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海に降る雨  作者: 美斑 寧子
本編
40/152

40.レ・バン湖畔の再会

 二人を乗せたレンタカーは白いスポーツタイプのコンバーチブルだった。レ・バン湖のほとりのにぎわう界隈より、少し離れた駐車スペースに滑り込んだ車から降り立ったアクセルが、周囲の視線を集めたのは言うまでもなかった。全身を質の良さそうな衣服で包んだ、洗練された佇まいの男性に、レ・バン湖に遊びに来ていた女性陣は老いも若きも色めきだった。そんな美丈夫が連れていた若い女性が彼とは少々不釣り合いな様子をしていたことも手伝い、早速声をかけようと足を踏み出した強者(つわもの)もいたくらいである。

 しかし、アクセルが(うやうや)しい手つきでリンをエスコートし、その一挙一動に甘い視線を向けるに至って、彼女たちはたちまち自分たちの負け戦を悟った。どんなに差し引いた視線で見たとしても、アクセルの眼差しは、正に恋する男そのもので、気付かないのは恋愛スキルゼロのリン・バクスターくらいのものだったからだ。

 アクセルは根気よく、リンのウィンドウショッピングにつき合った。最初こそアクセルに遠慮していたリンだったが、しばらく同じ時間と空間を共有しているうちに、どんどんうち解けていき、5軒目に入った刺繍小物の店ではすっかり美しく精巧なその造形美に見惚れ、無言になってしまったほどだった。つまり、それほどにアクセルの存在は側にいて自然で慕わしいものへと変化していた、といえるだろう。

 小さな刺繍ボタンをつまみ上げたリンが、嬉しそうに振り返って


「可愛い!ね、アクセルさん。」


と言った時、『可愛いのは君の方だ、リン』と言わないでいる為に、大変な意志の力を動員したアクセルである。

 そうこうしているうちに、お昼時となった。

 リンは最後に寄った刺繍小物の店で、随分と時間を過ごし、一つ一つの刺繍を楽しんだが、結局買ったのは小さな刺繍ボタン2個だけだった。しかし、最後までリンがチラチラと見ていた小さなポシェットをアクセルは見逃さなかった。

 それは、鮮やかな青の布地に、大振りのシャクヤクの花と可愛らしい小鳥がふんだんに刺繍されたデザインの、愛くるしい一品だった。肩ひもの付け根には、黄色とオレンジ、そしてコバルトブルーの小さな毛玉がついているばかりではなく、ファスナーにまで刺繍細工の小さなチャームがついており、使い勝手も良さそうに見えた。しかし、全て手縫いの刺繍で覆われたその小さな芸術品は、とうていリンの手の届くような値段ではなくーー。若く(つま)しい侯爵閣下の想い人は、隣で『なんでも買ってあげたい』オーラを出しまくっている億万長者の連れに、それを強請(ねだ)ることもなく、潔く店を出たのだった。


(決めた。あれだ、あのポシェット。あれこそがミリアムの言っていたプレゼントだ!そうして、リンに告白しよう。)


アクセルは高鳴る胸を押さえ、どうやってリンに気付かれぬようあの店に戻るか、そればかりを考えていた。

 そんなアクセルの思惑に気づきもせず、リンは湖沿いのエリアにあった、可愛らしい看板のカフェへとアクセルを誘った。


「ディスカストス家秘伝のクロックムッシューには負けるかも知れませんが、なんだかここのクロックマダムも美味しそうですよ。」


湖に張り出したデッキテラスには、お馴染みの緑と白のストライプ柄のパラソルが立てられたテーブルが並び、まだランチには早い時間だというのに、すでにいくつかのテーブルは客で埋まっていた。だれもが楽しそうに歓談しているその様は、店の料理が美味しいことを暗に保証しているかのようなムードを醸し出していた。


「人におごってもらうのは生まれて初めてだ。」


その相手がリンというのは、なんと嬉しいことか!アクセルはさっきから引き締めるのにムダな努力を費やしている表情筋に、より一層力を入れた。しかし、どうしても心が浮き足立つのを止められない。

 一方、そんなアクセルのつぶやきを笑って聞き流してリンは返した。


「それじゃあ、私は子供にしっかり言い伝えなければいけませんね?お母さんは、()()、ディスカストス侯爵閣下にクロックマダムをおごったことがあるのよ、って。」


そんな風に笑い合う二人の会話を聞き拾ったカフェの主人がギャルソンに案内を指示したのは、テラスで最も景色の良い林側の席だった。無論、アクセルのタダモノではない様子に、いずれかの国の上流階級だろう、と見当をつけたのもある。店の中からは丁度死角になって、プライバシーが守られる席で、有名な旅行ガイドでは『ラバーズ・シート(恋人たちの席)』と紹介されている。

 そうして、スマートな仕草で先導する見目の良いギャルソンについて、店中の視線を集めながら歩いていくアクセルの後ろについて、リンがいくつめかのテーブルの脇を通り過ぎようとしたその時である。


「リン・・・?君、リン?リン・バクスター?」


少しかすれた、しかし瑞々しさを含んだテノールが、リンの名を呼んだのである。


「えっ・・・?」


振り返ったリンがその相手を認識する間もなく、


「リン!!!」


テーブルをまわってきたその少年によって、リンの身体は抱き込まれてしまった!

 すべてはアクセルの目の前で、それも2~3秒の間に起こった。陽に焼けて赤くなった顔を、さらに上気させた少年が凍り付いたようにリンを見つめ、リンの名を呼んだ。そして、リンがそっちを向いたのを見ると、途端にテーブルを回り込んで大股で歩み寄り、そのままリンをガバリと抱きしめたのだった!


「リン・・・リン・・・ああ、夢みたいだ・・・こんなところで会えるなんて!」


リンとそう身長の変わらないその少年は、リンの肩口に顔を埋め、まるで必死で取りすがるようにリンに抱きつきながら、口走った。

 と、呆然とその様子を見ていたアクセルが、何秒かの後、ようやくこの状況に猛烈な反発を呼び覚まされ、無言でその少年の肩とリンの肩を掴むと、力任せにぐいっと引きはがした。


「・・・!」


ことここにいたって、ようやくアクセルを認識したらしい少年が、びっくりした顔でアクセルを見上げた。少し陽に焼けた髪がストロベリー・ブロンドに見えるが、少年の髪の毛はどうやら鮮やかな赤毛であるようだ。その証拠に、その双眸に嵌った瞳はまるでエメラルドのような緑色をしている。驚きに見開かれ、アクセルを見つめた目のすぐ下、高いほお骨の辺りには、薄いそばかすが散っているのが見えて、少年の年若さを感じさせた。


「リン、知り合いか?」


剣呑な表情でアクセルが言った。リンはただただ目を白黒させて、アクセルと赤毛の少年を交互に見遣った。


「リン、ひどいよ!!!オレのこと忘れちゃったの?!」


少年が叫んだ。と、その瞬間である。リンの中の記憶の中にあったある情景が、目の前の少年にぴたっと嵌ったのだった。


「・・・クリス?あなた、ひょっとして、クリストファー・スレイなの?」


リンが呆けたように呟く。


「そうだよ、リン!クリスだよ!」


「ああ、本当に、あなたなの?クリス!!ああ、ああ!」


そう言ってクリスと呼んだ少年の顔に両手を当て、顔を近づけるリンに、アクセルはびっくりして呆然と突っ立っていることしかできず・・・。同時に、激しい悋気をかき立てられもした。

 しかし、そんなアクセルに気づきもせず、リンは顔を近づけ、クリス少年の造作の一つ一つを、確認するかのように見つめた。その目は熱い涙で潤んでおり、同じようにリンを見つめるクリスの表情も、すっかり泣き笑いの相を呈していた。


「大きくなって・・・!」


「やだな、リン、オレもう17だよ?大きくなるにきまってるじゃん?」


「ああ、もっと良く見せて?クリス。」


「ははっ!相変わらずだな、リン!」


二人は額をくっつけ合い、まるで恋人のように涙を流して再会を喜び合っている。

 その脇に突っ立ったまま、初めて見るリンの親しみに満ちた態度と表情に、どこか納得のいかない想いを抱えながら、ただただ呆然と見ていることしかできないアクセルなのだった。


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