後日談2 いつか、その日が来るまで(3)
「私はここに、ディスカストス基金による大規模女子教育プロジェクトの設立とその開始、および初代代表理事に就任することを宣言します!」
堂々とした物腰で宣言したのは、ステラである。間髪入れず立ち上がったコンラッドが、誰よりも早く力強い拍手を送り始めると、周囲の人間達もこぞって立ち上がり拍手を始めた。まるでオペラのスタンディングオベーションのように。
上気した頬にうっすらと涙の後をつけた姉は、壇上から降りてくると、真っ先に最愛の夫に抱きしめられた。次いで先代のディスカストス侯爵である父親に抱きついた。
「イー!コンラッド!!」
「姉さん!」
「スピーチ良かったよ、姉様」
小さい頃から留守がちだった両親の代わりに、まるで母親のように面倒を見てくれた年の離れた姉の長年の夢、途上国や紛争地域の難民キャンプにおける女子教育のサポート。それがとうとう実現するのである。ディスカストス侯爵一家の面々は皆、興奮を隠せない。
暴力に支配された、紛争や内戦が起こっている弱肉強食の論理がまかり通る極限状態に置かれた地域では、弱い者がより多く搾取される現実が後を絶たない。
文化的・宗教的な差別によって、生まれた直後に殺される嬰児の3分の2が女児である事実。その後、生き延びたとしても性的搾取の被害者として、人身売買の犠牲になったりと、女児の置かれている悲惨な状況はなかなか改善されない。
そんな少女達の悲劇をなんとかしたい、と、ステラは長年国連やアザリスの政府機関と折衝を繰りかえし、信頼関係を築いた。そして今、とうとう全世界的に活動する団体を作ったのだった。
正確に言えば、この基金団体はディスカストス侯爵家の全員が運営に参加している、いわばディスカストス・ホールディングスの新規部門のようなものである。
例えばステラの弟であり、現ディスカストス侯爵家当主であるイーニアスはその天才的な投機・投資の才能を活かして基金の運用の担当だ。
また、ステラの夫であり、世界的に著名な小説家であるケンは紛争地域の取材と、それらを題材としたエッセイや小説の執筆と発表で、世界中の人々の関心を集めることが主な活動である。
無論、誰よりも強力な賛同者にして、最大のバックアップを任じるのは、ステラの両親である先代のディスカストス侯爵夫妻・リンとアクセルであることは隠す必要もない事実であろう。
ステラをトップとしたNPOが設立するのにあたって、医療スタッフ部門の人事統括責任者に就任したリンは、それまで長い間コンラッドも所属する世界的NPOで働いてきていた。今後はその経験を活かして、世界各地に派遣されるであろう医師達の採用から教育から、コーディネート、果てはメンタルケアを含むフォローアップまで、全てを取り仕切る部署の代表として働く予定である。
アクセルはというと、今でもディスカストス・ホールディングスのトップとして辣腕をふるっている。長年のビジネスマン生活によって培われた、確かな人脈を活かして、経営面のブレーンとしてイーニアスの補佐に当たる予定だ。更に、世界中に広がる人的ネットワークを活用して、資源アドミニストレーションのトップとして働くことになっている。
そしてーー、ステラは当然、末弟であるコンラッドにも協力を要請した。
コンラッドが帰国したのは、セレモニーに出席するためだけではない。今まで所属していたNPOを辞職し、姉をはじめとする家族全員と志を同じくして、この新しいNPOに参加する為なのである。
5年も前から計画されたこの支援組織の設立に、最も力強く賛意を示してくれていたにも関わらず、最近になって急に難色を示し始めたコンラッドの変わり様は、周囲を随分と困惑させた。しかし、両親からどうしても、と懇願されたことでようやく決意してくれたらしく、こうして帰国して、レセプションに出席してくれた。ステラもイーニアスも心配半分、安堵半分の気持ちで会場中の女性から熱い眼差しを送られている美丈夫に育った弟を眺めた。
姉のことも家族のことも大好きなコンラッドが、ステラのNPOで医師として働くことを迷った理由。それは、コンラッドの中に芽生えた新たな迷い、懊悩が、何事にも鷹揚で強靱な精神力を持つ彼を苦しめているせいだった。
原因は、直前まで医療活動を行っていた中央アジア、内戦のただ中で常駐の医師を失った山岳地帯の農村での医療現場経験だったのである。