第34話:準備、男と女、それぞれの役割
【34】
名残惜しくも、ゆったりとした時間は終わった、心地よい海風が吹くこの場所でのお遊びはここまでだ。もう山社に戻らねばならない。俺にはやるべき仕事がある。
ヒトガタゆえに従事できる作業、社の北側の山道に丸太を組み上げて峠道の整備と砦を作る。九十九折になった山向う側の要所要所において関を設け、斜面の高度を利用した襲撃場を作らねばならない。敵の勢力はとても大きく、こちらはとても微力だ、効率的に対応できるようにしなければ、すぐさま里に戦火が及んでしまう。
山社の避難所もより大きく整備して塀や柵を設置したい、里の避難所では空堀も大きく設けたい。前々より切り出していた木材だけでは到底足りない、これからの俺は土木現場の監督であり重機作業員だ。
また空き時間には新しい「戦士」の仕上げ具合も確認すべきだろう、古参戦士を中心とした各班構成がきちんとまとまっているかを見ておきたい。そして可能なら鍛冶の里から来た者たち、合力に賛同した協力者たちとの顔合わせもしたい。そして槍と弓などの武具の在庫数を確認し、岩と土嚢を確保し、食料の残量と消費数を把握する。それ以外には里の皆の不安などについて聞き取り調査―――。
「オマエ、いい加減にしろ」
思案顔でぶつぶつと今後の対応を独りごちていた俺に、ヒトガタの掌に乗るために命綱を結んでいたバルドルが声をかけてきた。
「前に言っただろう。なんでもひとりでやろうとするんじゃねえょ」
「もちろんだ。最初の確認だけ行ったら、バルドルやヴァーリ、ヴィーダルに任せるつもりだ。よろしく頼む」
「ならいいけどな。オマエのその準備万全とする発想、俺たちにはちょっとなかなか出ないからいい。だからオマエの仕事は指示だけにしておけ」
「ああ、そうさせてもらうよ」
安心したようにため息を尽き、再び綱を手に持ちなすバルドルに対して、俺は笑顔を作って返答した。それでも最初だけは、物事を進めるための注意点や到達点、コツのようなものを伝える必要はあるだろう。特に重視すべきは「なんのためにそれが必要なのか」を理解してもらうことだ。理由や目標が明示されなければ人はなかなか動けない、逆にそれを理解してもらえれば、きっと当事者自身が改善点すら考え出しながら作業を進めてくれるはずだ。人選さえ間違わなければ。
そう思っているとバルドルは縄目から目を離さないまま付け加えた。
「あとな、女衆のことは女に任せておけ、それが得策で一番都合がいい」
「どういうことだ?」
「協力者には女や子どもなど一族を連れて里に来たも者もいる、そいつらの評価や心情、覚悟の程を知りたけりゃ、その妻子を見るのが一番だ。親父が本腰を入れていれば、その妻子だって額に汗かいているに決まってる。そしてそれを一番よく見ているのは、一緒に作業をしている女衆だからだよ」
俺はぽかんと口を開けてバルドルを見た。
「お前すごい、その着眼点は俺には無かった」
「里で嫁取りするとき、評判を聞くには男より女だからな。それと一緒だ」
「相談できる宛てはあるか?」
「順当なら、里の女長ロヴンが一番だな。あのまんまる婆さん、なかなかのやり手だぜ。出てきた村での評判を知りたいならユーミル婆さんが何か知っているかもしれん、あの地獄耳は妖怪並みだ。本人の顔を見ての『直観』で知りたいなら、そこのちびっこいのが適任だ」
「ちびじゃない」
既に命綱を結ばれているイトゥンがバルドルの腹を叩く。バルドルは「おぉ痛ぇ」とおどけた後で「失礼、ちび姫巫女だった」と返してまた叩かれた。腹をガードしながらバルドルが横目で俺を見る。
「イトゥンの人を見る目は確かだぜ? 直感で腹に一物抱えているヤツはすぐに分かるらしい」
「それは魔導ではなくてか?」
「そこまでやらなくても、『悪意』と『身勝手』はすぐに見分けてみせるとさ」
「な?」とバルドルがイトゥンに問いかけると、彼女はこくりと頷いた。そうなのか? そのような長所があるならぜひ助けてほしいところではある、が、それは彼女自身を悪意や害意に晒さすということではないのだろうか? 思案顔で動きを止めた俺を澄んだ黒い瞳が見ていた。力強く、まっすぐに、自分を信じろと語りかけるような瞳だった。俺はその視線を腹で受け止めた。ずしんと痺れるような重さを感じた。
「頼んで、いいのか?」
「うん」
「直感だけでは駄目なんだ、おかしいと思ったらいろいろな人と相談して、皆が確信を持てるようにしなければいけない」
「やる」
「辛い仕事だ、嫌になったらすぐに……」
「御使いさまは心配しすぎ、できる。きちんとやる」
彼女は小さく細い体に力を込めて、凛々しく胸を張った。俺はその姿があまりに綺麗に、光り輝いて、儚く見えた。なぜか胸の奥の奥が痛くなった。こんな純真な子どもに人物評価や裏どり調査などを頼むのか、なんという汚れ仕事だろう。しかしイトゥンは晴れがましく胸を張った。これが私の仕事なのだと、胸を張っていた。そうか。
「仕事がひとを研磨する、とは言うよな」
「なんだそれ?」
「いや、俺の世界、出身での偉いひとの言葉さ」
バルドルとイトィンの問いかけに対し、俺はそう応えて少し遠くを見た。この海の向う、この空の向う、そのずっと向うに俺の世界はあるのだろうか。無い、あるはずがない。もしかしたら俺が数千年を生き長らえたら俺の世界に帰ることが出来るのかもしれない、もしくは数万年の時間を遡ったら帰れるのかもしれない。分からない。
「えい」
ばしゃ! と俺の顔に水がかかった。驚きで目を瞑り、顔をそむけて水を振り切った、いたずらをした相手を見る。イトゥンだ。俺の水筒から水を一握りかけたのだ。
「なにを……」
「えい」
ばしゃ。何なんだよ! いたずら好きな小娘は、悪ふざけを楽しむように口元をほころばせながら、なぜか黒い瞳だけ母親のような祖父母のような深い色合いを乗せて、軽やかな声音で言った。
「帰ろう、山社に帰ろう。皆が待っているよ」
「おう、帰ろうぜ。ここの飯も良いけれど、あっちの飯だって旨いさ」
「なんなんだよ、それ」
彼らの変わらないもの言いに俺は苦笑しながら、大きく伸びをしてから言った。
「よし、帰ろう」
☆☆☆☆☆
見送りは海社の皆で行ってくれた。
「継手殿におかれましては、全ての災厄を祓った後、改めて『御使い様』としての宣言をなされるとのこと。此度の大戦に海社も総力をあげて支援し、武運長久を祈願いたします。戦の後に、海社の巫女、見習い巫女一同が揃ってお情けを授かることができること、心待ちに致しております」
「え、ということは、あたしも?」
フレイの自己完結的な報告に、スュンは頬を染め上げて足元を見ていた。そしてシェヴンが何事か呟いていたが、しかしそれには気を留めまい、そうだ、ヴァールが言っていたではないか、大事の前の小事に気を留めるなと。今、俺は俺にしかやれないことに集中しなければならないのだ。フレイの願望については里の問題が解決してからのことだ。俺は思考を止め、前を見据えてヒトガタに乗り込んだ。
手を上げ海社を後にする。
陽光を浴び、きらめく光を背に輝く海社とその巫女たちはいつまでも手を振ってくれていた。
ヒトガタの大きさならば、歩行でも山社の里までは30分程度だ。昨日既に往路を移動した俺にとって復路においてそう心配するべきことはない。まして乗せているのは気心知れたバルドルとイトゥン、油断は厳禁といえ初夏の日差しをたっぷり浴びた快適なドライブのようなものだ、穏やかに時は過ぎた。ヒトガタの左手で「こりゃまたらくちんだな」とバルドルは干貝や干飯などをぼりぼり齧っている。薬指に腕を巻き付けて身体を支え、遠くを眺めるのはイトゥンだ、二人もずいぶんと慣れたものだ。
そしてヒトガタの右手には『長槍』を握らせている。これを抜いた時、同調情報で機能を知り、少しだけ過去のことも分かった。
この槍は、ヒトガタの人工培養筋肉内部にある発電回路と一組になった回路を柄の中心部に持っている。手から放たれた電流を、槍の柄内部、渦状に構成された加速増幅回路を経てより強力な電撃へと変化させ、穂先から放出する。そうなのだ、この槍があれば、素手では一撃二撃で電力切れとなる発電板の電気容量をかなり節約できるのだ。攻撃の際のリーチ不足を補うだけでなく電撃での打撃回数が格段に跳ね上がる。これは1対多での戦闘を想定している現状においてとても心強い。
そして、槍の増幅回路を全力作動させながらヒトガタの発電板を全力解放させた場合、かなりの放電現象を巻き起こせるに違いない。もっともその時、コックピット周辺の絶縁対策で対応できるかどうかは、スルトとの戦闘時の放電フィードバック現象を受けた身としては心配ではある。あのような状況に陥るのなら、実質使い道のない機能になる。
とにかく山社の婆さんとイズナにこの長槍を無事入手できたことを報告しなければ。そして俺の立場についてもいま一度確認を取っておかねばならないだろう。まだ俺は救世主とやらの立場に立てる状況では到底ない。だが、強い力を回復した『大いなる漂泊者』というのは、それはよいニュースとなり、里の皆を勇気付けてくれるはずだ。
ヒトガタが山社の里に入ると、里人たちは作業の手を止めてこちらを眺めた。感嘆の声と、崇めるように跪く人、両腕を千切れんばかりに振る子ども、様々な対応に答える手段を俺は選べない。代わりにバルドルとイトゥンが適当に手を振って答えてくれていた。ありがたい。
とにかくまだ活動するヒトガタを目にするのは珍しいのだろう、しかし明日からは飽きるほど眺めさせてやろう。いや、里の中での作業より、まず手がけるのは砦からだろうか。
俺はこれから行う槍の入手報告より、明日以降の作業手順について、いま一度頭の中で整理をし始めた