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第24話:知覚、悪意あるモノたち。

【24】


 村の通りを駆け抜け、畑のあぜ道を駆け続け、村を遠目に観察していた当初の場所まで戻る。眼下に村を見下ろせる里山の中腹、夏の気配が濃くなった草茂るその奥に、駐機体勢のヒトガタがあった。足元には今回の行軍用装備、クッション用の毛布に多少の食料、小型の鍋、即席の竃の跡が村ヘと向かった状態のまま残っていた。俺は毛布の上にイトゥンを寝かせると、流れる汗もそのままに彼女の顔を覗き込んで呼びかけた。俺の額からぽたぽたと汗がしたたり彼女の頬に落ちる。


「イトゥン! しっかりしろ!」

「ん」


 意外なことにイトゥンはすっと目を開けた。


「だ、大丈夫なのか?」


 俺の上ずった問いかけに対し、少しかすれ、熱を帯びた声ながらも、しっかりと答えた。


「だいじょうぶ、なんともない」


 イトゥンはそう呟くと「お水、もらえる?」と言葉を重ねた。俺は「え、ああ、だが……いや、大丈夫ならいいんだ?」と混乱した言葉を返す。そこにバルドルから俺に水筒が突き出された。


「オマエ、こっちに向かって走ってくる最中、とっくにイトゥンは気が付いてたよ。目開けた後で妙な顔でにやついて、がっつりお前にしがみついていたじゃねぇか」

「バルドルは、うるさい」

「いい根性してるぜ、この姫巫女は」


 頬を上気したままでむっつりと口を開くイトゥンと、あきれ顔で彼女を見るバルドルを、少し茫然として眺めるまま俺は何も言えず、反射的に水筒を受け取りそのままイトゥンへ渡した。イトゥンは俺に背中を支えられた姿勢のまま竹筒の栓を抜くと、口をすこしだけ開いて水筒に口を付け、こくこく喉を鳴らした。わずかに水が口の横からこぼれだし、首と鎖骨を通って彼女の衣類の胸元を濡らす。

 もう日中の気温はかなり高くなる季節になっている。草の香りが強まりやや蒸す草むらの中、イトゥンの少し日に焼けはじめた肌がしっとりと汗ばんでいるのを支える掌に感じた。俺自身の男臭い汗とは違う香りがどこからともなく漂ってきて、俺は妙な居心地の悪さを感じたが、水筒に口を付けたままのイトゥンを動かすこともできず、その姿勢のまま固まっていた。

 そして、ひと息ついたイトゥンに対してそのいたずらを咎めるより早く、彼女から魔導の結果が伝えられた。


「見えた。あの人たちはここと違う村の人、でも果国の人ではない。かつて襲われ、仲間になった村の人だった」


 目を閉じ、胸に両手をあてて彼女は何かを確かめるように言葉を紡いだ。先ほどまでのふざけた雰囲気はどこにもない。


「あのひとたちは詳しいことは何も知らない。ただ指導者に連れられて進み、ただ槍を振るい、ただ自分の欲望の感じるままに行動しているだけのひとたち。弱いものを虐げるのを喜んでいるひとたち」


 果国の兵士補強は、襲撃し、そこの若者を吸収することでするシステムということなのだろう。血気盛んで、収奪で食料や物品を得ることに躊躇しない、力の論理の信奉者ならば、一兵士としては即戦力で十分に使えるということか。武器にしても、木を削り、石を組みつけた程度のもので充分ならば自己調達させられる範囲だ。日々の食事を保証し、あとの恩恵は「勝ち戦での収奪」という方式で集団をまとめるとしたら、実にシンプルな軍隊形成といえる。

 それをイトゥンに確認すると、彼女は「そのとおり」というように頷き、言葉を続けた。


「そして、あの大きな、御使い様に似て非なる巨人。あれは……望まれない方法で増やされた『忌むべきもの』だと思う」


 イトゥンは、額に汗を浮かべて、必死になって適切な言葉を探っているようだった。俺とバルドルはその言葉のニュアンスを測り兼ね、困った顔で見つめ合った。


「いま、見せる」


 イトゥンは、おおきく息を吸うと、かっと虚空を睨みつけた。そこに浮かぶ、何か忌まわしい存在に負けまいとするかのように。と同時に、ちいさなあの『光』がふわりとイトゥンから発せられ、その爪ほどの粒のひとつふたつみっつが俺とバルドルに流れ込んだ。驚きの声を上げる暇さえなく、俺の目の前に何かの映像イメージが展開される。なんだ? このぼんやりとした視覚イメージはまるで白昼夢のようだ。


★★★★★


 何か「大きなもの」から引きちぎられる肉の塊がある。それはゼリー状の液体を詰めた半透明な袋、ほうに挿入される。じんわり広がる暖かさと共に、強制的にエネルギーを流し込まれ、かつて正しく立派だったものの一組織であった肉の塊は、歪められ、貶められ、急激に成長を促されて、似て非なる別の物体へと変わってゆく。それは痛みを伴うものだった。肉の叫びが頭の中でわんわんと響く、なぜこのような扱いを受けるのか、なぜこのように痛むのか、伝えるべき先の無い問いかけが昼夜を問わず続けられる。1週間か、1か月か、1年か、それとももっともっと長い時間だろうか。長い長い叫びが続いた結果、肉の塊は「大きなもの」へと成長し変化していた。それは醜悪でおぞましい外観の、肉のヒトガタモドキ。それは確かに先ほど見た『ヨトゥン』に似ていた。

 成長し、脈動し始めたヒトガタモドキは、まるで皮膚の無い人間のようだ。胎児と人間の中間の姿であり、魚と人間の中間の姿でもある。痛みから逃れるように腕を伸ばし、やがて苞を破れるほどの巨体へと成長する。裂けた苞から、べちゃり、べちゃりと溶媒液とも体液とも流体神経回路とも判別が不確かなものを床に垂らし、おぞましい人工の子宮をずたずたに引き裂いて外気へ触れる。急速に乾燥する肉の表面は、引きつりの残す薄い薄い皮膜を形成し、わずかに萎む。ケロイド状の皮膚のようだ。そしてそうして完成されたヒトガタモドキは、まさしくあの骨太の『ヨトゥン』だった。


 外気に触れ、わずかな痛みをこらえながら動きを止め、うずくまるヨトゥン。しかし休止しているヨトゥンの腹部を裂いて何か異物が挿入されることになる。やがてヨトゥンは、その異物から何か明確なメッセージを受けて、意志に似た何かを持ち始める。

 メッセージは伝える。

 お前はこれから遠征に出る、我に従い、我の言うままに進め、我の命じる建物とヒトを破壊し、我が命じる場所で休息を取れ。我は汝であり、汝は我の肉体となる―――。


★★★★★


 少しづつ意識が明晰になる。俺は跪いて頭上を見上げる姿勢で意識を取り戻した。天に向かって何か叫んだのかもしれない。

額から脇から胸元から脂汗が噴き出している、なんという悪夢だ。おぞましい感覚だった。まだ少し荒い呼吸のなかで、妙に潤った喉の感覚があり、首回りが汗と違うもので濡れている。ふと横を見るとバルドルも唸りながら地面から身を起こしているところだった。彼も汗がびっしょりだ。彼は地面を転げまわったのか、身体じゅうに葉を貼り付けていた。


 そして目の前では、水筒を手に持ったイトゥンが口元をぬぐいながらこちらを見ていた。じっとこちらを見つめる目は、いつもどおり感情の揺れも少なく……いや、なんだろう、目が泳いでいる。イトゥンは横を向いて視線を逸らせ、そして横目でこちらを見た。

 「理解できた?」という問いかけに感じられ、俺は「よく分かったよ、ありがとう」と笑って答え、立ちあがった。

 そこにバルドルから声が上がった。


「おい、村がやばいことになってるぞ」

「どうした?」


 バルドルの声の緊張感から、俺はすぐに反応した。


「あのバケモノが動き出しやがった」

「なんだと!」


 村の方角を見ると確かに家屋の屋根をぶち破り、巨大なヨトゥンが動いていた、村人を襲っていた。風に乗ってここまでかすかに音も届く、建物を倒壊させ、押しのけ、村人を追い回している稼働音。俺は口を開いた。


「戦うな、とのお婆様の忠告だったが、俺はそれを守れない。あのヨトゥンが猛り狂っているのは俺たちが兵士を殺したからだ。このままではこの村の人たちに迷惑だけを振りまいたことになる。」


 視線をヨトゥンから外さぬまま俺は言葉を重ねた。


「だから俺はあのヒトガタを止める。倒す。1対1だ。相手の強さを見極めるのも都合がいい。この判断は俺の傲慢だと思うか?」


 俺はバルドルを見た。精悍な戦士長はにやりと口元を歪めて笑った。


「理由を作ったというのならオレだって兵士を殺したんだ、止めねぇよ。ただ、オマエひとりが全てをしょいこんで幕引きまでやろうってんなら賛成しないぜ?」

「よし、やろう。しかしイトゥンはどうなる、俺とヒトガタが破れたら、誰がイトゥンを里まで送り届けるんだ」


 バルドルが答えに詰まり渋面になる。しかしそこにイトゥンが口を挟んだ。


「ここで御使い様が負けるのなら、もう里にあれを止めることのできる者はいない。私は里に帰っても死ぬことになる。なら、ここは御使い様とバルドルの2人で協力してことに当たった方がいい。ダメなときは3人で一緒に死ぬ」

「オ、オマエな…」


 あっけに取られた表情でバルドルが言葉を探す。


「最悪の予想を、さらりと言うのはどうかと思うぞ?」

「事実を述べただけ」


 あまりに割り切りの良い意見に声をかけた俺は一蹴された。ここ一番で腹が据わっているのは誰なのだろうか、負けそうだ。しかし確かにあの巨大人型兵器を持って里を攻められたら対処は難しいだろう。人の手では里に乗り込んでくるのを止められそうにないない、せめてこちらから攻めるのならば人の手でも対処の方法もあるか…。


「とにかく、覚悟は分かった。」


 俺はおおきく息を吸った。


「イトゥンはここで待機。バルドルは村人の避難指示、及び敵の指揮官の確認、可能なら確保。俺はあのでかいやつと一騎打ちだ。指揮官を生かして捕まえられたらイトゥンの出番だ。いいか?」


 イトゥンが口を開く。


「私が傍にいれば、あの『まがいもの』の巨人の動きを封じれる、動きを弱めれる」

「あの魔導を使うのか?」

「そう」


 あの光、イトゥンに心を読まれる時、確かに意識が酩酊した。それで副次的に隙を作るということだろう。しかし危険だ、あの巨体がふらりと突然転倒するだけで、人は簡単にぺしゃんこだ。それにあの肉のイメージは俺でもまだ胸のむかつきが押さえられないくらい気持ちが悪いものだった。そう何度もイトゥンに味あわせたくない。俺は言った。


「バルドルと一緒に行動すること、最初の仕事は村人の避難指示。それが終わったうえで、周囲に兵士の姿がなく、イトゥンの傍にバルドルがいて、俺が苦戦していたのなら、頼む。それでどうだ?」


 イトゥンが分かったと言うように頷いた。バルドルに視線を向けると彼はばりばりと後頭部をかいて言った。


「地味な役割になっっちまったがしょうがねぇな」

「頼りにしてるから一切合財をお願いしているのさ」


 俺は軽い口調を保って言った。バルドルの片意地張らない自然な仕草に俺は少し救われた気持ちになっていた。大丈夫だ、俺はあのヨトゥンと戦える、そして倒してみせる。


「イトゥン、先走ることはするなよ、バルドルの指示に従うんだぞ?」

「大丈夫」

「よし、では行こう」


 俺たちは俺たちのヒトガタに向かって駆け出した。


☆☆☆☆☆


 右手にバルドル、左手にイトゥンを乗せ、俺はヒトガタを立ち上がらせた。ばりばりと木々の枝を突き抜け、全長八mほどの巨人が立ちあがると景色は一変して見える。遠くまで見渡せるその視界は良好だが、足元のおぼつかなさと表裏一体だ。俺は高台の森を抜け、畑を抜けて村へと移動させた。ヒトガタの重量は分からないが、人の基準で考えるならば、とんがり烏帽子を含めて全長二mのダンサー的体型の鎧武者の総重量を体重八十キロと鎧四十キロとして、四倍の身長、六十四倍の体積で八トン近い重量となる。それが二足歩行で駆けると大地が響く。

 そのような音を響かせるなかで、腰もと五mの高さで広げられたおおきな手のひらに命綱もなく乗せられた同行者の恐怖感はかなりのもののはずだ。その揺れも半端なく激しい。それでも二人は村はずれまでの数分間を指にしがみつくことで耐えた。俺は村はずれの建物の影にて彼らを降した、バルドルはすばやい反応でイトゥンを小脇に抱えるようにしてヒトガタから離れてゆく、最後にサムズアップ。あれは最近彼に教えた仕草だ、「うまくやれよ」彼からのメッセージをこちらも返す。その頃には既に敵の『ヨトゥン』はこちらの姿に気が付いていた。


 俺のヒトガタを味方と勘違いしているのかどうかは知らないが、敵は棒立ちになってこちらを見ているだけだ。怪訝そうな仕草に見えるのは俺の先入観だけではあるまい。


 ヨトゥンは予想どおりの重量級だ。全長約八mの体躯は丸く太い胴体と頭部、短めの脚で構成されている。そして腕はやや長く太い。手には丸太を削ったのだろう「棍棒」を持っている。見てくれは二回りおおきいビール瓶か。これでもし丸太のにイボでも付いていたら、まさしく鬼の外観だ。

 外装とよべるものはない、木の板の装甲を肩と胸部に張り付けた長い布垂れの上着と腰巻、同様に布の頭巾。肘から先の腕は真っ黒な筋肉筒がむき出しだ。しかしその「皮膚を剥いだ」ような外観はあまりにグロテスクであり、まさしく悪鬼そのものだった。

 頭巾をかぶっているのは眼球を乾燥や埃から守るためのものなのだろう、しかしこのご面相で屈みこんで覗かれたら、地面から仰ぎ見る村人たちはまず間違いなく腰を抜かして動けなくなること請け合いだ。そう、ヨトゥンの顔も「人間の皮膚を剥いだよう」な状態になっているのだ。恐るべきことに口と歯はあるのに、そこに唇はない。これに夕闇で襲われたらその夜が悪夢でうなされること間違いない。


 今は日中で太陽は中天にかかりきる前、初夏の健全な明るさの中で見るとやつのグロテスクさにもまだ耐えることができる、威圧感で逃げ出したくなることは無い。俺は腹に力を込めると、ゆっくりと正面からヒトガタを近づけた、そしてヨトゥンに触れるまであと三歩という距離から素早く踏み込むと、棍棒を握っている右手に向かって前蹴りを繰り出した。狙いたがわずヨトゥンの右手に俺の右つま先は当たり、ヨトゥンは棍棒を取り落とした。そこから連続して掌打を一撃胸に打ち込む、ヨトゥンは痛みをこらえるかのように前かがみになった。差し出された顔面。その首筋を狙って左の手刀を叩きこむ。やった! 奇襲から猛攻へと続けたこちら側の攻撃は成功し、ざくりと爪が筋肉筒を裂いた手ごたえが感じられた。体液を流しながらさすがの重量級もぐらりとよろめく、そしてそのまま倒れ込みそうになった。


 ばか! そこに倒れるな!


 村のメインストリートとなる通りのど真ん中、ヨトゥンは村の家屋に倒れ込みそうになっていた。その家屋の影に俺は村人の姿を見た。俺は周囲の安全確認を怠っていた。まだここには人が残っていたんだ!

 俺は倒れそうになったヨトゥンを抱えるように抱き留めると、道路に向かってて突き飛ばそうとして、今度はこちらが抱き留められた。がっつりと組み合った相撲のような姿勢になった。


 こちらが身長百七十五センチのダンサーならば、敵は身長二百センチの力士だ。体重は百六十キロを超えるだろうか、そうなると単純計算で十トンを超える。鎧なしで二割増しの重量を持つパワーレスラー相手にがっぷり四つ、俺は青ざめた。やばい。と思うよりも早く激しい衝撃と振動、全身を激しく打ちつけた。たぶん、投げ飛ばされた。立たなければ、そう思っても平衡感覚がなくなって、どう身体を動かせばよかったのか思い出せない。吐き気のする不快感を抜こうと深呼吸しようとするが、呼吸は浅く早いだけだ。


 内臓がしびれるような痛みをこらえているだけ精一杯、動けないままうめいていると、そのうち、がつんがつんと殴られる音がしだした。ヨトゥンが長い腕を繰り出し、倒れたヒトガタの頭部や胸部に拳を繰り出していた。大きめの手がハンマーのように振り下ろされヒトガタの装甲板に細かいひびが入る。装甲の下では筋肉筒が歪み、つぶれ、体液を吹き出した。

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