19.新種の薔薇
ペラペラうるさい不愉快な男だったが、ジョナス・スピレッツァ大尉の描写力はなかなかのものだったと、アクセルは内心認めざるを得なかった。とどのつまり、大尉がリンをして口にした、その詩的な表現はことごとく的を射ていたからである。
リンのその漆黒の髪は確かにカラスの濡れ羽色に艶やかにまとめ上げられ、頭頂部に作られた小さな髷とふんわりとまとめられた頭全体には、コバルトブルーのドレスに合わせたのだろう、スカイブルーのスワロフスキーのピンがちりばめられていた。
(確かにマダガスカル沖の遠洋に浮かぶ、夜光虫のようだな。)
幼い遠い日、両親とまだ幼児だった妹と共に眺めた美しい闇夜の情景がアクセルの頭に蘇り、彼をほんの少しだけセンチメンタルな気分にさせた。
「その髪型…。」
じーっと無言で見つめられ、非常に居心地の悪い思いをしていたリンの耳に、かすかなつぶやきが届く。
(ああ、やっぱり…。似合ってない、って言いたいんですね?閣下。
ミリアムもスタイリストの方々もお世辞を言ってくれたんだわ。そうよね、孤児院育ちの私が貴族の真似事をしたって、滑稽なだけですものね…。)
知らず知らずに落ち込むリンの耳に、続く言葉が滑り込んだ。
「よく似合っている。」
弾かれたように顔を上げると、アクセルの灰青色の瞳と目が合った。
驚くように見開かれたリンの瞳を見たアクセルは、そんなつもりがないのに、まるで口説き文句のような言葉を口にしてしまったことに気付いて、慌てて左手で口を押さえた。
(もしかして、閣下、照れている?)
目の前で少年のように落ち着かない様子を見せるアクセルに、リンは逆にすっかり安心してしまった。
(やっぱりこれが本当の閣下なのだわ。少年のような閣下。ナイーブで感じやすい。愛情に飢えた子供と同じ。)
そうして、リンは緊張のほぐれた様子でアクセルを見つめると、薔薇の蕾が綻び、花開くように笑ったのだった。
そんなリンの顔から必死に視線を逸らしたアクセルの目に、今度は広く開いた金色のデコルテと、線香花火の火花のようにスワロフスキーをちらしたデザインのネックレスが飛び込んできた。無論、その下で暖かく弾んでいる柔らかな乳房の谷間も…。
そのはち切れんばかりの健康的な魅力に、いつしかアクセルの頭はガンガンしてきた。
そんな彼が更に下の方へ視線をずらした時、とうとう最も彼をうろたえさせるものが目に入ってきた。それは、まろやかで女性的な腰からヒップへのラインであった。
コバルトブルーのシルクサテンが美しいそのドレスには、ちょうどヒップハングになるように、技巧的で色鮮やかな刺繍がびっしりと施された豪華なオーバースカートがぐるりと覆ったデザインになっている。そのせいで、女王蜂のようにボリュームのある女性的なそのラインが強調され、健康的な色気を醸しだしているのだった。
そのまろやかな曲線を目にした時、アクセルの脳裏に、つい昨日、黄昏のバルコニーで見たリンのビキニ姿と、そのショーツが覆っていた肉感的なヒップが蘇った。
(私はいったいなにを考えているんだ…?)
口を覆っていた左手で、今度は両目を覆いながらアクセルは必死でそのイメージをちらそうとして呻いた。
そんな挙動不審なアクセルをリンは小首を傾げつつ見つめたが、まさか自分が、社交界で垂涎の的、稀に見る美丈夫であり『麗しのディスカストス侯爵』『プリンス・チャーミング』との異名を持つ、この男性をその魅力でもって狼狽させているなどとは夢にも思っていないのだった。
(…まいったな…。)
アクセルはつくづく自分の愚かさを思い知った。
(私は彼女を、リン・バクスターを連れてくるべきではなかった。こんな…詮索好きな貴族連中の集まる場所に。
とはいえ、もう手遅れだがな…。)
この期に及んでアクセルはようやく気付いたのである。自分だけが知る新種の、珍奇で美しく得難い薔薇を、花盗人達の目の前に晒してしまったことに。ここにグッドマンがいれば、片眉だけをあげ、目を眇めるお馴染みの表情でアクセルの失敗を思い知らせたことだろう。
ところが、そんな窮地のアクセルを救う助け手は、思わぬ形で訪れた。
「おじさま?!ホルトおじさま?!」
突然、悲鳴のようなミリアムの声が辺りに響き渡った。驚き、振り向いたリンとアクセルの眼に飛び込んできたのは、左胸をかきむしりながら苦悶の表情を浮かべてソファから崩れ落ちる、ホルト中将の姿だった!




