41.赤毛の少年
リンは唐突に我に返り、アクセルを振り返った。
「すみません!アクセルさん。紹介もしないで一人ではしゃいでしまって。」
「いや、良い。」
全然良くない様子で、頬をピクピクとさせているアクセルに、内心慌てるリンである。
(まずい!こんな風に放って置かれるなんて、閣下にとって、生まれて初めてのことだわ、きっと!)
なんといってもアザリス社交界では、どこに行ってもたちまち人に囲まれてしまう天下のディスカストス侯爵閣下なのだ。そんなアクセルは、自分の存在をないがしろにされるのに慣れているわけがない。
「アクセルさん、この子はクリストファー・スレイ。私のーー。」
「婚約者でーす!」
リンの言葉に唐突に割り込んで、後ろから抱きつきながら、クリスが叫んだ。
「!」
アクセルが気色ばむ。
「もう、また冗談ばっかり!クリス、いい加減にして。」
リンが困ったような笑い顔でたしなめると、クリスはアクセルの顔を見上げて、にやりと笑った。そのしたたかな笑顔を見たアクセルは、その宣戦布告を真正面から受けて立つように、ぐいとこの赤毛の少年を睨み返した。
「彼はクリストファー・スレイ、通称クリスです。クリス、こちらは、アクセル・ディスカストス侯爵閣下よ。」
そんな二人の火花を散らしている様子にまったく気付かないまま、リンは間に立って二人を交互に紹介した。
「アクセルさん、クリスは私と同じ孤児院で育った子で、もう10年も前に里親さんに引き取られて別れたっきりだったんです。こんなところで会うなんて、本当にびっくりしたわ!」
そう言ってニコニコと嬉しそうに笑っているリンを見て、複雑な気持ちを抑えきれないアクセルである。
「リン、侯爵閣下って、冗談だろう?どうしてそんな人と一緒にいるのさ?」
アクセルの爵位を聞いて、クリスが少し怒ったように言った。その声音にはわずかに不安が滲んでいる。
「冗談じゃなくって、この方は正真正銘、ディスカストス侯爵閣下でいらっしゃるのよ。
アクセルさんの妹さんと大学の寮で同室なの。そのご縁で、こうして仲良くさせていただいているのよ。」
そんなリンの説明を聞きながら、どうにもアクセルに対する警戒心を拭えないクリスは、リンの肩に廻した腕に、ギュッと力を込めた。
一方、そんなクリスをなんとかしてリンから引きはがそうと、アクセルはといえば、表面上の慕わしさを演出するために、右手を差し出しながら言った。
「アクセルだ。よろしく、クリストファー君。」
(これで少なくとも右手は外すことになるだろうーー。)
そう考えたアクセルだったが、生憎、クリスはリンから離れず、肩越しに手を伸ばした。
しかし、そんな不作法なクリスの行動も、彼の第二の母を自認するリンによって遮られてしまった。
「ほら、クリス、ちゃんとして!そんな、私の身体をはさんで腕だけ伸ばして握手しようとするなんて、お行儀の悪い!!アクセルさんに失礼よ!」
そうしてリンによって外されてしまった腕を所在なさげに伸ばすと、クリスは一向に警戒を解いた様子も見せないまま、仏頂面を隠しもせずに言った。
「・・・初めまして、閣下。クリストファー・スレイです。」
「リンと同じように呼んでもらえればいいよ、クリス君。」
本当は、初対面のしかもライバルらしき少年から名前で呼ばれるのはイヤだったが、リンの弟も同然の彼の機嫌を損ねても面倒だ、と考えたアクセルは、精一杯の愛想をその顔に貼り付けて、鷹揚に言った。
「いや、そういうわけにもいきませんから。
じゃ、俺は勝手に閣下って呼ばせてもらいますね。閣下こそ、俺のことはクリス、って呼んでください。」
クリスは如才なく答えると、再び、リンの腕をぐいっと引っ張った。
「それより、リン、俺たちのテーブルに来ないか?楽しいやつばっかりだから、気兼ねはいらないよ!」
そう言ってクリスはチラリとアクセルを見た。その目つきに明らかな敵意を感じてアクセルはグッと息を詰めた。
(どうやらこの少年は、なんとかしてリンを私から引き離したいらしいな。しかし、そうはいかないぞ。)
「いや、それは困るな、クリス君。これから私はリンに美味しいクロックマダムを奢ってもらう予定なんだ。」
奢ってもらう、の部分にさりげなく力を入れて親密さをアピールしながら、アクセルはリンの背中に手をあて、当初向かっていたバルコニー席へとそっと押し出そうとした。しかし、それを押しとどめるように、クリスはリンの腕にその2本の腕を絡ませると
「ええー!?10年ぶりだよ?リン!!俺、話したいことがたくさんあるんだ。」
と駄々っ子のように言い張ったのだった。
そんなクリスの様子に、リンは困ったように微笑むと、そっとアクセルを見上げた。その眼差しはなによりも雄弁に
『クリスを自分たちのテーブルに招いてもいいですか?』
と問うている。
無論、アクセルは、心の中で大きく『ノー!』と叫んでいたが、表面上はあくまで冷静な仮面を付けたまま、淡々と言った。
「・・・つもる話もあるだろう。彼を我々のテーブルに招くというのはどうかな?リン。」
「ありがとうございます!!アクセルさん!」
そう言っていって深くお辞儀をして笑う想い人の笑顔を見るだけで、なんだかんだいっても自身もとても幸せな気分になってしまったアクセルなのだった。




