の側頭部は床板に触れた。固い感触がする、でももう動きたくない。イトゥンだってわざわざここまで来たのだ、治療のための協力は明日からだって良いだろう、何もここで小言を言うことはない。俺も少し休んだら明日はまた――、ぼやける視界と思考。もう頭が働かない、というより全身が重すぎる。夢うつつで月明かりを帯びた白いもの囁くのを聞いた。


「お疲れさま。でも御使いさまは朴念仁。自分の気持ちを口にしないのに、人の気持ちも口にしないと分からない。なぜわたしがここにいるのか分かってない。――でも、だぶんわたしは分かる。分かってあげられる。御使いさまは、いま、疲れている。すごくすごく疲れている――」


 白い小動物が囁いている、うん、疲れたよ――。


「とてもとても頑張って、とてもとても無理をした。だから眠っていい、ゆっくり休んでいいんよ、いつだって傍に――」


 頭に何かが触れる。細く冷えた指先が俺の髪をかき分け、俺の頭皮に触れる。撫でられた。髪を梳かれている。なんということだ、俺は一回り、いや二十ほどにも年下の子どもに慰められているというのか。なんてざまだ。だが、今の俺はそれを見栄で吹き飛ばすだけの体力も気力も無かった。白い不思議な生き物の指先とささやき声のなんと心地よいことか。ああ、気持ちがいい、どうかそのままで――。細く繊細な指はなんども俺の髪を梳く。指先のやわらかな感覚、あまい香り、心地よい感覚、俺は意識を手放した。


 俺は、帰りたいよ――。

 ――ドコに?

 どこかな、どこか休める処がいい、ゆっくりと――、ああ――、帰りたいんだ――。

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