第18話:若人たちの涙
【18】
俺はそれから十日間という期間を鍛冶の里、ケヴンの家に泊まり込んで過ごした。
俺が知っていた鋳鉄、貼り合わせ、鍛鉄の知識は穴だらけで、とても俺自身では鉄剣を打つことなどできやしないことが、分かってはいたが改めて認識させられた。そもそも俺は鉄の種類を2種類しか知らない、鉄鉱石と砂鉄だ。しかし鉄鉱石がいかなる岩か知らず、砂鉄の集め方がいかなる手法なのかも知らなかったのだから何も始まらない。砂鉄は確か川底だか河原にあるのだったろうか? 分からん。
鋳鉄のための型を作る素材を知らず、鉄の流し込む口の工夫も分からず、貼り合わせの具体的な手法は全く分からず、鍛鉄にするといっても炉の温度を火加減で指摘することも出来ない、これでは何も知らないのと同義である。歴史漫画や博物館キュレーターの説明書き程度での知識なぞ、所詮その程度のものだということだろう。
それでもケヴンは俺の細切れな知識をひとつひとつ丁寧に吟味してくれた。特に「柔らかな金属を軸とし、硬い金属を刃とする」という概念について語った時「なるほど、確かに理にかなっているかもしれん」とずいぶんと考え込んでいた。
結局、俺が伝えることができたのは大雑把な概念と製造手法だけだ。それをケヴンは「新しい発想と、その切り口が見えたような気がする」と言ってくれ、「とっておきだ」という鉄の塊を火にくべて打ち始めてくれた。金床の変わりにするために剣を一振り潰してまでだ。
俺はいくつかの助言ともいえない知識を振り絞った後、ケヴンの道具を借りて折れた銅剣の改造に取りかかった。折れてしまった銅剣を溶かしなおすことがきないならば、刀身の根元を細く削り直し、そこに木製の柄を付けることで「短銅剣」として改造し、再利用をすることとしたのだ。
もちろんこれはバルドルには返せない。彼の愛用の鉄剣と刃渡りの長さが違い過ぎては、剣の軌跡が変わりすぎて代替えの剣として使えない。これは別の目的用だ。
バルドルの鉄剣については、割れも罅も見当たらないので大丈夫だろうとのことだった。ただ、無茶な使い方を何度も行うと「見えない傷が広がり、一番大事な時に折れる」ことにつながりかねないので気を付けろ、と念を押していた。バルドルにはすまないことをしたと思う。
バルドルには最初の二日間を付き合ってもらったが、さすがにそれ以上は彼を俺の用事のためだけに長逗留させるわけにはいかない。「帰路は大丈夫か」と心配してくれるバルドルに対し、「道は覚えている、里への土産を先んじて持ち帰ってくれれば大荷物もなく、鉄剣一振りを持参して帰るだけなので大丈夫だ」と伝えた。彼はかなり渋ってはいたが、彼の立場がそれを許さないはずだ。往路に三日、里で二日、帰路も考えれば七日間という期間をすでに里から離れることになるのだ。里の者も心配することだろう。それに厭な噂について、早めに里に伝え対処する必要があるはずだ。逗留三日目の朝に俺はバルドルを見送った。
ケヴンには老いた母がおり、年の離れた妹さんが2人おり、きれいな奥さんが二人いた。奥さんは幼馴染の姉妹だそうだ。奥さんたちのご両親が早くに亡くなったために姉妹そろって妻に向かい入れたらしい。なんだろう、このものすごい度量と言うか包容力は。たぶん俺には一生かかっても得られない能力のような気がする、気まずくないのだろうか、ないんだな、きっと。
ケヴンには子どもが八人ぐらいいた、たぶんそれくらいいた、多すぎてよく分からなかった、そして恐ろしいことに全員女の子だった。ケヴンの仕事場側はひっそりとして人の出入りは少なかったが、生活空間の方は華やかで、にぎやかだった。
俺の世界ならば小学校入学前になる、あの独特の騒がしさを持つ小動物的な幼児がおり、それと遊ぶ小学校中学年ぐらいの子どもがおり、少しこまっしゃくれた高学年と中学生ぐらいの小娘がいた。それを監督するのが奥さんと年若い妹さんたちだった。なんだか女子高の寄宿舎のような雰囲気だった。
ケヴンは寡黙な男だったが、訪ねたことには口数少なくもきっちり答えをくれる親切な男だった。俺は世話になるうえで彼のルールに従いながらも、彼の「ぎろり」と睨みつけるような視線だけは見習うことはせず、笑顔とお礼の言葉を忘れないように心がけた。そして、いつもの俺ならばいくら「そうであろう」としても、この女寄宿舎の雰囲気に飲まれていたことと思うが、この時ばかりは俺は真剣であり、集中力を途切れされることなく生活と仕事に精を出した。
ケヴンの家に泊まり込んで十日目。やっと俺の銅剣削り加工が終わったのと同時に、ケヴンの「試作型」が完成した。
「とても会心の作とは言えんが、切れ味だけはすばらしく良い」
ケヴンが額の汗を滴らせて俺に見せてくれた鉄剣は、直刀で刃渡りが60cmを大きく超えているものだった。刀身は肉厚で、焼き入れの跡が黒く残り、研磨した刃だけが鈍く銀色に光っていた。俺の知識でいうならこれは「鉈」に近い。剣先が尖っているので「剣鉈」だろうか。柄は仮にはめ込んだ簡素な木製だったが、それを持った瞬間にそのしっかりとした重さと程よい重心のバランスに心地よさを感じた。
「良い出来だと思います。重さを使って振りおろせば、軽々と木や藪を切り分けることでしょう、もちろん接敵の時にも役に立ちます。どんな厚い皮を持つ獣であれ、この刃には敵いません」
「…打つ、という行為の根幹がまだ見えてこん。貼り合わせるという手法も気になる、2種類の金属をどう張り合わせるか…まだまだ探さねばならんことは多いい」
ケヴンはそういうと遠くに視線を投げた、きっと彼はこれから携わる試行錯誤を見ているのだろう。頼もしく、立派で、着実に歩みを進めるプロフェッショナルの瞳と言うのはこういうものを言うのだろうなと思った。俺はしばらく彼の汗ばんだ横顔の輪郭を眺めた後で言った。
「頂いて、良いのですか?」
「これはもちろんお前さんのものだ、そして近いうちに、使った際の感覚も聞かせてほしい」
ケヴンは晴れがましいと表現するしかない笑顔でそう言った。俺は両手でケヴンの新作を掲げ持ち、改めて一礼した。
「必ず」
☆☆☆☆☆
剣鉈が完成した翌朝、バルドルに遅れること八日という日程で俺はケヴンの家を出た。早朝の見送りだというのにケヴン一家は総出にて見送ってくれた。子どもたちの何人かには「いかないでー」とか「うちの子になったんじゃなかったのー」とか言われた。いや、俺そんなに君たちに良くした記憶ないぞ? なぜそんなに涙目になっているのだろう。しかし率直な彼らの好意は俺の胸を打ち、しゃがみ込んで、子どもら一人一人の頭や頬に触れ「ありがとう」「とても楽しかったよ」「必ずまた来るよ」「今度はもっと多くの土産を持って来よう」と約束した。子どもたちの体温は温く、涙には苦い味がした。
千切れんばかりに両腕を振り、彼らと別れを告げて「鍛冶の里」を離れた。山頂からまだ朝日と呼べる光に照らされる里を見下ろした時、俺は改めて胸に閊えるモノを感じ、俺は左に吊るしたケヴンの剣鉈と、右腰に吊るした改造銅剣に触れ、思った。
この世界に来て、俺は初めて一人になっている。
社で過ごす夜や、日中の散策時の短い時間以外では、俺の傍には常に「誰か」がいた。イトゥンであり、イズナであり、婆さんであり、バルドルであり、ニョルズであり、若衆たちがいた。ここではケヴンの一家がいてくれた。しかしこれからの帰路の一泊か二泊の時間、俺は一人で過ごす。昼の明かりの下も、夜の闇の中も一人なのだ。そして俺はもう二度と俺のいた世界には帰れないのだとも確信していた。
今の俺の足には皮袋のような靴が履かれており、俺の身に着けている衣類は下着1枚に至るまで全てこの土地で作られたものだった。俺は流れ者としてこの世界に来て、異邦人のままこの世界で死ぬだろう。俺はその確信を抱きしめて、歩みを進めた。
―――俺はひとりだ。
てくてくと山道を登る。空気はひんやりと涼しく、天気は良く空は青く晴れ渡り、木々の葉は朝露を含み光り輝いていた。
―――ひとりなんだ。
てくてくと山道を下る。日差しは少しづつ熱を帯び、白い雲が遠くにくっきりと浮かんでいる。小鳥がチチチと囀りを発し、ざわわと風が梢を鳴らす。
―――俺はひとりになってしまったんだ。
静かさが痛かった。耳に心に痛かった。俺は胸の閊えを確かめながら歯を食いしばった。
―――俺はこの、よるべない世界にひとりぼっちになった。バルドルはイズナが好きで、イズナもバルドルを憎からず思っている。俺には何も無く、何も得てはなく、何も成せてはいない。
額から汗が流れ、この十日間、押しとどめていた思考が押さえようもなく流れ始めた。
―――バルドルは立派で、強く、頼もしく、面倒見がよく、人望があり、顔だって良い、自ら成すべきことをきちんと弁えたすばらしい男だ。イズナも立派で、強い心と意志を持ち、美しく、凄烈で、自らを律した日々と役割をこなし続けることの出来るすばらしい女だ。
俺は歩みを続ける。日差しは少しづつ強くなり、足もとの影は色を増す。空では鳶だろうか、ひゅるるるーという声を発して回り続けている。
―――彼らはお似合いだ。それに比べて俺はどうだろう、何もかもが中途半端で、いつだって今だってこうやってぐずぐずと思い悩むような浅ましく小狡い男だ。「正しいかどうか」ではなく「自ら思うところ」でもなく「可能かどうか」だけを模索している。あさましく保身を図ることを止めたのではなかったか。
―――なのに、俺は「このままイズナを好きでいられるかどうか、居続けてよいかどうか」だけを思い悩んでいる。しかしそもそも、俺はいったい何を勘違いしていたのだろう? なぜ俺はあんな立派な女を好きでいられると、好きでいてもいいのだと思ったりしてしまったのだろう? 関心を得ようなどと姑息なことを考えていられたのだろう。彼女の心を得られると本気で思っていたならどんたお笑い種で、大馬鹿者だ。何かバルドルが脳筋だ、ならばお前の脳みそはただのスカスカのからっぽではないか。入っているのは根拠も実績もないプライドと言う空気だけだったのだ。
―――俺は二人の邪魔をすべきではない。俺は弱く、俺に出来ることは何もないのだから。できたことはこの銅剣の加工だけだった。十日間、石に挟んで小石と皮で研磨した、この剣だけが俺の成果だ。汗だくになり、肩と背中と胸の筋肉を酷使し、手のひらを豆だらけにして、俺にできたことはこれだけだった。鉄剣はケヴンが作った、彼は己の力で火を興し、鉄を打ち、調べ、また挑戦をするのだろう。そこに俺の貢献はどれほどあったか。あればいいと思う。しかし結局、俺の力の結果であり、俺の所持できる物はこの二振りの剣だけなのだ。
誇らしくあり、空しくもあった。喜びと哀しみが同時に襲ってきた。昼近くなり、日差しが天頂から射し、頭から額から汗が流れた。流れる汗を拭くこともしないまま流れるにまかせ、勾配の急な細い細い山道を、上へ下へ歩き続けた。目に入った汗が痛く、目からも汗を流した、ぼたぼたと汗を流し続けた。のどの奥に何かがこみ上げ、しゃくりあげた。そうこうするちに突然に足がもつれ、細く急斜面の山道でがくりと膝をつき、そのままごろりと転倒してしまった。道を踏み外した俺は笹薮をへし折りながらずるずるごろごろと斜面を滑り落ち、灌木をがさがさとなぎ倒し、最後に大きな木の根に引っ掛かって、身体を絡めるようにしがみ付くことで、やっと大怪我から免れた。
全身を打ちつけ木々の枝や葉に叩かれたひりつき、しびれ、痛みが全身を包み、首筋や手首足首から枝葉が入り込んでくるむず痒さを感じると、唸り声が漏れた。獣じみた唸り声、あああ、とも、ううう、とも言えない不快な声が俺の口から漏れた。胸の奥が苦しく、呼吸がつらく、視界が揺らめき、日差しが眩しく、頭がわんわんと響いて、俺は叫んだ。大声を出して叫び、吠えた。
ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!
―――なぜ俺はこうなのだろう。なぜ俺はこんなにも弱く、力なく、情けなく、何も成しえないのだろう。なぜだろう、なぜだろう、なぜだろう、なぜなのだろう。
息を吸うように叫び、息を吐くように吠えた。俺は汗が乾くまで、木にもたれかかったまま吠え続けた。山は高く、森は深く、俺の叫びを吸い込んだ空はどこまでも蒼かった。