後日談1 神、天にいまし。全て世は事も無し。
評価ポイント4,000突破記念で、拍手お礼ページにて公開していたものの再掲です。
リンとアクセルの子ども達のお話です。グッドマンもちょっとだけ出てきます。
「ねぇ、知ってる?ステラのお父さんって、すっごいハンサムなんだって!」
そのアーチをくぐろうとしたその瞬間、僕の耳に飛び込んできたのは、姉様のうわさ話だった。僕は慌ててその通路の壁に身を潜ませ、そっと声のしたほうを窺った。
そこには3人の少女が額を寄せ合ってなにやらキャアキャアと相談中だった。
いくら僕でも、そんなところに堂々と姿を見せられるほど厚顔無恥じゃない。だって、姉様のお父さんっていうのは、当然、僕のお父さんってことなんだから。
小さい頃からいくつかの学校を転々としてきた僕たち姉弟だけど、いつだって、決まって父様のことは噂になった。いや、噂にならないことなんて、なかったくらいだ。
というのも。
僕らの父様は、そのイケメンぶりで当代きっての「麗しの貴公子」として名を馳せた(?)、アザリスきっての大貴族、ディスカストス侯爵閣下その人だから。
そんな父様のグレイの瞳と端整な顔立ち、そしてクルクルとうねる、母様譲りの漆黒の髪の毛を受け継いだ姉様はどこに行っても注目の的。イヤイヤ夜会に出席するたびに、そこら中の貴族から婚約の申し込みが殺到する。
小さい頃、しばらく離れて暮らしていたせいで、姉様に極甘な父様は、そういう申し込みを歯牙にもかけず断ってるけど。
一方、僕はと言えば、父様と母様から、それぞれぼんやりとしたサンディ・ブロンドのくせっ毛と、どこにでもいる榛色の瞳を受け継いだ、ザ・平凡!という姿形をしている。
女の子だったら、実の姉と自分の容姿を比べてきっとコンプレックスに思うだろうけど、僕は別に気にしていない。かえって姉様が、どこに行っても一人で人の視線を攫ってくれるおかげで、けっこう伸び伸びとしていられるからね。
父様に似ている姉様と違って、僕はあんまり目立つタイプじゃない、ってことだ。
だから、いつだって、どこに行ったって、一番最初に皆の噂の種にされるのは、姉様の方で。
僕はと言えば、別に狙ってるわけでもないのに、こうして姉様がらみの噂を聞くつもりもなく聞かされる羽目になる、ってわけ。
どうやら彼女らは次の父兄参観で父様が現れるのを楽しみにしているらしい。でも・・・僕はどうしようか考えあぐねている。
彼女たちに、言うべきか言わざるべきか。
次の父兄参観があるその頃には、もう、僕たち家族はこの町からいなくなってる、ってことを。
次の日曜日。僕たちは8回目の引越を予定しているのだから。
*-*-*-*-*
その日の夜、夕食のテーブルを囲んでその話を披露した。すぐに反応したのは、やっぱり姉様で、
「イー、どうして出ていって『僕の父様のうわさ話をしているのは、誰だい?』って言ってやらなかったのよ?」
なんて、言う。
「僕は姉様と違って、そういうキャラじゃないんだよ」
デザートのクレームブリュレをつつきながら、僕はのんびりと言った。
「イーニアス様、紅茶のおかわりはいかがですか?」
「ありがとう、グッドマン」
そっと茶器を差し出すと、我が家の大事な執事が、すごく美味しいお茶を注いでくれた。
頭髪はもうすっかりキリマンジャロのてっぺんのように真っ白になってしまったけれど、その姿勢にはまったくもって、一部の緩みもなく、とにかく矍鑠としている。
そんなグッドマンの淹れる天下一品のお茶を飲み慣れている僕たちは、そこらへんのティールームになんて入れない。それくらいグッドマンのお茶は美味しい。
後継者として訓練中のマシューズも頑張ってるとは思うけど、やっぱりグッドマンには到底及ばないんだよなぁ、いろんな意味で。
「それより、姉様、まだクラスメートの皆さんに転校のこと言ってないの?」
「言ったわよ、私」
「だったらなんであの人達、父兄参観を楽しみにしてたんだろう?」
僕は小首を傾げた。
*-*-*-*-*
ところが、次の日、登校した途端、ナゾはすぐに解けた。父様を見せ物にして一儲けしようと暗躍していたアシル=クロード・スレイの陰謀が、明るみに出たのだ。
「チェーッ!いいじゃんかよぉ!写真の一枚や二枚撮らせてやったってさァ、減るもんじゃあるまいし!」
そんなふうに言い逃れをして、姉様にヘッドロックをかけられているアシルの顔は、苦しいのと、プラス、また違った意味でもって、真っ赤だ。そりゃあ、アシルの見事な赤毛と同じくらいの真っ赤っか。
「なぁに言ってんの!どうしてうちの父様と一緒に写真を撮るチケットとか、アンタが売り出してんのよ?!」
そんなアシルの様子に気づきもしないで、姉様がその頭を小突いた。
「閣下のご尊顔は良い金になるんだよぉ!」
「まだ言うか!ちょっとは反省しなさいよ!この、馬鹿アシル!」
そう言って姉様は益々アシルにまわした腕に力を込めたから、その大きな胸がぐいぐりと背中に当たるわ、お気に入りのシャンプーのベリーミックスの香りの髪の毛が顔に当たるわで、アシルの顔は益々赤くなった。
(不毛な片想いだね、アシル・・・)
僕は表情を変えずに、この友人の恋心に心の底から同情した。僕と同い年のアシルは姉様と年が5つも離れている上、姉様はものすごく鈍い。とてつもなく。
母様譲りの頭脳明晰さと、父様譲りの美貌を持つ、我が家自慢のステラ・エリザベス・ディスカストス侯爵令嬢。それが僕の姉様だ。
学校の成績はすごく良いし、アザリス、デューランズ、ルッジアと3カ国語を自在に操る才媛のはずなのに、恋愛スキルだけはからっきしなんだ。
それというのも、全部、母様からの遺伝なんだ、ってグッドマンが言っていた。
さもありなん。
母様が父様のプロポーズを受け入れたのは、姉様が生まれて2年近く経ってからだ、っていう話だし。どれだけ意地っ張り、っていうか待たせるつもりだったんだか・・・。
それでも今は家族4人で仲良く暮らしているんだから、まぁ、結果オーライかな、って僕は思ってる。
ただ、僕はこの学校とこの街を気に入っていたから、本当はとても残念だ。アシルと同じ学校だったのも良かった。
アシルと僕達姉弟は幼馴染みで、小さい頃からよくこの街に遊びに来ていた。
だから、2年前、母様の仕事の関係でここに腰を据える事になった時、僕が一番嬉しかったのは、姉様とアシルと同じ学校に通える、ってことだった。
久しぶりに会ったアシルは相変わらず姉様に夢中で、やたらと仲を取り持ちさせられる羽目になったのは誤算だったけど。
まぁ、そんなこんなで気に入っているここ、モン・ペリエでの生活も、もうすぐ終わる。
そして、残念に思いながらも、アザリスに帰った後、とんでもなく喜ばしいことが待っているから楽しみで仕方がないのも事実なんだ。
*-*-*-*-*
「父様ったら、母様を連れてさっさと本宅に帰っちゃって、まったく過保護なんだから!」
夕食後、暖炉の前の特等席に場所を移して、お茶を飲みながら、姉様がぷりぷりとした口調で言った。
「旦那様のアレは……まぁその、お嬢様の出産に立ち会うことが出来なかったトラウマといいましょうか……」
グッドマンがいつものフォローを口にする。
暖炉からは良い匂いの薪が、パチパチと音を立てている。
「だからって、母様だってうんざりすると思うけど!あんな風にべったりくっつかれてちゃ」
いつも思うことだけど、姉様って、性格は全然両親に似た所がない。どちらかというと、ミリアム叔母様の方に似ているんだよね。父様に対してキツいところも、母様の世間擦れしてないところに堂々とツッコむところも。
「イー、あんたも気をつけなさいよ!しつこい男は嫌われるのよ?」
「……」
僕が読んでいた本からちらりと目を上げて、ぐるりと廻して見せると、グッドマンがかすかに口角を上げて、小さく肩をすくめた。そして、
(でも、父様のそのしつこさのおかげで、姉様も僕も、こうして幸せに暮らせているわけだし……)
と思った。
時々、ふと、考えることがある。僕も恋に落ちたら、父様みたいになるのかな?
父様みたいに、好きになった女の人に意地を張ったり、いじめちゃったり、追いかけて追いかけて、大好きだ!って言い続けたり、嵐の海に漕ぎだしてでも会いたい!って衝動に駆られて、全身ズタボロになりながらも必死で追いかけてーー。
そして少しでも離れていることが絶えられないほど、好きになっちゃったりするのかな?
いや、僕の半分は、母様からも譲られているんだから、父様にそっくりになると考える必要は無いはず。母様の理知的な所も僕の中にある筈だ。
でも・・・。
僕は少し、憧れてしまう。
そう。父様と母様のなれそめに。
父様がいかに必死に母様を追いかけたのか。そして、その周りの人々の助けだとか。グッドマンから聞かされたその数々のエピソードは、まるで映画か小説のようで。本を読んだり、映画を見たり、絵を描いたりするのが好きな僕のイマジネーションをかき立ててやまないのだ。
そんなことを考えているうちに、なんだか眠くなってしまった僕は、知らず知らずにうたた寝を始めてしまった。
*-*-*-*-*
「ほら、イー、起きて!こんなところで寝ちゃったら風邪引くわよ!イーったら!」
「お嬢様、少し寝かせて差し上げましょう」
「もう、グッドマンったら!甘やかして!まったくもう……こんなにぼんやりした子になっちゃったのは、誰に似たんだかねぇ?」
「イーニアス様は旦那様にそっくりでいらっしゃいますよ?」
「ええーー?!あの父様とイーがそっくり?」
「はい。旦那様もご幼少の頃は、イーニアス様のようにおっとり貴公子然とした男子でございました。
十代後半からぐんぐん背が伸びて、顔つきも変わりましたから、おそらくイーニアス様も同じような成長過程を辿るのではないでしょうか?
きっと次代の『麗しの貴公子』として、お嬢様と共にアザリス社交界を席巻するのも遠いことではありますまい」
なんだかグッドマンと姉様が会話しているけど、もう眠くて聞いていられないや……。
僕は、グッドマンのかけてくれたお気に入りの毛布に顔を埋めて、本格的な眠りに落ちていく。
暖炉の火がぽかぽかと身体を温めて、座り心地のよいお気に入りの椅子に、なんの心配も要らない境遇。
ああ、気持ちいい。なんて良い気持ちなんだろう?
薄れていく意識の片隅で、詩の一節が僕の頭に浮かんだ。
『神、天にいまし。すべて世は事も無し』
ね、もうすぐやってくる、僕らの弟か妹よ。うちはきっと居心地いいし、君は間違いなく幸せになれるよ。僕が保証するよ。
母性に溢れた、愛情豊かな母様と。
父様と離れて暮らしていたせいで「不幸せ」な幼少期を過ごした、と父様が「勝手に決めつけている」姉様の分まで、甘甘ベロベロに甘やかそうとして、愛情過多の父様が手ぐすね引いて待ちかまえてるからね。
ん?僕?
僕は…まぁ、普通に君の事を可愛がると思うよ?一人ぐらい、常識的な人間がいたほうがいいだろう?キャラの濃いディスカストス侯爵家の中では、一人くらい君に『普通』を教えてあげるひとがいなくちゃならないと思うんだ。
(だから、安心して降りておいで?僕らの小さな天使。可愛い可愛い、僕らの・・・)
そうして、僕の意識はそこでとぎれた。
*-*-*-*-*
やがて生まれた僕らの可愛い弟は、スクスク順調に育って、僕よりゆうに50キロは多い体重と、15センチはでかい身長の偉丈夫となり、母様を真似て医師になって世界中を飛び回り、その大きな身体と大きな心で、いろんな事件を巻き起こし・・・。僕はそれに巻き込まれていく人生を送ることになるんだけど・・・。
まぁ、それはまた別のお話。




