表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/60

第32話:海社、試しの槍。

【32】


 海社に戻った俺はまずフレイに遅れたことを詫びた。そして海社の里への連絡へ同行したこと、里長ヴァールに試しの儀を受けることを直接報告したこと、かなりの住人がこの社に詰めかけるはずなので来訪者整理に若衆の協力を頼んだことを継げた。フレイはいつになく落ち着いた笑みを浮かべると「継手殿のご判断、我らが口を挟むことは何もありません」と言ってくれた。なぜかいつもの口癖は出なかった。


 俺はヒトガタを社前に駐機させると、いま一度改めて『槍』を眺めることにした。ぐるりと周囲を回り、手に触れ、地面との接続面を確認した。土は岩山の上にしては黒々としており肥えているようで、湿り気もかなりある。もし土深く刺さっているのならばヒトガタの力をもってしても抜くのは困難を極めるだろう。この槍をただ手に入れるだけならばある意味では簡単だ、ヒトガタの爪で周囲の土を掘りぬけばいい。最終的に槍先が太く丸く大きく膨らんでいたりようならお笑い種だ、抜ける訳がないのだから。

 そういえば子どもの頃、河原でのキャンプでかまどを作るために手ごろな石を集めたことがあった。1人3個というノルマの石を、ぶらぶらと河原を歩き探したところ、俺は四角く長めのレンガのような形をした綺麗な石を見つけたので持って行こうとした、が、その石の一部は地面に突き刺さっており、何度引っ張っても抜けなかった。意地になった俺は手ごろな石でその周囲を掘り返したところ、土中で漬物石のような形のでかくて丸い部分があることを知り、とても持ち上げれず、また竃に使うには不適格な石であることを知ってえらく落胆したものだった。

 今回もそのような事態がオチに待っているのだとしたなら、俺は皆の前で大恥をかくことになるだろう。しかし今はそれを考えまい。彼らが守り、培ってきた伝統を、正面から受け止め引き継がなければならない、それこそが俺の仕事なのだ。


 フレイに案内された社の裏手、その水場にて身を清めた。清涼な水は俺の身体に貼りつた汗と脂と気負いを流し落とし、俺の気持ちを静めてくれた。荒さの残る麻布で肌をこすりあげ、改めて気持ちを高めてゆく。その後は儀式を受けるために正装しなければならないのだが、あいにくこの社には俺の身体に合う衣は無い。「衣は急ぎ洗わせておりますが、せめて羽織にこれを」と差し出されたのは、清潔な大布と見事な白さの毛皮であった。毛並みはなめらかで掌を重ねると程よい滑りがあった。


白海豹シロアザラシです、良く水を弾き、身体を冷やしません」


 フレイが言う。ありがたく、また贅沢なことだ。急ぎ繋ぎ合わせたのだろう大きなシーツのようになった布で身体を包み、毛皮を肩にかける。たしかに暖かかった。そして再び彼女に促されて海社の堂内にて待機をした、そこにはあたたかな白湯が用意されていた。


「『試し』に向けて娘たちが支度をしております、継手殿は刻限までここでお休みください」


 ふかぶかと頭を下げられた。


☆☆☆☆☆ 


 俺が身支度を終えたのは午後も早い頃だったと思う。それから夕闇が来るまでの数時間を俺は堂内の大広間で待機した。広さは、教室3~4個分といったところか、続き部屋の大広間とも、ミニバスケットコート一面分ともいえる広さだ。奥に高座の場所があり、そこにはある図案を記した飾りタペストリが吊るされていた。精悍な若者が巨人と一体となり、異形の怪物を槍で貫いている、そのような図案に見えた、たぶんこの海社の伝承を図案化したものなのだろう。

 清潔ながらも空虚なその空間で、俺は鹿皮の敷物のうえで座禅をするように、その飾り布を眺めて過ごした。

 外では巫女見習いたちがあわただしく駆け回り「飾り布」の設営をしているようであった。やがてその物音が静まる頃に、若衆らしい青年たちの声と共に篝火が設営される音が耳に入り、いくばくかの静けさの後の少しづつ闇が近づく頃、ゆっくりと大勢の人々が集まる音を耳にした。歩みをすすめる音、衣擦れの音、わずかなざわめき。しかしその音は昼日中の、あの熱狂的なほどの物音とは大きく違い、あくまでも静かだった。

 ただ、海社まで届いていた潮騒の音が、人の集まりによって遮られ、徐々に遠くなってゆく。その消える音が、まるで満ち潮の海水ように海社と、堂内をひたひたと満たしてゆく。


「刻限でございます」


 堂の大扉が開きフレイが挨拶に現れた。巫女としての正装なのだろう、山社とよく似た、緋と白の衣装を身に着けていた。一部、黒々とした文様を片頬に塗っている。

 俺は無言で頷き立ちあがった。気持ちは張りつめ、心は高揚している。見習い巫女が開けた両開きの大扉をくぐり、俺はフレイを伴い縁側に歩み出た。俺は既に元の衣を身に着けているが、大きめの布と白海豹の毛皮を肩にかけたままであることに気が付いて、縁側でそれを肩から外しフレイに手渡した。フレイはそれを受け取ると、ほんとうに「にっこり」としか表現できないような、満面の笑みを浮かべた。世界中の幸せをその手の中に受けたような、そんな満ち足りた笑顔を唐突に向けられた俺は胸の鼓動を大きく跳ね上げた。

 しかし戸惑いは長く続きはしない、俺には使命がある。


「こちらでございます」


 巫女見習いの娘が俺に声をかけた、スュンだった。栗色の髪をゆるやかに編んで垂らしており、唇には紅が差されていた、手には細かい細工の錫杖を持っている。彼女の指し示す方角、この縁側の向うに『槍』がある、そしてその傍らにはヒトガタが駐機しているのが見えた。そこまでの花道として、この場からその場所まで篝火があかあかと灯され揺らめいている。その向うには、俺の『試し』を確認するために来訪した人々の姿がずらずらと、その顔と姿を鈴なりに連ねて重なっている。彼らは僅かなざわめきを発している以外は一様に押し黙っている。俺は独特の静寂の中、篝火で照らされながら縁側を降り、その花道を歩み進めた。


 先導するスュンの両手には錫杖があった。それは音叉のように二又になった2つの金属器だ、それを軽く触れあわせると、きいぃぃぃーーーん、きいぃぃぃーーーん、と鈴の音のような澄んだ高い音を発した。錫杖の柄下には、細かい鉄鎖と鉄片を組み合わせたようなものが装飾として下がっており篝火を反射してきらきらと煌めいた。音叉の音の後に、しゃらしゃらしゃらと軽やかな音すら立てる。

 スュンはある一定の距離を歩く度に歩みを止め、僅かに身を縮めた後で両腕を伸ばしながら音叉を触れ合わせる。そしてその音を遠く遠くに飛ばすように大きく伸びをする。華奢な背中を反り、肉付きの薄い細い両腕を伸ばし、弦が引かれた弓のようにしなやかな姿を示して、音の矢を遠く遠くへと飛ばす。俺はその澄んだ音色に波の音を感じた。心臓の鼓動を感じた。人々の願いの音を聞いた。


 気が付くとヒトガタの足元にいた。俺は改めて『彼』を眺めた、両肩にそれぞれ異なる色の飾り布が降ろされている。青と赤、海の色と太陽の色だった。美しく凛々しい姿だ。俺はその彼と一体になる。

 ヒトガタの足の甲、膝関節、腿、腰、そして胸部へとよじ登り、俺はコックピットに納まった。深呼吸を一つ付くと、いつも通りの手順で身体が固定されヘッドセットが装着される、ばちん、電気ショック。俺の視界にゆるやかな波形のイメージが流れ、2重写しになる風景とともに重なり合う『彼』と『俺』の記憶と意識。

 やがて、ごおぅん、とふいごが動きだし人工培養筋肉に空気が送られ始めた。ぎぎぎぃとヒトガタ特有の初動作における関節音をたて立ち上がる。そして俺は空を見た、両腕を大きく上空へと延ばし、脚裏に力を込めながら大きく伸びをした、天を仰ぎみた。そして少しづつふいごの回転数を上げてゆく、人間で言うところのハイパーベンチレーションだ。深い深い深呼吸を繰り返し、できるだけ多の酸素を筋肉にため込んでゆく。


 槍に手を伸ばす。


 深く腰だめになり、槍と地面の近くまで手を伸ばして槍をつかんだ。まるで大根を引っこ抜くかのような見栄えのしない姿勢だが、どこまで刺さっているかも定かではないモノを引き抜くのだ、最大限の力が発揮できる姿勢を取ろう。そして俺は見事この槍を引き抜き、この海社の皆に伝承を受け継き、厄災を払う者であることを示すのだ。呼吸を止め、力の限り槍を引く―――、びくりともしない。


 がっちりと大地に貼りついた槍は、その歳月を見事に示して見せた。負けられない、俺はその姿勢のまま全力で力を込めた。何かが細かく振動する音がする。びりびりとしたものが空気を震わし、ぴきぴきと音が鳴る。俺は唸り声を上げ、力を込め続ける。手ごたえが重い、かなりの摩擦だ。だが、わずかに浮いた。動いた。

 決して抜けぬ深さではない。あるまい。しかし、この抵抗感はなんだ、直線で突き刺さっているのとはわずかに違うような。俺は再度力を込めた。空気振動は大きくなる。ヒトガタの人工培養筋肉が発熱し、装甲板を熱くする、俺の額から汗がしたたり落ちた。ヒトガタからの異音は止まらない、インナーフレームが軋みを上げ、各関節が悲鳴を上げている。両の掌では指がもげそうだ。俺は力を込め続ける。力だ、力が欲しいのだ、俺に力が足りぬのならば、先達の伝承でも、威光でも構わない、言い伝えに過ぎない根拠でもジンクスでもいいから力が欲しい。皆の不安を払拭できるだけの力、皆を守りきる力。槍よ、槍よ、どうか―――。


 声が聞こえた。観客となった海社の里の者たちから呟きのような声が漏れていた。俺の唸り声に被さるように、ちいさく口にした囁きは徐々に大きな呟きとなり、声となり、叫びとなった。


 えいさ、えいさ、えいさ、えいさ、えいさぁ、えいさぁ、えいさぁ、えいさぁ!


 皆の声が重なって掛け声となった。俺は彼らの生み出すリズムに合わせ、力を込める。えいさぁ! えいさぁ! えいやさぁ! えいやさぁ! 浅い呼吸を繰り返し、わずかに揺れ動くように感じる地面と槍との「緩み」をより大きくするために、波のリズムのに合わせて力を込める。えいやさぁ! えいやさぁ!! 


 ぱり。


 ヒトガタに電流が奔る。発電板がわずかに動作した? ヒトガタにそのような指示は出していない、暴走スタンピートか? 俺はぞっとした、今この場で大規模な電撃を発生させたなら、周囲を詰めている皆が危険だ。巻き込んでしまう。俺の視線は槍を凝視しながら、視界と違う感覚て周囲の人々の顔を見た、皆が一様に真剣な表情で一点を見つめている。それは槍であり、それを掴む俺デアリ―――、チイサキモノ、スュントフレイノスガタがミエル、カノジョタチヲマキコムワケニハ―――。


 ぱり。


 揺らめく視界から俺の意識を取り戻す。違う、発電は槍からだ。槍に発電回路が? 違う、増幅回路だ! 俺とヒトガタの全力稼働を受け、筋肉繊維がわずかに発している電流をこの槍が感じ取り、受け入れ、増幅させているのだ。俺はその増幅回路への接続を確認すべく意識ヲリンクサセル―――。えいやさぁ! えいやさぁ! 


 迸るイメージ! この槍をかつて手にしていたヒトガタのイメージ! この槍でかつて倒されたヒトガタの映像が脳裏に写る。この岩山の山頂に眠っているモノ、かつての同朋、かつての宿敵、頼もしい仲間、尊敬に値する敵。一瞬のイメージ! 俺の脊髄と脳髄を走る膨大なデーター! えいやさぁ! えいやさぁ!


俺の全身を激しい興奮が貫く。濃縮された時間の流れ、人の一生で味わう全ての感情、喜びと哀しみと苦しみと愛おしさ、それらの混濁した情感を一瞬の濁流として注ぎ込まれ、俺は声も上げられない。その衝撃の中、揺り動かしていた槍の揺れ幅が大きくなっていることを知覚する。揺らめく視界に盛り上がる土が見える、がんがんと酸欠気味の脳みそが頭痛を訴える、両の腕、肘が抜けそうだ、掌が捩れて痛く、指が千切れそうだ。熱い、熱い、熱い、全身が熱い。視界のひび割れは槍を中心とした同心円であるが、それはゆっくりと広がってゆく。俺はいま一度大きく息を吸い込んで力を込めた、ふいごが唸る、筋肉繊維がより大きく膨らみ装甲板をぶくり押し上げるの感じた、熱を放ち、空気が揺らめく、ふいごが全力回転を続けている。まだだ、もっとだ、もっと力を込めろ、この槍が刺さっていた歳月と風雪を跳ね除けてみせろ、かつてこの槍を振るっていた勇者のように雄々しく咆えてみろ。


 うぅぅぉぉぉおおおーーーー。


 俺は唸り声を上げた。えいやさぁ! いやさぁ! えいやさぁ! いやさぁ! ずるりという感触とともに槍が抜かれる、がりりと土中で刺さっていたモノをこすりあげて、槍は抜けた。長槍だった。全長はヒトガタの身長をはるかに超えた長さがあった。12~13mほどか。俺はその抜き出した長槍を両腕で持つと頭上に掲げた。重量上げの選手のように長槍を掲げあげた。体が熱い。全身から蒸気を発している。観衆が声を上げた。

 

 おおおぉぉぉおおおーーーー!!


 海社が、揺らめいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ