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第37話:迎撃、海社。

【37】


 俺はヒトガタを休ませることなく駆け続けさせた。

 不安と焦燥、それを制御しようと己に言い聞かせるようにつぶやく声を止められない。大丈夫だ、大丈夫だ、だから、だから急げ――、押し殺す俺の気持ちに観応するかのように『ふいご』の唸りは高まる一方だ。全身が熱く、息が荒い、このままではヒトガタが過熱しすぎてしまう、しかし、今、止める訳にはいかない!


 まず山社を通過する。

 ここからは煙は上がっておらず、遠目から見ても被害は無いように見えていた。建物わきを走り抜ける際に、幾人かの女官が建物わきに立っているのを確認した、婆さんとイズナの姿があった。俺は何も言わず、手を上げる合図だけで通過した。ここは大丈夫のようだ、すぐに戦士――バルドルも駆けつける。俺が出る幕は無いだろう。


 次に山社の里を観察した。

 山道を下りながら観察する限りは、里の中に混乱は見当たらない。ただ、避難所広場の狼煙台からは、三本の白い狼煙が立ち上っており、確実に黒煙も広場の片隅から発生している。何が起こった? 何をしている? 火事のようには見えない、攻められている訳でもない、それにしても煙が――あれは、わざと生木を燻して黒煙を上げさせているのか?

 近づくと明確になった、火を付けた木組みに生木を放り込み、もくもくと黒煙を上げさせているのだ。その傍らにはイトゥンが立っており、里の女たちと一緒になって生木をくべている。俺はヒトガタを避難所に隣接させるように走り寄せながら、外部スピーカーで――。


「ここは大丈夫――っ! 合図で火をつけたの――っ、海社に向かって――っ! 敵が――っ、兵士と巨人が――っ!」


 俺が声をかけるより早く、振り返ったイトゥンが大声を出していた。きれいで高音なイトゥンの声は、遠く、ここまでくっきりと届いた。俺は驚きからせき込みそうな声で答えた。海社だと?


「わかった、すぐに向かうっ! イトゥンありがとうっ!」


 イトゥンは大きく伸びをして両手を振るう返信をしてくれた。

 小さい頭部から黒髪がたなびく。短めの衣の裾から白い脚がきりりと伸び、脚の付け根まで見えそうだ。ヒトガタの眼は驚くほど彼女の姿を明晰に捕えた。額と頬を煤煙で黒く染め、汗でまだらになってるというのにその瞳は光り輝いていた。命が光っているように見えた。俺は猛る心臓に別の鼓動がうずくのを感じた。なんたることだ、恥を知れ。しかし遠目から見ても目の毒ではないか。


 あのちいさな身体で彼女は良くやってくれているのだ、そしてよくまあここまで声が届くものだ。だみ声しか出せず、声の通らない俺は脱帽するしかない。確か軍記に「良く通る声は武将の必須条件」という記述を見た記憶がある。そうなると俺よりイトゥンの方が将に相応しいこととなる。カリスマ的に仕方がないが、それを認めるには俺の心は狭量だぞ。俺は強く凛々しい大人でありたい。

 あの黒煙は、砦へ、より早く気が付かせる余禄だった訳か、上手い機転だ。しかし、あまりに不吉な黒煙は、里に火つけがされたのかと俺と戦士たちの肝を潰した訳で、動揺も誘発した。今回の対応は褒めるべきか叱るべきか、微妙なところなのかもしれない。そのようなあやふやな思考と連想と共に漏れるため息のような深呼吸、しかしその直後、俺の全身を再び緊張感が奔った。


 煙が、数多くの煙が海岸部から上がっている!

 多いい! とても多いい! 海社の里の状況は深刻なのだ、気を抜く暇などない、早く先を急がなければ!

 俺はヒトガタを再加速させた。



☆☆☆☆☆



 木々を蹴り飛ばし、岩場を跳躍し、水路のような小川を三段跳びで駆け抜けた。高速移動をするヒトガタの脚は、山社の里を抜けてから僅か数分たらずで海社の里を目前にさせた。そして、その手前にある海社の山中にヨトゥンの姿を見た。既にここにまで!


 駆けるヒトガタのカメラは、登山道を登るヨトゥンに向かって、ばらばらと何かが打ち出されているのを映し出した。あれは、弓か、槍か――。駄目だ! 正面からまともに攻撃してはヨトゥンは倒せない、背後を、背中を狙うんだ! 首筋、脇の下、ひざ裏、足首を――、駄目だ、彼らは分かっていない! 正面からのみ攻撃を続けている! ヨトゥンは攻撃に構うことなく腕を振るった。木材と人が飛ぶ――! 関が打ち壊された、これ以上進ませるわけには、急げ、急げ、急げ――! 駄目だ、もう山頂の柵にまで取りつかれている、踏み込まれる! 


 俺は走りながら槍を構えた。

 駆け抜ける速さをそのまま助走とし、長槍を逆手に握り、大きく振りかぶった、しなる身体、軋む内部骨格インナーフレーム、そして、全身の力をギュッと溜め、一点に集中、ぶおんと長槍を投擲した。捻られた体幹が悲鳴を上げ、肩関節が抜けそうに痛んだ、発電板をスパークさせるほどの負荷をかけた培養筋肉からびりびりとした痺れが発生する。そして俺は再び駆け出し速度を上げ――、一気に斜面を跳躍した。両脚からも再度のスパーク! 限界酷使フルバーストだ、いまは、ただ、少しでも早く!


 俺が投擲した長槍は、夕焼けの空に向かってまっすぐに飛んでゆき、ふわりとした滞空をしたのち、ががんっとヨトゥンの横腹に突き刺さった。まぐれ過ぎる命中だった。限界酷使で投擲をした槍に残留した『電撃』の余波か、槍はヨトゥンを突き刺した際、一瞬光ると、ぶしゅしゅしゅー、とヨトゥンから白煙を上げさせて、その肉体を焼くのを見た。そこに俺は飛び込んだ。跳躍後の飛び蹴りを喰らわせて、各坐したヨトゥンを蹴り倒す。

 倒れる巨体、へし折れる樹木、流れる土煙、膝立ちのヒトガタ。


 そこに、フレイがいた。


 ヨトゥンが腕を振り上げていた、ほんの数メートル前。地面にちょこんと座り込んでいる様を上から見下ろすと、彼女の、女性としての細さと華奢な肩、豊かな胸などが妙に目につき、俺は彼女を壊しそうに感じて心臓を跳ね上げた。あぶない、もし僅かでも先ほどの動きがすれていたら、繊細な女性の肉体など消し飛ばしてしまうところだった。

 しかし、間に合ったのか、間に合ったようだ。

 彼女は無事にそこにおり――、いつもは深い色で潤んだ切れ長の瞳は、いまは大きく見開かれて驚きの表情、まるで幼子のように見えた、かわいらしくも見えた。何を迷い事を、こんな時にも邪念と欲望を垂れ流す俺自身に軽く軽蔑の念を送る。そして彼女に声をかけた。


「大丈夫、か――」


 思うように声が出ない。熱と緊張で喉はねばり、息が、切れている。全身もびりびりと痺れている。限界酷使フルバーストの余波なのだろう、荒い息。俺の呼びかけに、こくん、とフレイは首を頷かせた。俺は声を出す。


「遅く、なって、すまない――、怪我は、無いか――」


こくん。


「社の、内部は――、大丈夫か、敵兵は、いないのか――」


こくん。


「大丈夫、か?」


 俺は声のトーンを変えて再度尋ねた。いつものフレイではない。呆けているのか? 


「――大丈夫です」


 やっと声を聞かせてくれた。先ほどまで、まるで小娘のように見開いていた瞳は一度閉じられ、そしていつもの視線と雰囲気に戻った。大丈夫のようだ。


「では、海社は任せて良いか、俺はこれから里へ向かう、ヨトゥンが、巨人が来ているのだな――?」

「巨人は残り四体です。ただ、一体動きのすばやい巨人がいます」

「動きが素早い巨人?」

「お手を――」


 フレイは俺に腕を伸ばしてきた、俺はヒトガタの手を伸ばし、彼女の前に広げる。フレイは軽くヒトガタノ薬指に触れると、そのまま掌の上に身を乗せてきた。俺はヒトガタを立ち上がらせる。


 倒れたヨトゥンから槍を引き抜く。乗せたフレイを取り落とさないように気を使う。焦げかかった腐った肉の塊となったヨトゥンの脇腹から、ずるり、と長槍はすぐに抜けた。長槍を左手に、フレイを右手に、俺は海社の広場を歩んだ。視界のあちこちに避難してきた里人たちがひと固まりとなって集っていた。震える女に子ども、疲労の色が濃い老人、そして怪我を負った男と戦士たち、彼らを治療する女官や巫女見習いたち。


 皆が一様に動きを止め、こちらを、ヒトガタと掌に乗ったフレイを見ていた。

 俺は皆に何か合図をしようか迷ったが、両の手どちらも塞がっているためそれを諦めた、痺れはいまだに身体のあちこちに残り、声もうまく出せそうにない。今はフレイを揺らさぬよう、ゆっくりゆっくり慎重に広場を抜けることに集中しようと努めた。視界の隅で、怪我の治療をしている女官たちの集団の中にスュンとシェヴンの姿を見た。よかった、彼女たちも無事なのか。俺はすこしだけ彼女たちに視線を向ける、わずかに彼女たちの表情が緩む。

 ヒトガタは海側外周部に到達した。海岸部を睥睨する。敵戦力の確認をしなければ――。


 眼下の浜には大量の船舶が接舷された。里の家屋のいくつかが焼かれ、いままさに煙と炎を上げている。

 集落の離れに組み上げられた見張り台と狼煙台、その柵周りでは、大勢の果国の兵たちが集結をしているようだ、数はざっとみて四~五百名ほどか。ばらばらと里や船舶から集合を始めている。あれは、突撃や略奪をして暴れ回っていた者たちを再統制しようとしているのではないか? 兵士たちから少し離れた場所にはヨトゥンが三体座り込んでいた。周囲を何人かが硬め、長柄の棒か槍、縄などを使って、おとなしくさせているように見えた。まるで「もやい綱」のようだ。ヨトゥンは彼らにとって船か馬か、それとも戦象のようなものなのかもしれない。


 ヨトゥンは微妙な生き物だ。どの程度の知性と判断力があるのか、いまだに俺はよく分からない、しかし飼い犬程度の知性と判断力はあるのだろう。現にいま、動きを止めている。とにかく果国の兵たちはいまはひと息入れているところか。無事に接岸を果たし、改めて隊伍を組んで進軍するつもりなのだろう。そして最初の目標は――たぶんあの見張り台だ。

 見張り台にはまだ数十人の戦士や里人が避難しているように見える。柵を固め、防戦の意志がある。しかしあまり時間は無い、あの数とヨトゥンに攻め込まれたらひとたまりもあるまい。その前にこちらから打って出る!

 幸い山側がら俺はこの場所に来ていた。たぶん先ほどのヨトゥンは集結の前にはぐれ、そして里から死角になっている山周りの登山口まで避難民を追って来たのだろう。しかし今はそのような予測はどうでもいい、事は急を要する、こちらの姿が確認される前に、すぐに!


「お待ちを――、あそこです」


 唸るふいごに気が付いたのか、フレイは掌を向けてヒトガタのりきみを押さえ、すっと指先を延ばし指し示した。浜の船団のその向う、兵士の集結地点からも、ヨトゥン場所からも離れて一体、黒い鎧を身にまとった巨人がいる。あれは――ムスペルだ!


「ふらつき歩みを行う先ほどの巨人と違い、あの鎧の巨人は若人のような歩みで里の周囲をぐるりと回っておりました。その間、目先の兵士の動きに惑わされず、引き寄せられることなく、何かの目的があるような動き、知性が感じられました」


「あれはムスペルと言うらしい。俺のヒトガタと引き分けた、強い巨人だ」


「――そうですか」


「ムスペルは大きく、素早く、強靭だ。しかし信じてくれ、いまの俺にはココで授かった長槍フレキがある、きっと必ず奴らを里から叩きだしてやる」


 胸に熱いものがこみ上げる。燃え上がる家屋に里人の嘆きが重なって見えた。関で吹き飛ばされ人の姿も見える、峠で逝った戦士の姿も、奴らに攻められ蹂躙されていた里も、何もかもが見えて、俺をイラつかせる。あのムスペルに騎乗している戦士はスルトだろうか、それとも他の? 誰であろうと構うものか、俺とヒトガタの存在を知らぬなら良し、知っていたにせよこの長槍の存在は知るまい。この一撃にて、ことごとくヤツラヲフンサイシテ――。


「オリルガヨイ、ウミヤシロノミコ――」


 側頭部ガ熱イ、痛ミヲ発スル、ダガ、イマ俺ノ心ハ激シイ怒リデ燃エアガリ、カツテナイホドニ意気軒昂ダ。今ナラバドノヨウナ巨大ナ敵ヲモ倒セソウダ、イヤ、タオシテミセヨウゾ!


「いけません」


 破裂しそうな思考に、ぱんっ、と涼やかな何かが叩き付けられた。寝ぼけたように歪む視界に黒い瞳が見える、濡れて切れ長な瞳。


「猛りと怒りのみで槍をふるうことはなりません。お心を静めて、何をなさりたいのか、いま一度」

「イマイチド――」

「考えるのです」

「カンガエル――」


 俺ハ何ヲ望ンデイル? 奴らを全て滅ぼしたい! 打ち破り、破壊し、破砕し、叩き伏せ、踏みつぶしたい、全てをだ! 目に映るもの全てを! この納得いかない世界の全てを破壊して――!!


「本当に壊してしまわれるのですか? それから?」

「ホントウニ――、ソレカラ――」


 叩き潰して、バラバラにして、破壊する? ――全てを? 家屋も船も見張り台も海社も? いまこの手のひらに載るたおやかな女も? 汗にまみれて必死で治療に当たっていたあの娘たちも? 先ほど煤だらけで瞳を輝かせていた少女も? 命のきらめき全てを?  


「オレハ――、オレノ――」

「望み、願うものはなんですか?」

「オレノ――願い」


 俺の願いは何だ。何だった。何であった。ぐるぐると回る感覚、いろいろな風景と光景と人物が廻る。――守りたいのだ、誰も泣かせたくはないのだ、笑っていてほしい、俺を受け入れてくれた全てが笑顔でいてほしい。人も、建物も、風景も、風と光すら笑っていて欲しいのだ。あの夕餉の汁椀の暖かさのような、昼作業の強い日差しを遮る木陰のような、爽やかな夜明けの風のような、心穏やかでそれゆえ泣き出したくなるほどの充足感と安心感の――。


「――守ることだ。誰よりも強く、誰よりも上手く、誰にも負けずに守り通すことだ」

「では私はここで、誰よりも強い戦士のいさおを見守りましょう」


 しっかりした声で返答した俺をフレイが見つめていた。俺はフレイを見つめ返し、ゆっくりと右手を地面に降ろした、彼女は下から俺の顔をもう一度覗き込んだ後、掌から身を下した。そして背後に大勢の人々の視線を改めて感じた。きっと避難をしてきた里人がすらりとヒトガタの背後に並んでいるのだろう。俺と、里を、浜を、見ているに違いない。俺は立ち上がると左腕を高く高く上げ、槍の穂先を天に掲げた。左腕に力を籠め、突き上げて叫ぶ。


「海社に告げる、里人に申す、槍の働きご照覧あれ!」


 そして山頂から飛び降りた。

 一気に斜面を駆け抜ける、猛り、怒りながら、俺の心は静かであった。濡れたような瞳が、多くの瞳が俺を見つけているのを感じた。そして煤だらけの顔が俺の背中をそっと押すのを感じた。それらの感覚に俺は心の奥底で声を返した。俺は貴方たちの父祖に恥じず、嗣子に伝える価値ある光景をこれから作り出して見せる。そして果国の奴らには、決して忘れることのできぬ恐怖と後悔を叩き付け、ここから送り返してみせる。

 跳躍と滑降を繰り返し、流れ、乱高下する俺の視界は、広く明るく澄んでいた。斜面を滑り降りると、俺はまっすぐに果国の兵団に突っ込んだ。

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