63.不意打ちのタブロイド
研修医生活も2年目に入り、リンは益々充実した日々を送っていた。
一方、アクセルもまた、相変わらず毎週末か隔週末、リンに会う為にギースに通う日々に充足感を味わっていた。実を言えば、アクセルとリンのつきあいはまったくもって清く正しく美しいものであり、ディスカストス侯爵家の行く末を案じるグッドマンにとっては、些かじれったい事態ではあったが、当の本人であるアクセルは急ぐつもりも焦る気持ちもさらさらなかった。
(リンと結婚したい。死ぬまでずっと、リンの笑顔を見ながら暮らしていきたい。)
あの日、リンが自分の気持ちを受け止め、加えて自らの気持ちを告白してくれた時から、アクセルの気持ちはまったく揺るがず、そう、決まっている。
ずっとリンに送り続けている日課のメールにも、3日に1回は返信が来るようになった。研修医という激務の合間に、リンが自分の事を忘れずにいてくれている。そう思うだけで、心臓の辺りがぽかぽかとして幸福感に襲われるアクセルなのだった。
そんな幸せなばかりの日々の中ーー、その事件は起こったのだった。
*-*-*-*-*
その日、いつもと同じように出勤したリンを待っていたのは、いつにも増して冷ややかな看護師達の視線だった。すでに一年余、研修医として同じ職場で時を過ごしてきたとは思えないその雰囲気に、いつも冷静なリンだがいったい何が起こったのか、と訳の分からない気持ちでドクター・ヴァン・マーネンのオフィスに向かう。
すれ違う病院スタッフみんなが、挨拶は返してくれる物の、皆余所余所しい気がして、リンは頭を捻った。以前、アクセルとのつきあいがバレそうになって周囲の雰囲気が悪くなった時と似ている。
(どうしたんだろう?いったいなにがあったのかな?)
そんなことを考えながら、ドアをノックすると、
「どうぞ。」
と男性の声がした。訝しく思いつつもドアを開けたリンの目に、苦虫を噛みつぶしたような顔をしたドクター・ヴァン・マーネンと、後二人。院長と事務局長が座っているのが見て取れた。
小さなコーヒーテーブルをはさんで一人掛けのソファが一つと二人掛けのソファが一つ。あとは部屋の奥、窓際にデスクのある、こぢんまりとした部屋に、でっぷりと太った事務局長と、ひょろりと背の高い院長が詰め込まれている。なんだか空気も薄く感じられるようで、リンは知らず知らずにのど元に手をやった。
「おはようございます、院長、事務局長。マーネン先生。」
どうにか笑顔をひきつらせることなく挨拶したリンに向かって、一人掛けのソファに座るよう事務局長が言った。続けてそのぶよぶよしたしまりのない手がコーヒーテーブルの上になにか新聞のような物をばさりと載せる。それはアザリスで人気のタブロイド紙だった。
(何故、ここでタブロイド紙?)
状況を把握できないまま、気まずい沈黙に耐えていたリンだったが、それを堪えきれなくなったのかとうとう事務局長が口火を切った。
「あー、ミズ・バクスター、ここに載っていることは本当のことかね?」
「えっ?!」
リンは吃驚して改めてタブロイド紙を見下ろした。ここに載っている?一体なにが載っているというのだろう?まったく予想だにしなかった事務局長の言葉に、リンは慌てて状況を理解した。
「すみません、拝見してもよろしいでしょうか?」
低姿勢を崩さずそう尋ねたリンに、横柄な態度の太った事務局長は顎をタプタプさせながら、了承のかぶりを振った。間髪入れず、フゥーーーと聞こえよがしにため息をつくその態度に、ドクター・ヴァン・マーネンが鋭く睨みを効かせると、慌てた様子でポケットのハンカチで額を拭った。看板女医であるドクターには、頭が上がらないのだ。
一方、リンにとってはそれどころではなかった。そのタブロイド紙を見ようとして、手を伸ばしたその先、よくよく注意して見てみれば、なんと!一面トップを飾っているのは、自分とアクセルが肩を寄せ合い、歩いている写真だった。
「!!!」
リンはとにかく驚いた。次いで目に飛び込んできた、黄色とオレンジの扇情的な活字で組まれた見出しを読む。曰く、
『侯爵閣下に恋人発覚?!お相手は孤児の苦学生!』
リンは目眩を感じた。生まれて初めてのことである。目の前にあるものが、現実とは思えない。いや、夢であって欲しいと、そう強く思いながら、同時にそんな自分の心の動きを冷静に見ている自分も感じた。
そんな風に動揺を押さえ込みながら、続きの記事を読んだ。
『読者諸兄もご存じの通りアクセル・G・ディスカストス侯爵閣下(三十二歳)が、今、アザリス社交界で最もホットな男性であることに、異論を唱える者はいないに違いない。
彼の妻の座を巡っては、我が国社交界の華・貴族令嬢達をはじめ、国内外の女優から成功したビジネスウーマンまで数多の女性達がしのぎを削ってきた。
そんな、先月、三十二歳の誕生日を迎えたばかりの閣下に、なんと!!とうとう恋人が発覚した。
お相手はリン・バクスターさん(二十二歳)。現役医師養成コースの研修生で、彼の名門、ウィリアムズ・カレッジ出身の才媛である。写真を見ていただきたい。侯爵閣下はこの10歳も年下の可愛い彼女に、もうすっかりメロメロである。
しかも、このバクスター嬢、なんと!孤児院出身の、正真正銘の孤児とくるから、ドラマチック!貧乏な星の元に生まれたものの、侯爵家の御曹司なんていう金の鵞鳥を手に入れて、これで未来は安泰?大金星!
バクスター嬢は経済的援助を目当てに、莫大な財産を持つ侯爵閣下とのつきあいを深めた、とは、二人を良く知る関係者筋からの情報だ。この関係者筋によると、バクスター嬢は侯爵閣下に自らの育った孤児院への寄付は勿論、研修先や担当教授への"付け届け"もおねだりしているという。彼女が普通は4年かかる大学課程を2年半というウィリアムズ・カレッジ史上最年少記録で卒業できた背景には、そうした良く効く"鼻薬"の効果もあったとかなかったとか……?
恐るべし!孤児の才媛!事実、侯爵閣下は彼女の言うなりだ。うーん、意外とウブだったんですね、閣下(笑)。
そんな彼女が、無事、研修医を修了する時まで、"鼻薬"を与えてくれる大切な"お財布閣下"に愛想を尽かされないよう祈るばかりだ』
リンは最後までなんとか読み切った。
半分ほど読んだところで、怒りの余り手がブルブル震えてしまったが、とにかくこの根も葉もない悪意に満ちた記事を最後まで読みきってしまおうという、強い強い意志の下、やり遂げたのだ。
そして、次の瞬間ーー。
リンの手の中で、ギリギリと握りしめられ、そのタブロイド紙はくしゃくしゃの紙片へと姿を変えたのである。
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