45.リンの気持ち
「といっても、本人からその、プ、プロポーズされたわけじゃあ、ないんです。執事さんから言われただけです。教授との結婚を考えてください、って。」
「執事?その教授には執事がいるのか?」
アクセルが怪訝そうに言った。貴族か大きな財産を持つ商人でない限り、執事と呼ばれる使用人を持つことはない。
「そうです。ドクター・ブルームは貴族様ですから。」
「ブルーム・・・確かそんな伯爵家があったはずだが・・・。」
「そうなんですか?爵位はよく知らないんですけど。」
庶民であるリンにとって爵位に関する知識など無用の長物である。ゆえに、男爵も侯爵もひとまとめに『貴族』でくくってしまっている。
「まあ・・・プロポーズって言ったって、本人からじゃないし、どこまで本気かわかりません。多分、冗談だったんだと思います。教授のことを心配するあまり、仕事熱心な執事さんが、無断で先走っちゃった、って感じでした。
ですから私は本気にするつもりもないし、なによりあれが生まれて初めての記念すべきプロポーズだった、なんて思いたくないです。」
想い出して喋っているうちに、あの唐突なミスター・ケントによる身勝手なプロポーズが思い出され、リンは頬を紅潮させた。
その様子がまるで恥じらっているように見えて、ますますアクセルの眉間の皺は深くなってしまった。
「どんなことを言われたんだ?具体的には?」
『敵を知り、己を知れば、百戦危うからず』。東洋の賢人の言葉を座右の銘にしているアクセルは、更にリンを問いつめた。
とにかく相手がどんな風に話をし、その結果どんなところにリンが激しい拒否を示しているのかを把握しておかなければならない。無論、やがて来るであろう、プロポーズのチャンスをモノにする為である。
どうやらクリスも憮然としつつもリンに『がっかり』と言われてしまった失態を取り返すべく、至極神妙な表情で、リンの言葉を待った。
一方、そんな風に二人に見つめられて居心地の悪い思いのするリンである。内心、
(閣下ってば、どうしてそんな詳細を知りたいんだろう?クリスまで目を爛々とさせちゃって。)
と得心のいかない気持ちだったが、ミスター・ケントのプロポーズに対する怒りの方が優った。折角聞いてくれるというのである。自分があんなプロポーズを受けて、どれほどがっかりしたかを、吐き出しておいた方が良い・・・いや、吐き出してしまいたい!そう考え直したリンは、少し伏し目がちにしながら、言葉を続けた。
「とにかく、見当はずれなことばっかり言われたんですよね。代々、庶民と結婚するのに頓着の無い一族だ、とか、教授が私を気に入っている、とか、見てれば一目瞭然だ、とか。
秘書として優秀だから、教授の公私に渡るパートナーとしてピッタリ、みたいなことも言われました。
そんなふうに、どこまでいっても、実利って言うかなんていうか・・・。どこにも愛情の要素が出て来なくって。」
そう言ったところでリンは少し言葉を切ってから、更に話を続けた。
「何度も言いますけど、赤い薔薇の花、とかダイヤモンドの指輪、とか、いわゆるロマンチックなお膳立てを夢見てた訳じゃないんです。
だけど。
アレが私の初めてのプロポーズなのかな、って思ったらなんだか悲しくって・・・。
あんな風に、仕事のスカウトみたいに、秘書兼妻、みたいな役割をいかがですか、って言われるなんて。私の存在意義って、そういうところにしかないのかな、って。
まだ教授が私の事を愛してる、って言ってくれた方が良かった。そりゃもちろん、そんなことあるわけないから、考える余地もありません。
私にとって結婚っていうのは、愛情で結ばれたその先にあるものだから。そこにはなんの打算もなくてただ相手の存在そのものが必要だ、って思える、そんな無償の愛情が存在する、って思っていたから。
だから、ミスター・ケントに、私の能力面を理由にドクター・ブルームとの結婚を言われて、余計にショックだったんです。」
アクセルは目の前のリンを、抱きしめたくてたまらなかった。というのも、リンが言ったことが、正に自分に当てはまると強く確信したからである。
アクセルにとって、リンはそのままのリンで良いのだ。長い間、イライラしながらも何故リン・バクスターでなければならないのか、今まで感じたことの無いこの感情に理由をつけられないまま、ひたすらリンの笑顔が見たいとだけ願い続けて来た、その理由が、リンの告白の中に、その答えがありありと説明されていたのだった。
アクセルが求めるリンは、そのままのリンだった。身分も出自も、優秀な医師の卵としての才能も技量も関係なかった。
リンの言葉、リンの行動、そしてリンの佇まいやその心根、そういったリンという存在の全てがアクセルの心の奥底にある柔らかく敏感な部分を刺激するのだ。
今まで誰一人として届かせることも、ましてや刺激することもできなかった、その場所に、リンが、リンだけが、そこに到達し、アクセルの心を震わせる。
それは一目会った時から始まっていたのかもしれない、とアクセルは思う。まだ会う前、ミリアムが口を極めて褒めそやすリン・バクスターというイメージのその向こうに。長年の経験から培われた、猜疑心でいっぱいの厳しく意地の悪い視線で、妹が親友と呼ぶ、その少女のことを無理矢理『貧乏人』と断罪しようとする無意識の防御反応の中に。




