50.モン・ペリエのサマースクール
結局、グッドマンの言葉に答えあぐねたリンはただ、曖昧に微笑んだだけでその会話を終わらせた。
やがてモン・ペリエ大学の正門前の車寄せに車が停まると、リンは礼を言って降りながら、見送る為に一緒に降車したグッドマンに言った。
「ミリアムとリチャード、そして閣下によろしくお伝え下さい。」
ひどく儀礼的で素っ気ない、いかにも礼儀作法に則った味気ない挨拶を寂しく感じたグッドマンであったが、それをストレートに言わないのも、この有能な執事の有能たる所以である。
(バクスター様は混乱していらっしゃるのだろう・・・。)
振り返り振り返り、頭を下げながら遠ざかるリンの後ろ姿を、ありとあらゆる貴族達から完璧と賞される、腰から上半身を45度に折り曲げながらも、尻がでない最高礼で見送った後、そそくさと乗り込んだ車内でグッドマンは考えた。
(どんなに働きかけても、人の気持ちというものは思い通りになりはしないもの。
今のところ、少なくとも、旦那様のことを嫌ってはいないし、拒否する気持ちも無いご様子。とりあえず、今はそれだけ押さえておければ、なんとかなるに違いない。)
グッドマンはそう、楽観的に考えた。その程度には、彼の主人は魅力的であると思う。手足が長く、筋肉に覆われた長身。甘いバリトン。けぶるような灰色の瞳と滅多に見ないサンディ・ブロンドの癖毛。実業界では辣腕を振るい、総資産額はアザリスで1、2を争っている。なにより、愛情深いその性格は、賞賛に値するだろう。
どんなに控えめに見ても、グッドマンの仕える主人は魅力的な人物であるといえた。
(その魅力を今、バクスター様に発揮しないで、いったいいつ、誰に発揮するというのか。)
グッドマンはそこまで考えて、さっさと思考の方向を切り替えた。そして、離ればなれになってしまったこのサマースクールの間、更にウィリアムズ・カレッジに帰ってからの後、どうやってリンとアクセルの間をつなぐかについて考え始めた。
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やがて、サマースクールが終わった。
怒涛のように襲い来る課題とレポートの嵐に翻弄されながら、リンは寝る間を惜しんで勉強に没頭した。そうして、とにもかくにもそれらが終わった時、睡眠不足のせいで疲れ切った身体と、妙に高揚する精神状態を抱えながら、大きな充実感を得て単位授与式に出ることができたリンだった。
アザリスからの参加者はとても少なかったが、そのうちの何人かとメールアドレスを交換し、医師免許の国家試験について情報を交換しようと約束し合って別れたのも、大きな収穫だった。
飛び級してサマースクールに参加していたリンはちょっとした有名人だったため、どこに行っても人に囲まれて過ごす羽目になった。
身体の大きな外国人達にとっても、年上のアザリス人達にとっても、この身体の小さい、控えめな性格をした、それでいて優秀な少女はいたく保護本能をくすぐられる存在であるらしく、皆、リンにとても優しくしてくれた。そこには恋愛のれの字も匂わず、ごく実務的な人間関係しか存在しなかった。リンはそんな気安さを満喫した。
一方で、毎日届く電子メールのせいで、夜は決まってアクセルのことを想い出した。
メールの中身はいつだって他愛ないことばかりだったが、最後には決まって「君を思いだしている」とか、「君に会いたい」とか「君がいなくて寂しい」とかいった甘い言葉が書かれていた。それらは不思議なほど、リンを酔わせた。
そうなのである。リンは自分でも不思議なほど、アクセルからのそんなメールとそこにさりげなくつけられている写真を楽しみにしている自分に、驚かずにはいられなかった。
精神心理学の授業で教わったとおり、自分の事を一番分かっていないのは自分である、とはこのことだ、とリンはつくづく実感した。
(閣下の告白にはあんなに当惑したし、閣下がそのうち自分を諦めてくれたらいいのに、とか、閣下と恋愛するなんて無理に決まっている、とかそういうネガティブな事ばかりを考えていたはずなのに・・・。私ったら、全然イヤじゃない。閣下から送られて来るメールも、メールに書かれた愛の言葉も。)
手の中にある、無理矢理持たされたスマートフォンの画面に羅列された、優しい愛の言葉を読み返しながら、リンは自嘲して考える。
(閣下との未来のことはまったく想像できないし、どんなビジョンも浮かばない。でも、確かに私は今、嬉しくて楽しくてウキウキするような気分を感じているわ・・・。これが恋愛感情なのかしら?それとも、閣下が私に与えてくれた無償の愛に対する喜びなのかしら?)
それがどんな性質の感情であるのか、リンには判断がつきかねているのが現状だった。それでも、少しずつでもいいから、自分の気持ちを自覚していけたら良い、と、リンは考えた。
(その為には、まず、医師免許の国家試験に合格し、自立しなければなにも始まらない。ただ庇護されるだけの、弱く、無力な存在では閣下の気持ちに正面から向き合うことすらできない。
だから、今は、自分の足場をしっかりと固めることに集中しよう。一日でも早く、閣下の気持ちにまっすぐに向き合う為にも。)
そんな決意を胸に、リンのウィリアムズ・カレッジで過ごす、最後の学期が始まった。




