第29話:海社、探していたモノ。
【29】
「気持ちの良い眺めだ、それにいい風だ」
俺は本心からそう言った。丘の眼下には光り輝く初夏の海、波が太陽の光を反射して、それはもう眩しく、目を開けていられないほどだった。潮風特有の湿気と、磯の香りをさせながらも爽やかで心が高揚した。何がすごいこと、楽しいことが起こるような予感が理由もなく湧き上がる、海にはそんな気持ちにさせる何かがあるようだ。
「御使い様の海社です、喜んでいただけて恐悦至極、そして私は十九歳になりました」
フレイが畏まって答えた。
海社の里は、南に海を望む明るい浜辺だ。中央に川が流れ海に繋がっており、川から東側は急斜面の山や岩があり、それがカニの腕のように湾曲して湾を作っている、急激に深くなった海岸は、波を避ける港湾機能を有している。川から西側には遠浅の砂浜のようだ。船を陸にあげて、補修や整備がしやすく、貝やカニなども取れそうだ。明るく開放的で、そこには作業小屋が並び、また陸地にそって家屋が建っていた。板張りの建物で、萱のような細かい潮風除けが当てられており、村人は猟に、網の手入れにと、ゆったりとその日の作業に精を出していた。
そして俺が立っている場所は、西側の砂浜にどかんと存在感を記す丘の上だ。ここは展望台のように、海を遠くまで見晴らせることができた、漁の前に海を観察するに最適で、漁をしている最中の船の様子もよく見える。そのような場所だから信仰の対象ともなる「海社」が建てられたのだろうか。
海社の丘は急斜面で構成され、高さは浜から百三十~百八十メートルほどだろうか。高さはぱっと見でよく分からなかったが、登ってくる際は結構な急斜面だと感じた。丘と言ってもここの部分は急峻で、丘陵と呼ぶより小山のようであった。岩場も多く、右へ左へとうねりながら登るのはちょっとした登山道の趣だ。頂上に当たる部分はサッカーグラウンドと野球場を足した程度の平たい地面が広がっており、ここに社としての建物が建っている。ここから眺めると南は海、北西は稜線状に細く伸びた高地がそのまま山岳部へと繋がっている。他はぐるりと全て砂浜で、北側に遠く望む山があり、そこの麓に「社の里」、山中に「山社」の姿が確認できた。
丘の頂上付近には僅かながら湧水もあった、割れた岩間に水源があるのだ、ここに社を作り、信仰と生活の場として機能する理由が分かった。ここは避難場所としても最適そうだ。いままでは、洪水、津波などの緊急避難所として機能もしていたのだろう。家屋・排水等の設備をもっと充実させれば百人~二百人程度なら数日どころか数週間でも避難していられそうだ。
こんな景観を見るとここに砦や山城を築きたくなってくる、守るに硬く、万が一の際は山間部への逃走ルートもあるとなれば理想的だ。まあ、万を超える軍勢で囲まれたり、MSBが大量に襲ってきたら、もうどうしようもないのだろうが。
☆☆☆☆☆
俺は報告を行った夜の翌日をヒトガタの整備に当てた。朝の明るい陽射しの下で、機体の細かい箇所を確認すると、右型の装甲板損傷は予想を上回る速さで回復していた。あの村では、戦闘直後、すぐに大きめの破片を拾い集め、丁寧に流水で洗い流した後、傷口に宛がい、布で巻いて固定するという作業をしていた。その破損個所は早くも癒着を始めており、三~四日もすれば完全に回復するのではと思えるほどだった。何というタフネス、こいつすげぇ。
そこで俺は早朝の禊を終えたイズナと婆さんに、ヒトガタの武器について問うことにした。この社で保管されていたヒトガタなのだ、武器となるべきものは保管されていないのか、または伝承などないか、それを確かめた。そして可能ならばヒトガタの仲間と呼べる、僚機のような存在の手がかりなどもあれば……。
しかし俺の強欲さとは裏腹に、社に武器の保管はされていなかった。ただ伝承はあった。かつて「大いなる漂泊者」は長槍を携えていたのだ。雷光を放つその槍は、いかなる敵をも逃さず、粉砕し、撃退したという。それだ! 俺の過去のイメージとも合致する、それがあれば!
「しかしその槍は、いまこの社に保管されておりません」
淡々と語るイズナを前に、喜びと落胆を同時に味わった俺は前のめりで倒れ込みそうになった。そこに、ひょこんと現れたのがフレイで、がっくりと両手を床にあててうなだれる俺の肩を、とんとんと指先でつつき、そして言ってきた。
「継手殿が望み探し求めている槍を、見出す協力ができると思われます、19歳になりました私なら」
俺はその声に驚き、すがる思いでフレイの顔をまじまじと見つめた。ものすごい勢いで振り向いた俺に驚いたのか、彼女は始終潤潤みっぱなしだった瞳をまんまるに開くと、やや上体をそり返したじろいた様子を見せていた。その時の俺はそれに気が付かず、ずりずりと膝よりになり「本当か、もしそうならぜひ頼む!」と縋りつくように申し込んだのだ。フレイは熱っぽいため息とともに
「継手殿のいかなる望みも叶えてみせます、海社の巫女として、十九歳になりました私が」
とつぶやき、自らの身体を抱いていた。
視界の隅で、イズナの顔が少し悔しそうに見えたのは俺の気のせいだったと思う。
そうして翌日の早朝からフレイを伴いヒトガタで「海社の里」へ向かったのだった。
フレイには命綱を結んだ状態でヒトガタの掌に乗ってもらった。俺は人前でのヒトガタの騎乗に、もう一切のためらいは無くなっていた。今ではヒトガタに騎乗しても、孤独と闘争心から迸る悲鳴のような叫びはほとんど聞き取れない。俺に耐性が付いたのか、鈍くなったのか、それともヒトガタの液体流動神経回路がその長い戦と孤独の傷を、少しづつ癒しはじめているのか、どれだろう。癒されているといいと心から思う。
可能なら、もうヒトガタを戦場のような「強い破壊衝動」にさらされる場所に連れて行きたくはない。こいつはもう充分すぎるほどに戦い、傷つき、心をすり減らしてきたはずだ。適うことならば、昨日の午後に行った、建築作業的な、大集会場用の「柱建て」というような仕事だけを与えてやりたい。丸太と爪で穴を掘り、大柱を立てて固定する。この巨人の力はそのような作業ではやはり百人力だった。集まって作業を補佐する里衆の皆が「おお」「すごい」「頼もしい」「ありがたい」と見上げていた。あの時の額に汗する充実感と高揚感は決して搭乗者である俺だけのものではなかったはずだ。
ともかく、俺はもう、この機体に搭乗する際に人目も人気も気にしていない。だから残る問題はフレイがこのような不安定な場所に坐することに怯えるかどうかであったが「里の守護神に触れ、掌に坐す栄誉、光栄の極みです、ああ恍惚」と、すごくヤバそうな、ハイテンションを超えるトリップ状態をキメてくれて、なんだ、逆に俺が不安になり命綱をがちがちに結んでやった。彼女の思考と嗜好が本当に分からん。もっとも、俺が女性の心を理解したことなぞ今まで一度もなかったかもしれないが。
とにかくそうして、俺は彼女と二人の「海社の里」までの小一時間の移動を行った後、海社の丘に立ったのだった。
☆☆☆☆☆
「継手殿にお見せしたかったのは、このご神体です」
フレイと俺は「海社の丘」麓にてヒトガタから降り、徒歩で海社の丘に登った。この海社というものを体で覚えておきたかったからだ。額に背中にと汗まみれになって頂上にたどり着いた俺が、清涼な風で一息ついたところでフレイは俺の手を取り、導いた先でそう言った。
頂上にある社の敷地は広々と開かれながらも、ところどころに樹木を残しており、ご神木のような大木が何本もあった。フレイに手を引かれながら、俺の視線はあちこち彷徨う。果実が成る樹があった、あれは橘だろうか橙だろうか、いや実が生るには季節が早いか、なんだろう? 柑橘類には間違いないと思うけれど。明るいオレンジ色の色彩が俺の目を和ませた。そして独特の樹皮の樹、これはイチイだろう。赤い小さな実はまだ結実していないが、その葉と樹皮の形状から予測がつく。まさしく俺の知っている「神社」の雰囲気があった。玉砂利こそないものの、その新鮮な樹木の香りと澄んだ空気に俺は健やかな気持ちになった。
それらの樹木の先、海社の建物前の広場ともいえる場所に白い大きな樹木が、いやオベリスクのようなものが建っていた。丸柱のようにまっすぐに伸びていたそれはひときわ異彩を放ち、立ち枯れた樹木を思わせながらも、妙な透明感と存在感を感じさせていた。
俺はそれを見上げながら言った。
「ご神木、ということか?」
「いえ、これは樹ではありません」
フレイがご神体を伏し目がちに眺めながら伝える、俺はしげしげとその柱を見上げた。うん、樹ではなさそうだ。俺はフレイに確認するように視線を送り、そっとそのご神体に手を触れた。おい、まさか…。そう思った時、フレイがとつとつと語りはじめた。
「これぞ『御使い』様が従えた『大いなる漂泊者』様の力の源。魔を破り、敵を屠り、困難を弾くもの。この長槍にて大いなる漂泊者様は魔物を退治し、大軍を退け、嵐を収め、やがて全ての厄災を退けた後、この丘にそのお力を込めました。いま再び里に危機が迫るなれば、この『長槍』を引き抜くことで資格をお示しになられ、お力を取り戻して、勤めを果たされる時」
陶酔し、謳うかのように語る。絶対こいつ、この台詞をそらんじれるよう練習していただろう、そうだろう。
「どんなアーサー王伝説だよ…」
俺は微妙に脱力し、先ほどまでの清涼感も失せて項垂れた。
掌にはヒトガタ装甲板と同様の感覚を感じる。この柱、いや長槍の長さはヒトガタの身長を越えていそうだ。11~12m程の長さはあるだろうか。そして、槍の先が埋まっているのならば、その長さはもっとあることになる。太さはヒトガタが握るのに程よさそうだ。潮風に洗われ、乳白色になっている槍は、遠目に見ると白樺の樹のように見える。もしくは立ち枯れた落葉松だろうか。そういえばこんな光景をどこかで見たような気がするな。いや前世とかそういうものではなく、どこかの観光地の写真だったか。いやいま問題にすることはそうではなく、これが「使える」としたらとても頼もしいものだということだ。強度が十分にあり、切っ先の硬度や切れ味が鋭いことを祈るばかりだ。
「で、これは抜いて問題ないのか?」
「抜いてくだされば、海社の勤めの一角を果たすことが出来ます。守り通してきたものを、見合った方にお渡しすることが出来たとなれば、それは大きな誉です」
良いというのなら、良いのだろう。このご神体を引き抜いて「罰当たり」とか、「新たな災厄が」とか言われないのは助かる。助かるのだが、なんだろうこの落ち着かなさ。
そう少し考えていると、いつの間にか海社の巫女たるフレイ以外にも人が集まっていることに気が付いた、いつの間に。彼女らはこの海社に仕える女官たちなのだろう、似たような揃いの衣、白い木綿の上衣に藍色と緋色の縁取り布を付けている長衣を身に着けていた。それがずらりと勢ぞろいし、皆が皆、一様に期待に満ちた瞳をこちらに向けて、俺の一挙手一投足を観察している。まるで舞台に立った役者か、動物園のマスコットの気分だ、ああ違う、これはそうだ、女子高に配属された教育実習生の気持ちだ、きっとそうだ。お前ら何がそんなに面白いんだ。こっち見るな、散れ。
「我ら海社の巫女が、幾代にも待ち焦がれた継手殿よ、どうかその資格をお示しください。そして我ら海社の巫女に、巫女の誉れをお授けください」
フレイがそう言って跪くと、集まっていた女官もそろって俺に跪いた。お前ら! 海風が流れ、俺の沈黙を吹き飛ばしながら木々がざわめく。いやな緊張感。ここは何か答えるべきなのか?
「引き抜くのは私ではなくヒトガタだ。『大いなる漂泊者』こそが―――」
俺がそう口を開くと、女官たちは「わっ」と騒ぎ始めた。「すてき! 守護者殿をお迎えできるのね!」「祭りよ! 早く飾り布を!」「里の皆を集めて! 総がかり! すぐに!」「念願の晴れ舞台だわ!」「これで勤めが終わるーっ!」「巫女さま! 勝負時です!」「きゃーーーっ!」
姦しいぞお前ら。何がいったいそんなに嬉しいんだ。
海社の建物は、こじんまりとしたものだ。建物の大きさは山の社の半分程度だろうか、庫裡の大きさもやや小さく、当然、勤める女官たちの数も少ない、はず。が、その存在感たるや。わいわいきゃいきゃい何かそんなに語るべきことがあるのか分からんほどにあちこちで情報交換というか感情交換というか、うん、無理、俺はこのような空間に耐えられない。
「フレイ殿、ひとまず私はヒトガタを取りに戻ります。一刻(二時間)ほどで戻れると思う、斜面を崩さぬように気を付けるが、何か注意すべきことはありますか」
「きゃーーーっ! フレイ殿ですってーーー!」
「いえ何も、継手殿のお心のままに」
「きゃーーーーっ! お望みのまま!」
「信頼を損なわれないよう心しよう」
「きゃーーーーーっ!」
もう、勘弁してくれ。