第3話:婆様、語ったことと荷物。
【3】
婆様のいうことは要はこうだ。美女の移り香の残る衣を身に着けて、周囲には老婆と子ども、うす布を纏った年頃の娘の姿しかない。ここで劣情を催し無体な要求をしないなら、少なくとも性犯罪者ではないだろう、と。頼むからそんな確かめ方をしないで欲しかった。俺の自制心と彼女の乙女心をすり減らさないためにもだ。
婆様はこうも言った。お前はこの里の者ではない、近郊の若者でもないだろう。なぜならその長身ならば人の噂にぐらいなるからだ。そして特異な衣装を持つとなれば、遠くからの旅人、迷い人であるというのも信じても良い。しかしそうなると、男子禁制のこの領を犯した罪は問わねばならない。だが、我々が祈りをささげる大いなる漂泊者への御使いであるならば、その罪は当然問われない。さて、お前は御使いか否か?
しらんがな。
正直そう思った。しかしここでクソ真面目にそう伝えたら、なんだかあっさり犯罪者として扱われそうな気がする。もちろんこの場をダッシュで逃げ出すという選択肢もあるが、はたしてここがどこなのか、どっちへ走れば村があり町があり駅があり、俺の知っている土地に戻れるのかがちょっと心もとない。たぶんこの小屋の周囲には里と呼ばれる集落への道ぐらいあるのだろうが、土地勘のない状態。先回りで集落の駐在さんだか青年団だかに連絡がつけられ、山狩りか不審者手配だかされたら1発アウト。かなりの田舎のご様子だし、ここで里の因習を踏みにじったら後が怖そうだ。
しかしなんだ、長身? 俺の身長はごく普通だ。確か数年前の健康診断では176センチ、一般平均よりわずかに高いが長身とまで呼ばれるほどの背ではない。まあ確かに、目の前にいる3人は驚くほどに小柄だ。おそらく婆様は身長が140~150センチほどだろう。
最初に滝壺で目が合った娘さんも小柄で細い、身長は高く見ても150センチなさそうだ、おそらく十五~十九歳だろうか、髪が銀髪のような白で、瞳が真っ赤という特殊な顔立ちのうえ、肌に化粧っ気がないくせに口元に紅をさしたり書き眉をしているという、まるで正月能舞台の巫女さんみたいな装いで、ちょっと年齢を図りかねる。あ、体が細いと断言したのは先ほど滝で見たからではなく、現在進行形でほっそい腰もとが薄い布越しに見えるからだ。なにあれ、内臓はいっているの? というほどに絞られた帯紐だ。
そして最後の子ども美少女は年齢10歳前後だろうか、当然お人形のように小柄です。ちゃんと食べているのかね。
「分かりません」
きっぱりそう言った。だめだ、嘘がつけない。その代り腹の底から声を出して言った。そうだ、これは面接だと思えばいい。貴方は今まで何を学んできましたか? 弊社で何ができると思いますか? 自信を持って伝えることのできる経歴、資格、目標があれば別だが、現在それを俺は持ってない。その代り覇気と誠意だけは持って言う。
「それでも、あななたちに危害は加えないことはお約束します」
まっすぐに婆様を見つめていう。肩の力を抜いて、しかし視線は力強く。
「信を持ちたくなる風情よな」
黙って見つめ続ける。
「儂ひとりの信ならば、お主の物言い、気迫で十分足りるだろう。しかしことは里の進退に係る。お主のその言葉だけでは足りんぞ」
「はい」
「お前をこれから里の皆に引き合わせる。そこでいま一度同じ問いをしよう。皆を説得してみせい」
「ユーミル殿!」
「ばば様」
美女イズナと美少女イトゥンが同時に声を出した。雰囲気的にイズナは怪しいコイツを捕えなくて良いのか的なニュアンスで、イトゥンはなぜ村人を説得する必要があるのか的なニュアンスだった。いや誤解かもしれないけれど。
「取り急ぎは衣を乾かせ、そして荷物をあらためる。武具の類は無かろうな?」
「無いと思います」
俺は鞄を広げた。中にはいくつかの荷物が入っている。財布、手帳、筆記具、携帯電話、読みかけの小説、雑誌、常備薬に、業務用ノート……。筆記具の中にはカッターナイフと鉄製のスケールがあるがこれは武器だろうか。とりあえず警察官相手ではないのだから、ゆっくりとした動作で荷物のひとつひとつ取出し、自ら確かめながら、相手にも確認させるように並べた。あ、携帯電話は濡れてない。小さなポーチに入れていたのが幸いしていたのか、でもアンテナは立ってないや、残念、やっぱり会社には連絡を入れられないな……無断欠勤になるんだろうなやっぱり。財布の中身は濡れているけれど大丈夫だ、日本のお札は優秀だね! ゆっくり1枚づつはがして床にぺたぺた貼ってゆく。1万円札と千円札が数枚、小銭も少し。とりあえずの交通費は大丈夫そうだね。
ここで、いったん荷物から視線を外して相手を見ると、3人とも微妙な表情をしている。
「ちと聞くが、それはなんじゃ?」
そろそろやばい、自分を騙せなくなってきた。やっぱりこれは……。
「これはお札です。日本で使用される通貨です、お金、貨幣ですね。こちらは硬貨で銭です」
「これが銭だと?」
ああっ、乱暴に扱わないでっ! お札が破れちゃうっ! 思わずそう心の中で叫んだ。いやどうだろう、使えるのかこれ、この世界で。
だって、ねぇ? この人たちの着ている衣類、特にイトゥンが着ているものはどう見ても「貫頭衣」と呼ばれる衣類であり、腰帯は素朴な麻ひもで、3人が身に着けている首飾りは黒光りする黒曜石、体のいくつかの場所には怪しげな文様が塗られている。玄関先の靴は草鞋のような足袋のようなものと木靴だった。これが平常空間ならこれは歴史テーマパークのコスプレにしか見えない。そして彼女らのリアクションはとてもパークの従業員の反応ではないのだもの。