141.決着
真昼の太陽のような明るい光に溢れた、アザリス随一の美しさを誇るディスカストス侯爵家別荘の玄関ホールで、今、醜悪で愚かな戦いが終息を迎えようとしていた。
蒼いドレスを着た気高く美しいリンと、しわ一つないパリっとした白い礼服のホルト大将、そして立っているだけでため息を誘う黒いタキシードのアクセル。
一方、その視線の先にはあまりの事態にブルブルと手を震わせる、愚かで醜い老婦人が立っている。そこには誰一人として老婦人を庇う者も、一緒になってホルト大将に食って掛かる人間もいない。彼女は完全に孤立していた。
無理もない。
この国の人間でホルト大将を、その顔を、どれだけのVIPであるかを知らない者などいない。当のギャヴィストン伯爵夫人を含めて。
2年前に起こったばかりの戦争の記憶はまだまだ生々しい。植民地時代から引き続きアザリスがその所有権を主張する、遠い島々を巡っての紛争をおさめるのに、当時中将だったホルト氏は、巧みな駆け引きと火のような決断力で臨み、その結果、ほんの僅かの戦闘行為と引き換えに、双方良しの講和を実現したのである。
『味方にとっても敵にとっても最小限の犠牲で済むように』
作戦会議における彼の発言は有言実行され、高く評価された。その言葉の通り、アザリス海軍の犠牲者は一人も出なかったし、紛争がいたずらに長引いて莫大な国費を費やすこともなかった。
時の政府が総選挙を控えていたという事情もあって、この恰幅のよい偉丈夫を『大切な水産資源をもたらす貴重な領土を守った英雄』として、政府肝いりのジャーナリスト達がこぞって書きたて、現代の英雄に祭りあげた。そしてこの時、ホルト中将は大将へと昇進したのだった。
つまり、今、ギャヴィストン伯爵夫人が思いがけず敵に回してしまったのは、単なる軍人ではない。国民的英雄であり、また、王家にも政府にも覚えの良いこの国の重要人物なのだった。
更に言えば、ホルト男爵家は、爵位は高くないものの、ディスカストス侯爵家に負けないほどの長い歴史を持った代々軍属の家系である。その点からも、ほんの100年ほど"しか"歴史の無いギャヴィストン伯爵家の一員であるギャヴィストン伯爵婦人には勝算はない。
冷静さを取り戻したギャヴィストン伯爵夫人の頭の中で、イヤな想像がぐるぐると回った。
たとえ義理であっても、ホルト大将の娘であるリンを糾弾し、あまつさえ、ホルト大将本人から『考えがある』とまで言われたのだ。ホルト大将が本気で名誉毀損で訴えるとすれば、ギャヴィストン伯爵夫人はただでは済まされないだろう。
(……勝負はつきましたね)
身分を楯に、実のない言いがかりで優越感を振りかざし、周囲を蔑みながら生きてきた愚かな老人ががっくりと肩を落とすのを、怒りや哀れみを通り越し、いっそ清々しい思いで、グッドマンは眺めた。
この最悪な事態に、少しでも良い面があるとするならば、彼女と同様の考え方をするありとあらゆる財産目当ての外戚達を黙らせることができるだけの見せしめとなった、ということだけであろう。
(所詮、ほんの少しの間だけでしょうが、黙らせておく効果はあるでしょうかね?まぁ、なにも無いよりはマシでしょう)
グッドマンは強張ったように立ち尽くす件の老婦人に影のように近づくと、
「さ、こちらへ」
と、茫然自失とした老婦人の手を取り、晩餐会の会場から離れた部屋へと促した。
それを見送りながら、ホルト大将は自分の肘にかかっているリンの手を、反対の手でポンポンと軽く叩き、ウィンクをした。その瞳の中には、まるでイタズラが成功した子どものような得意げな色を浮かべている。それを見留めた時、リンは心底安堵して、その夜、このディスカストス侯爵家別荘に足を踏み入れてから初めて、心のそこからの笑顔を見せたのだった。
最終回まで、あと4話!