後日談2 いつか、その日が来るまで(2)
「コンラッド!」
父親がちょっとした細工をしてくれたパスポートのおかげで、至極スムースに税関を通り抜けた彼は、空港の到着ロビーへと出た途端、20mも向こうから一目散に駆けてくる小さな姿を見て、破顔した。
「プルーデンス!」
肩に掛けたバックパックを足下に降ろして腕を広げるのと、その小さな身体が走ってきた勢いそのままに、思い切り飛びついてきたのはほぼ同時で。両腕で首を、両足で胴をまるでクモのように抱きしめ、しがみついたその華奢な背中を、鷹揚にぽんぽんと叩いてやる。
「はははっ!俺の小猿ちゃん、元気だったか?」
「失礼ね!もう、小猿じゃないもん!来年はプレップスクールだもん!」
「ほらほらふくれてないで、顔を見せてくれよ、かわいこちゃん」
コンラッドがそう言うと、可愛い姪っ子は手足を弛めて大好きな叔父さんの両頬にちゅっちゅとキスをした。
「プルー、レディーは公共の場で走ったりしない!それに男性にそんなクモみたいに抱きついたりはしない!!」
「イー!!」
「コンラッド!」
プルーデンスも心得たもので、するりとその腕の中から降りると、久方ぶりに再会する父親と叔父の抱擁の為にその場所を譲った。
コンラッドは身長は頭一つ分小さいだけ、しかし、身体の厚みは半分ほどしかないすらりとした兄を、被さるように抱きしめ、その背中をばんばんと叩いた。
一方、イーニアスもまた、小さい頃のようにコンラッドの背中をバンバンと……叩こうとしたものの、あまりの胴身の厚みにそこまで腕が届かず。結局コンラッドのあばらの下あたりを叩く羽目になった。
「元気そうだな、コンラッド!」
「兄さんも!」
嬉しそうに笑う弟を見て、それでも少しやつれたような気がするのは気のせいではないだろう、と、イーニアスは思った。
自分より2回りも大きな身体をしたこの弟は、見かけよりもずっと繊細で、人の気持ちに聡いところがある。そんな彼が母親の影響で医師になり、辺境の紛争地帯へと国際NPOの一員として赴くことを決めた時、正直、心配でたまらない気分にさせられたものだ。
そして今や心配は現実のものとなり、半年前に一時帰国した時よりも確実に精悍さを増した風貌や、目の下に色濃く巣くう隈、そして穏やかさを絵に描いたような母親譲りの榛色の瞳に混じる暗い翳り、といったものを見て取って、イーニアスは母親に相談するべきか、と密かに決意したのだった。
「コンラッド!ねぇねぇ、早く行きましょう?!
みんな待ってるんだよ!デューランズからスレイ家のみんなも来てくれたんだよ!」
抱擁の後、無言で視線の会話をしていたディスカストス兄弟の袖を、無邪気な侯爵令嬢、プルーデンスが引っぱる。
「プルー……レディーは、人の会話に割り込まない」
イーニアスは、生来の柔和さが滲み出るせいで、なかなか怖い顔にならないその優美な眦を懸命にしかめては、愛娘に向かって似合わぬ厳格さを演出しようとするのだが、それを見てコンラッドはいつも笑みを噛み殺している。
「??
だって……お父様とコンラッド、お話してなかったじゃない?」
「プルーデンス……大人はね、無言であっても、会話をしている時があるんだよ。
それに、もうプレップスクール生にもなるレディが、コンラッドなどと……。公共の場ではきちんと叔父様と呼びなさい」
「いいよ、兄さん。未だ27だってのに、叔父さんなんて呼ばれたらむず痒い」
「ほら、コンラッドだってコンラッド、って呼ばれる方が良いって!」
「……プルー……」
父親であるディスカストス侯爵、イーニアス・アルノーは奔放に過ぎるきらいのある末娘を眺めて深い溜め息をついた。
そんな父親の表情に、自分の勝利を確信したプルーデンスは、してやったりとでも言うかのようにコンラッドの腕に抱きつくと、空港の車留めに向かって引っぱっていく。
コンラッドはやれやれといった表情の兄にイタズラっぽくウィンクすると、バックパックを取り上げて歩き出した。




