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第30話:海社、継手の役目とその女官たち。

【30】


 かしましすぎる女官たちから逃れるように神域たる海社の丘から下山しようとした、が、そこに二人の女官がくっついて来たのは誤算だった。フレイが言うには「試しは今宵、月が昇りましたら行います。海社の里の皆々に立ち会っていただくのが筋というもの、突然ではありますが急ぎ里に知らせをしましょう、誰か」ということらしく、女官二名は連絡役としてこの丘を降りている。慣れたものなのだろう、細く小柄な体躯に関わらず、俺の下山にあっという間に追いつくと、そこで背後にひたりと追従し、ひそひそくすくすと何やら話し合って離れない。追い抜くこともしない。

 落ち着かない。正直ちょっと無視したい。

 しかし、しかしだ、俺は『継手』であった。山社で認められた里の指導者層の一人であった。同族として連なる里に所属する者として、『大いなる漂泊者』を奉じる組織の一員として、苦手だから無視する、というのはいかがなものか。まして立場的に言うなら俺は彼女たちよりも上役なのだ。こういう時は上司や先輩から声をかけ、気さくな雰囲気を作り、下の者たちの不安や不満を解消するのもまた役目ではないか。ため息を一つ、深呼吸をひとつ。俺は振り返り、できるだけ朗らかな表情と声になるよう注意して話しかけた。


「君たち、足が速いな」

「え、あ、はい」

「な、慣れていますから!」


 俺の突然の声掛けに彼女たちはびくりと身をすくませて反応した。海社の庭先で向けられた無遠慮な視線とは打って変り、おどおどと視線をあちこちに飛ばしている。俺は立ち止まり言った。


「私はここを下るのは初めてなんだ、里へ向かう下山道から外れたりはしていないかな?」

「え、あ、はい」

「だいじょ、ぶです」


 彼女たちのあわてぶりが可愛らしく、そのおかげで俺が無駄に気負った緊張感は消えていた。先ほどまでの十四~十五名もの女集団だからこそ彼女たちは姦しいのであって、個別に見ればどの娘も素朴で恥ずかしがりな子どもではないか。背丈もクナとそう変わらない、俺自身の性格の悪さを自覚しながら「大人」という自己認識を再確認し、心を落ち着けた。彼女たちにちいさな質問を繰り返し、充足体験をさせることで緊張を解いてやるべきだ。


「先ほど話した通り、私はこれから君たちが守護者と呼んだ『大いなる漂泊者』殿、私はヒトガタと呼んでいるが、彼を安置した麓まで行くのだが、んー、ここから見えるかな?」


 草木が覆い茂っておりここからは見えない。背の低い彼女たちではなおさらだろう。しかし俺がそう口にすると、彼女たちは「んー」「どうでしょうかー」「んー」「見えないですねー」などと口にしながら、くいくいと背伸びをする。なんだろう、イタチかミーアキャットの仕草のようで可愛いぞ。


「登り口の麓なんだが、海社の下山道はここ1本だけかい?」

「いくつかありますが…」

「山側へ降りられる本道ならばこの道だけです。海側へのならば本道と脇道と2本あります」

「なら問題ないのだな。もし私が脇道などに踏み込んでしまうようなら、教えてくれると助かる」

「え、あ、はい」

「す、すぐに!」


 再度彼女たちの上ずった声を聞き、俺は少し笑って「そんなに緊張しないでくれ、こっちにうつってしまうよ」と言った。女官の一人はそのまま身を小さくして恥じ入り、もごもごと「す、すみません」と言い。もう一人は「そ、そうですよね、あはははー」と両腕をぶんぶん振って無理やりの笑顔を作った。


「降りながらでいいから、少し海社のことを聞かせてくれないか。もちろん足元には気をつけて」

「え、あ、はい」

「な、なんでもどうぞ!」

「じゃあ、まずは君たちの名前からだね」


 俺は斜面下であるがゆえに、伏し目がちな彼女たちの顔を下から覗き込むように、ぐいっと視線を向けてそう言って、にんまりと笑ってみせた。緊張からだろう、首をすくめ足元を見ていた大人しそうな女官は、俺の視線をばちりと正面から受け止めると、赤面の見本のようにみるみるうちに顔を赤らめ「え、わ、あ、わ」とふわふわ口を開けたり閉じたりした。もう一人のやや活発そうな女官が声を上げる。


「海社、関係ないじゃないですかぁ!」

「関係はあるさ、海社の可愛らしい女官の名前を知ることが、ます1つめなのさ」

「わ、わ、あ、わ」

「もうー、なんなんですかぁ~!」


 俺はもう一度朗らかに笑い声をあげた。


「とにかくまず、私は君たちと気さくにおしゃべりができる関係になりたい。友だちになりたいんだ。私は山社で『継手』に任じられたトラジロウだ。言いにくければジローって呼んでくれていい」

「わ、わ、わたしはスュンです」

「あたしはシェヴン!」


 俺の自己紹介は受け入れられたらしい。

 色素の薄い栗毛、素直なストレートのロングヘア、おどおどと照れ屋っぽい赤面少女がスュン。やや赤毛の硬そうな髪質で、ざくざくとした刈込込みのショートヘア、快活そうでノリのよさそうな少女がシェヴン。俺は内心、発音が大変だと思いながらゆっくりと口にした。二人とも揃いの布を髪に巻いている、きっと仲の良い友人同士なのだろう。


「スュンにシェヴンだね、よろしく」

「よ、よ、よろしくお願いします」

「友だち! 継手様とお友だちっ!?」

「末永くよろしく頼むよ」

「ふ、ふ、不束者ですが、どうか末永くよろしくお願いします」

「スュン、それじゃあ奥さんだよ!」


 こちらの誘いにあっさり乗せられたスュンにシェヴンがつっこみを入れた。スュンは「あ、あ、わ」といよいよその顔色を染め上げこのままでは失神してしまいそうだった。


「落ち着くんだスュン、まずは深呼吸だ。大丈夫だ、いい関係にしよう」

「やだぁー! もうっ」

「あ、あ、わ、わたし、そんな、フレイ様に、その、申し訳なくて」


 いよいよもって過呼吸っぽくなってきたスュンに俺はあわてた。傍により「大丈夫だ、落ち着いて、二人の関係に巫女は関係ないのだから」と伝えると、本当に彼女は失神した。崩れ落ちるスュンをあわてて腕をつかんで支える、山道で頭などを打ってはたいへんだ。「きゃーーっ、スュン、しっかり!」シェヴンが絶叫する。これは、うん、一刻で戻れるだろうか。 


☆☆☆☆☆ 


 俺はスュンを背中に担ぎ下山した。残りの下山道が少なかったのは幸いだった。でなければいくら俺でもかなり消耗をしたことだろう。まだ軽い少女の肉体とは言え、人ひとり分の重量だ、下山の衝撃で膝にダメージが来る。麓にもあった湧水が流れる水場にて、俺は汗ばむ背中から彼女を降し、身体が楽になるように横たわらせた。ほぅと息を吐く、重かった。ひとひとりの命の重さであり、少女という異物の重さだった。背負って回した両手に、さきほどまでの尻の柔らかさが残る、俺は自身の邪念にうんざりし、ごしごしと自分の腿に両手をこすり付けた。腿の筋肉が張ったのだ、そういうことにしておこう。

 シェヴンが濡らした布をスュンの額に押し当て、手で汲んだ清水を唇に流し込んでいた。まだあどけない少女のつややかな唇から水滴が流れ、首筋を濡らす。

 太陽は中天に届き、木漏れ日となって新緑を透かし、黒く濡れた岩場を照らす。柔らかな光ときらきらと輝く光が世界を覆う。そのような清浄な空間で、気を失った親友を労わる少女の細やかな仕草と、瞳を閉じ静かに横たわる少女の姿は、なんだろう、俺にひとつの絵画を鑑賞させているような気持ちにさせた。人の美しさ、人が人を労わるというのを形にするときっとこういうものを言うに違いない。


「…ん、ん」

「スュン、気が付いた? 大丈夫?」

「え、あ、わたし…」

「まただよぅ、気を失ってたんだよぅ」

「ご、ごめんなさい」

「あれくらいのことで、もぅ」

「あ、あれきゅらいって…」


 彼女たちが身を寄せて話しているところに俺は割り込んだ。


「すまん」


 俺は二人の傍らで地面に膝を付き、頭を下げた。


「すまなかった、君たちと親しくなりたいという気持ちだけが先走り、心遣いが足りなかった。配慮に欠けた。誠に申し訳ない」


 彼女たちから見て大きな身体を持つ、大人の男である俺が、山道で年頃の娘をからかったりしたのがいけないのだ。怯えたり、取り乱したりするのは当然だ。


「そ、そ、そんな、継手様は別に」

「そうですよ、いいんですよぅ、スュンの失神癖はいつものことなんですから」


 わたわたとした雰囲気が二人から伝わる。


「許してくれるのか?」

「許すも許さないも、ねえ、スュン」

「え、ええ、わたしが弱いだけですから」

「ありがとう」


 俺はほっとした表情で身体から力を抜きそう答えた。彼女たちからも、ふぅー、という空気が流れる。俺は立ち上がり膝についた土を払った後に、言った。


「君たちはこれから海社の里に向かうんだったね。距離はそれなりにあるのだろう? もしよかったら私がヒトガタで送って行こう。運ぶ際に少し高い視線で驚くかもしれないが、きっと早く付くだろう」

「そんな」 

「恐れ多くて」


 すぐに二人から遠慮の声が返る。


「いや、君たちの時間を削ってしまったのは私の責任だ、それを軽減させる手伝いをさせてほしい。それに海社の里に『ご神体』を引き抜く触れをするという意味でも、私が同行するのは悪くないことだと思う」


 そういうと二人はどうするかなー、と思案し始めた。傍から見る限りは、スュンは遠慮する気持ちがやや強いが、シェヴンは瞳の端に好奇心のきらめきが見えた。ヒトガタを真近に観察することができ、触れられるという部分に胸を躍らせているのかもしれない。「継手様を送り届けるのも女官の仕事のひとつ!」とシェヴンが判断し、とにかくヒトガタの傍までは一緒に行くことになった。もともと彼女たちがこの下山道を選んだ時点で、海社の里までの行程は少し遠回りになっており、里を山の手側の外周から中心部へと声をかけて、そして海社に戻る道順での通達を選択していた、今さらなのだ。

 山を降りたその道すがら、俺はふと思い出した仕草で声をかけた。


「そうだスュン、君はさきほど自分のことを弱いと言ったね? 私は思うんだ。強さにも色々あり、相手の失敗や罪を許せる心というのも、またひとつの強さなのではないかと」


 俺はスュンを脅かさないように距離を取って静かに言った。スュンは俺の突然の声掛けにきょとんとした瞳を向ける。


「君は本当に弱いのだろうか? きっと君の心は、その奥で強さを秘めているのではないだろうか」


 俺は柔らかく微笑んで言った。スュンは目を丸くして放心しているように俺を見つめている。木々は薄く、太陽の光は強く、草むらが周囲を包んでいた。ざざざー、と潮風が草をなでる音がした。そのくらいスュンは沈黙していた。


「そうだよ! きっとそうだよ! あたし前から気になってた、そういうことだったんだ! スュンはいつだって頑張り屋さんで、どんな仕事も役目も、決して根を上げずやってたじゃないっ、スュンは強いんだ!」


 突然シェヴンが飛び上がるようにして声を上げた、興奮したように飛び上がって跳ねている。やがてスュンの両手を取り、向かい合わせで飛び跳ねはじめた。


「え、あ、ありがとう…」


 スュンははしゃぎ回るシェヴンを見つめ、思案顔で佇んでいた。そしてシェヴンのひととおりの興奮が収まるのを見つめ終えると、突然こちらに向き直って言った。


「継手様、いえ、ジロ様。ありがとうございます。そのように言っていただけたこと、生涯忘れません。きっと、きっと立派な巫女になれるよう、これから精進いたします」


 外見は先ほどまでと何ひとつ変わらないというのに、彼女の華奢な身体に一つの大きな芯が通ったように凛々しく感じられた。空気がぴぃんと張り詰めているようだ。親友の突然の生真面目な声に、目をぱちくりとさせていたシェヴンが背後から声をかける。


「えー、スュン、巫女になるの? 戻らないの?」

「うん、前からすこし思ってたの、いま決めたの。わたしは巫女になる。皆の思いと期待を受け止め、お役目を果たせる巫女になる、ジロ様が誇りと思ってくださるような巫女になるわ」

「そうかー、じゃあ、あたしもどうしようかなー、巫女になれるよう頑張ろうかなー」

「無理はしなくていいのよシェヴン。シェヴンはシェヴンの思うとうりに進めば良いと思う、巫女になればお嫁に行くこともできなくなるわ」

「うーん、でもなー、里に想い人がいるわけでもないしなー」

 

 俺は突然に宣言されたスュンの未来予想図に面喰っていた。どういうことだろう? もしかして俺はとんでもない助言をして、彼女の未来を歪めてしまったりしてないだろうか。え、なに? 生涯独身宣言? 尼になりますとかそーゆーレベル? 軽やかにそして生真面目に語り合う彼女たちを前にして、俺はただ沈黙をしていた。


☆☆☆☆☆ 


「ひゃー、これすごーい!」

「あ、あまり動かないでシェヴン、落ちそうよ」

「だいじょーぶだって、継手様だってしっかり命綱を結んでくれたでしょう!」

「で、でも…」

「ひゃー! はやいはやーい! 地面がどんどん流れてくよー」

「し、下は見せないで…」


 ヒトガタの両掌から歓声と不安毛な声が交互に聞こえてくる。いま俺はヒトガタの両脇を締め、へそのあたりで両の掌を皿のように合わせている。指を少し曲げ、柵のようにし、そこにシェヴンとスュンの2人を乗せている。ヒトガタの左手指と彼女たちの腰を縄でつなぎ、2人はともに短めの綱で繋がっている。シェヴンがはしゃぎ回ればスュンも腰の縄にひっぱられ、狭い掌を引きずられてしまうのだ。


「余りにはしゃぐと本当に落ちるぞ、怪我をしたくなければしっかり掴まっていてくれ」


 外部スピーカーを通し、余り大きくない声で伝えた。


「はーい、気を付けまーす」

「は、はい」


 実はこの声かけはもう3度目だ、シェヴンにとってこれは強烈に楽しい体験のようだ。そうか、ジェットコースター好きとか絶叫マシンフリークとかのタイプか。はるか昔、学校行事のバス遠足などで遊園地に行ったことがあった、クラスの女子で、ひたすらその手の遊具を攻めていた集団がいたな、あんな感じか。

 海社の麓から海社の里までは平地だ。足場も悪くはないがヒトガタは全長8mの歩行機械だ。腰の高さでも4~5mはある。2階の窓から突き進んでいる感覚であり、上下振動はどう気を付けてもそれなりに起こりえる。そして地面にわずかな窪みがあれば、ほら、少しぐらついたりは――。


「ひゃー、足元がすーすーするー! 気持ちいー!」

「……」


 あれは、肝を冷やすとか、脚から血の気が引いているとか、そーゆーヤツではないのか。豪胆というか、鈍いというか、危機意識がないというか、特異な趣味というか、なんといったら良いのだろう。ヒトガタの歩行幅はそのサイズ的に4倍以上ある、そして疲れて休むことが無ければ、ただの歩行がちょっとしたスピードサイクルか小型バイク程度の速さとなって駆け抜けることになる。海社の登山口から海社の里まで、徒歩移動で四半時(30分)であった行程は、僅かな時間で終わるだろう。そして里の外周に来ると2度ほどヒトガタの脚を止め、シェヴンが掌から声を張り上げた。


「里の守護者『大いなる漂泊者』様が、海社の『試し』を受けるぅー! 今宵、神樹の槍を引き抜くぞぉー! 先々の語り草に立ち会わんとする者は、今宵、月が天頂に上がる前に、海社まで来られたしぃー!」


 家屋の傍で、農具・網・漁具などの手入れをしていたのだろう里の者たちは、巨大なヒトガタがのっしのしいと近づくのをぽかんと見つめていたが、突然そのような内容のお触れを小娘の声で伝えられ、完全に唖然としていた。

 

「おかしいねぇ、皆、ぽかーんと口をあけてこっちを見てるよぅー」

「それはそうよ、突然だもの。動いている守護者様なんて初めて見るのよ?」

「大人たちは集会で守護者様が帰還したところを見ていたんじゃないの?」

「詰めていた方たちだけでしょう? 山社の方々だけだと思うわ」

「そっかー」


 そんなことを掌の上で話している、彼女たちの順応性の高さが怖い。信頼されていると考えよう、俺は安全だけに気を配ればいいのだ。しかしなんだ、彼女たちの着物の裾は大丈夫か。ちょこんと座っているスュンはともかく、立ち上がり、声を上げ、飛び跳ねるシェヴンはどうだろう。いや、考えまい。


 海社の里でもっとも家屋が集まるあたりに来た。俺は里の者たちを脅かさぬよう、ゆっくりゆっくりと道を歩かせる。少し両手を前にだし、シェヴンとスュンの姿を人に見せる。まるで祭りの山車の気分だ。それを見て人々は「なんだなんだ」「なにがあった、戦か?」「あれは山社の守護者殿だ」「でかいな」「動いているぞ」「あの掌に乗っているのギュルヴィとこの娘でははないか?」「そうだ、シェヴンだ」「何か言っているぞ」「なんだって、試し?」「本当か? 今宵だってっ?」「こうしてはおれんぞっ、一族揃って海社に向かわねばっ」「おおーいっ」「なんだなんだーっ」


 なんだかすごいことになってきた気がする。俺はスュンの指示を受け、海社の里長であるヴァールの家に歩みを進めた。そういえば、彼に合うとなんかまた色々とありそうな気がしてきた、どうしよう。

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