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第21-2話:【断章】ケヴン

 目の前にいる男の印象は、ひとことで表現するなら「変わった男」だった。


 大柄と言われた儂から見ても大男であった。春が終わる頃、昨年同様に今年も「山社の里」から戦士長バルドルが来訪してきた。そのバルドルに同行してきた男のことだ、名をトゥラジローと名乗ったが、名前からして変わっている。

 バルドルが言うには「社に逗留している治療師だ」ということであるが、そうは見ることのない見事すぎると表現しても差し支えない体躯をしてた。背が高く、腕が長く、強靭そうである。それでいながら腕力にモノを言わせるような粗野な風がない、流れの治療師につきものの怪しげな雰囲気やもったいぶった言動もない。素直であり、率直であった。「まっすぐ」というのが人となりの評価となる。外見と生業とが合致しない。また名と同様に、面差しや風貌も少し変わっており、佇まいもまた常人とは違うように思える。「どこが?」とはうまく言い表しがたいが、言うなれば「何もかもが違っている」のだ。


 そのような大男にいくらかの興味を持ちながらも、まずは交易の申し出を聞くことから始めた。いつもどおり、交易品の代わりに斧や刀剣を求めてくるのだろうと、バルドルの話に耳を傾けてみると、最初の申し出は「剣を見てほしい」ということだった。もちろん見るとも。儂はそれしかできない男だ。そしてバルドル程の手練れの剣を拝見するのは心躍る。はたして儂の剣はこの戦士の役に立てたのだろうか、折れず、曲がらず、刃こぼれせず、切れ味を保ち、相手の武具に対抗することはできたのか、それを知りたい、そして新たな糧としたい。


 その申し出と同時に「鉄剣が痛んでいた場合はその変わりを、そして銅剣の修復を」という願いを申し出てきた。鉄剣を痛めたと心配するほどの諍いがあったのだろうか。最近、この周辺にもきな臭い話は伝わってきている。そうれを考えると気が重い。現に先日まで、山向うの「合わさる川の里」より届いた鉄剣三十という注文をどのように捌くかで里は大わらわであった。とても通常の数ではなく、代価もまた、問題となった。むげに断れる相手ではない、しかしそもそも用立てるだけの量が無く、材料も心もとない。各々の鍛冶師が所有していた鉄剣の、全ての在庫をかき集めて二十本、それを渡すことが決まり、残りの十本はこれから打つこととなった。そうした取り決めが一昨日行われ、私は仕事を始めようとしていたところなのだ。


 差し出された剣を見た。

 確かに刃こぼれがひどい。そして修復を求められた銅剣に至っては根元から折れていた。これまたひどい、どのような叩き付けを行ったのか。丸太や地面にでも――、いや、この刃こぼれから察するに剣同士で激しく打ち合ったものに違いあるまい。バルドルの鉄剣と銅剣、ここまで打ち合うとはどのような戦士だったのだろう? そう思って剣の具合を眺めながら説明に耳を傾けると、件の大男がバルドルとやり合った結果だというではないか。驚きはしたが納得だ、これほどの体躯だ、腕力も相当あり、その力でバルドルの剣を折ったのであろう。この男はバルドルから『戦士の試し』を受け、そしてやり遂げた男なのか。


 しかしやはりこのトゥラジローという男は奇妙なしゃべり方をする。話す内容、言葉、全てがどこか普通の戦士とは違うものだ。知的であり、そして何より不安定だ。自分でしっかりと考え血肉になった物言いをするかと思えば、突然誰かに言い含められているような覚束ない話し方になることもある。「よく覚えてませんが……」「果たしてどうだったか……」一人前以上の男を相手しているような、まだ未成熟な幼子を相手にしているような、そんな相反する感想が交互に感じさせられる。才気があり、そして未熟だ。

 実に妙な部分を多く持つ男である。バルドルに匹敵する戦士にして、流れゆく者にしては、その勇敢さや狡猾さとは違う部分が多すぎる。もしかしたら、どこぞの里では重い役職を担っていたのだろうか、それともその血縁者であり、仕事ぶりを眺めていたのかもしれない。そうか、息子か。


 とにかくかの男が、精いっぱい誠実であろうとする姿勢は見えた。トゥージローが背筋を伸ばして語る時、それは妙なほどに素直に聞き入れてやる気持ちになる。そして彼の語る技術・発想のなんとも天衣無縫なこと! 儂のの中で、「できるのか? いやできそうだ、たぶんできる、やってみて損はない、ぜひやってみたい!」という気持ちが相互に揺れ動く。そのように心が震えるのはどれほど振りだろうか。


 彼の発案をもとにハンマーを振りかぶる。迷いはない、いやある、なんだこの胸の高鳴りは。物心ついた時すでに親父の工房に出入りをしていた、初めて槌を振りかぶったのは十一歳の頃。あのときの胸の高鳴りに似ている。恐ろしい、恐ろしくない、迷う、迷いはない。相反する胸の高鳴り、止まらない想いを玉鋼に叩き付ける。一定の音と共に無心に、空になる。ただ全ての音を聞く。



☆☆☆☆☆



 戦が迫ってきた。

 既に老骨ではあるが、人手が足りないと里長からの申し出があれば、儂もかつての力の残滓をかき集め、戦士として里外れの柵に立つことにやぶさかではない。


 出立の日、母と妻たちに声をかける。「行ってくる」ただそれだけの言葉だ。最近とみに白髪の増えた母は、穏やかに笑って「行っといで、早く帰るんだよ」と返答してきた。まるで幼子が外に遊びに出かけるときにかけるような言葉ではないか。しかしそうだった、いつでも、いつまでも儂は彼女の子どもなのであった。私はいつもどおり小さく頷くことで答えた。


 妻たちはもっと簡単だった「はい、お気をつけて」と私を見つめて言っただけだ。戦である、怪我もすれば死にもする、そっけない言葉にも思えるが、姉妹二人が並び、穏やかに微笑みを浮かべながら、手をしっかり握って送り出してくれるその様に、その視線の真剣さこそ想いの全てだと感じた。儂も二人を見つめ返した、想いの全てを込めて。


 美しい妻たちだ。

 もちろん既に年増である、目じりに皺があり、首元にも皺があり、手はあかぎれで荒れている。しかし儂に彼女たち以上に美しい女性を見たことはない。幼き折、無心に野山を駆け回って遊んだ相手は彼女たちだった、その頃は美醜なぞ気にもせず、ともに、泣き、笑い、競い合った。記憶の全てが彼女たちと共にあった。近くの森では山菜や花を摘み、木の実や茸を共に採った。近くの川では釣りをして、草笛を吹き、暑い夏の日差しを避けて水浴びをしたものだ。

 少し年かさになった頃、いつもどおり丸裸で水浴びをしたとき、彼女たちの裸身の白さ、細い腰、丸みを帯びた尻、白く輝くうち腿を目にして、私は生まれてはじめて胸の高鳴りというものを知った。その時の驚きと感動をいまでも昨日のことのように覚えている。彼女たちは美しく、繊細で、透明であり、そしてなにより眩しく光り輝いていた。


 彼女たちの両親が水害で亡くなったと聞いた時、涙を流しているのを見た時、彼女たちの引き取り先が話し合われていると知った時、私は何も考えられずに、ただ「揃ってオレのところに来ないか」と伝えた。離れたくはなかったのだ、ただ三人で、いつまでもいつまでも一緒にいたかったのだ。彼女たちの隣にいる者が、自身以外であることに耐えられなかったのだ。なのに言えた言葉はそれだけだった、それが精いっぱいだった。

 それだけの、唐突な、ひどい求愛であり提案であったと思う。なのにあの時、妻たちは顔を上げて「はいっ」と言ってくれた、哀しみに青ざめた顔を精一杯にほころばせて、笑みを浮かべようとしてくれた二人の姿を忘れることはない。どれほどの決断であったことだろう。


 儂は能のない男だ。

 鍛冶の腕前なら当代一だと言ってくれる者がいることを知っている。ありがたいことだ。しかしそれ以外の私にいったいどのような能力があるのだろうか、成せるのだろうか。健気けなげに尽くしてくれる妻たちに、気の利いた言葉ひとつ、喜ばせることひとつ成すことが出来ていない男だと思う。ただ、ただ、父の背中を見て、父の背中を追いかけて、父の背中を思い出しながら槌を振るうことしかできない男であった。せめて信じ付いてきてくれた二人を、母を、飢えさせないようにと仕事に精を出した。それだけの男だ。はたして満足に食べさせているのかどうか、それすら不確かである。


 妻たちは働き者だった。そして眩しかった。

 槌を振るう以外なにも出来ない儂を助け、老いた母を助け、生活を組み上げてくれた。日々を笑顔で包み込み、朗らかな笑い声と、ほほえましい会話、あたたかな食事と清潔な衣類を用意してくれた。儂の子を産んでくれた。なんと喜ばしいことか! それに比して私が行えたのは薪割ぐらいだ。それ以外はまるでなにひとつまともにこなせなかった。


 妻たちが体調を崩した時、子どもを身ごもった時、出産した時すら私は何も出来なかった、ただ「大丈夫か」と声をかけるだけだった。あのとき妻から答えが「大丈夫ですよ」と言うものでなかったら、私はいったい何をしようとしたのだろう、何がなせたのだろう。馬鹿な男がうろうろおろおろする以外に、いったい何ができると思っていたのだろう。


 子ども達が儂の服裾をつまみ、不安そうに見上げてくる。それぞれの頭にがさついた掌を乗せ、ゆっくりと撫でる。ひび割れた自身の皮膚が、幼子の肌を傷つけはしないかと不安になりながら、どうしてもその柔らかさを確かめずにいられなかった。


 私は果報者だ。この幸せを守るためにも、里に貢献することにしよう。



☆☆☆☆☆



 ――守れなかった。儂は大事なものを守り切ることができなかった。

 攻め手は、見たこともない大猿と共に、粗暴で大勢の男たちであった。それが迫りくる。柵は猿に叩き壊され、どっと兵士たちが乗り込んできた。物見やぐらとして組んだ射手矢倉も猿の体当たりであっさりと崩された。射手は高台から転げ落ち、脚を、腕を、首を折り、もう矢を打つことはない。三十名ほどで里を守ろうとした我々にとって、その十倍もの男たちを押し返すことは到底できなかった。まして敵は獣を従えているのだ。


 戦士たちは必死で槍や剣を振るうが、巨大な獣の厚い毛皮に刃を取られ、思うような傷は負わせれないようだ。儂も二人の男を叩き斬ったところで側面から腹をえぐられた。脚から力が抜けてがっくりと膝を付くと、そのまま胸に刃が突き立てられた。ごぼりと呼吸と共に血を吐き出す。肺をやられた、もう助かるまい、せめて、せめてこのような男を里には向かわせてはなるまいと腕を上げようとして、そのまま倒れ込んだ。もう四肢に力が入らない。激しい怒号と足音が響く。剣戟の音。儂と里の鍛冶師たちが鍛えた鉄剣の音が響く、奴らの粗末な銅剣や石槍などものともしない武具たちだ。しかし、それを振るう戦士の数は少なく、技量も高くはない。猿が、大猿が里へと行く、いかん、奴らを里へ入れては――。


 母よ、妻よ、子どもらよ。どうか逃げ延びてくれ。生き延びてくれ。

 そうだ、バルドルがいる、あの男がいる、山へ逃れるのだ、山社へと逃れるのだ。どうか、どうか風よ、儂の想いを家族へ届けてくれ。そしてバルドルとトゥラジローよ、頼む、どうか、どうか私の愛する者たちを、愛する世界を守り、受け継いでくれ。それが儂の――。

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