第38話:奮戦、海岸。
【38】
俺は海岸に躍り出ると、速度を上げて駆けさせた。
まずひとつめの目標は兵士たちだ、集結している兵士の隊列めがけ、ヒトガタの体勢を低く構えさせて突っ込んだ。兵士たちは俺がかなりの距離にい近づくまで、ぽかんとした表情でこちらを見ていた、もしかしたら最初に俺が弾き飛ばした兵士は最後まで何が起こったのか気が付かなかったのかもしれない。
ヒトガタに長槍を正面横一文字に構えさせ、タックルの姿勢で突入させると、兵士たちの肉が割れ、骨が砕け、臓物と脳漿がはじけ飛ぶ光景が正面映像板と脳裏映像に映った。俺の四肢にも感覚が奔る。両腕に柔らかいものが当たり砕ける感触、不快感と高揚感が同時に押し寄せ、俺の意識は遠くなる。まだだ、まだ意識を手放してはならない。まるで耕耘機のように、ラッセル車のように、俺は突き進み粉砕し踏みつぶしていった。
ヒトガタが隊列をすっぱり二分する頃には兵士たちは悲鳴を上げて逃げ惑っていた。ここで転身し兵士を殲滅すべきか――いやその余裕はない。俺は駆け抜ける速度を落とさず駐機体勢のヨトゥンに向かって突き進んだ。脂でぬめる長槍を構え直し、槍先を正面に、そして今まさに立ち上がらんとしているヨトゥンに向かって軽い跳躍、槍先をヨトゥンの頭部に叩き込んだ。
『電撃』
ヨトゥンはその上半身から煙を上げて各坐した。すばやく槍を抜く、そして立ち上がった別のヨトゥン腹部に槍を叩き込む。柔らかな手ごたえ、ろくな外皮装甲を持たないヨトゥンはまるで熟した果実を貫くようだ。
『電撃』
ヨトゥンは腹の肉を弾けさせ煙を上げる。そこに背後から、がつん、とした衝撃を受けた。もう一体のヨトゥンがヒトガタの背中を殴ったのだ、だが予測済みだ――、足を踏ん張り一撃を耐え、槍を引き抜く姿勢をそのままに、槍の石突きで背後のヨトゥンを突き上げる。伸びあがる感触、そして俺は振り向きざまに長槍を横一閃した。ヨトゥンの首が空を飛んだ。
「戦士よ! 海社の民よ! いまだ、山に迎え! 海社に迎え!」
俺はヒトガタの首をめぐらせると外部スピーカで叫んだ。果国の兵士たちは混乱している、しかしその数はまだ多く、軽く見積もっても四百人はいるだろう、終結され組織だった対応をされたら、いま見張り台に避難している女性や負傷者も含めた数十名たちを守りきることは到底できそうにない。そして、俺の前にはもう一体の巨人――ムスペルと思しきヒトガタがいる。今はまだ、こちらに向かってきてはいないが、じっとこちらを見つめているのが分かっていた。
俺はムスペルに視線を定めながら、見張り台に向かって横走りで駆けた。見張り台の周囲をめぐる柵、その出入口前に滑り込むと、その前にまだ陣取っている兵士、見張り台の柵内を攻撃しようとしているのか、逃げ込もうとしているのか判別できない兵士たちに向かって長槍と脚を繰り出し吹き飛ばす。
「急げ! ひとかたまりになって駆け抜けろ! 海社では傷の手当てができる、戦士もいる!」
俺の声に反応し、見張り台の出入口が開かれ、老人や女性や子供が飛び出してくる。傷を負った戦士が脇と背後を固め、彼らは一路、海社の山へと向かって走り出す。いいぞ、走れ、走れ、走れ――。俺は彼らの周囲で駆け回る兵士たちを再度吹き飛ばした。
「相変わらずの無作法ぶりだな、ムメイセンシ――」
思考波が飛び込んできた。間違いない、集落の家屋を踏みつぶしこちらに向かってくるムスペルからだ。そしてこの声。
「思いのほか早い再開となったなヒトガタノリよ。忘れたとは言わさんぞ、スルトの名を――。そのような雑兵に構わず我と試合え、私と戦士の勲を交わしあえ。それともいまだ戦士の誇りを身に付けてはおらんか――」
俺は思考波を無視した。あえて沈黙で答える。今の俺は脚下の兵士一人ですら脅威だ、散れ――散るんだ、そして船に戻れ。行ってしまえ。お前らが棲む場所へ帰りやがれ。
だが、兵士たちは混乱しているが故か、それとも撤退命令を出す指揮者が不在になった故なのか、あちらこちらに散らばり、また集まり、山へ向かおうとしたり、山社へ向かう者を追おうとしたり、見張り台に駆け込もうとしたり、家屋へ逃げ込もうとしたりとしている。集落に逃げ遅れている者はいないのか、俺にはそれを確かめるすべもなく、ただ、目の前で山へと向かおうとする兵士たちを追い払い続ける。そして一番の脅威となるムスペルから意識を離すことも出来ない。
そしてムスペルはまっすぐとこちらに向かって歩みを進めた。ゆっくりゆっくり、家屋を踏みつぶしながら。
「よもやと思い、大王に願い出で、南遠征軍への同行をさせていただいたが、やはりこの里にいたのだなムメイセンシ! この里に語り継がれていたという巨人伝説は本当であった。好機! ここで先だっての屈辱を晴らし、巨人討伐の報告を大王にお伝えすることで、私こそが果国随一の戦士であることをあらためて大王に知っていただく! さあ、試合え!」
兵士たちの数は多く、完全に追い払うことは敵わない。だが、かなりの数を散らした結果、いま兵士たちは海岸部に集まりだしている。彼らはきっと船で戻るべきか、収奪を続けるべきかの判断に苦慮している、そして結論は、果国にとって最後の大型兵器たるムスペルの動向次第と言ったところか。しかしムスペル――スルトは兵士への指示をする意図はさらさらなく、ただ俺との再戦を望んでいるようだ。
そして俺は動きを止めた。何が戦士だこの野郎――。船を焼き、里を襲い、家屋を踏みつぶし、いまも気取った台詞を垂れ流し、悦に入っていやがる。あいつが今蹴飛ばしたのはヴァールの館だ。あの大広間で俺はヴァールと飯を喰った、その時誓った、槍を手にして里を守ると、大事な人たちの笑顔を守るのだと。
「この野郎――」
「相変わらずの無作法ぶりよ、第一声が、それか」
「家を壊すな。そこは人が住み、日々を過ごす場所だ」
「知らんな」
肉厚で巨大なムスペルは、大股に歩みを進め、がらがらと一段と大きな音を立てて家屋の破片を蹴り上げる。
「戦士には強さの証明こそが全てよ、日々の営みなどに構っている軟弱さはいらぬ――」
俺は怒りに震えた。お前だって飯を食うだろう、服を着るだろう、屋根の下で寝るだろう! それを支えているのは誰だ。誰なんだ! 戦士だと全てが許されるのか、傍若無人のそぶりも、また人を襲うことも!
しかしその怒りと相反して、俺の四肢からは急速に力が抜けてゆくのが分かった。限界だ。もう限界だ。ヒトガタから足の踏ん張りが抜けはじめ、手の握りは曖昧で、動きにキレがなくなってゆく――。コンディションは最悪に近かった。既に先ほどのヨトゥンへの跳躍でヒトガタの脚力が大きく損なわれていることに俺は気付いていた。その跳躍は鈍く、腕は一振りごとに重さを増した。峠での長時間待機の緊張と負担、海社へ向かうための疾走と限界酷使、それと並行し行った長槍の遠投、そして戦闘で数度『電撃』を放った、同調を無理やりに拒絶しての再稼働と戦闘起動――。もう限界だ。足が萎えている、各関節がガタついて動きがひどく鈍い、長槍を持つ腕は小刻みに震え、太腿も振動を発している、まるで筋肉疲労で震える肉体のようだ。あとどれほどの間、ヒトガタは動いてくれるだろう。
視界が歪む、急速に視界が狭く、暗くなってゆく、頭痛がして、集中力が続かない。
それに――俺はムスペルが恐ろしくもあった。俺があの時同様に戦えるとは限らない、奴はすでに俺という相手の手の内を知っているように思える、奇策をかける余裕は無く、仕込みも今俺には無い。確かに俺は長槍を手にした、しかしいま、長槍を使うにはエネルギー切れ寸前であり、電撃の攻撃がどこまで発揮できるか分からない。そもそもだ、あのような肉厚で強力型重量級のヒトガタに対し、俺の速度型中量級のヒトガタは真っ当に相手ができる機体なのか。それにしても、なんて身体が重いんだ。
狭まる視界の中、重たい脚をすり足でごまかし俺はスルトと対峙した。スルトはゆっくりと短槍を構えると俺を嘲笑するように言った。
「私を真似て槍を手にしたか、なかなかの品のようだな。しかし無作法なムメイセンシよ、槍の扱いでお前が私に勝てるとでも――」
びしりと穂先が俺を狙う。揺れなぞ微塵もない。むしろそれを見つめる俺の視線こそが揺れている、吐き気がする、がんがんと頭が痛い、呼吸は浅く、胃が重かった。
ひどく大きくムスペルを感じた。その圧倒的な力強さから、俺はつい目を逸らした、危険だ、視線を外しては。しかしその心の忠告に俺の肉体は従わない、俺はムスペルの背後に、遠くに視線を向けた。
揺れる視界に山々が見えた。
山の一角には山社の屋根があり、その向うに砦を築いた山の稜線が見えた。太陽が西に傾き徐々に力を弱め、夏の雲が薄くたなびく茜色に染まる空の下に、風景を区切る山の稜線があった――美しい光景だった。
血を流したような茜空だ。
夕焼けに染まるあの頂に砦がある。俺は約束した、約束した。必ず里を守り、必ず砦に戻ると。兄弟らの故郷を守り、再び兄弟たちのもとに戻るのだと。いま、まさに兄弟たちは戦っているはずだ、遠く見えるあの場所で、俺の目の前で戦っているはずだ! 傷だらけの身体に鞭を撃ち、残り少ない人数で、多大な敵に立ち向かっているはずだ! それなのに何だ、俺は何だ、泣き言を抜かすのか、逃げるのか、屈するのか、負けるのか、抗いもせずに負けるのか!
俺は長槍を大きく上段に構えた。
深く腹式呼吸、へそのあたりに力を籠める。気合を入れろ! 負けて堪るものか! 俺の気持ちをくみ取ってか、ヒトガタの人工培養筋肉がぐぐぐっと持ちあがるのを感じた、ヒトガタの肉体が膨らむ気配、全身全霊に力が巡り、びりびりと空気を振動させるような気合の声を発して、俺は槍を構え、力強く踏ん張った。
来い! 俺を突き刺しに来い! 奴が飛び込んで来たら俺は上から素早く突き返す。重量級のムスペルの突撃を止められはしまい、奴の槍は俺の腹部や胸部に迫るだろう、だが、俺の槍はより早く、より鋭く貫いて見せる! このヒトガタの速度と装甲板の強靭さを信じる。さあ! 来い! 突き刺しに来い!
ムスペルの動きが止まった、俺は力を込め対峙する。ムスペルが遠巻きに半歩下がる、俺は半歩進む。さあ、来い! 来ないのならこちらから行くぞ! 敵兵の残りは何人だ、五百か、六百か、七百か。ぼろぼろの砦と、疲れ切った身体で彼らは待っているに違いない、きっと待っている、俺は戻るぞ、いま戻るぞ、待っていろ! ムスペルはじりりと俺を周回する、俺はにじり寄る。ムスペルが再び遠巻きに周回する、俺はにじり寄る。
揺れる穂先の向うで、ムスペルの背後で、声が上がった。
海社の山の影から、山社の方角から人が駆けてくる、足音も勇ましく汗まみれの戦士たちが駆けてくる、十名や二十名の数ではない、百名ほどの戦士が、大きな大きな鬨の声を張り上げて駈けて来る。
礫が飛んできた、投石器だ。槍が飛んできた、投槍器だ。ばらばらと飛んでくるそれらはムスペルの背に当たり、かつかつかつ、という音を立てた。そして彼らの横、海社の山の斜面からも人が駆け込んできた。登山道を駆け下りて、傷だらけの戦士たちが傷だらけの武具を手にして浜を駈けてくる。駆け下りてきたのは戦士だけでは無かった。老人が、女が、子どもまでもが、手に手に銛や鋤や鍬や棍棒を手に駆け込んできた。誰もが鬨の声を張り上げて――。
ムスペルが身をひるがえし逃走した。




