49.アクセルのプレゼントとリンの矜持
レ・バン湖畔のバカンスはあっという間に終わり、リンは予定通りモン・ペリエ大学のサマースクールに参加する為、アクセル達と別れ、再び大学の寮に戻った。
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あの湖畔の告白以降というもの、アクセルのリンに対する愛情表現は恐ろしくあけすけでストレートなものとなった。それは、周囲の人々の苦笑を誘うほどだったが、ミリアムもリチャードも、そしてグッドマンでさえ、決してそれを諫めようとはしなかった。
「リン、諦めて。あれがお兄様の本性なの。愛情深い人なのよ・・・時に困っちゃうくらいね・・・。」
アクセルがあまりに自分を甘やかそうとするので、困り果てたリンが相談した際、ミリアムはため息をつきながら言ったものである。
「そうだよ、リン、君だって別にアクセルさんの事、嫌いじゃあないんだろう?」
リチャードまであっけらかんと言うのに、リンは呆れた。
「でもね、ミリアム、リチャード。
いくらなんでも、こんなのやりすぎだと思わない?」
リンの腕の中には、幾重にも重ねられた薄い薄いコットンシルクで出来た、羽のように軽い、サマードレスが抱えられている。その夜出かける予定のレストランに着ていくように、とアクセルがプレゼントしたのだ。
「こんなの受け取れないわ。」
なんともいえないグラデーションのむら染めが施された、その美しいドレスを拒否する言葉を重ねる、この可愛らしい年下の親友に、ミリアムはわざとらしく、大仰な動作で答えた。
「そんなこと言ったって、そのドレスのサイズは40ですもの、サイズ44の私には逆立ちしたって着られないわ!」
実はリンがアクセルに突っ返そうとしているこのドレスワンピースと色違いのワンピースを、ミリアムは手に入れている。
「返品できないの?」
「無理よ!だってそれ、マーク・ジェイコブスの新作オートクチュールなのよ?
あなたのサイズに合わせて、誂えたんだもの。」
「えっ?
・・・どうして閣下が私のサイズを知ってるんだろう?」
「え?ああ、うん。そうね・・・。
あ、そうそう、ほら、去年、一緒に舞踏会に行ったでしょう?あんなにダンスのレッスンをしたのに、ホルト伯父様が大変なことになってあなたが大活躍した、結局踊らずに帰った、あの。」
「ええ。」
「あの時、ドレスをお直しするのに採寸したデータを、お兄様が利用したんじゃないかしら?」
「エエッ?!それって、プライバシーの侵害じゃない!」
リンは憤慨したが、疑問は残る。
というのも、ジョギングとヨガのおかげで、自分の体つきは1年前よりも大分変わっているのだ。ウェストもヒップも引き締まると同時に、少し張りが出てメリハリがついた分、サイズとしてはアップしているのである。
「そ、そうね、うん・・・。」
ミリアムが言いにくそうに、視線を泳がせた。それで、さすがのリンにもピンときた。
「ミリアム、あなたもしかして・・・?」
「あー、ごめんなさい、リン!許して!
だって、今度こそ身体にピッタリフィットした、あなたとおそろいの服を着て、晩餐に出かけたかったんですもの。」
ミリアムはリンの同情を引こうとして、リンの腕にそのふっくらとした白い両手をかけて謝罪と懇願が入り交じった声を上げた。
こうなると、もう、リンにはお手上げである。年上なのに、天真爛漫でナイーブで、厚い友情を示してくれる、大切な親友の懇願を無碍にすることなどできない。
それにリンだとて、極上の手触りのする、この美しいドレスワンピースのことを、決して嫌いではないのだ。若い女性らしい、憧れもある。
ただ、見るからに高価なこのブランド品を諾々と受け取ってしまうのはどうにも気持ちの収まりが悪いのである。ディスカストス侯爵家の人々とつき合っているからといって、所詮自分は庶民、しかも孤児院育ちの孤児なのだ。こうした、いかにも貴族らしいことに慣れたくない、という気持ちもある。
それに、アクセルの告白に対する答えを延期していながら、プレゼントだけは受け取るなんて。まるでどこぞの悪女のようではないか?リンはそう考えたのだった。
しかし、そんなリンの矜持をやんわりと、しかし、断固として無視するようにアクセルのプレゼント攻勢は続いた。実を言えば、今、問題にしているコットンシルクのシフォンドレスワンピースなど、ほんの一部なのである。
時にささやかで、時に可愛らしく、そして時にまばたきを忘れてしまいそうになるほど高価なプレゼントを、アクセルは次から次へとリンに贈った。そして、それらをリンは時に受け取り、時に断り、時には決して箱に触らずに、断固として拒否の態度を貫いた。
リンは気付かなかった。そうした慎ましい、控えめで自分の身の丈を知る態度が、ますますディスカストス侯爵兄妹と、有能な執事のプレゼント魂に火をつけていることを。
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結局の所、コテージで最後の夜、リンは件のドレスに袖を通した。
色違いのワンピースを着たリンとミリアムは、まるで月の女神ダイアナと、夜の女王ニュクスのように美しく可愛らしい笑顔でレストラン中の視線を独占した。
ミリアムの輝くようなプラチナブロンドが、黄色とオレンジのグラデーションの手染めが入ったドレスに映えているその横で、対になるようにとセレクトされた、すみれ色とセルリアンブルーのグラデーションで染め抜かれたドレスを身に纏ったリンの美しさに、アクセルは誇らしさでいっぱいだった。
(これが私の愛する女性だ。)
そこら中からまとわりつく羨望の眼差しに、後から後からわき起こる笑いを堪えることも出来ずーー。その夜、アクセルはこれ以上ないほど上機嫌で過ごしたのだった。
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明けて、翌朝ーーー。
驚いたことに、大学までリンを送っていく役目を得たのは、グッドマンだった。前夜持たれた、アクセルの恋を応援する4人による会合で企図されたのである。
アクセルは恐ろしく不機嫌な顔をして、それでもリンを見送るためにコテージの玄関先に立っていた。そして、すこし腰が引き気味のリンに、ハグをした。
一方、そんな主人の不機嫌な様子をものともせず、グッドマンは、ラグジュアリーセダンのレンタカーの、ゆったりとした後部座席にリンと共に乗り込むと、おかかえシェフ兼運転手である寡黙な使用人をドライバーに車を出すよう指示した。
リンはリラックスして座り心地の良いシートに背中を埋めた。
実は、アクセルといるよりも、グッドマンと二人きりのほうが、幾分、リラックスできるリンだった。
(閣下には絶対言えないけど。)
こんな下らないことで、アクセルに疎まれてはグッドマンが可哀想だ、とリンは考えている。なにせ、リンにとっては今も昔もアクセルはまだまだ『雲の上の人』なのである。いくら好きだと言われても、まだまだアクセルとのことを現実的に考える段階ではない。
考え事をしながら、車窓の景色を眺めてぼんやりしていたリンに、グッドマンは言った。
「バクスター様、この夏休みはいかがでしたか?」
「とても楽しかったです。なにからなにまでお世話になってしまって。本当にありがとうございました。
これがみんなで過ごす最後のバカンスだと思うと、なんだか感慨深かったです。」
リンの言葉に思わず固まるグッドマンである。
(旦那様・・・。まだまだ全然、本気が伝わっていないですね。)
グッドマンが反応したのは、無論『最後のバカンス』の部分である。
グッドマンにとっては、リンはもうすでにアクセルのお相手であり、ゆくゆくは侯爵夫人として仕える対象だった。結婚後は勿論、つき合っている期間も(それがどれほどの長さになるかは未定だが)、夏のバカンスは当然のことながら、週末の休みだって、ちょとした連休だって、アクセルと過ごして欲しいと思っている。できれば仲睦まじく・・・。
そんなグッドマン(とアクセル)の気持ちを知ってか知らずか、リンときたら、極めてさらりと『一緒に過ごす最後のバカンス』と言う言葉を使った。
(これはゆゆしき事態かもしれませんね・・・。)
既にアクセル経由で、リンが恩師であるブルーム伯爵(の執事)から結婚を打診されたということを知っているグッドマンである。今日、ここにこうしてリンにどうこうしているのは、彼の大切な旦那様を強力にバックアップするためである。
というわけで、グッドマンは言った。
「バクスター様、旦那様のことが、苦手でいらっしゃいますか?」
「・・・少し。
・・・いえ、閣下が、というわけじゃなくて・・・。
私はただ、こんな風に甘やかされて、いろんなものをふんだんに買い与えられる、っていうシチュエーションに慣れていないのです。
まぁ多分、一生慣れることはできないと思うんですけど。」
リンが少し俯き加減で答えた。
「旦那様がお嫌いですか?」
リンは俯いたまま、首を横に振った。
「安心いたしました。
それならば、まずは良しとせねばなりますまい。
私からもお願い申し上げます。バクスター様、どうか旦那様のことを前向きに考えて差し上げて下さいませ。」
グッドマンはこれを言いたくて自分に同行したのだろう。リンはなんとなく感じていたことが正しかったことを確信した。
「グッドマンさん、閣下は本当に私のことを好きなんでしょうか?」
「・・・といいますと?」
「だって、閣下はあんなにすごい人じゃないですか?それに身分の釣り合う階級には閣下と結婚したい、っていう女性の方々が沢山いらっしゃる。
それなのに、どうして私なのか?単に、物珍しいだけなんじゃないか、って思うんです。」
「ほっほっほ!」
グッドマンが口ひげを揺らして笑う。リンは曖昧な笑顔でそんなグッドマンを見つめた。
「失礼いたしました、バクスター様。今の言葉を旦那様が聞いたら、どんなにか落ち込まれるだろう、と思ったら、思わず笑いがこぼれてしまいました。」
「ええっ?!」
グッドマンが口にした、ある種不敬な言葉に、思わず驚きの声を漏らしてしまうリンである。
「ご安心下さい。旦那様のお心に、万に一つの雑念も偽りもございません。
まぁ、恋愛に関しては、断ることばかりスキルアップして、肝心の気持ちを伝えるスキルは、まったくダメダメなお方でございますが。」
「・・・。」
相変わらずの毒舌に、興味を惹かれながら、リンはグッドマンの言葉を待った。
「極々シンプルに言わせていただければ、旦那様はバクスター様が大好きでいらっしゃる、ということです。それはそれは真っ正直に。
私が知る限りでは、初めての恋、と言っても差し支えないほどのご様子でございます。」
「初恋?!あの、閣下の?」
「さようでございますよ。信じられませんか?」
「そりゃそうですよ!だって、あんなにモテモテで、アザリス社交界の生きる伝説なんでしょう?」
「まぁ、そう言われているのは事実ではございます。ただしそれは、相手から懸想されることばかりで。旦那様の方から好きになり、あまつさえ、告白までなさった女性は、バクスター様が初めてかと。」
グッドマンは澄まし顔で言った。
「そう・・・なんですか・・・?」
リンは頬が熱くなるのを感じた。
「ときに、バクスター様の初恋はおいくつの頃でございますか?」
「・・・。」
リンはふい、っと目を逸らした。
「バクスター様?」
「・・・だ・・・です。」
「え?」
「だから、まだ、です。」
「は?」
「ああもう!つまり、まだ、ってことです!
いくつもなにも、そもそも私には恋をする余裕なんて、ありませんでしたから。」
「おお、それはそれは・・・。」
「はぁ。そっか、閣下は本気ですか・・・。」
リンはため息をついて、改めて車窓へと視線を泳がせた。
「なにか不都合でも?バクスター様。」
その憂鬱な様子に、内心冷や汗をかきながらもグッドマンは冷静を装って尋ねた。




