53.アクセルの贖罪
「簡単です。ミリアム様、毎日必ず一つ、アクセル様の話題をお話しする、それだけで良いのです。」
「・・・それだけ?」
「はい、それだけ。」
「・・・本当に、それだけ?」
「それだけでございます。」
「・・・なぁんだ、グッドマンが言うんだもの、なんだかもっとこう・・・ドキドキワクワクするやり方なのかと期待しちゃったじゃない。」
ミリアムはガッカリした様子で言った。グッドマンはいつものように片方の眉だけをクイっと上げて、ミリアムの空になったティーカップに、濃く出したアッサムを注ぎ、デューランズのブラウンシュガーをスプーン一杯入れると、くるくるとスプーンで混ぜながらディスカストス侯爵家専用牧場から持参した、ジャージィ牛のミルクを注いだ。
「お嬢様・・・先程バクスター様の負担になるようなことは禁止だと仰ったじゃありませんか?」
「そうよ?だからこう、もっと・・・リンの負担にもならず、それでいてものすごーく、お兄様の株を上げられる、スゴイ方法を伝授してくれるかと思ったのよ。
それなのに、なに?毎日話題にする?
そんなの、天気の話をするのと変わらないわ。全然ロマンチックじゃないし、全然面白くない!」
「そういう、地道な方法こそバクスター様のような方には効くんです。」
そう言って、グッドマンは自分のウバにルッジアでだけ生産されている、砂糖大根から作られた、湿り気を帯び独特の旨味を持つ白砂糖をたっぷりと入れてグルグルとかき混ぜ、ほんの少しだけミルクを垂らした。
完璧に自分好みに出来上がった甘い甘いミルクティを一口含んで、満足の笑みを噛みしめつつ、グッドマンは言った。
「よろしいですか?これから毎日、アクセル様のことを必ず話題にするのです。」
「お兄様のこと?」
「そうです。特に、ディスカストス侯爵として行っている慈善事業のことを中心に、ニュースのようなことで良いですからとにかく毎日、毎日話題にしてください。」
「慈善事業のこと。ははーーん。」
ミリアムは合点がいったように鼻を鳴らした。
「確かにリンはそういう話題には敏感かも。」
「旦那様は過去に大失敗をしていらっしゃいます。きっとバクスター様の中にはどこかに旦那様への不信感が残っているに違いありません。」
「・・・。」
グッドマンの耳の痛い指摘に、かつてそんな兄の酷い行動を止められなかったミリアムは、無言で頷いた。
「その後、素直に自分の非を認め、謝罪もしましたし、告白までは滞りなく済みましたが、人間というものはそう容易く過去の傷を忘れることはできないものです。」
ミリアムは無言で紅茶に口をつけながら、再びこくりと頷いた。
「しかも、現在、最大にして最強のライバルがバクスター様の身近でそのチャンスを虎視眈々と狙っているのです。」
「え?!誰?なんのこと?!」
「・・・お嬢様、本気ですか?本気で気付いていらっしゃらないのですか?」
「ええっ?!それって私も知ってる人?誰よ、グッドマン、教えてよ!・・・まさか・・・リチャード?!」
「・・・どうしてリチャード様なんですか・・・?」
心底呆れたようなグッドマンの眼差しに、水をかけられたようになったミリアムは、知らず知らずに縮こまった。
「ブルーム伯爵に決まっているでしょう!」
「ブ、ブルーム伯爵?って・・・ああ!ドクター・ブルームの事?!・・・アハハハハ!」
ミリアムは爆笑した。お腹に手をあて、ゲラゲラ笑ってしまった。ひとしきり爆笑してから、ひぃひぃと喉を鳴らして呼吸をしながら、言葉を続けた。
「ほ、ほ、本気なの?グッドマン?」
「本気でございますよ?まぁ、正確に言えば、ブルーム伯爵というよりも、その執事が最大の敵かと思いますが。」
「へっ?執事?」
侯爵令嬢らしからぬ、間の抜けた相槌と共に目を丸くするミリアムである。
「どういうことよ?」
「どういうこともこういうこともございません。知っての通り、ブルーム伯爵の執事はバクスター様にプロポーズをしたのですよ?」
「うん、分かってるわよ。でも、リンは即座に断ったんでしょ?腹も立ててた、そう言ってたわよね?お兄様。」
リンがモン・ペリエを離れる前の晩、アクセル応援団(?)を自任する3人は、アクセル本人を交えて作戦会議を行ったのだ。その時、アクセルから、リンが『忘れてしまいたい』とまで言っているという、生まれて初めてのプロポーズについて知らされたのである。
ミリアム自身、プロポーズについてはリチャードからとっくに受けている。しかも、どこか素っ頓狂な趣味をした、ひどく夢想家なであるミリアムに首ったけなリチャードは、グッドマンを味方に引き入れてこれ以上無いというほど、ミリアム好みの最高のプロポーズを演出した。ミリアムは感動のあまり号泣し、二つ返事で結婚を承諾したのだ。
そんなミリアムは、アクセルの語った、リンが受けた生まれて初めてのプロポーズに怒り狂った。あんなものを『初めてのプロポーズ』だと思いたくない、と言うリンの気持ちに痛いほど共感したミリアムは、決してその話題に触れず、黙殺することで、その失礼な申し出を無かったことにしたのである。
「リンにとってはあれは屈辱の記憶であって、まったく素敵な思い出じゃあない。ましてやそんな失礼な申し出をしたドクター・ブルームの執事がどこをどうやってリンの気を引くというの?あり得ない、まったくもってあり得ないわよ、グッドマン!」
ミリアムは高らかに言った。語尾が少し狂気を帯びたように上擦ったのはご愛敬である。それほどミリアムにとってリンの受けたプロポーズもどきは許し難いことなのだった。
「お気持ちは分かりますが、お嬢様。」
ミリアムの興奮をなだめるように、淡々とグッドマンは言った。
「バクスター様は慈悲深い方。そしてなにより問題の伯爵と執事はその気になりさえすれば、ほとんど毎日、朝から晩までバクスター様と同じ時間を過ごすことが出来るのです。
確かにブルーム伯爵の執事が行ったあの軽薄な申し出はバクスター様の不興を買いました。しかし、それを補ってあまりあるほどの『時間の共有』ができるのです。
そして、バクスター様は優しく慈悲深いその御心で、どんな人間の事もお許しになってしまう、そんな方なのではないですか?かつて・・・差別的な暴言を吐き、あまつさえ契約書まで作って自分を愚弄した友人の兄を、許してしまうほどに・・・。」
「うっ・・・!!」
ミリアムはぐうの音もでなかった。グッドマンの言うとおりだった。リンはそういう人なのだ。だからこそ、自分も兄も惹かれた。そしてどうしようもなく大好きになったのではなかったか?!
「・・・どうしよう、グッドマン。あなたの言うとおりだわ・・・!
ああ!私ったらなんでお馬鹿さんなの?!
リンがドクター・ブルームと結婚するとか言い出したら、どうしよう?お兄様に合わす顔がないわ!!」
グッドマンは落ち着いた動作でティーカップを左手のソーサーに戻し、そして、それをテーブルの上に置いた。
「どうか落ち着いてください、お嬢様。
大丈夫、まだまだ巻き返しは十分可能でございます。」
「・・・本当?グッドマン?」
両手を頬に当て、その水色の瞳を潤ませたミリアムが縋るように呟いた。
「ええ、大丈夫ですとも。
ただし、それはひとえにお嬢様の踏ん張りにかかっていると言っても過言ではございません。」
「わ、私の踏ん張り?」
顔を引きつらせながら、相槌を打つミリアム。
「そうです。よろしゅうございますか?」
そう言って、グッドマンはスーツの胸ポケットから綺麗に折り畳まれた3枚の便せんを取り出した。
「旦那様が行っている慈善事業のリストです。陰に日向に、様々な方面へ寄付を行っています。またそれだけではなく、孤児の支援事業を行う奨学金機構の資産運用のコンサルティングを格安で引き受けるなど、多彩な社会福祉活動を行っています。」
「・・・知らなかった!」
「そうでございましょう。半分は先代の旦那様から引き継いだものですが、もう半分はアクセル様ご本人が決断され、実行している事です。 更にその多角化はここ1~2年の間に着手されたことばかり。」
「ということは・・・?」
「そうです。バクスター様の影響を受けての行動です。」
「ああ、お兄様ったら、お兄様ったら・・・!」
ミリアムはその便せんを胸に抱きしめ、肩を震わせた。涙が止まらない。
そんなミリアムにそっとハンカチを差し出しながら、グッドマンは続けた。
「旦那様は自分からは決してこのことをバクスター様にお話しにならないでしょう。バクスター様の気を惹くことができると分かっているからこそ、そうしない。それが旦那様にとっての贖罪というわけです。」
「・・・!」
ミリアムの目からボロボロと涙がこぼれた。それでも懸命にグッドマンの目を見て、何度も頷く。
「しかし、お嬢様はこのことをバクスター様に伝えることが出来ます。
そして、きっと旦那様のお気持ちはバクスター様に通じると私は信じています。」
「えっ・・・えぐっ・・・んぐっ・・・ん。」
嗚咽を漏らしながら、ミリアムは何度も何度も頷いた。
「よろしいですか?お嬢様。少しずつ、少しずつ、小出しにして、毎日お話しください。情報というものは、いっぺんに大量に言うよりも、毎日少しずつの方が、染みこみやすく効果が出やすいという特徴があります。特に、親密性を上げる為には毎日少しずつ、が効果的であると言われています。」
「・・・んっ!・・・わ゛、わ゛がった・・・う゛う゛っ・・・。」
目と鼻を真っ赤にしながら、ミリアムが言った。
「ほらほら、もう泣きやんでくださいませ。
そうしていると、初めてお会いした時みたいですよ?
さ、スコーンをもう一ついかがですか?クロテッドクリームもたっぷりお持ちしましたからね。後ほど、バクスター様とお部屋でお召し上がりになる分も十分ございますからね、遠慮は要りませんよ?」
そうしてポットに新たな水を汲む為にグッドマンは立ち上がった。
ハンカチを片手にようやく泣きやんだミリアムは、そんな頼りになる優しい執事に、微笑みと共に大きく頷いたのだった。




