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海に降る雨  作者: 美斑 寧子
本編
95/152

95.ためらわない愛

 昨夜、リンはアクセルと結ばれた。

 おぼろげに、そういうことになるのであれば、それはそれなりに心の準備であるとか、その他の準備であるとか、なにかの準備であるとか……とにかくなんらかの前兆とも言うべきものがあるのだろう、と考えていたリンだったが、そうした事前の予想とは、もう、なにもかも完全に違っていた事だけは確かだった。

 そんな風に、まるで突発的な事故のように訪れた初体験ではあったが、不思議とリンの中に後悔はなかった。それはいつか自分がそういうことを経験するのであれば、初めてはアクセルが良いな、と考えていたせいもある。

 リンの人生における『恋愛』というものの存在感はひどく希薄だったことは、既に述べたが、だからといってリンが自分の人生には"完全に"無いもの、として捉えていたわけではなかった。その程度にリンは周囲の恋愛騒動に巻き込まれていたし(大抵の場合は一方的に)、時折は、まったく与り知らぬままに友人や同級生の痴話喧嘩に巻き込まれたりしたものだ。そんな時のシチュエーションはほとんど決まっていて、リンに恋慕する少年を好いている少女とその友人という集団に詰め寄られ、そこに少年本人が現れてリンを庇う様子を見せたがために、少女達が益々激昂する、というパターンであり、結局はリン自身が主に少女の集団を宥めるという損な役になるのだが、そんなふうにリン自身には咎のない事態であるにもかかわらず、当事者(被害者)でありながら、事の収集に骨を折らねばならないという状況に陥るたびに、リンはやりきれない、ある種不条理な思いを抱えて、深いため息を零したものなのだった。

 そんなふうに『恋愛』がらみで良い思いをしてこなかったリンが、それでも、アクセルとの行為を前向きに、ポジティブに捉えることができたのは、かつて、思春期を迎え、それなりに周囲の少年達から好意を寄せられるようになった頃、シスター・マーガレットから受けた性愛教育の教えの影響が大きい。

 シスターは言った。


『リン、女性は自分の身体を(いたわ)り、自らを守らなければいけません。無鉄砲な好奇心の果ての望まない妊娠は、神様が最も諫める"肉欲"の罪に対する罰となります。一時の、刹那的な"肉欲"に身を委ねることは、大変危険なことです。

 ただし、神様がなぜ、私たちにこの肉の身体をお与えになり、この世界に産み落とされたのか?この事実を受け止め、その御心に応えることも、また、私たちの負うべき『宿命(さだめ)』です。

 ですから、リン、もしもあなたが心の底から愛する男性を得た時は、迷わずその胸に飛び込みなさい。真実の愛の前に人は無力なものです。その無力さ故に、私たちが愛する人に与えることのできる、たった一つの物、"無償の愛"を与えるに値する人と出会った時は、躊躇(ためら)わず、あなたの全てをお与えなさい』


(シスター・マーガレット……シスターの言うとおりでした。あの経験は、とても厳かで暖かくて)


 そこまで考えたリンの脳裏に、アクセルの男性らしい太くて長い指がリンの身体を辿った繊細な動きや、降りかかる汗に見上げた時に目に入った月明かりに浮かび上がるその切なげな表情であるとかが蘇り、しばし羞恥のあまり、身悶えしてしまった。


(……時々とても恥ずかしかったけど……でも、とても素晴らしい経験でした!)


そう心の中で呟き、シスターと神様への祈りを締めくくったのだった。

 そしてそっとミリアムの手を握ると、改めてミリアムの生還への感謝の気持ちを天に祈った。やがてやってくるであろうアクセルと、どんな顔を合わせれば良いのか考えあぐねながらーー。

またもや、短くてすみません。キリがよいのでここで区切ります。

続きは明日、更新します。

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