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第31話:海社、里長ヴァールと里の声。

【31】


 「おおっ、継手殿よ、よう来られた! もう既に耳に届いておる、海社の試しを受けられるとな、さすがだ!」


 ヴァールは相変わらず陽気で声がでかい。まぁ二日前に山社で会ったばかりだから面変わりしていたらそれはそれで驚くことになるのだろうが、いやはや本当に陽気な親父だ。あとなんでそんなにハイテンションなんだ。頼むから正面から俺の両肩をばんばん叩くのは止めてほしい。意地でもそんな表情は見せないが。

 個人的には親戚の伯父を連想させる。

 俺の幼少期、俺の一家は毎年夏に田舎へ里帰りを定番にしていた。父の実家というべきか本家というべきなのかは微妙で曖昧な土地柄であったが、そこには家業を継いだ伯父が住んでおり、とにかくその伯父というのは昭和の集団就職世代だった。次男以降ゆえに都会に出ていき、そこで多少は洗練された親父たちとは違う、昭和の復興期や高度成長期にあった「男臭い香り」と「田舎の香り」を濃密に香らせる男であった。つまりは見事なまでの「田舎の親父」ということだ。豪放磊落、ざる勘定、大雑把で気前が良く、細けぇことは気にすんな、を地で行くお調子者、そんな男だった。

 俺にとって夏のイメージは、古めかしく薄暗い田舎家屋と、その前庭で見上げるだだっぴろい青空、たわわに実る真っ赤なトマトだった。伯父はそこで俺たちの来訪を待ち、でかい作業ばさみでそのトマトを切り取ると「甘いぞ。さあ食え、いま食え、さっさと食え」と勧めるような男だった。そんな伯父と同じ香りがする男の前で、泣き言も弱みも見せる訳にはいかん。しかし肩が痛い。


 ヴァールの家は里長と言うだけあってやはり大きかった。しかし家屋が大きいと言うだけで外装内装その他については特段豪勢という訳では全然ない。他の家々と同じように粗末な板張りの家屋だ、集会場のような大広間がある分、家人は冬の寒さなどを凌ぐのは大変かもしれなと思った。それに来客もひっきりなしだ。現に俺たち3人が到着し「今宵、海社の試しを受けることになりました、そのご報告に」と俺が口を開けたときには、ずらり大広間の後ろに村民が鈴なりだった。他人の家屋なのに、誰も入る時に許可を得ない、「ちぃっす」「お邪魔するよー」の一言をかければ、それだけで入室してくる。「おいおい詰めろ」「もっと奥だ」「見えないぞ」と、それはまるで公民館的な扱いのように思えた。たぶんここの家の女衆は日ごろから来客対応にはさぞかし苦労をしていることだろう。


「ヒトガタの武具を探しておりました。海社の巫女フレイ殿のご助言と承諾により、今宵、ご神体の『槍』を引き抜く『試し』の儀を行います。ついては海社の里の皆々様にお立ち合いを頂ければ幸いと思い、こうしてご挨拶に来たしだい。突然のことで申し訳ありませんが、皆様へのお伝えをお願いしたい」


 そう俺が伝えたところの、肩の殴打付き回答が先の台詞であった。ヴァールはどかりと広間の定位置と思われる敷物の上に座ると

「お前たちも座れ」と言った後、変わらぬ大声を放った。


「むしろ待ちかねていたぞ! 試しを受けるとなればこれで継手殿も本当の意味で我ら海の一族よ。ぜひぜひ『試し』を見事果たされ、その力を高めるとよい。なぁーに、無理なら無理で、その時は俺の娘を娶り息子になればいい! ちょっと年が離れるが、俺の娘たちは皆気立てが良いからな!」


 えーと、おっさん。お前の自慢の気立てのよい娘たちというのは、今そこでお前の膝もとで眠たそうに眼をこすっている幼子も勘定に入れているのか。なぜその子を俺の眼前に突き付ける。これは気立てが良いというより、気立てがまだ育ってない無垢な3歳児だ、どうする気だ。それに世間的に年頃となるようなお前の娘たちは、お前の背後で「またか、この馬鹿親父」というような殺気を放っている気がするのだが、本当に気立てが良いのだろうな。


「至らぬ身ではありますが、里の皆様の期待を裏切らぬよう、力の限り挑むつもりです」

「おう、それよ! 儂が言いたかったのそれよ、おのこたるもの常に全力、前のめりよ!」


 そうか、そういう意味だったか、いつ言ったんだろう。


「もし村民の皆さまにご同席いただけるのなら、海社の丘の上は少し狭い気がします。きちんと誘導と区画割をしなければ夜の闇の中ということもありますし、いらぬ怪我を誘発しかねません。若衆などに巫女へのご協力などを頂けると助かると思います」


 俺がそう言うと、ヴァールは喉の奥まで見えそうな大口をあけて「がははは」と笑って言った。


「継手殿はいろいろと気回しが得意だな、わかった、我らも祭りは行っておるので、篝火の用意、人の整理などは慣れたものよ、しかと引き受けた。しかし、だ、継手殿。こちらも助言をさせてもらうならば、大仕事の前だぞ。お主はしっかりと飯を食い、力を溜めて『試し』に望むことだけ考えられよ。お主はお主にしか成しえないことをするのだ、他の者に任せれるところまで手を回してはいかん。大事を前に小事に惑わされていかん」


 ヴァールは声のトーンを落とし、言葉を重ねる。


「よいかな、継手殿。お主は幾世代にも渡り、誰も動かしえなかった『守護者』を動かした。此度は山から降り、海に伝わる『槍』を手中にせんとしている。そのような勇者をお迎えする訳だから我らとて心躍っておる、助力は惜しまん。ゆえに精いっぱいの舞台が見たい」


「わかりました、ご助言、肝に銘じます」


 いつも大げさな物言いのヴァールが、妙に静かな声音で伝えてくれものは俺の欠点を指摘したものだった。それはかつてバルドルが「なんでも一人でやろうとするな」と怒鳴ったものと同じところに根差したものであり、間違いない俺の欠点だろう。これからのことを考えると、個人としても里としても、大きな弱点となりえる可能性を秘めている部分だった。

 俺は素直な心で頭を下げた。皆が俺を見ている、心を砕いてくれている。

 顔を上げ、まっすぐに視線を交わすと、ヴァールは真夏の日差しのような笑顔を作って言った。


「飯を、食っていかんか?」

「既に海社で巫女殿が待っておられます、が、ぜひ一膳いただけますか。ヴァール殿のご助言と共に腹に収めたく思います」

「おう、食っていけ食っていけ。そして試しを終えたら、またここに来るといい。社の巫女も良いだろうが、里の娘も良いものだぞ」


 えーとそれはどういう意味だろう。俺は「よく分かりませんよ?」的な表情を作ってその会話を流そうとした、うん、たぶん、そうした。だって俺の背後で畏まっているはずのシェヴンとスュンの気配が怖い、すごく怖い、怖くなっている。頼む、おっさん、軽率な発言は慎んでくれ、同類と思われると俺が困る。俺はあんたのように図太くは生きられない。


「まずは、目の前の仕事だけを見つめます」

「すばらしい! それでこそ我らが継手殿だ!」


 よし、逃げれた。……逃げれたよな?


☆☆☆☆☆ 


 ヴァールの家では、米とぶつ切りにされた魚を煮た「潮汁」のような粥をいただいた。素朴な味で、味噌に似た、かすかな味付けが俺の心を落ち着かせ、身体を芯から温めた。

 基本的にこの世界では「暖かいもの」を用意するのは大変なのだ。茶を一杯、汁ものひと椀用意するためにも薪に火を移さねばならない、竃の火が完全に落ちていたならば火種を灯すところから初めて、火を大きくし、薪に火を移してやっと料理が始まる。電気やガスがある世界ではないのだ。里長であるヴァールの家は来客が多いいのか竃の火種は落ちてはおらず、すぐに温められた粥が出された。この時ばかりはヴァールの自慢の娘さんがたも神妙な表情で俺の前に立った。両の指先をそろえ、静かで丁寧な仕草で渡された椀に身が引き締まる。日焼けした頬と引き締まったおとがいに若さと精悍さと健康さを感じさせる娘さんたちだった、伏し目がちにするとまつ毛の長さを感じ、まっすぐ射抜く瞳はとび色をしていた。なるほど自慢の娘たちか。

 俺は一礼して椀を受け取ると、ヴァールと共に粥を2杯平らげ、お暇をすることにした。海社では大仕事が待っている、だぶんいろいろと準備や助言もあるだろう。2杯の粥はまるで水杯のように俺の心まで染み渡った。


 ヴァールの家族と海社の皆が、総出で俺たちを見送ってくれる。

 ヒトガタを駐機させてある場所はヴァールの家のすぐ前だ。しかしそのわずかな前庭を歩くのに、村民をかき分けて行かねばならぬほどに人があふれかえっていた。先導するヴァールが「道を開けんか、どけと言うにっ、おいこら!」と声を出してくれなければ、俺たちは一歩たりとて前へ進むことはできなかったろうと思えるほどに人が集まり、また皆一様に興奮していた。「がんばってくれよ!」「楽しみにしているぞ!」「やってくれ!」「ちくしょーっ羨ましいぞ!」「万歳! 海社万歳!」と様々な声がかかり、皆が俺の二の腕や肩や背中に触れてこようとする。まるで力士の花道のようだった。


 ヒトガタに騎乗し、肺のふいごが「ごうぅん」と鳴る。両の手を差し伸べてシェヴンとスュンを乗せた、二人の腰はすでにヴァールによって命綱が結ばれている。ヒトガタを立ち上がる前に、ヴァールと息子と娘たち、若衆などが周囲から人を退避させてくれた。しゅーとふいごから排気をさせて立ちあがらせると、人々のどよめきはより一層大きくなった。日差しは強く、俺たちの姿をじりじりと焼き、くっきりと炭のような影を作りあげる。海が陽光を反射させ、誰の額にも汗が浮き出ていた。


「では、ヴァール殿、里の皆さま、行ってまいります! 今宵、またお会いしましょう!」


 外部スピーカーで声をかけると、それこそどよめきは大波のような音に変わり、うわおおおぉおーん、という音になった。そのうち皆は両手を空に突き上げて「うわぁーああしょい! うわぁーああしょい!」という掛け声を上げ始めた、まるで祭りか、船漕ぎ歌のようだ。それは大きな大きなリズムとなり、両の腕は波のように左右に揺れた。俺はシェヴンとスュンを片手に乗るよう指示をすると、空いた片手を空に突き上げた。いよいよもって皆の声は唸りとなり、海の彼方、空を突き抜けて天に届くようにさえ思えた。


☆☆☆☆☆ 


 少しばかり里とヴァールの家で時間を取られ過ぎたようだ。フレイとの約束の刻限には既に間に合いそうにもない、それでも里の集落から離れると俺はヒトガタの脚を速めた。それは決してシェヴンのリクエストに応えたわけではなく、俺自身がちょっとまずいかなと思ったからだ。シェヴンはのりのりで、スュンはあきらめ顔だった。


 海社の麓まで到着すると俺は二人を下した。シェヴンの興奮は冷めやらず頬を紅色に染めて「すごかったです、ぜひまたもう一度乗せてくださいね!」と両手を握られた。若い娘特有のしっとりとした肌と細い掌と指の感触が俺の心拍を跳ね上げる。「機会があれば、な」と俺は色々な意味で苦笑ぎみに返すしかない。


「山の斜面を登るのには少し足場に注意をする必要がある、そのためすまないが、君たちはここからは歩いてもらうことになる」

「だいじょうぶです、十分堪能しました!」


 シェヴンは元気な声で答える。いやそういう意味じゃなくてだな。


「大仕事の前だというのに、継手様にはお心配りいただき恐縮です。ヴァール様がおっしゃっていたとおり、継手様はご自身のお役目を一番にお考えください。考えが足りぬことを痛感し、恥じ入るばかりです……」


 スュンは申し訳なさそうに言葉を発した。そこで初めてシェヴンが「しまったー」という表情をした。若い娘二人がしゅんと身を小さく反省する姿はとても愛らしく、俺の心の奥にわずかに残った素直な部分に触れた。

 俺たちの周りは海社のもりだ。初夏の日差しが木々を照りつけ、緑とその闇のコントラストが生命の息吹を感じさせる。森の奥からチチチと小鳥のさえずりが聞こえてきて、大空をひゅーんひゅーんひゅーんと啼く鳥が飛び立っていくのを聞いた。俺は二人を見つめながら言った。


「いや、わずかな時間だが君たちと話が出来て良かった。私がこれから手にする『槍』、そしてそれを手にして戦う理由をいま一度しっかりと自覚できた。私は君たちを、君たちのような人々を守るために戦いたい。槍を守り続けてくれた人の姿と、その想いを、俺はこの目と胸に刻んだつもりだ。これで精いっぱい頑張れる」


 俺はそう口にした。二人の顔があがり四つの瞳が俺を映した。彼女たちのあまりに澄んだ瞳をまっすぐに見つめ返すことが俺にはどうしてもできなくて、俺は空を見上げて言った。


「どうか俺を応援しててくれ、きっとやり遂げて見せるから」


 そうだ、俺はやり遂げるのだ、きっと、必ず、だ。

 鳥がまた啼いた。

2013.05.27

誤:叔父

正:伯父

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