60.初めてのキス
リンはアクセルに引き寄せられながら、夕闇の中で鈍く光る、その灰色の瞳をただただ見つめ返した。
だから、アクセルがその唇をリンの唇にそっと押し当てた時、リンは少なからずびっくりした。しかし、すぐになにもかもがどうでもよくなり、そのとても柔らかな感触にうっとりとして、目を閉じた。
リンはなにも考えなかった。いや、なにも考えられなかった。ただただアクセルのキスに身を任せた。
それは素晴らしい体験だった。アクセルのキスは暖かく、リンを気持ちの良い真綿でくるまれているような気持ちにさせてくれた。それはついぞ味わったことのない、絶対的な安心感だった。
リンはまるでアクセルと一体になったかのように感じた。自分が吐息ごとアクセルの中に溶け込み、同時にアクセルの一部が自分の中に入り込んできたような気分になった。繰り返されるキスの生み出す感触のなかで、リンはアクセルに、また、アクセルはリンになった。
そして心の奥で、ごく自然に全てを悟り、そして受け入れた。それはまさに『愛』としか言いようのない感覚だった。リンはアクセルの『愛』を感じた。あの、真夏のレ・バン湖畔で感じたのよりも、はっきりとその存在が感じられる。そして自分の『愛』をアクセルに伝えたい、と強く感じた。
だから、アクセルの唇が離れていった時、リンは再びその瞳を覗き込みそうした。
「閣下、好きです、大好きです。私、閣下のこと愛しています。」
リンの告白を聞いたアクセルは、これ以上ないというくらいびっくりした様子で固まってしまった。そんなアクセルに笑いをこらえながら、リンは再び腕をまわしてその胸に抱きついた。
(この人はこの世でただ一人、私が甘えられる人。私を無償の愛で包んでくれる人。私の事を理解してくれる人。)
リンは生まれて初めての絶対的な信頼と安心感、そして圧倒的な愛に酔った。
(あ!そういえば、閣下はまだ誤解していたんだった!)
突然そのことに気付いたリンは、アクセルの胸から顔を上げて、悪戯っぽく笑って言った。
「閣下、今夜はごちそうしてください。」
「え?」
なんともロマンチックなムードに欠ける、しごく現実的で唐突なリンのおねだりに、呆けていたアクセルは、現実に引き戻された。
訝しげに苦笑しながら自分を見下ろす恋人に、リンは甘えるように続けた。
「ミリアムとグッドマンさんと4人で、今夜はワインも飲みましょう?明日は久しぶりに朝寝坊できますから。明日から一週間、お休みになったんです。」
「リン・・・それは・・・?」
未だに状況を測りかねて戸惑った表情で自分を見つめている愛しい伯爵閣下の顔を見上げて、リンは満面の笑顔で告げた。
「閣下、受かりました!私、受かったんです!!口頭試問!合格です!」
そう言った瞬間、リンの中になにかとてつもない元気と活気の奔流が流れ込んできた。それはどこか空虚な興奮を感じさせる脳内物質でも、ついさっきまで自分の中に巣くって全ての活力を吸い取っていたブラックホールのような怒りでも絶望でもなく、正真正銘、溢れんばかりの『愛』と『喜び』だった。
「リン!ああ、リン!」
アクセルは腕の中のリンを両腕に抱え上げると、そのままグルグルとメリーゴーランドのようにリンを振り回し始めた。
「やった、やったな!リン!!」
「アハハハハ!やりました!閣下!」
ところが、5~6回転ほどすると、アクセルの身体が止まってしまった。高揚した気分のままに、まだまだメリーゴーランドを続けて欲しかったリンは、何が起こったのかとアクセルの顔を見上げた。
そして、リンは驚愕のあまり、目を見開きそれを見た。
嗚咽を堪えきれずに男泣きに頬を濡らす、麗しのディスカストス侯爵をーーー。




