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海に降る雨  作者: 美斑 寧子
本編
54/152

54.侯爵閣下の冒険譚

 ミリアムがその付箋を貼り始めた時、リンは正直、またぞろミリアムが妙な遊び(?)を始めたな、くらいにしか思わなかった。

 しかし、それが1週間、2週間と続き、そしてとうとう一月(ひとつき)を越えた頃、その意図をかなりはっきりと意識するようになっていた。

 相変わらずアクセルからのメールもまた、とぎれることなくリンのスマートフォンに届き続けている。それはいつだって、リンの負担にならない、さりげない単文で。日常雑記とも呼べないささやかな便りだった。

 例えば、ある夜は


『暗い夜空を見上げて君の髪の毛を思いだしている』


そんな言葉と共になにやらよく分からない、光の粒が小さく散った漆黒の写真が添付されていた。どうやらそれは夜空のようだったが、スマートフォンに付属のカメラの設定を上手く変えられなかったとみえて、手ぶれもあって、ただの黒い撮り損ないの写真のように見えた。

 リンは、なんでも器用にこなすイメージのあるアクセルの、意外な失敗(?)に、思わず笑みを漏らした。アクセルにとって無念だったのは、心を込めて盛り込んだリンへの思慕を見事にスルーされてしまったことだったが、まぁ、アクセル本人には伝わらないことではある。それでも、リンが微笑みながらアクセルに想いをはせてくれたことだけでも、ディスカストス侯爵閣下にとっては、本望だったことだろう。

 そう言えば、今日のミリアムの付箋の内容は、自然保護団体へのボランティアアドバイザーとして、アクセルが活動している、というニュースだった。

 ミリアムは毎日リンの寝ている間に、リンのファイルに付箋を貼る。その付箋には、アクセルの近況というか、最近どんな慈善活動や社会福祉活動に参加したり寄付したりしているかが書いてあるのだ。

 正直、アクセルがそんな風に慈善活動に熱心であることが、リンにはとても意外だった。

 アクセルの事はもう恨んでいないし、その気持ちも真面目に考えようと思っている。しかしそれとは別に、やっぱりアクセルは自分とはかけ離れた人間であるという印象をリンはずっと拭いきれなかった。しかし、ミリアムからもたらされるアクセルの素顔とも言うべきささやかなニュースは、リンにアクセルのことを身近に感じさせる効果を持っていたのである。

 身内には優しく、愛情深い所はあるが、それ以外の人に対してはどこか冷たくて、自分の爵位に責任感と誇りを持っている分、それ以外の階級の人々には無関心な侯爵閣下。それがリンの内包しているアクセルの印象だった。しかしそれが、少しずつ少しずつ氷解していくのを、リンは確かに感じていた。

 どんなに忙しくても、リンはミリアムと食事を取るようにしていたので、顔を合わせる都度、ミリアムは付箋の中身を詳しく話した。

 研究室では、常に口頭試問用の知識と応用技術を磨く為の広範な模擬試問の解答の勉強に没頭しているリンにとって、ミリアムとの三度三度の食事は、丁度良い気分転換になった。リンはこの一時をこよなく愛した。

 そして、ミリアムの口から供される、アクセルの話題はまるでアイドルだか小説のヒーローのように現実感がなく、だからこそ、現実的な論理思考に疲れ果てたリンの脳にとって、格好のリラックス材料となり得たのだった。

 アクセルのビジネスとその慈善事業との関連や、寄付先を募り選定するその様は、まるでドラマのように面白かった。更には、ミリアムは意外な程、(たく)みなナレーターだった。ミリアムは熟練の語り口で、実の妹でしか知り得ない、麗しのディスカストス侯爵閣下の実業界におけるあれやこれや、丁々発止を語り、そしてアクセルの社会福祉活動への情熱とその行動は、まるで冒険譚のようにリンを魅了したのだった。

 ミリアムはといえば、自分の語るアクセルの話によって、リンがアクセルについて興味を深め、どんどん近しさを感じる度合いが深まっている様に手応えを感じていた


(すごい!効果絶大とはこのことね!さすがグッドマン!)


ミリアムは、内心ガッツポーズをとりながら、両親の残した最大の遺産とも言うべき、頼りがいのある、信頼できる大好きな執事を、心の中で褒めそやした。

 グッドマンはミリアムのバックアップクルーであり、また、情報提供者でもあった。常に側に侍るこの忠実なる執事は、アクセルの仕事内容や、今どんな社会福祉案件に携わっているのかなど、リアルタイムの情報をミリアムにどんどん提供し、ミリアムはそれをどんどんリンに話して聞かせた。

 ミリアム自身、アクセルの仕事や活動の具体的な内容については知らないことが多い。ましてや、リアルタイムのスケジュールなど、まったく押さえていなかったので、ミリアムもまた、リンと共にそれらを十分楽しむことになった。リンとミリアムにとって、アクセルは世界を股にかけて、縦横無尽に飛び回る、まさにヒーロー的存在になった。

 毎日食事の度に、ミリアムの語る英雄アクセルアクセル・ザ・ヒーローの冒険譚を聞きながら食事をし、食後の紅茶を飲むと、リンは研究室へと戻っていく。そして、気持ちを切り替え、試験勉強に没頭するのだ。そんなメリハリのある毎日のリズムが、リンに集中力と気力を与えてくれた。

 そうして、日々は飛ぶように過ぎーー。

 遅い春の芽吹きと共に、とうとう、問題の、口頭試問の時期が訪れようとしていたのである。

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