44.初めてのライバル
「ガッカリ、って・・・リン、それってどういう意味?」
「どういう意味かって・・・そうね・・・、一言でいうと『ブルータス、お前もか』って感じ?」
相変わらず意味が分からない。クリスは無言でリンに続きを促した。
「クリス、私だって一応、女の子なのよ?これでも一応、プロポーズに対する夢だって持ってるわ。」
「一応なんかじゃない、リンはいつだって女の子だよ。俺にとっては、大切な大切な女の子だよ。」
「ありがとう、クリス。」
リンは少し苦笑しながら続けた。
「だったらさっき、クリスがしたのって、随分と身勝手だと思わない?だいたい、私の気持ちを確かめもしないで、言いたいだけだったんじゃない?
私はね、クリス、プロポーズって恋に落ちた二人が、関係を温めて、いつしか一生を共にする決意をして。そういう、気持ちを育てたやりとりの末に、とうとうたどり着くものなんじゃないか、って思うの。」
その通りである。あまりの正論にぐうの音も出ないクリス。そしてアクセルはと言えば・・・先走ってプロポーズをしないで良かった!と、彼の有能な執事に心の底から感謝していたことは言うまでもない。
「間違えないでね?指輪が欲しいとか、花束が欲しいとか、そういうことを言ってるんじゃないのよ?」
リンはクリスに言った。
「そう言う型にはまったプロポーズを望んでいるわけじゃなくて・・・。
私ががっかりしたのは・・・。」
そこまで言って、リンはふぅ、とため息をついた。
「ねぇクリス?私ってプロポーズして欲しそうに見える?
そんなに結婚したがっているように見える? 覚えてないけど、私からクリスに『結婚して!』って言ったことあったかな?」
リンの脳裏には、得々と主人との結婚を申し出るミスター・ケントの顔が浮かんだ。
「私、誤解させるような言動した?クリスからのプロポーズを誘導するような事を?」
少し悲しそうにリンは言った。
「そんなことないよ!」
クリスは必死で言い募った。リンはそんな真剣なクリスの表情を見て、少しだけその眼差しをゆるめた。
「なんだか最近、立て続けにこういう目に遭って、正直、落ち込んでるの。
私って、そんなに"結婚したい!"って、雰囲気を醸し出してるのかなぁ、って。プロポーズすれば喜んで答えそうな、結婚したそうな顔してるのかなぁ、と思ったらなんだか情けなくって。」
と、その言葉にアクセルが反応し、すかさず割り込む。
「・・・立て続け?」
「はぁ。」
リンが少し所在なさげに頷いた。
「それは、つまり、立て続けに、その、なんだ、プ、プロポーズを受けた、という意味なのか?」
そんなアクセルの焦った様子に、すっかり意気消沈していたクリスもバっと顔を上げて、リンの顔を見つめた。
「あーもう!想い出させないでください!あんなの、私は絶対カウントしたくないんですから!」
「あんなのって・・・。いつ?誰にプロポーズされたんだ?」
アクセルは食い下がった。
「リン!もう、だれかにプロポーズされたことがある、ってこと?!」
リンを怒らせたことを棚に上げて、クリスまでリンに詰め寄った。さっきまで萎れていたのに、リンが他の男からプロポーズを受けていた、という事実にいきり立っている。興奮してより一層深みを増したその緑の瞳は、ギラギラときらめき、あたかも極上のエメラルドのように光った。
「そんなことどうだっていいでしょう?!私が誰にどうプロポーズを受けようと、クリスには関係ないじゃない?!」
見当はずれな問いをぶつけてきたクリスにそう言いながら、同意を求めてアクセルの顔を見たリンは、息を飲んで固まってしまった。
そこにはいまだかつて見たことのない目つきをしたアクセルがいた。グレーの瞳はまるでシリウスのように白銀に輝き、眉間には深い深い皺が寄っている。腕と足を組み、椅子に深く座った姿勢で、リンの顔をジーっと見つめているその様子は、かつて初対面で、酷い酷い言葉を投げつけて来た時よりも、更に、不機嫌きわまりない表情である。
怒っていたはずのリンだったのに、そんなアクセルの双眸を見て、一瞬で冷水を浴びせかけられたようにそれが沈静化してしまった。まるで怒られている子供のように、縮こまり凍り付いてしまう。
一方、クリスにとっては渡りに船の状況である。クリスは、リンが黙り込んだのを良いことにずいっとリンに顔を近づけ、詰った。
「誰、誰!?誰なんだよー!」
「・・・私も是非、知りたいな、リン・バクスター。」
「あー、もう、嘘です、嘘、嘘!プロポーズなんて受けてません、ってば!」
リンは思わずそっぽを向き、アクセルの顔から視線を外しながら、叫んだ。
「リン?まさか・・・まさか、この人じゃあないよね?」
クリスがアクセルを指さしながら言った。
「・・・なに言ってるの、クリス!閣下に失礼でしょう?!」
リンは思わず叫んだ。
「閣下はアザリスでも有数の古い家系を誇る、貴族の中の貴族ともいうべき、ディスカストス侯爵当主様なのよ?
そんな人が私なんかにプロポーズするわけないでしょう?!
そんなこと、考えるだけで不敬よ!」
そして、間髪入れず、アクセルに向き直って頭を下げた。
「すみません!アクセルさん、クリスには悪気はないんです。ちょっとふざけているだけで。許してください。」
その時クリスには、アクセルの背後に、マンガの効果音のように『ガーーン!』という書き文字が見えたような気がした。それくらいアクセルはショックを受けた表情を露わにしていたが・・・悲しいかな、頭を下げているリンにはそれが見えず、当然、伝わることはなかった。
しかし、クリスには分かってしまった。この絶世の美男子、上流階級では結婚の超有良物件であろう、天下のディスカストス侯爵閣下が、間違いなくリンのことが大好きであること、そしてそんなアクセルが、リンに、はなから恋愛の眼中に入れてもらっていないことを。
その瞬間、クリスにとってアクセルは痛みを分かち合うライバル認定され、グッと精神的距離が近づいた。要するに、遠慮の壁が一気に吹き飛び、妙な仲間意識が芽生えたのである。
「・・・プッ・・・ウハハハ!」
クリスが噴き出した。お腹を抱えて身体を二つ折りにしてゲラゲラ笑っている。アクセルは憮然としてそんなクリスを眺めた。チラリと自分を見る眼差しが、妙にカンに障る。同病相憐れむといった感じだ。
しかし、不思議と腹は立たなかった。アクセルにとって、恋に落ちるのも、恋のライバルと出会うのも初めてだったからかもしれない。クリスの眼差しには、どこか妙な連帯感があった。そして、それは決して不愉快なものではなく、どこか楽しい気分を醸し出すものだったのだ。
一方、リンはといえば、訳が分からないといった表情で笑い続けるクリスを睨んだ。
「クリス!」
「も、申し訳アリマセン、閣下!ププッ、アハハハハハ!」
クリスはなかなか笑いを収めることができなかった。
(リン、リン、この人の気持ち、全然気付いてないんだね。あー、可笑しい!どんだけ鈍いんだよ!リン。)
と、そんなクリスを変わらぬ苦虫を噛みつぶしたような表情で一瞥し、アクセルは横道にそれてしまった会話を軌道修正するのを忘れなかった。
「それで?リン。いったいどこの誰にプロポーズされたというんだ?」
「・・・。」
クリスの不作法で折角うやむやになりつつあった話題を、再び引っ張り出したアクセルを恨みがましい目で見てリンは往生際悪くも、誤魔化そうとして目を逸らした。
「リン?」
ところが、どうやらアクセルには諦めるつもりはないらしい。相変わらずこちらをジィッと見ている。
やがてリンは内心大きくため息をついて、答えた。
「・・・担当教授です、カレッジの。」
「!!」
アクセルが鷹揚に構えていた姿勢を正し、テーブルごしにずいっとのりだした。
「それは、昨日まで3日間、ほとんど朝から晩までずっと一緒にいたという教授か?」
「はぁ、まぁ・・・。」
(どうして、そんな詰問口調なんですか、閣下・・・。なんだか怒ってるみたいだし・・・。)
リンはどこか納得のいかない思いを感じつつも、アクセルの目の中に抗えないなにかを感じ、どこか言い訳めいた繰り言を続けた。




