18.コバルトブルーのドレス
そして、アクセルは見た。自分が今夜、エスコートする相手を。花のように微笑み、妖精のように軽やかな足取りで自分に近づいてくる少女を。
彼女はゆったりとした動作でリチャードにエスコートされてドアをくぐり、アクセルの姿を認めると、ホッとした様子で歩み寄って来たのだった。
(こうして見ると、なぜミリアムがコバルトブルーのドレスを薦めたのかがよく分かるな。)
その明るく爽やかな海色は、リンの黒髪とマッチして、その清冽さや、理知的な雰囲気をうまく引き立てている。
それに加えて、スパルタ教師のミリアム仕込みの優美な姿勢を保ちながら歩くリンは、どこからどう見ても貴族のレディにしか見えないほど自然でたおやかに見えた。
そうして今夜のパートナーである『麗しのディスカストス侯爵』の目前で立ち止まると、リンは淑女の礼をとった。それもこれ以上ないというくらい優雅な動作で、厳しい教師であるミリアムが満足したように小鼻を膨らませた。
(百点満点よ!リン!!)
ミリアムは心の中でガッツポーズと共に、リンに賛辞を送った。
すっと延びた背筋。そこから生まれる、優美な首の線。礼の動作も、その後の立ち姿も、完璧だった。
(どこからどう見ても貴族の令嬢にしか見えないわ!)
そして、そんなミリアムの表情を伺い見て、リンはホッと安堵のため息を漏らした。
(どうやらここまでは、なんとか及第点をもらえたみたいね…。ふぅー。)
一方、アクセルはと言えば、ただただ見とれることしか出来ないまま、シェリーグラスを手に固まってしまっていた。
見かねたホルト中将が
「アクセル・ギルバート。この可愛らしいお嬢さんを私に紹介してくれないかね?」
と声をかけてくれたのを機に、ようやく我に返ることができた、という始末である。
(ほうほう、アクセルはこのお嬢さんにすっかり心を奪われてしまっているようだな?)
ホルト中将は、片眉だけをくいっと上げていたずらっぽい笑みを浮かべた。
「…ああ、ああ、はい、失礼しました、ホルト中将閣下。」
アクセルは慌てて立ち上がると、リンの背中に軽く手をあてた。
「こちらはリン・バクスター嬢。ルッジアからの客人で、古い知り合いからお預かりしています。
アザリス語が不自由なので、談話は出来かねることを、どうかご容赦ください。
リン、ホルト中将閣下だ。」
「初めまして、ミズ・バクスター。」
ホルト中将が右手を差し出すと、リンはその瞳に浮かんだ暖かな歓待の色に、安堵しながらその手を握った。
「彼女は君の恋人かな?アクセル?」
ニコニコしながら言うホルト中将の茶目っ気たっぷりの表情に、リンはすんでの所で反応するのをなんとか堪えた。
(言葉が分からないフリ…言葉が分からないフリ…)
ひたすら、まじないのようにそう唱える。
「とんでもない!ホルト中将!!彼女はまだ19歳です。30歳になるこんなおじさんなど、まったく対象になりませんよ?」
アクセルもまた、自制心を総動員して、笑顔で取り繕ったが、ホルト中将は信用していないふうで、一瞬だけリンの瞳をのぞき込むと、
「ふうむ。」
とだけ呟いた。
(なに?なんなの?!いまの『ふうむ』って!なにか気付かれた?)
リンは必死で挙動不審になるのを堪えると、笑顔を貼り付けたままそっと俯いたのだった。そこへ、
「ホルトおじさま!お久しぶりです!」
と、ミリアムが抱きつかんばかりの勢いで会話の口火を切ってくれたことで、ホルト中将の注意が自分からはずれたのを見て、リンはほうっとため息をついた。
ホルト中将の話し相手をミリアムに任せ、その後すぐに、部屋の隅にある、こぢんまりとしたソファコーナーに誘導され座り込むと、ようやく緊張の糸が緩むのを感じた。そんな緊張した様子をよく分かっているらしいアクセルが、すぐに飲み物を差し出すと、受け取るやいなやリンは礼も言わずに一気に飲んでしまった。
(ああ美味しい!なんだか私、思ったよりも緊張していたのねぇ?)
ようやく自覚して、リンは思わず笑みをこぼした。
「もうすぐディナータイムだ。下手に動き回るよりもこうして私と2人でここで大人しくしているほうがいいだろう。」
アクセルが極小声で言った。
そしてリンの姿を隠すように、開け放たれた入り口との間に椅子を移動すると、アクセルはじっとリンを見つめた。