23.バカンスの終わり
ギースのバカンスは、あっという間に過ぎた。
クルーズやショッピングにつき合いながらも3日にいっぺんはホルト中将の見舞いに通ったリンは、思いもかけず良い実習先を確保することができた。
医師養成課程に通うリンは、あと2年もすると見習い医師としての実習(修行)が始まるのだが、ホルト中将の主治医を勤めるドクター・ヴァン・マーネンがリンを気に入り、『いつでも連絡してきなさい』と言ってくれたのだった。
一方、リン、リチャード、そしてディスカストス兄妹の4人は、それ以外の人間からの誘いをやんわりと、しかし断固として断っては、4人だけで数々のアクティビティを楽しんだ。4人だけで行動していれば、町やレストランで話しかけられても、誤魔化しやすい。
件の舞踏会でリンを社交界の貴族達の好奇の目線に晒すことにすっかり懲りてしまったアクセルは、本当はリンを別荘に閉じこめ、誰の目にも晒したくはなかった。しかし、ミリアムがそれを許すはずもなく。しかしなにより、アクセルは色々な場面での、リンの笑顔が見たかった。自分と接する時にはその心を硬く鎧がちなリンが、生まれて初めての物事に触れ、ミリアムとリチャードといる時は心の底から笑っている。その明るい向日葵のような屈託のない本物の笑顔が見たくて、アクセルは半ば強引にリンを連れ出した。
アクセルは優秀なリーダーであり、企画者であり、添乗員だった。
頬の落ちそうな美味しい料理を出すレストラン。夕日の美しい絶景スポット。ギース地方の人々が踊る特徴的なタップダンスを見せる、地元の人しか行かないような穴場の店に連れて行ってもらった時など、少々羽目を外したリンはアクセルの腕に掴まってそのダンスを真似て、はしゃいだ。そんなリンの様子に一見迷惑そうに、ウンザリしたフリをしていたアクセルの瞳の中に、チロチロと青白い炎が燃えていたことに気付く者は誰一人としていなかった。
ミリアムの幸せの為、という大義名分の元、アクセルは驚くほどリンのことを甘やかした。リチャードと共にミリアムとリンをエスコートしては、買い物、外食、アイランドでの海水浴と、まさに八面六臂の大活躍だった。
リンはその贅沢ぶりに目を白黒させながら、ある時は断固として固辞し、またある時はその特典を受け入れた。
一方で、夏休みの課題を理由にしばしば3人と離れて過ごす静かな午後もまた、リンは楽しんだ。ディスカストス侯爵家別荘の図書室はその蔵書の充実でリンの知的好奇心を大いに満たした。しかし、そんなリンの真剣な横顔を、時折別荘の主がそっと盗み見ている事には気付かなかった。
やがて、波乱含みで始まったその夏の楽しい休暇にも、終わりが訪れた。
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その日、ウィリアムズ・カレッジの来賓用駐車場の片隅に、大きな黒いラグジュアリーカーが滑り込んだ。
カレッジの新学期が始まるまでにはまだ1週間の猶予があったが、医師養成課程の特別講義の為に一足先に寮に帰ることになっていたリンが辞意を伝えたところ、ミリアムもまた、共に1週間早くカレッジに帰る、と言って聞かなかったのである。
別れを惜しむグッドマンとリチャードを残して出発しようとした二人を送ろうと運転手を買って出たのは、アクセル・G・ディスカストス侯爵、その人であった。
別荘のあるギースからカレッジまで、ハイウェイを使っても3時間はかかる。途中のサービスエリアで簡単なランチを楽しんだ後、舟をこぎ出したミリアムをよそに、車窓からの景色を楽しむリンに話しかけられずにいるアクセルだった。
(謝るのなら今のうちだ。)
そう。アクセルはリンに謝りたいと思っていた。バカンスの初日、ミリアムに強要され、最上級の礼でもって謝罪したことはしたが、あれはつまるところ、パフォーマンスに過ぎなかった。そのことはアクセル自身が一番良く自覚していた。アレは心のこもっていない、ミリアムに対する言い訳めいた、虚構だった。あの時点では、アクセルの中にリンに対する謝罪の気持ちなど微塵もなかった。
しかしホルト中将の一件をはじめとするギースでの日々を通して、アクセルは明らかに自分が間違っていたことに気付いた。リン・バクスターは自分が断じて決めつけた『嘘つきな貧乏人』ではなかった。優しく暖かな心を持った誠実で愛らしい女性であった。
(彼女はミリアムの為に失礼極まりない自分の申し出を受け入れ努力してくれたばかりか、我が侯爵家旧知の恩人である、ホルト中将の命を救ってくれた上に、そのことを嵩に着ることなく、常に控えめに思慮深く、その態度は崇高ですらあった。)
アクセルはリンに謝るチャンスを作りたいと思いつつ、とうとう別れの日を迎えてしまった。そのため、ウィリアムズ・カレッジへミリアムとリンを送っていく運転手を買って出たのである。
ところが、着々と終着点に近づいていくというのに、しかもミリアムが眠り込んでいる、という絶好のチャンスであるというのに、なかなか謝罪の口火を切ることが出来ずに、焦りを感じていた。




