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海に降る雨  作者: 美斑 寧子
本編
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6.ミリアムの懇願

お気に入り登録していただいている方、ありがとうございますm(^_^)m♪

 愛する妹から、この得体の知れない少女を引き離す為の、アクセルの苦労は、そうしてことごとく頓挫(とんざ)した。

 そのことを思い出して、こみ上げてくる怒りを再確認しながら、そして、それを無理矢理押し殺しながら、全ての元凶とも言うべき女、リン・バクスターをルームミラーごしに盗み見る。

 この国の人間としては珍しい、クセのないまっすぐなブルネットの髪は軽く左耳の下辺りで結わえられ、窓から吹き込む海風に煽られては頬にまき上げられている。化粧っ気のない唇は、淡いバラ色を穿いて思いにふけるように小さく隙間をあけながら口角を上げていた。その瞳は逆光になっているせいもあり、確認できない。

 アクセルは何故か?リンの瞳の色を思い出せなかった。カレッジで会った時も、つい今ほど駅のロータリーで会った時も、あれほど強い印象を残したにもかかわらず。

 そうした自分の自動的な精神防御術がいったいなにを意味するのか?そうした人間関係に疎いアクセルには、まだ知るよしもない。

 ただただ、いらだたしかった。全てが。リン・バクスターも、ミリアムも、そして、なにより苛立ちを押さえきれないこのコントロール不能な自分の激情も・・・。


*****


 やがて別荘に到着すると、アクセルは苛立ちも隠さず、乱暴な運転で玄関アプローチに車を停めた。

 車の到着を今か今かと玄関先でずっと待っていたのだろう。ミリアムは慌てたようすで車に飛びつくように駆け寄ると、後部座席のドアをあけ、大切な友人に抱きついた。


「リン!ごめんなさい!!驚いたでしょう?お兄様がどうしても自分が迎えに行く、って聞かなくて。」


ミリアムはほとんど泣き出しそうな様子でリンに許しを乞うた。

と、リンがそれに答えるのを妨害するように、アクセルの冷たい威圧的な声が運転席からかぶせるように響く。


「ミリアム、ミズ・バクスターはお疲れの様子だ。まずは客間でお茶をお出ししなさい。グッドマン!!」


「は、閣下。」


 アクセルは、玄関の両開きドアの片側を開けたまま手で押さえつつ、慇懃な礼を返す執事に指示をだすと、ルームミラーごしに自分を見つめるリンの視線を捉えた。


(私の監視の目をかいくぐり、世間知らずの妹を丸め込んで快適な別荘滞在をもくろむなど。この孤児院上がりの貧乏人め!)


内心の怒りを隠そうともせず、リンをにらみ返すアクセルにリンの中のなにかが切れた気がした。


「そうね、まずは熱いお茶をいただきましょう?疲れたでしょ、リン?」


「ありがとう、ミリアム。でも私、このまま帰るわ。」


(なんだと?!)


こんな時まで、やけに落ち着き払って聞こえるリンのアルトの深い響きがアクセルの苛立ちをいや増した。


「何を言っているのよ、リン?!そんな哀しいこと、言わないで!」


ミリアムはもう泣きそうだ。ガマンできなくなったアクセルが運転席から出て、三度(みたび)リンの腕を掴んで彼女を車から引きずり出そうとした時だった。彼のたくましい腕が振り払われたのは。


「やめて下さい!」


アクセルにとって、手を振り払われたのはもとより、怒鳴られたのも生まれて初めてだった。改めてまじまじと見下ろすと、今まで従順な様子でろくに目も合わせなかったリンが、燃えるような怒りを込めた瞳で見上げているのに気付いて、アクセルは固まった。


「さっきから、失礼にも程があります。人の体に勝手に触って、まるで犬かなにかのように引きずり回して!これ以上暴力に訴えるなら、警察を呼びます!」


その時、アクセルは初めてリンの瞳が緑かかった榛色であることに気付いた。怒りに充血した瞳は明るい夏の日差しを受けて、まるで海面のように揺らめくエメラルドグリーンのまだら模様に彩られている。


(リン・バクスターはこんな顔をしていただろうか?)


会うのは2度目だが、素行調査会社からの報告書に添付された写真で何度も見ていたはずだ。私は彼女の顔を知っているはずだ。さっきだって駅ですぐこの女を見分けることができた。それなのになぜ、まるで別の女性のように見えるのだろう?

 戸惑い、棒立ちになりながらリンの顔を見つめるアクセルを、突き飛ばすように押しのけ、ミリアムが叫んだ。


「リン、ごめんなさい!お兄様の傲慢な言動は私が謝るわ!だから、お願い!すぐに帰るなんて、言わないで!」


ほとんど泣き叫ぶようにリンの手にすがると、ミリアムは美しいサマーワンピースが傷むのも気にせず跪いた。

 リンは仰天した。


「ミリアム、やめて!!立ってちょうだい!」


「だったら、許すと言って、リン!そして、予定通り2週間滞在する、って言って!!」


「ミリアム、それは…」


できないわ、と続けようとしたリンの言葉を遮って、ミリアムの懇願が続く。


「全部あなたの言うとおりだった!最初からお兄様にきちんと話をして許しをもらうべきだったのに…。つい面倒で全部秘密にしていた私が悪いの。あなたはあんなに何度も何度も言っていたのに。最悪の結果になってしまった。あなたにイヤな思いをさせて、そんな、腕に痣まで…。私、あなたにどう謝ればいいのか、わからない!」


最後の方は完全に涙声で、ミリアムは言い終わるとそのままリンの首根っこに縋り付くと、おいおいと泣き出してしまったのだった。

 ミリアムの背中をぽんぽんとなだめるように叩いているリンの腕に、真っ赤な掴まれた痕が見て取れた。その瞬間、アクセルの頭からスウッと血が下がった。

 貴族として、男として「女性には優しく」と小さい頃から教育され、誰よりもマナーに厳しく行動してきたはずの自分。それなのに!いくら妹を(そそのか)している、と怒りに燃えていたとはいえ、痕がつくほど強く女性の腕を掴み上げるなど、平素のアクセルとしてはあり得ない行動である。


(私はいったい、なぜ?こんなことを…。どうして、このリン・バクスターという女に関しては我を忘れた行動を取ってしまうのだ・・・?)


思えば、カレッジの豪奢な面会室でもそうだった。大切な妹を傷つけまい、と考えていたアクセルは穏便に、しかし毅然とした態度でルームメイトのリンに多額の「援助金」を提示し、それを条件に部屋替えを迫るつもりでいた。

 アクセルがそれまで会った貧乏人達はみな、金を提示するだけであっという間に言うなりになった。そうした金をエサにした交渉は彼にとっては日常茶飯事で。なるべく穏便にさらりと話すのが効果的だと知っていたはずなのに。

 あの日、入室したリン・バクスターの、自分と抱き合うミリアムに向けた聖母のような暖かく愛情に満ちあふれる表情を認めた時、得体の知れない苛立ちがアクセルの心を支配してしまったのだ。その結果が、普段のアクセルからは想像もできない非道く権威主義で同時に、ある意味貴族的な、あの差別発言だったのだ。

 その感情と似たものが、今、アクセルの目の前で再現されている。彼の大切な妹を抱きしめ、慰めている女。憎いはずのその女。しかし、彼の大切な妹を泣かせている犯人は、この自分自身なのだ!この女は何故こうも妹の心に入り込んでいるのか?そして、自分は何故こうもこの女に苛々するのか?いいや、この女と関わりを持ってしまったこと自体がそもそもの間違いだったのだ…。アクセルはこの時ほど、愛する妹の「カレッジに入りたい」という懇願を許してしまったことを後悔したことはなかった。


「ミリアム、泣かないで?あなたが悪いんじゃない。ほら、立って?熱いお茶を飲めば、少しは気分が良くなるんじゃないかしら?それとも、冷たいチョコレートドリンクにする?一緒にお茶にしましょう?ね?」


「リン…えぐっ…が、帰らないって…うぐっ…ううう…やぐ…やぐぞく…してくれる?」


「…ほら、私、お茶が飲みたいわ。自慢の美しい海の見えるリビングに案内して?」

(とにかく一度、ミリアムときちんと話をするべきね…)


 泣いて離してくれないミリアムに根負けしたリンは、車を降りながらミリアムを抱き起こして立たせると、彼女の膝を軽くはらった。そして、棒立ちになって燃えるような目で睨んでいるアクセルを完全に無視して、ドアに向かうと、無言で案内する執事について、別荘の中に入って行った。

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