81.ドクター・ブルームの糾弾
ドクター・ブルームがニールズバーグ男爵・ギュスターヴ・エリオットと出会ったのは、大学進学予備校時代だった。二人は一年生の時からのルームメイトで、およそ4年間の歳月を狭くみすぼらしい学生寮で寝起きを共に過ごした。
世嗣としてブルーム伯爵家を継ぐ事を決められながらも、当時から病理医学者になることを決意していたルシアンに対し、ささやかな領地を所有し、ささやかな事業を営むニールズバーグ男爵家の三男坊として生まれたギュスターヴは、対照的な境遇にいた。
豊かな領地と信託財産に恵まれたブルーム伯爵家の跡取り息子として、その気になれば、一生働かなくて良いくらいの莫大な財産を持つルシアンとは真逆に、卒業後は自立し、実家に金銭的な迷惑をかけないことを第一義に大学進学予備校に入学してきたギュスターヴとの間にはなんの共通点もなかった。ところが、人の相性とは不思議なもので、ルシアンにはギュスターヴのその貴族らしからぬ実際的なところが新鮮で好ましく映ったし、一方のギュスターヴの方にしてみても、無愛想で冷淡なフリをしてるクセに、自分を頼ってきた友人をなんだかんだと見捨てることができない意外な男気を見せるルシアンに好印象を持つようになり、やがて二人は硬い友情を結ぶに至ったのである。
その後、二人は揃ってアザリス一の難関大学へと進学し、再び同じ学生寮に住んだ。さすがに今度は一人一部屋の個室住まいだったが、結局二人は授業以外のほとんどの時間をお互いの部屋で過ごして勉強に明け暮れたのだった。
そうして学部課程を修了してすぐに、ギュスターヴはアザリス警察機構の幹部候補生として社会人の第一歩を踏み出し、一方、大学院へと進学したルシアンは研究に没頭してそのまま俗世と隔絶した生活を送り続け、現在に至ることとなった。つまり、二人は互いに認め合い友情を感じつつも、まったくもって交わらない人生を歩んできた、というわけなのだった。
「すぐ上の兄貴がディスカストス侯爵の運営する企業と浅からぬ縁があってな、その伝手でお前と話をする機会をどうしても作って欲しい、と、泣き付かれてなぁ」
市場に出ればその希少性でもってたちまち値段が高騰すること間違いなしのシャトーディスカストスをまるで水のようにぐいぐいあけながら、ギュスターヴは言った。
「…だからといって、私が侯爵どのに情報を提供しなければならない義理はどこにもないが、な」
アクセルをチラリと見遣って、ドクター・ブルームは言った。
「…そこをなんとか、教えていただけまいか?」
最初の乾杯以来、自分のグラスには一切手を付けずに姿勢を正したまま黙っていたアクセルがドクター・ブルームに言った。そこにはほんの少しの苛立ちと長い間の捜索の努力が報われていない絶望感が滲んでいる。ドクター・ブルームはそんなアクセルの表情を冷ややかに睥睨しつつ、ワインを呷って続けた。
「ディスカストス侯爵、私を含めアザリス国内で永年教授被雇用権を持つ人間は皆、大学規定によって厳しく倫理を定められている。当然、そこには守秘義務についてもはっきりと書いてある。
そういうわけで、バクスターの担当教授である以上、私は彼女の所在を含む個人情報について、語ることは一切できない。
更に言わせてもらえば、例え倫理規定がなかったとしても、喋るつもりはない」
ドクター・ブルームはそう言ってカツン、と音を立ててクリスタルのワイングラスを置いた。すかさず、控えていたソムリエがおかわりを注ぐ。それに口をつけ、一気に呷ってドクター・ブルームはアクセルを睨め付けながら更に言葉を継いだ。
「加えて言わせていただこう。
バクスターが決心するまでもなく、私自身も彼女が貴殿のような男から距離を置く、という行動を取ることには、全面的に賛成だ。
リン・バクスターは間違いなく優秀な人材だ。国の金を注ぎ込むに値するすばらしい才能と精神を備えている。
まぁ、このクラブに出入りしている貴族階級で差別主義者の中にはディスカストス侯爵家『に』バクスター『が』相応しくない、と考える人間が多いだろうが。
だが、実際は真逆だ。貴殿のような男は、バクスターには相応しくない。貴殿にバクスターは勿体ない」
アルコールのせいもあって普段よりもずっと饒舌な旧友を面白そうに眺めながら、傍観者を決め込んでニールズバーグ男爵は水のようにワインを空けた。
「……私がリンに相応しくないことはよく分かっているつもりだ」
アクセルは苦々しさを湛えた口調で、ようやく呟くと、ようやく手元のワイングラスに口をつけて、一気に飲み干した。
それを聞いたニールズバーグ男爵は意外そうに片方の眉を上げると、眉間に皺を寄せ苦り切った表情の旧友と視線を交わし合った。
「ところで貴殿は忘れているようだが、あのタブロイドの記事によって名誉を傷つけられたのはバクスターだけではない。
ウィリアムズ・カレッジはもちろん、医師免許国家試験の主催官庁とて大変な目に遭った。まるで医師免許国家試験で裏口合格者を出しているかのような捏造記事だったからな。
表沙汰にはならなかったが、ウィリアムズ・カレッジの広報担当部署が名誉毀損の迅速な訴訟のために動いてくれたおかげであれ以上の記事が出ずに済んだんだ 。それは学長をはじめとするバクスターを知る全ての人間が彼女を守ろうと動いた結果だ。
それに比べて貴殿は彼女の名誉を守る為にいったい何をしたというんだ?なにもしておるまい?」
ドクター・ブルームに痛い所を突かれて、ディスカストス侯爵はその灰色の瞳を伏せながら、俯いた。
そんな様子をあえて無神経を装ってスルーしながら、ドクター・ブルームはここぞとばかりにアクセルへの攻撃の手を強めた。
「まったく貴殿は疫病神のような男だな?いや、ムダに羽虫を引き寄せる、質の悪い甘い薫りのする南国の花のようなものか?
だいたい、その軽薄な外貌に相応しい、派手でオツムの軽い女を相手にしていればいいじゃないか?どうして、十も年下の、妹の友人になんか手を出したんだ?」
アクセルがあえて反論せずに無言を貫いていることに苛立ちを隠さないまま、グラスに口をつけ、残りをグッと呷ってドクター・ブルームの糾弾は続いた。
「そもそも、なんでよりによってバクスターなんだ?
あいつは孤児だ。そしてそれ故の過酷な人生を送ってきた。しかし、一つ一つ努力を積み重ねてようやく医師という仕事とそれにまつわる『自由』を手に入れようとしているんだ。
バクスターが蓄積してきた血の滲むような努力が実を結ぼうとしている、この段階になって、どうしてあんな誹謗中傷を受けなければならなかったんだ……?」
ドクター・ブルームは静かな怒りを湛えた声音で言い、まっすぐ前を向いたまま、左手で両目を覆った。
「おい、ルシアン、いくらなんでも侯爵閣下に向かって言い過ぎだぞ?」
好き放題言っている態度とは裏腹の、あまりに打ちひしがれた様子を見かねたギュスターヴが、心配そうに声をかける。
その一方で、肝心のディスカストス侯爵本人は黙ったまま手の中のワイングラスをギュッと握りしめるのだった。




