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海に降る雨  作者: 美斑 寧子
本編
2/152

2.リンとミリアム

 リンには両親がいない。

 生後すぐに捨てられ、孤児院に引き取られたからだ。

 かろうじて産着に差し込まれたメモで、彼女の名前は「リン」とわかった。

 リンが住む国、アザリスは大国だったが、身分制度も残っていてリンのような階級の子供は、中等教育もそこそこに孤児院を追い出されるのが普通だ。

 しかし、幸いにも彼女は成績優秀だった為奨学金を得て、名門ウィリアムズ・カレッジに進学することが出来たのだった。

 ウィリアムズ・カレッジは全寮制が特徴のこぢんまりとした女子大で、美しい湖沼地方のほとりに開学してからすでに300年余が過ぎている歴史ある大学である。

 リン以外にはほとんど庶民階級の奨学生はおらず、貴族階級や富裕な商人階級出身の生徒ばかりで占められていた。


 リンがミリアム・ディスカストスと友達になったのは、偶然の産物だった。寮の部屋が一緒になったことに加え、身の回りのことをなにもできないミリアムに何くれと無くリンが気配りしたことから急速に仲が良くなったのだった。

 現役で入学したリンに対して、3浪していたミリアムは3歳年上だったが、元々考え方が幼く、世間知らずだったミリアムは、すっかりリンを姉のように慕うようになり、また、リンも孤児院でいつも年下の子供達の面倒を見ていたのもあって、そんなミリアムと相性が良かったといえる。

 ミリアムはディスカストス侯爵家の一員であり、小さい頃に外遊中に無くなった両親の代わりに年の離れた兄がいた。


 リンが驚いたのは、この兄が1ヶ月に一度は必ずウィリアムズ・カレッジを訪れ、妹に会いに来ることであった。この国の貴族階級は子育てを完全に外注するのが常識だ。小さい時は乳母に、幼年期はガヴァネス(家庭教師)、そして学齢になると寄宿学校というふうに。

 自分自身がそうして育てられている為、そして子供の頃の寂しい気持ちを大人になると忘れてしまう為、貴族達はそれがどんなに子供にとって辛く切ないやり方であっても、改めようとはしない。

 リンがカレッジに入る前に少しだけベィビー・シッターをしていた某男爵家では、寄宿学校に入った息子と娘をほったらかしにして、夫人も男爵本人も遊び回っていた。

 リンは孤児院で過ごした自分の経験から、休暇中の彼らとその弟妹をあわせて面倒を見た。最初こそきょうだい全員で過ごす日々にとまどっていた子供達だったが、みるみるうちに明るく闊達になっていくその様子を見て、リンは自分の考えの正しさに確信を持ったものだ。

 子供は、家族はできるだけ共に過ごした方がよい。近い関係の仲で人間関係の基礎を学ぶのが一番有意義である、とは、リンの恩師であるシスター・マーガレットの言葉だ。リンのいた孤児院は貧しくはあったが、恵まれていた。ひもじく、物質的には恵まれなかったけれども、家族代わりの仲間達がいつでも仲良く助け合って暮らしていたからだ。


 リンの知る、そうした貴族階級の常識からすると、ディスカストス侯爵の妹への気遣いはとても特別に思えた。しかしその半面、ミリアムの21歳には見えない子供っぽさと世間知らずぶりからすると彼が妹をどう育ててきたのかが分かるような気がした。そして、リンはいつも心の奥底で羨望と同時に友達の将来に対する心配を拭いきれず、落ち着かない気分になるのだった。

 どんな人間でも、必ずや自立はしなければならないのだ。ミリアムの将来に「働く」という選択肢は無いにしろ(彼女が相続する資産は人生の全てを遊んで暮らしてもまだおつりが来るほどの額だろう)、精神的にはいつか必ず兄の庇護下を離れなくてはならない日が来る。彼女の兄はそのことを分かっているのだろうか?リンの思考はいつもそこで答えの得られない疑問で終わる。なぜなら、自分が直接ディスカストス侯爵にこの疑問をぶつける(答えを要求する)ことなど、決して出来るわけがないことがわかっているからだ。

 相手は貴族、しかも侯爵閣下である。庶民で、しかも孤児であるリンが彼と直接言葉を交わすなど許されるわけがないし、そもそも、そんなチャンスがあるわけがないのである。


 そう考えていたリンだったので、その日、ミリアムが

「是非、兄に会って欲しいの!」

と言い出した時は、心底驚き、断る口実を探しあぐねて呆然としたのだった。



*-*-*-*-*



 新学期が始まり、3ヶ月が経っていた。

 ミリアムのもとをディスカストス侯爵が訪れる恒例行事は、すでにカレッジの恒例行事になりつつあった。なぜならば、彼のあまりの美丈夫ぶりに、まるでアイドルに夢中になるように、女子学生達が血道を上げているからだ。

 しかも、ただの「憧れ」ではない。両家の子女ばかりが集まっているこのウィリアムズ・カレッジには、現実的な「結婚相手」となれる可能性がある者がごまんといる。そんな「立候補者」にとって、夜会や社交界以外で侯爵と知り合いになれるかも知れない機会は、まさに滅多にないビッグ・チャンスなのである。


「本当に、イヤになってしまうわ!」


 侯爵との定期面会が3回も過ぎる頃には、ミリアムはすっかり腹を立て、しかしそこはかとなく兄に対する誇りが見え隠れする口調で、リンにこぼした。


「先輩から、同級生まで、私と一度も口をきいたこともない人達が、急に仲良しぶっちゃって、一緒のテーブルに座ってくるのよ?!お兄様もお兄様ね!ヘラヘラ相手しちゃって、見苦しいったらないわ!」


「・・・ミリアム、それは侯爵閣下にあんまりじゃないかしら?」


「だって・・・!」


「ねぇ、ミリアム。侯爵閣下は社交界でもそうした愛想の良い方なの?」


「ううん、昔から、私が結婚してからでないと結婚しない!って公言しているけど、毎年社交シーズンは、もう、大変。あちらこちらからお誘いがすごいのよ。でも結局、ほとんど全部断ったり、早めに切り上げたりしてる。」


「やっぱり。」


「リン、なにが言いたいの?」


「そんな侯爵閣下がどうしてこの大学の、しかもそんなに妹と仲良しでもない風の女性達を大切に遇するんだと思う?」


「・・・そうね、そういえばおかしいわね?なんで?」


「それはあなたが気づかなければならないことよ、ミリアム。」


リンは笑いながら答えた。


 こんな時、自分にもどこかにきょうだいがいるのだろうか?とリンは考えるのを止められなかった。もし、どこかに存在しているのだったら・・・沢山愛してあげたい、自分の得られなかった共感と愛情をたっぷり注いで、共に生活して、家族として思い思われ生きていけたら・・・。リンは小さい頃から何百回と夢想したことを、また、思い返すのだった。

 リンにとって誤算だったのは、ミリアムが「兄が何故?このカレッジの女子学生にだけ愛想が良いのかについて」直接本人に問いただすことにしたことだった。何回目かの面会から帰ってきたミリアムは、着替えもせずに息せき切ってリンに報告したところでは、侯爵はリンに、大変興味を示したそうだ。


「お兄様は少し怒ったような顔をして『ミリアム、それは君が考えたことなのかい?』って言われたわ!だから私、驚いてしまって、思わず『お兄様、どうして私が考えたコトじゃない、ってわかるの?』って聞いてしまったの。」


繕い物をするリンの横で、今シーズンの最新のプレタポルテを少々野暮ったく身につけたミリアムが言うことには、侯爵はそうして大切な妹の同室の学生に興味を持ったのだという。


「だからって、私が次の面会日に同席するなんて、一体全体どうしてそういう話になるのよ?」


「だって、お兄様がそう言うんだもの!ね、リン!いいでしょ?」


「無理よ。だいたい私は侯爵閣下と同席できるような身分じゃないし、洋服だって持っていないのよ?マナーだって習っていない。なにより、わけがわからないわ。」


「だって、お兄様に言われて初めて気づいたんだけど、私も、どうして今までリンをお兄様に紹介しなかったのかしら!って思ったんですもの。」


「・・・。」


確かにミリアムのこの性格では、上流階級の「建前重視」の令嬢達には敬遠されるだろう。ミリアムにとって、リンが相当深い話もできる、初めての友人であろうことは簡単に想像できた。そんなミリアムが、生まれて初めて話題に上らせた「大切なお友達」。保護者である侯爵は、きっと、その「過」ぎたる保護本能から「その人物をチェックしておくべきだ」と判断したに違いない。


「ね、お願い、リン!私、大好きなあなたを、大好きなお兄様に紹介したいの!ただ、それだけなのよ!お兄様はマナーや階級にはこだわらない質だし、大丈夫!」


「でもねぇ・・・。」


純粋に兄が自分の友達に会いたいと思っている、と信じ込んでいるミリアムに「お兄さんは私みたいな得体の知れない人間があなたの側にいるっていうので、心配で、下手すると排除を目的に私に会いたいんだと思うわ。」とはいくらなんでも言いにくい。


「洋服は大丈夫!私のを着ればいいわ!幸い、サイズも同じだし。」


「・・・。」


「次の面会には、小面会室を取れば良いわ。そうすれば、私たち3人だけでおしゃべりできるから、そんなに肩肘張らずに、ざっくばらんな雰囲気でお茶できるんじゃないかしら?ね?リン!お願いお願いお願い!」


最後はすっかり拝み倒すような姿勢のミリアムだった。こうしてリンは根負けし、その次の面会日、ミリアムに手を引かれて面会室棟へ向かったのである。


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